「首塚の亡霊  (下永谷)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

首塚の亡霊  (下永谷)」(2009/04/21 (火) 21:22:56) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**首塚の亡霊(下永谷) &bgsound(http://www19.atwiki.jp/konanrekishi/pub/kubidukano.wma) その昔、柏尾川のまわりが、まだ広い湿地だったころのお話です。 下永谷の村にある本城山から、夜になると苦しそうな、悲しそうな、すすりなく声が聞こえてくる、といううわさ話がひろがっていました。 「本城山に、ゆうれいがでるんだって。知っているか」 神社の境内で遊んでいた男の子が、話はじめました。 「夜になると悲しそうな声が、毎日毎日、村のはしっこのほうまで聞こえるんだって」 「知ってる、知ってる。かどのじいちゃんは、山で何か動くものをみてから、熱をだして、ねこんでるんだってさ」 男の子たちの話を、そばで聞いていた小さな女の子が、泣きだしそうな顔で言いました。 「あの声は、ふくろうのなき声を、だれかが聞きまちがえただけだって、かあちゃんがいってたよ」 村の子どもたちは、日が西の山にしずむころになると、いそいで家にかえるのでした。 家の木戸を固くしめ、まっくらな家の中で耳をふさいで、じつと、みんなのかえってくるのをまっていました。 このうわさ話は、いつまでもおさまることなく、村の人たちは、どうしていいのか困りはてていました。 ちょうどそんな時、この村を通りかかった念仏の行者に、首塚の供養をしてもらいました。けれども、声はまだ聞こえるのです。 そこで、江戸から有名な霊厳上人をまねいて、法要をしてもらいました。そうすると、それいらい、声がなくなったということです。 戦国の時代、この山には、北条氏直のとりでがありました。山は平戸川と永谷川が二重の堀となり、広い湿田にかこまれていました。このとりでをめぐつて、たくさんの人々が戦いをしました。 北条氏は、多くの敵の首を切り、みせしめにしたのです。そして、そのあとに首を集めて塚に埋めたのでした。その時に殺されてしまった人たちの、悲しく苦しい思い出が、村の人たちの間に、このような話として伝えられたのかもしれません。 ----
**首塚の亡霊(下永谷) &bgsound(http://www19.atwiki.jp/konanrekishi/pub/kubidukano.wma) その昔、柏尾川のまわりが、まだ広い湿地だったころのお話です。 下永谷の村にある本城山から、夜になると苦しそうな、悲しそうな、すすりなく声が聞こえてくる、といううわさ話がひろがっていました。 「本城山に、ゆうれいがでるんだって。知っているか」 神社の境内で遊んでいた男の子が、話はじめました。 「夜になると悲しそうな声が、毎日毎日、村のはしっこのほうまで聞こえるんだって」 「知ってる、知ってる。かどのじいちゃんは、山で何か動くものをみてから、熱をだして、ねこんでるんだってさ」 男の子たちの話を、そばで聞いていた小さな女の子が、泣きだしそうな顔で言いました。 「あの声は、ふくろうのなき声を、だれかが聞きまちがえただけだって、かあちゃんがいってたよ」 村の子どもたちは、日が西の山にしずむころになると、いそいで家にかえるのでした。 家の木戸を固くしめ、まっくらな家の中で耳をふさいで、じつと、みんなのかえってくるのをまっていました。 このうわさ話は、いつまでもおさまることなく、村の人たちは、どうしていいのか困りはてていました。 ちょうどそんな時、この村を通りかかった念仏の行者に、首塚の供養をしてもらいました。けれども、声はまだ聞こえるのです。 そこで、江戸から有名な霊厳上人をまねいて、法要をしてもらいました。そうすると、それいらい、声がなくなったということです。 戦国の時代、この山には、北条氏直のとりでがありました。山は平戸川と永谷川が二重の堀となり、広い湿田にかこまれていました。このとりでをめぐつて、たくさんの人々が戦いをしました。 北条氏は、多くの敵の首を切り、みせしめにしたのです。そして、そのあとに首を集めて塚に埋めたのでした。その時に殺されてしまった人たちの、悲しく苦しい思い出が、村の人たちの間に、このような話として伝えられたのかもしれません。 ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: