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第7部 バグラチオン編 第2話「撤退」

2007年3月8日放送

概要
装甲猟兵たちとマキを乗せた列車は北へ向かう。
マキはマイヤーにセヴァストポリの地下で何があったのかを尋ねるが、マイヤーは答えようとしない。
やがて途中駅で停車中、装甲猟兵たちは別の列車への移動を命じられる。
駅舎でマキを待っていたのは、ハリコフへ向かう途中でマキたちが便乗した装甲列車のダイスラー大尉と戦死したラウトの補充として着任したシュヴァインシュタイガー伍長だった。



正規の編成である9個歩兵大隊4個砲兵中隊から、それぞれ6個大隊と3個中隊に削減

ドイツ軍歩兵師団には3個の連隊があり、連隊はそれぞれ3個の大隊から編成され、その3個中2個が前線任務につき、残り1個が予備部隊として後方で待機するというのが基本だった。
図示するとおおむねこのような形となる。

第1大隊(前線)
          第3大隊(予備として後方で待機)
第2大隊(前線)

これが6個大隊に削減されるということは防御時においては、
  • 各連隊は2個大隊で前線を守り、各連隊の予備戦力は師団の偵察大隊もしくは補充大隊を充てる。
  • 本来3個連隊で守るべき戦線を2個連隊が担当する。
という状態になる。
また攻勢時においては特に戦果拡大のために投入すべき予備兵力が不足することとなる。
史実ではこの兵力不足は恒常的なものとなり、大戦後半には6個大隊基幹が標準編成となっていった。

またここで挙げられている砲兵中隊は師団歩兵連隊ではなく各連隊に置かれた歩兵砲中隊や対戦車砲部隊のことと思われる。
これらの部隊が削減されるということは、敵の攻勢時に歩兵砲による即応反撃が不足したり、こちらの攻勢時には支援砲撃がやはり不足することとなる。

「彼らの最高司令部は東部戦線全体にわたって、事実上の敵の打破を目論んでいた。」

史実ではソ連赤軍の最高司令部(スタフカ)は南部戦線においてドイツ軍を駆逐した後、中央軍集団に対する三段階の攻勢を加えてこれを撃破する計画を立案していた。
作戦はクルスク突出部の北にあるオリョールに対する掃討戦に始まり、順次北に向かって攻勢を進め、最終的には中央軍集団戦区の北端でドイツ軍が形成していたルジェフ突出部に対する包囲撃滅戦を行うというものだった。
しかし、これは当時の赤軍の戦力から見てあまりにも過大な目標を目指しており、実際にはドイツ軍の南部戦力の撃破にも失敗したことから実現されることなく終わった。

マンシュタインによるハリコフの罠

第三次ハリコフ攻防戦
1943年2月マンシュタインは、南部戦線の崩壊を狙う赤軍の戦線が伸びきった所を反撃し、一度はソ連軍が占領していたハリコフを奪回した。
これにより反攻作戦「バグラチオン」はクルスク突出部という遺産を残して終結し、春の泥濘期を迎えることとなった。

クルスクの戦い

1943年7月に東部戦線のクルスク突出部を巡って行われた戦闘で、ドイツ軍は「ツィタデレ(城塞)」という作戦名で呼称した。
史実では赤軍の激しい抵抗で侵攻は進まず、7月12日のプロホロフカ戦車戦後に連合軍のシチリア上陸を理由として作戦は中止された。
しかし、作中では北方戦域でドイツ軍が何か決定的な行動をとることを目論んでいるようである。

「工兵が啓開した地雷原を野砲や高射砲が前進し、その支援射撃の下を歩兵が突撃して」

野砲や高射砲は後方からの間接照準射撃や対空射撃に用いられるが、場合によっては目標の至近距離まで前進し直接照準射撃(砲の照準手が目視で狙う)で生き残ったトーチカなどを砲撃した。
火砲の移動は人力で行われ、敵の銃火を浴びながらの作業となるので非常に危険である。

「野戦憲兵に射殺されたくなければ~小便は」

撤退時の脱走兵が多いことを指し、
用を足すために人目のつかないところに行けば、脱走兵と間違われるぞというジョーク。

「レニングラードかロストフ、もしかしたらムルマンスク」

このロストフは前回名前が出たロストフ(・ナ・ドヌー)ではなく、モスクワ北東の古都ロストフであると思われる。
ムルマンスクはロシア最北端のコラ半島にある港湾都市で、北極圏にありながら不凍港であったため史実では第二次大戦中アルハンゲリスクと共に連合軍からの支援物資の積み下ろし基地となった。

大隊行李

行李とは兵士の装備や私物などを収納した箱のことで、通常その輸送は中隊や大隊の行李段列が行う。

ダイスラー大尉

第29装甲列車中隊の指揮官。
詳しくは第1部を参照

セバスティアン・シュヴァインシュタイガー伍長

戦死したラウト伍長の後任として来た補充兵で愛称はシュヴァイニ。
例によって元ネタはサッカー選手のバスティアン・シュヴァインシュタイガー。