岡本橋ができたわけ (港南)


みなさんは、岡本橋を知っていますか。岡本という名は、もともと地名ではありません。
 むかしは、関の交差点一帯を上大岡村、区役所のあたりを松本村とよんでいましたので、上大岡の「岡」と、松本の「本」をとって、名づけられたのが、岡本橋です。
 その村と村の境を流れている川は、大岡川といって、たいそうきれいな川で、子どもたちは、岸から飛び込んでは、泳いだり、藻エビを採ったりして、楽しんでいたそうです。

 明治の中ごろのことです。村中ワイワイ、ガヤガヤ、大さわぎです。
 日野村の高梨林右衛門という人が中心になって、上大岡村と松本村を結ぶ道を作り、川に橋を架けることになったのです。
 とても不便で、ひとつひとつの村が互いに行き来することがない時代のことです。
 今でいえば、ペイブリッジが架かるか、というほどの大事件でした。

 実際には、さほど広い川幅ではありませんが、橋を架けるということになると、大事業です。
 でも橋ができれば、気軽にとなり村へ行けるようになるし、曲がりくねった、ぬかるみの道を歩かずにすむのです。村人の期待が高まるのも、無理はありません。

 工事は、思ったように進みませんでしたが、横浜と鎌倉を結ぶ役割も持った橋は、遠く離れた本郷や鎌倉の人たちからも援助をうけることができました。
 皆は、力を合わせ、川に橋の架かる姿を、思い描いては、希望に胸をふくらませました。
 ついに完成した時、橋を渡って隣村へ行ってみようとする村人でいっぱいになりました。橋は、村と村を一本の道でつないだばかりか、村人の心と心をも結んだのです。
 また、多くの人が、横浜と鎌倉を行き来することで、物資の流通もよくなり、経済的にも恵まれるようになりました。
 現在、大岡川には、鯉が放たれ、四季折々に変わる川に映った橋の姿は、道行く人々の心をなごませてくれています。
 あなたも、橋を渡ることがあったら、ちょっと足を止めて、川をのぞいてみませんか。
 過ぎし日の、村人たちの苦労や努力、また希望などが、川面に浮かんでくるかもしれませんね。