経塚山の太子堂と東福寺 (笹下)


 笹下の東福寺は、このあたりでもっとも古いお寺です。その昔、京都の比叡山から一人のお坊さまが、背中にお薬師さんという仏像をせおい、はるばるこの地にやってきて、小さなお堂をひらいたことが、この寺のはじまりです。
 でもある時、寺にかみなりが落ちて、ぜんぶ焼けてしまいました。とても貧しい村だったので、なかなか再建されず、永い間そのままになっておりました。ある時、またまたこの地に、密厳というお坊さんが訪れ、荒れはてたお堂を見ておどろき、さっそくお堂を建てて、お薬師さんをおまつりしました。
 鎌倉時代には、親鸞上人というえらいお坊さんが、この地を訪れたとき、東福寺に三ケ月も滞在して、村の中をあちこちと、まわって歩きました。そして、いつのまにか、この寺のことを、三月院と言うようになったそうです。
 ある時、親鸞上人の夢の中に、聖徳太子が現われて、近くにある経塚山に、自分で作ったという太子像があることを告げたそうです。
 上人はさっそく山に行って、夢にみた場所を掘りおこしてみますと、何と夢の中に現われたものとそっくりの太子像が、土の中から姿を現わしたのです。上人は、大変よろこんで、その太子像を寺におさめたそうです。
 その後、この太子像は、村の人たちの手でお堂が建てられ、そこにおさめられました。そして、経塚山の太子堂とよばれ、大切にされました。

 また、この地をおさめていた間宮豊前守信元という殿様が、この太子像のことを知り、大変尊んで、村を守ってくださるようにとお願いしたそうです。しかし、経塚山の太子堂は、江戸時代に火事で焼けてしまいましたので、太子像は寺にうつされていましたが、今はもとの経塚山に帰っております。

 太子像が一時移されていた東福寺の庭のかたすみには、見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿が、ひっそりとこちらを見つめています。江戸時代に作られたもので、このへんでは一番古いものです。
 また、山門を入るとめずらしい花塚もあります。このあたりは、明治から大正時代には、横浜の花どころといわれ、花かごをせおって商いする風景をよく見かけたものです。
 この花塚は、村の人が花の精に感謝する気持で、作られたものです。