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第4部 バルバロッサ編 第1話「粛清」 Sauberung

2006年11月30日 放送

概要
時間は戻り、第1部「軍馬」の続きが舞台となる。
補給部隊のトラックから鉄道へ乗り換えたマキは、ハリコフへ向かう列車の中でベルリンからきた特派記者ボリス・レシェンスキーと会う。
彼の語るソ連の実状。
それはナチのハイドリヒの策謀すらも権力闘争に利用する政権争奪の歴史だという。


ペトログラード

帝政時代のロシアの首都で10月革命の発祥の地となったサンクトペテルブルグのこと。
ドイツ語の地名であったことから、第一次大戦開戦後の1914年にペトログラードと改名された。
さらに革命後の1924年にレニングラードと改名され、史実ではソ連崩壊後の1991年に再び元のサンクトペテルブルグへと戻っている。

ボリシェヴィキ

ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いる左派の一派。
暴力による革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。
多数派という意味。
ロシア革命を経て、ソビエト連邦共産党へとなる。

十月革命

ロシア革命の一つ。もう一つはニ月革命。
これによりロシア帝国が、社会主義国 ソビエト社会主義共和国連邦になる。
十月革命は実に計画的な革命で、ほとんど流血なくレーニンは政権を手に入れた。
なお帝政時代のロシアはユリウス暦を使用していたため、西欧諸国のグレゴリウス暦とは13日のずれがある。
そのためユリウス暦では革命の勃発は10月25日だがグレゴリウス暦では11月7日であり、同暦を採用したソ連時代はこの日が「十月革命」の記念日とされていた。


白軍

ロシア革命において、革命側の赤軍(赤衛軍)に対し反革命側の軍隊を総称して白軍(白衛軍)と呼ぶ。
デニーキン、ウランゲリ、セミューノフ、コルチャークなどの帝政時代の軍人・貴族が指揮したが、彼らの多くは旧体制を信奉する超保守主義者であったために大衆の指示が得られず、援助していた西欧諸国もソ連承認の立場に傾いたために次第に勢力を失い、1920年代初頭には相次いで消滅した。

レーニン

史上初めての社会主義革命であったロシア革命を成功させたロシアの政治家、ソビエト連邦の建国者。
ロシアの共産主義政党であるロシア社会民主労働党・ボリシェヴィキの指導者
スターリンの前任者。

レフ・トロツキィ

本名レフ・ダヴィドヴィッチ・ブロンシュテイン
ロシアの革命家・政治家・思想家。
赤軍の創設者のひとりとしてソビエト連邦の草創期に活躍したが、世界革命を主張したトロツキーは一国社会主義を唱えるスターリンとの対立に敗れて追放され、亡命先のメキシコで暗殺された。
その後ソ連を含む社会主義諸国ではトロツキーとその思想を支持するトロツキストの名は裏切り者、反逆者の代名詞となり、ソ連崩壊後まで長くタブーとされてきた。

政治委員

コミッサールとも言う。
共産圏の国において、政府が軍隊を牽制する為に各部隊に派遣した将校のことを指す。
軍とはまったく異なる指揮系統に属し、プロパガンダ、防諜、敗北思想の取り締まりを担う軍隊内の政治指導者である。


火事場泥棒のように東ポーランドに侵入

電撃戦編「初陣」で語っているように、ソ連はヒトラーとの秘密協定によりドイツ・ポーランド戦に後からやってきて、ポーランドを分割統治した。

カチンの森

カチンの森で虐殺されたポーランド軍将兵の遺体は、史実では1943年にドイツ軍が発見している。
ソ連は長らくこの事件をドイツによる謀略と主張し続けたが、1990年にゴルバチョフが事実を認め謝罪した。

大祖国防衛戦争(Великая Отечественная Война)

独ソ戦のソ連側呼称。
1812年のナポレオンによるロシア侵攻に対する戦いを「祖国戦争」というが、これよりも偉大な戦いという意味をこめてこの名がつけられた。

スターリン

ヨシフ・スターリン
ソビエト連邦の政治家。
20世紀、アドルフ・ヒトラーと列ぶ、あるいはそれ以上の独裁者として悪名を馳せ、「粛清」と称して2000万人以上もの国民や党員を殺戮したため、「紅いツァーリ」、「白い国の独裁者」とも呼ばれた。
しかし、ソ連の国是からスターリンが祖国をドイツ(ナチ政権)から守った英雄と見る人も少なくない。

SSアインザッツグルッペン

SS特別行動隊。
警察の機動部隊で、ゲシュタポやSD、ジポの要員からなり、治安平定のために東欧の占領地域で敵の検挙や処刑にあたった。
おもに標的としたのは、反ドイツ分子やユダヤ人、共産主義者、ジプシー(ロマ)、政治的指導者、知識人だった。

ハイドリヒ

ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ
親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊 No.2の実力者。
ユダヤ人問題の最終解決計画の実質的な推進者であった。
諜報機関である親衛隊情報部( SD )のトップとして親衛隊内でも恐れられ、風貌から金髪の野獣もしくは第三帝国の首切り役人と呼ばれた。
比較的年齢層の若いナチ党指導部の中でも最若年といっていい若さながら、冷酷な性格と突出した才能でみるみる出世を遂げた。
史実では後にSDやゲシュタポ他ドイツ国内の警察組織や強制収容所を統括管理する国家保安本部(RSHA)長官となり、ヒムラーに次ぐ親衛隊の実質的なナンバーツーとして君臨した。
また、ユダヤ人の「最終的解決」を決定したヴァンゼー会議の主催者でもあった。
その後1942年にボヘミア=モラビア保護領(チェコ)副総督として赴任したプラハで、イギリスの特殊工作部(SOE)の支援を受けたチェコ人レジスタンスにより暗殺された。
野心家でもあった性格や年齢的な面から、生存していればヒトラーの有力な後継者候補となっていたとも言われる。

シュトルモビック

ソ連のイリューシンIL-2の通称。
戦車や輸送車両などを目標とした対地攻撃を主たる目的とした航空機で、地上からの砲火に耐えるために大変厚い装甲を有していた。

ボロネジ ロストフ ハリコフ

ソ連の地名できれば地図を用意したい。

トハチェフスキー

ミハイル・ニコラエヴィチ・トハチェフスキー
ソビエト連邦の軍人。
赤軍の機械化を推進。数々の画期的戦術理論を編みだし、赤軍の至宝、あるいは赤いナポレオンと呼ばれた。
彼の死は、ナチのハインドリヒによるスターリンへの密告によってだが、ドイツ側がこうした行動に出るようにスターリンが仕向けたという説もあり、真相は定かではない。
いずれにせよスターリンはこれを口実にして、トハチェフスキーを銃殺した。

テロル

テロ
現在では、国家に対する過激派の暴力行為を指すが、心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為のことである。
国家による暴力的抑圧(恐怖政治、粛清等)をその意味に含めていた。

ヒムラー

ハインリヒ・ヒムラー
ドイツの政治家。親衛隊全国指導者。
親衛隊とドイツ警察機関全てを統括し、1,100万人にも及ぶユダヤ人、ロマ、ポーランド人、カトリック聖職者、ロシア人捕虜の虐殺に責任を負う。

スターリンの大粛清

ヨシフ・スターリンが1930年代後半におこなった大規模な政治弾圧を指す。
最盛期であった1937-1938年の犠牲者(ただし反革命罪で裁かれた者に限る)は、今日明らかになっている統計資料によれば、135万人弱、そのうち半数強が死刑判決を受けた。
また農業集団化に伴う「富農」追放や飢饉によって死亡した人数は、推計によって最大約700万人に達する可能性もある。

ビスワ河の奇跡

1920年侵攻してきたロシア軍をポーランド軍がビスワ川の右岸にまで後退し首都を背にした文字通りの背水の陣で撃退したこと。
ヴェルサイユ条約で独立した直後のポーランドの軍備は、あまりに脆弱であった。

ヴォロシーロフ

クリメント・エフレモヴィッチ・ヴォロシーロフ
ソ連国防相、最高会議幹部会議長。
独ソ戦当初に敗北したにもかかわらず、スターリンの年来の昔なじみという立場から不名誉は不問に付された。
第二次世界大戦で使用された戦車KVシリーズは、ヴォロシーロフにちなんで名付けられたものである。

秘密協定

1922年四月に独ソ間で現領土の相互承認や外交関係の再開などを取り決めたラッパロ条約締結時に同時に結ばれた秘密軍事協定のこと。
この協定に基づきドイツはソ連に軍事関連技術や戦術教育を、ソ連はドイツに飛行場や演習場、軍事工場用地などを密かに提供した。
この協定はヒトラーの政権掌握後に破棄されたが、これによりドイツは速やかに再軍備を成し遂げることが可能となった。

デニーキン将軍

アントン・イワノヴィッチ・デニーキン
帝政ロシアの軍人で、白軍(反革命軍)指導者の一人。
内戦時に西欧の支援を受けて主にロシア南部で赤軍と戦い一時はモスクワに迫る勢いを見せたが、ウクライナやポーランドの独立を認めなかったためにその支持を失ったために敗北。
その後パリに亡命し、その地で生涯を終えた。

プリンツ・アルブレヒト

プリンツ・アルブレヒト通りはベルリンの地名で親衛隊のヒムラーのオフィス、ゲシュタポ、保安部(SD)などの所在地であり、これらの組織の代名詞であった。

ベネシュ

エドワルト・ベネシュ
チェコスロバキア共和国第2代大統領。
トハチェフスキーの粛清事件において、でっちあげられた陰謀の情報源としての役目を負わされた。

ズデーテンドイツ人

チェコスロバキア領内の国境地帯(ドイツ側呼称ズデーテンラント)に住んでいたドイツ人のこと。
チェコ政府によるドイツ系住民に対する迫害を理由としてこの地域の併合を図ったヒトラーは、ミュンヘン会談で英仏の宥和的態度につけこんでこれを認めさせ、1938年10月にズデーテンラントはドイツに併合された。
この後強気になったヒトラーの領土要求はエスカレートし、翌年のチェコ併合を経て第二次大戦の端緒となったポーランド侵攻へと繋がることとなる。

ルビャンカ

チェーカー(ロシア秘密警察:GPUの前身で後のKGBにつながる組織)の本部の所在地。「タイル張りの地下室」と呼ぶところから逮捕した赤軍将校を拷問・殺害した事を思わせる。

大ロシアのボナパルト

ミハイル・トハチェフスキーのこと。
赤い(共産主義)ナポレオン(ボナパルト)と呼ばれたことから。

グルジア生まれの独裁者

コーカサス地方のグルジアで生まれたスターリンのこと

ワルシャワ前面の赤軍大敗

「ビスワ河の奇跡」を指す。
国境問題でロシアと対立していたポーランド軍が革命の混乱に乗じてロシア領へ侵攻した。
トハチェフスキーは西部方面軍司令官として参戦、逆にポーランド領へと侵攻、首都ワルシャワを包囲にかかるも攻略を失敗する。
レーニンは隣接戦区の南西方面軍の協力が不足と判断、この軍事委員だったスターリンを断罪、革命軍事会議議員を罷免した。
一方のトハチェフスキーは罰せられることは無かった。結果スターリンはトハチェフスキーへ個人的な憎悪を持つようになったという。

レーベンスラウム

ドイツのカール・ハウスホーファーは、国家は国力に相応の資源を得るための生存圏(レーベンスラウム)を必要とするという説を唱えた。生存圏構想はアドルフ・ヒトラーにとりあげられ、第二次世界大戦前・中のドイツの戦争(特にバルバロッサ計画)の理論的支柱になった。
ヒトラーの構想していた生存圏は、ロシアのウラル以西をドイツの東方領土とし、ここに国内からドイツ人農民・労働者を入植させて食糧・資源の供給源としてドイツに自給自足体制を築き上げるというものであった。
さらに西欧諸国をドイツの衛星国家とし、海洋国家であるイギリスとは協調して大西洋の向こうのアメリカと対峙する欧州新体制を築くことがその目標であった。
獲得した東方領土においてはスラブ人は劣等民族とされ、アーリア人的特徴を持つ者を同化するが、その他は余剰人口として殺害もしくは国外に追放、残余を無学な労働者としてドイツ人に仕えさせる予定であった。