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第7部 バグラチオン編 第3話「撤退2」

2007年3月15日放送予定

概要

北へと走る装甲列車。
一時停止した列車を撮影しようとするベルンに整備したカメラと撮影機材を差し出すシュバイニ。
ベルンはシュバイニの有能さに感心するが、その一方で戦死したラウトのことを思い出し寂しさを感じる。
一方マキはダイスラーからドイツ軍が北方戦域で大規模な撤退作戦を行おうとしているという話を聞く。
それは戦争を終わらせるための決定的な局面を作り出すための作戦であるかもしれないと。
これを知ったマキは無為の中で酒に浸るマイヤーに告げる。
「あなたとあなたの部隊にはまだなすべきことがあります」



(冒頭のカメラ機材について、詳しい方がいたら補完をお願いします。)

ND

カメラのレンズに取り付ける減光用フィルター

フラム

これについては調べがつかなかったが、おそらくは雪面で乱反射する光が入るのを防ぐためにカメラのレンズの周囲を覆うほろのようなものではないかと思われる。

プレッシャープレート

フィルムがたわまないように裏面から押してぴんと張らせる部品。

不凍液

当時使用されていた不凍液にはエタノール(アルコール)やグリセリンなどがあった。
ドイツ軍が使用していたものについては調べがつかなかったが、部品洗浄に使用しているのでエタノールではないかと思われる。
なお、独ソ戦1年目の1941年の冬は歴史に残る厳冬であり、補給の不備により燃料、衣服、そして不凍液が極端に不足したため、ドイツ軍では車両の故障が頻発した。

「第2小隊は当番、機関要員と対空小隊以外は大休止だ!」

ここで列車は給水・給炭作業と食糧等消費物資の積み込みを行い、搭乗する将兵は大休止をとっているが、
第2小隊は装甲列車の周辺に展開して周辺の警戒。
機関要員は襲撃された場合の移動に備えて待機。
対空小隊はパルチザンや航空機の襲撃に備えて対空銃座で見張り。
という態勢をとっているものと思われる。

列車師団

ドイツ軍では装甲列車1個編成は大隊に相当し、その上部に装甲列車連隊が置かれる。
実際には1個編成単位で軍や軍集団管区に配備されるため、師団として編成されることはなかった。

マホルカ Makhorka

ロシアの粗悪な刻みタバコのこと。
新聞紙などで巻いて吸うが、きつくて味が悪いので有名。
東部戦線を扱った小説や漫画にはドイツ兵が鹵獲品のマホルカを吸うシーンがよく出てくる。

機械化歩兵師団

歩兵が自動車や装甲車などに乗車し移動・戦闘を行う歩兵師団のことで、支援部隊や砲兵部隊も自動車化されている。
移動する装甲師団に追随できるので、その側面防御や突破口の拡大などの任務に投入されることが多い。
史実では1943年頃からその多くが戦車部隊を配備されて装甲師団や装甲擲弾兵師団(戦車大隊を保有)に改変されている。

二線級の師団や速成の警戒大隊

常に人員不足に悩んでいたドイツ軍は、占領地の警備に大損害を受けて再編成中の師団や再召集された予備役兵から編成された師団、警備任務を専任とする保安師団などを充てている。
これらの部隊のほとんどは完全編成の師団に比べると人員・装備・練度の点で劣っており、前線任務に耐えられるものではなかった。
さらに警察官、傷病から回復した兵士、三十~四十代の予備役兵などから編成した警戒大隊を編成し警備やパルチザンの捜索・掃討などに投入している。
また志願した赤軍捕虜からなるHiwis(ヒヴィス)と呼ばれる補助部隊、対独協力を申し出たロシア人やコサック、カフカスの回教徒などで編成されたいわゆる「東方大隊」と呼ばれる部隊の中にもこの任務に当たったものもある。

フィンランド軍

フィンランドはソ連からの領土割譲要求がきっかけでおきた1940~41年の「冬戦争」で敗れ、レニングラードに近い地域を割譲させられた。
そのため独ソ戦において失地回復を目指してドイツ軍と同盟関係を結んで戦った。
これをフィンランドは「継続戦争」と呼んでいる。
フィンランド軍はレニングラード包囲戦に参加したほかは奪回した領土やカレリア地方の維持といった防衛戦に徹し、積極的にソ連領土に侵攻することはなかった。
史実ではソ連の大反攻のあった1944年秋にソ連と講和し、その後はドイツ軍と戦っている。

レニングラードの包囲

北方軍集団の主要な攻略目標であったレニングラード包囲は1941年9月に始まり、史実では44年1月まで900日あまりにわたって続いた。
ラドガ湖を渡って夏は船舶、冬は氷上道路や鉄道を使って物資の輸送や住民の避難が行われたものの、約300万人の住民を養うには輸送量は絶対的に不足していた。
また輸送量の多くが市内の武器工場への資材輸送に使われたため食糧が極端に不足し、ソ連の公式発表では67万人、一説では100万人以上の市民が飢えや寒さで死亡したといわれている。
特に41~42年の冬が最悪で、人々は犬猫から鼠まで食べ、革製品を煮てスープを作り、人食いまで行われたという証言もある。
この大飢餓を耐えたレニングラードはスターリングラードと共に「英雄都市」の称号を受けている。

キエフやロストフも奪回されてはいない。

史実では赤軍によるキエフの奪回は43年11月、ロストフは42年2月に行われている。
このことから「冬の嵐」作戦は史実以上の戦果を挙げていることがわかる。

ライヒスマリーネの水上艦やUボートによるムルマンスク封鎖

作中ではアメリカが参戦していないのでイギリスのみで対ソ支援を行っているものと思われる。
またイギリスはまず自国への物資輸送を優先させなければならないので、対ソ輸送船団の護衛にまで手が回らず、劣勢なドイツ海軍の戦力でも封鎖作戦が可能になっていると思われる。

何をおいてもモスクワを陥落させるべきだった

1941年夏の時点で北方および中央軍集団戦区でドイツ軍は快進撃を続けていたが、赤軍が戦力を集中していた南方軍集団戦区においては攻勢は停滞していた。
このためヒトラーは中央軍集団の第2装甲集団を、司令官のグデーリアンの反対を押し切って南方に回す決定を下した。
このためモスクワ攻略は10月に延び、冬の襲来によって攻略戦は失敗することとなった。
もしも夏の時点でモスクワへの進撃を続行していればソ連の政治、経済の中心であり交通の要衝でもあるモスクワを占領できた可能性はある。
その場合赤軍は戦線を大きく東に後退させざるを得ず、史実よりもドイツ軍は優勢に戦えたかもしれない。
ただし、モスクワの占領によってソ連が屈服したか否か、あるいはそれがドイツ軍に可能だったかどうかについては今も議論が続いている。

ウクライナから西を確保

ウクライナ地方は豊かな穀倉地帯であり、石油、石炭、鉄鉱石などの天然資源にも富んでいる。
この地を確保すればドイツは食糧や資源の自給自足が可能となり、敵であるソ連の国力を削ぐことができる。
またウクライナは30年代の農業集団化強行の結果もたらされた大飢饉で膨大な餓死者を出し、また西部地域は旧オーストリア帝国領だったために親西欧志向が強く、開戦当初は侵攻してきたドイツ軍を解放者として迎えたものも多かった。
史実ではナチスがスラブ人蔑視政策をとり、ウクライナで過酷な統治を行った為にパルチザンの大量発生を引き起こすこととなったが、ナチスがいない今作中ではもう少し穏健な統治が行われていれば、ウクライナのドイツ勢力圏への併合(直接統治か自治政府の樹立か)はうまくいく可能性があるかもしれない。


「人的資源において限界に近づいて」

史実では1941年の段階で兵員の動員は困難な状況となり、兵員数を減らした師団や後方警備専門の弱体な保安師団が編成されるようになっている。
この傾向は戦争が進行するにしたがって悪化し、戦争末期には壮年層を動員した国民擲弾兵師団や傷病兵で編成された師団が作られるまでになっていた。
成年男子層の動員による労働力不足を史実のドイツは占領地からの労働者の徴用や強制収容所の囚人の強制労働によって補っていたが、ナチスを打倒し部分的ながら民主化を進めている作中のドイツではここまで強硬な政策はとれず、史実よりも早く人的資源に限界がきているのかもしれない。

開発中のジェット推進航空機

おそらくメッサーシュミットMe-262のこと。
世界初のジェット戦闘機はハインケル社が開発し1941年に初飛行したHe-280だが、ドイツ空軍はほとんど興味を示さず量産されることはなかった。
同時期に開発されていたMe-262は1942年夏には飛行テストが行われていたが、ヒトラーがこれを爆撃機として使用する決定を下し、エンジン開発の遅れもあって史実での実戦投入はドイツが既に制空権を喪失していた1944年にずれ込むこととなった。
作中ではジェット機の開発は史実よりも1年近く早まっているようである。


長砲身砲で発射するロケット推進弾

第5部第3話「セヴァストポリ」でエッフェンブルクが言及した「ペーネミュンデ・プファイルゲショス」のこと。

懲罰部隊

犯罪行為や命令不服従、敵前逃亡などの軍機違反を犯した将兵や国内の刑事犯、思想犯が配属された部隊。
砲火の下でのでの地雷の撤去や道路の整備、戦死者の回収・埋葬など危険で汚い任務を行わされ、その死傷率は非常に高かった。
ドイツ軍には第333、666、999の三つの懲罰大隊が存在した。