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第3部 電撃戦編 第1話 「花の戦争」 Blumenkrieg


2006年10月05日 放送

概要
「第三の軍隊」同様、ウーファーの撮影所での記録映像を見ながらの会話。
序盤は一次大戦終盤のドイツ革命から共産主義の衰退を語る。
また、電撃戦の土台となるシュトゥッツ・トルッペンの戦術が一次大戦に確立されていたことなど。
ウーファーのクラマー所長との別れの会話。
時代検証は進み、ヒトラーの「花の戦争」による領土拡大へと。そして「花の戦争」が終わった時、電撃戦が始まる。


カイザー・ヴィルヘルム

ドイツ帝国の皇帝。この場合では最後の皇帝ヴィルヘルム2世。
ドイツ革命で一方的に皇帝を退位させられ、のちにオランダに亡命した。

ドイツ帝国とワイマール共和国

1918年の革命によってドイツにおける帝政は崩壊したが、この後もドイツの正式な国名は「Das Deutches Reich」であった。
Reichには「帝国」以外に「国家」「領域」「連邦」など様々な意味があり、共和制移行後のReichには「ドイツ人の統一国家」という意味合いが持たされた。
いわゆる「ワイマール共和国」とは1919年にワイマール市で制定された憲法に基づいた共和政体としてのドイツを指す歴史学上の用語であり、正式な国名ではない。

フリードリヒ・エーベルト

一次大戦敗戦後の臨時政府の指導者になる。
労働者の暴動を義勇軍を使って暴力的に抑制した。
のちのワイマール共和国の初代大統領。

カール・リープクネヒト

プロイセンの国会議員だが、第一次世界大戦が勃発した時にこれに反対。
党を離脱してローザ・ルクセンブルクとともにスパルタクス団を組織し、革命運動を指導した。
反戦デモの煽動者として投獄されたが、ドイツ革命で釈放。
ローザ・ルクセンブルグ同様、翌1919年に蜂起したさいに射殺される。

ローザ・ルクセンブルグ

ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家。女性。
彼女はポーランド王国社会民主党の理論家であり、ドイツ社会民主党になどに関わった。
ベルリンでドイツ革命に続いて武装蜂起を指導するが、国防軍の残党やフライコールとの衝突の中で数百人の仲間とともに逮捕、虐殺される。
同じく虐殺された盟友のカール・リープクネヒトとともに革命の象徴的存在とされている。

スパルタクス・ブント(スパルタクス・グルッペ)

ドイツの左派マルクス主義者たちによる政治団体。
第一次世界大戦中に発足した。ドイツ共産党の前身。

ボルシェビキ革命

レーニンによる前衛党の指導のもと、革命的闘争によりプロレタリア独裁を樹立した革命。
職業的革命家による少数精鋭主義、中央集権的党組織、労農同盟などが特徴。
レーニン主義。

アナルコ・サンジカリズム

アナキズム(無政府主義)の一種。
政府を否定し、労働組合主導により生産と分配を行う社会を目指す運動。

レーテ

帝政崩壊直前ドイツに帰還した兵士、労働者によって国内の諸都市で結成された評議会。
「レーテ」はロシア語の「ソビエト」と同義。
共産主義革命を目指し、一時はバイエルンでレーテ共和国設立が宣言されるなど大きな力を持った。
しかし急激な革命を恐れる社会民主党政権の黙認の元、軍と資本家の後押しを受けて作られたフライコールにより弾圧され、1919年初めには各レーテは解散・消滅していった。

ドイツ革命

第一次世界大戦中のドイツ帝国における1918年11月3日のキール軍港の水兵の反乱を開始とし、
大衆的蜂起とその帰結としてカイザーの退位、帝政の打倒と議会制民主主義を旨とするワイマール共和国の誕生に終わった一連の出来事を指す。

シュライヒャー

クルト・フォン・シュライヒャー
ドイツの軍人でワイマール共和国の最後の首相。
長いナイフの夜で粛清される。
なお、シュライヒャ-は自宅で執務中に訪問してきた親衛隊員により妻と共に射殺されたが、この暗殺には下記のアイケは関与していない。
おそらく押井氏はレームと取り違えているものと思われる。

テオドール・アイケ

その粗暴さをもって敵からもナチス体制内部からも恐れられた親衛隊幹部。
「長いナイフの夜」においては突撃隊隊長エルンスト・レームの処刑を執行するなど重要な役割を果たした。
その後はダッハウなど初期の強制収容所の警備責任者となり、収容された政治犯、ユダヤ人などの囚人に対する厳しい管理と弾圧を行った。
史実では開戦後は麾下の収容所警備部隊「トーテンコプ」から編成された第三SS装甲擲弾兵師団「トーテンコプ」(後に装甲師団に改編)師団長となり、ポーランド、フランス、ソ連で戦うが、1943年2月に前線視察中に搭乗した飛行機を撃墜されて戦死している。

フライコール

第一次大戦後にドイツ軍の退役軍人によって組織された義勇軍団。
1919年11月の休戦と帝政の廃止後、旧ドイツ軍は暫定国軍として大幅に縮小され、多くの将校・兵士が退役を余儀なくされた。
一方国内においては社会主義革命を目指す左翼勢力による暴動や政権奪取の試みが相次ぎ、ドイツは内乱状態となった。
これを憂慮した軍部及び資本家達は退役軍人達に密かに武器・資金を供与してフライコールを組織、この兵力を以って暴力的な左翼勢力の弾圧を行った。
その行状は過酷なもので、裁判を経ない銃殺や虐殺行為も頻発した。
フライコールの多くはその後解散したが、その人員の中にはナチスの突撃隊(SA)に流れ込んだ者も多く、シュタールヘルムのように政治団体として1930年代まで活動を続けたものも存在する。

11月には俺は赤だった、そう赤だった、だが今は1月だ

ベルトルト・ブレヒトという作家の戯曲、「夜の太鼓(夜打つ太鼓)」の台詞。
この作品はローザ・ルクセンブルクが虐殺された事件が元になっている。
ドイツ革命の始まりと終わり、そして変わっていく人心を表した言葉。
赤はロシア革命を目指して運動した革命運動、共産主義の色。

ライヒスヴェアの制服きてローザ

前政権下ではライヒスヴェア(ドイツ国防軍)では、共産主義を弾圧していた。
その国防軍に所属しながら共産主義を語れる時勢のことを指している。

ホラーバッハ曹長の怒った理由


もしかして、共産主義者とか?あるいは革命派に知り合いがいたとか。
今のとこ謎

連合国の承認を得て

ヴェルサイユ条約で、義勇軍は縮小を命じられていたが、ドイツはそれを匿った。
しかしソ連の赤軍の脅威が上回ったため、連合国も強くでなかった。

シュトゥッツ・トルッペン

ドイツ突撃歩兵。
第一次対戦中に、イギリス軍の戦車による塹壕突破に対し、ドイツ軍が塹壕を突破するべく訓練された部隊。
浸透戦術を行う部隊である。浸透戦術は電撃戦の前身とも言える戦術である。
シュトゥッツ・トルッペンというのは誤りで、正しくはシュト-ス・トルッペン(Stosstruppen)もしくはシュトルム・トルッペン(Sturmtruppen)。

電撃戦

第二次世界大戦初期のポーランド侵攻や独ソ戦時にドイツ軍がとった軍事戦術を指す。
これは軍隊を迅速に進撃させる事により、敵に防衛線を構築する暇を与えずに戦線を突破する戦法である。
この作戦の成否は一にも二にも時間との戦いに掛かっている。
電撃戦の欠点は、戦車を始めとする快速部隊のスピードに歩兵や後方部隊が追随できなくなり、補給が滞った快速部隊も進撃の停止を余儀なくされてしまうということがあることで、補給部隊や歩兵を装甲車両化することが電撃戦に必要なことを示している。

ハンス・フォン・ゼークト少将

第一次世界大戦後厳しいヴェルサイユ条約の下でドイツ陸軍を再建した中興の祖である。
装備・火力・交通を重視し、一正面の防御作戦の実施に耐え得る軍の創設に努力した。
ワイマール共和国下では兵務局局長(兵務局は連合国より設立を禁止されていた参謀本部の偽装名)、陸軍総司令官を歴任。
退任後は蒋介石の軍事顧問となり、日本と戦っていた中華民国軍の作戦指導を行っている。

ハインツ・グデーリアン大尉

ドイツの軍人。
第二次世界大戦の緒戦の大勝利を飾った電撃作戦の生みの親であり、またそれを実践した最高級の野戦軍指揮官。
戦車部隊の集中運用により、第二次世界大戦でドイツに大勝利をもたらした。
最終階級は上級大将。

ロカルノ条約

1925年10月にスイスのロカルノで行われた協議を受けて、同年12月1日にロンドンで正式調印された7つの協定の総称である。
これによりドイツは国際連盟に加盟。独仏の関係の緩和により、ヨーロッパ全土もしばらくの間、相対的安定期を迎えることになる。
1936年3月7日、ヒトラーは仏ソ相互援助条約の締結を理由としてロカルノ条約破棄を宣言。

花の戦争

ブルーメンクリーク(Blumenkrieg)
オーストリア・ナチ党の協力でオーストリア国境は何の抵抗もなく開かれ、ドイツはオーストリアを併合した。
オーストリアに侵入したドイツ軍兵士を住民たちが花輪や花束をささげて歓迎したことからこの名前がついたともいわれる。


ズデーテンランド

第一次世界大戦でチェコに分譲された地域で、300万人以上のドイツ人が居住していた。
ドイツでナチスが政権を獲得すると、ズデーテン・ドイツ人党が勢力を拡大した。
1938年6月の地方選挙では、ドイツ人地域で9割以上もの得票を得た。
ヒトラーはそれを利用して併合した。

ネヴィル・チェンバレン

イギリスの政治家。この時の首相。外相時代にロカルノ条約を締結し、ノーベル平和賞を受賞した。
チェコ危機の時、二度にわたってヒトラーの説得を試みた。
が結局チェンバレンが宥和政策をとってズデーテン併合を容認したため、同地域は10月に併合された。
宥和政策はナチス・ドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与えてしまったとして非難されることが多い。

「日曜学校の先生にアル・カポネとの取引きを頼むようなものだった。」

この言葉はレン・デイトンの「電撃戦」からの引用。
戦後に書かれた本なので、本当はこの時点でマキがこれを引用するのはおかしい。


前大戦のメガデス

第一次大戦でフランスは約140万人の戦傷死者を出した。
総人口の16%が死亡し、戦場に出た18歳から27歳の青年層に至ってはその27%、約4人にひとりが戦死するというとてつもない犠牲を払っている。
このことはフランス社会に甚大な影響を与え、戦後厭戦主義が蔓延することになる。