旅に出された厄除地蔵 (日野)


そのむかし、この港南の山あいに住む人々が、魚を口にできるのは、鎌倉から魚売りがやって来る時だけでした。
 魚売りは、新鮮な魚といっしょに、町での出来事や、他の村であった事など楽しい話を、たくさんもってきました。ですから村人はいつも、この魚売りが来るのを、心待ちにしていました。
 ある日のことです。小坪道にさしかかった魚売りは、追いはぎにあい殺されてしまいました。家族を残して、離れた土地で命を絶たれるのは、とてもくやしかったことでしょう。
 村人たちは、この魚売りの死をたいへん悲しみ、自分たちも生活が苦しいのに、わずかずつのお金を集めて、お地蔵さまを建て、魚売りの霊を慰めようとしました。

 折りしも、そのころは日照りが続き、お米が実らない年が続きました。村人たちは、このお地蔵さまを、「厄除地蔵」と呼び、しだいに心のささえとするようになりました。

 ところが、新しい時代の流れが・・・。小坪の周辺にも家が建ち、道路ができ、すっかり古いものは姿を消すようになりました。
 ずっと人々を見守り続けてきた厄除地蔵も生い茂った草の中で、ポツンと忘れ去られていました。
 それどころか、すっかりじゃまにされた厄除地蔵は、両脇の小さな二体のお地蔵さまといっしょに、追い出されることになりました。
 この日から、引き取り手のない厄除地蔵の悲しい旅がはじまりました。その居場所は古いお寺のあとや、公園脇、さらには空地などと六回も変わらなければなりませんでした。
 旅に出されていた厄除地蔵は、いまだにもとの所にもどっていません。いつになったら、ふるさと小坪に帰れるのでしょうね。

 さて、日野の鎌倉街道ぞいの、もと浄岸寺のあった場所に、八体のお地蔵さまが、仲良く並んでいます。地蔵は、六体で一組というのが普通ですから、ふしぎな数といえます。
 実はそのうちの二体は、前には厄除地蔵の両脇にあった小さなお地蔵さまがここにうつされたものです。
 この脇地蔵にとっては、きっと往来の激しい街道を見守るのに、ここがいちばん落ち着ける場所だったのでしょうね。