「春日神社のおこり  日野  」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

春日神社のおこり  日野  」(2008/11/02 (日) 18:11:32) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**春日神社のおこり (日野)  日野の中心にある春日神社には、こんなお話が伝わっています。  むかし、京都に住む貴族で、藤原成実という人が、仁和寺に、お参りに出かけました。  そこへ、見ず知らずの老人が、寄ってきて、わざと手にした草履を落とすのです。成実は、気味悪く思いましたが、拾って、ていねいに渡すと、老人は、かすかな笑みを浮かべ、 「あなたの深い信仰心と、素直な心に感動しています。この神像を贈りますから、祈り続けるように。きつと、十年後には、大国の長官になれるでしょう。忘れずに」  と言ったかと思うと、姿が消えたのです。  手中の神像は、紫の冠に、剣をさした小さな木製の像でした。  成実は、最初、信じがたい思いでしたが、ふと、これは、藤原氏の祖先の霊である春日大明神の変身であると感じとり、大切に持ち帰り、祈りつづけました。  予言どおり、十年後、成実は武蔵国の国守になり、国中を調べ歩くとちゅう、日野の里で、こんなうわさ話を耳にしました。  不思議な僧が、杖でこの地を掘ったら、水が湧いてきました。この水を飲むと病が治るというのです。  成実は、この僧こそ、自分の信仰する地蔵像の化身であり、この霊水の地は、春日大明神をまつるのに、ふさわしい場所と直感しました。  さっそく、神社を造り、神像を納めさせたのです。ここを最初は、穂井神社といっていましたが、後に、納めてある神像の名前から、春日神社と呼ぶようになりました。  平安時代に造られた古いやしろは、何度か、戦火に会い、いまの建物は、江戸時代に造り替えられていますが、この社殿の彫刻は、それは見ごとなものです。日野の里を今も見守っていてくれますし、建物の社殿の外壁の右側の中ほどには、虎と牡丹の花の彫刻、奥側には虎と老人、女性の像、社殿の左側には虎と牡丹、奥側には、老人と母子、また頭上の天井見上げると、竜の頭の彫刻が彫られています。  権現造りの社殿を、山の上から見ると、拝殿と本殿の屋根の棟が二重に重なり、神社の森と調和し、日野の里にきわだっています。 ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: