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乳出の井戸  下永谷 」(2008/11/02 (日) 18:12:59) の最新版変更点

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**乳出の井戸 (下永谷)  むかしの生活を考えたことがありますか。  いまのように、電気やガスが普及していませんから、農作業や家事は、手間ひまかかる重労働でした。  また、粉ミルクや牛乳がなかったので、母親のお乳が出ないということは、とてもたいへんなことでした。  そんな時代のお話です。  下永谷に、お乳が出なくて困っている嫁がいました。  食べるものも貧しく、一人でも多くの働き手が欲しい農家の中で、休養もとれません。  出ない乳をしゃぶっては、ひもじそうに泣く我が子を見るにつけ、なんとかお乳が出ないものかと、途方にくれていました。  そんな嫁の様子に気がついた、村の老女がいました。  その老女も、かつて乳が出なくて苦労したひとりでした。なんとか自分の乳で育てたい母親の心、嫁として子育ても満足にでさないと責められるつらさ。自分の思い出とも重なり、老女には、その嫁の気持ちがよくわかるのでした。  老女は、嫁にささやきました。 「般若寺へ行ってごらん。そこの井戸の水で、お粥を炊いて食べるんだよ。じき、お乳がたっぷり出るようになるさ。しつかり、おやり」  嫁は、言われたとおりにしました。  すると、ふしぎなことに、乳が丸々と張ってきたのです。 「おぎゃあ、おぎゃあ」 「よしよし、いま、お乳をやるよ」 「うっくん、うっくん」 「そうかあ、うまいか。たっぷり飲みな」  自分の乳を飲んで、満足そうに眠る我が子を見て、嫁は感謝の気持ちでいっばいでした。  子どもを立派に育てあげたその嫁は、お乳が出なくて困っている母親を見かけると、そっと教えてやりました。 「般若寺へ行ってごらん」  こうして、下永谷の般若寺の井戸は“乳出の井戸”として、口伝えに広まり、ずいぶんと遠くからも、水をもらいに来ていたということです。  今では、そのおもかげもないのが残念です。----

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