馬を洗った尼将軍  (上永谷)



 上永谷と野庭の境のあたりで、「鎌倉下の道」と交差して、ひとつの川が流れています。
 上流には滝があって、滝つぼは手頃な洗い場となっていて、旅人たちはここで馬を洗い、身じたくを整えて、鎌倉へ向かったことから、いつしか誰言うとはなく、この川を馬洗川とよぶようになリました。
 あるとき、尼将軍北条政子が、源氏の祈願所である弘明寺などに参拝するため、ここを通りかかりました。
 すると、そこで二人のりりしい若武者が、馬を洗っていました。
 政子は、お供のものに声をかけました。「少しの休息を・・・」
そこにいる若武者たちを見て、亡き息子の頼家や実朝の姿を、重ね合わせに見たからです。

 「むごい政治の争いから、あの時、子や孫たちを救う道はなかったものか」
 と政子は思い悩んでいました。
 政子は二人の若武者に、「気をつけて鎌倉へ参られよ」 と、やさしくことばをかけてそこを立ち去りました。

 市女笠を深くかぶり、母親のつらさ、悲しさを、政子はすっぽりそこにおおっていました。

 その後も尼将軍は、弘明寺参拝を幾年続けたことでしょう。
 頼家、実朝の供養になればと、そのつど土地の人にいろいろな物をほどこしました。
 男まさりと言われた尼将軍政子も、「鎌倉下の道」を通るときは、ひとりの母親の姿でしかなかつたのです。

 いつしか、土地の人たちは、政子に厚い信頼をよせるようになっていました。
 こうして、“馬洗川で馬を洗った”との話が、のちのちまでも伝えられるようになったのです。 橋については、あったのかなかったのか、いまだに“なぞ”です。
 今も、馬洗橋の近くでは、北条政子の伝説や「鎌倉下の道」のおもかげが感じられます。