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第6部 スターリングラード編 第3話 「狙撃兵」

2007年1月25日

概要


ベイカー小銃

19世紀初頭にイギリス人エゼキエル・ベイカーが発明したライフル銃でイギリス陸軍が制式小銃として採用した。
それまでの主力小銃であったマスケット銃と異なり銃身内に旋条(ライフル)が切ってあり、撃ち出される弾丸に回転が与えられることで弾道が安定するため飛躍的な命中率の向上を実現した。
しかし点火機構はそれまでと同じフリントロック(火打石式)で弾丸は銃口から火薬と共に装填する先込式の為、発射後の再装填がしにくいという欠点があった。
そのためナポレオン戦争時には一部のエリート部隊に支給されるに留まり、主にフランス軍の指揮官や将校を狙う狙撃銃として用いられた。
なおライフル銃自体は15世紀頃にはすでに発明されており、主に狩猟に使われていた。
独立戦争時にはアメリカの大陸軍はライフル銃での狙撃で指揮官を狙撃するという戦術をとり、イギリス軍を大いに苦しめている。
(旋条の無いマスケット銃時代の戦闘では歩兵は横隊を組んで前進し、「敵の瞳が見えるくらい」接近してから一斉射撃を行うという戦法を取って命中率の低さをカバーした。)

ボルトアクション式の金属薬莢小銃

ボルト(槓桿)とは小銃の薬莢装填・撃発機構のことで、短いレバーのついた棒状のパーツで小銃に組み込まれている。
これを操作すると弾倉から薬室に薬莢が送り込まれ、薬莢の雷管を叩く撃針がセットされて射撃可能となる。
引き金を引き発射後に再びボルトを操作すると薬室から空薬莢が引き出されて排除され、次弾が再装填される。
金属薬莢は弾丸、金属製の火薬をつめた薬莢、衝撃を与えられると着火する雷管を一体化したもので、それまでの弾丸と火薬を別個に装填する方式や弾丸と火薬を防水紙に包んだ紙薬莢に比べて取り扱いが楽で湿気に強く、発射・再装填の時間が格段に短縮された。
第二次世界大戦においても、日本の三八式歩兵銃、ドイツのKar98k、ソ連のモシン・ナガンなど歩兵の小銃はこのボルトアクション式が主流だった。

砲撃観測員

砲撃目標を目視できる地点まで進出し、後方の砲兵陣地から発射される砲弾の弾着を観測して照準の修正の指示を任務とする。
火砲による砲撃は通常目標から離れた地点からまず地図や事前の偵察情報などに基づいて方位・射角を計算して行われるが、砲弾の弾道は気温、気圧、風向風速など様々な要因によって変化するために、最初から目標を捉えることは非常に難しい。
通常はまず一門だけで試射を行ってその弾着を砲撃観測員が観測し、その報告に基づいて修正・試射を繰り返し、目標を捉えたと判断された時点で全火砲による射撃(効力射)を行う。
このため砲撃観測員は最優先で倒すべき目標であり、また敵の位置を観測できる高地や高い建物は多くの戦闘で争奪戦の対象となっている。

モシンナガンM1891/30

第二次世界大戦に旧ソ連で開発されたボルトアクションライフル。
帝政ロシア時代に登場したモシン・ナガンM1891(1891年製)を1920年代に改良を始め1930年に完成した。
口径7.62mm、装弾数 5発。
銃身長を短くしたことで扱いやすくなったが機関部がモシン・ナガンM1891と同様の為、射程が短いのが欠点。
また狙撃用の3.5倍(PU型)から4倍用(PE型)のスコープを装着することができ狙撃銃としても使用することができた。
第二次世界大戦を通してソビエト軍にとって代表的な小銃。

ZF39

Zielfernrohr39(39型照準眼鏡)を取り付けたKar98kのこと。
Kar98kは口径は7.92mm、装弾数は5発のボルトアクション式ライフルである。
第二次世界大戦におけるドイツ軍の主力小銃として大いに活躍した、現在においても一部の国で使用されている傑作銃である。

シュトルムゲヴェール42(Sturmgewehr 42)

おそらくは史実のシュトルムゲヴェール44(Stg44)と同じもの。
Stg44はKar98kよりも火薬量の少ない薬莢を使用して反動の軽減と弾倉の装弾数の増大がなされ、引き金を引くだけで薬莢の排出・再装填が可能かつフルオート射撃可能な世界最初のアサルトライフルである。
30発収納で取り外し可能な大型弾倉、ピストル型のグリップを特徴とする。
史実では最初はMkb42という名称で1942年に導入されたが、ヒトラーが制式化を許可しなかったために、MP43、MP44(MPはサブマシンガンの略称)などの名称で改良は進められたものの戦争末期に制式化されるまで生産は少数に留まっていた。
本作ではヒトラーがいないために制式化が早まっているものと思われる。

威力偵察

敵に対して攻撃を仕掛け、その反応から敵の情報(兵員数、兵員や火器の配置状況など)を得る偵察手段。
通常は敵情がわかり次第撤退するが、そのまま戦闘を続行して味方の来援まで敵をその場に釘付けにする場合もある。
そのため威力偵察を行う部隊には、敵の攻撃に耐えうるだけの兵力が必要となる。

「小休止、クラウス、ハンケは当番だ。」

兵士は重い装備を背負って行軍する場合が多く、また常に周囲を警戒しなければならないため肉体的・精神的疲労が大きい。
そのため近代的な軍隊では行軍時に小休止(おおむね1時間ごとに15分)や大休止(炊事や食事を含め1時間以上)をとって兵士の疲労を抑える。
ここでノイヴィル軍曹は二人の部下に哨兵として周囲の警戒をすることを命じている。

赤い10月

スターリングラード市街北部にある武器工場。
ソ連軍が包囲作戦までの時間を稼ぐ為に立て篭もり激戦となった。
この他に「ジェルジンスキー・トラクター工場」、「赤いバリケード兵器工場」、現在記念施設がおかれている「ママイェフの丘」などが激戦地として知られている。

「三人を一単位として行動」

ドイツ陸軍では通常分隊が最小単位であり、1分隊は9~10名で下士官が勤める分隊長1名、機関銃手1名、他が銃兵(兼機関銃装填手)という編成になる。
また三個分隊からなる小隊を小隊長と銃兵4~5名からなる本部が指揮する。
これに比べると装甲猟兵の小隊編成は機関銃の比率が高く本部が小規模となっている。

MG

MG34
1934年に制式化され製造されたドイツの機関銃である。
空冷式で、7.92mmモーゼル弾を使用
高い発射速度や過熱しても簡単に銃身交換が可能なメカニズムを持ち、三脚を取り付ければ長距離射撃可能な重機関銃、そのままなら歩兵が携行して移動可能な軽機関銃としても用いられる世界最初の汎用機関銃として、戦後の機関銃開発に大きな影響を与えた。
歩兵用の主要機関銃としてだけでなく戦車用の機銃や、航空機の防御用兵器として終戦まで使われ続けた。
しかしMG34は高価であり、常に拡大し続けていたドイツ軍の各戦線への各種要望に応えることができなかった。
さらに、汚れに過敏な傾向にあり、ジャミングを起こすことが多かった。
史実では構造を簡略化したMG42が戦争中盤より配備されている。

カンプグルッペ(Kampfgruppe)

ドイツ軍で歩兵や戦車、砲兵など兵科や指揮系統の異なる部隊をひとつの指揮本部の元にまとめた臨時編成部隊のこと。
縦割りの通常の部隊編成と異なり、諸兵科連合部隊として効率的な指揮運用ができるというメリットがある。
通常は歩兵、または装甲部隊を基幹とした連隊~旅団規模で編成される。
通常は指揮官の名前をつけて「カンプグルッペ・○○」と呼称され、44年のアルデンヌ攻勢で先陣を切った「カンプグルッペ・パイパー」は特に有名である。
この方式のメリットを認めた現代のアメリカ陸軍は師団内に複数の旅団司令部を持ち、必要に応じてその指揮下に戦車部隊や砲兵部隊などを配属するタスクフォース戦術を取っている。

カンプシュタッヘル(Kampfstaffel)

上記のカンプグルッペで中隊~大隊クラスの小規模なものをカンプシュタッフェルと呼称する。

半装軌車両

おそらく歩兵10名(一分隊)を輸送可能なSd.Kfz.251のことと思われる。
後輪の代わりに履帯を持つため、路外走行性能が優れ戦車等の装軌式戦闘車両に追随できるために、兵員輸送のほか、通信機を搭載した移動司令部、自走対戦車砲や榴弾砲、ロケットランチャー搭載車などとしても幅広く使用された。
他には定員5名のSd.Kfz.250がある。

「ヴェルナーとオットーは~」

ここでノイヴィル軍曹は分隊の主力を率いて陽動攻撃をかけて狙撃手の注意をひきつけ、その隙に迂回して側面に回りこんだヴェルナーとオットーに至近距離から狙撃手を襲わせようとしているものと思われる。

レンズフード

カメラなどのレンズの日よけとなるパーツで不要な光がレンズに入るのを防ぐのが本来の目的。
作中ではレンズが光を反射して発見されるのを防ぐ目的で使用するようである。