「用語解説」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

用語解説」(2006/11/05 (日) 20:02:42) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

各話別 用語 解説を元に50音順に並べ、場合によっては詳しく説明する。 #contents ウーファー ウーファー(UFA)は、1917年から1945年の間、ヴァイマル共和政下と第二次世界大戦中にかけてドイツにあった映画会社。正式名称は"Universum Film AG"。 第一次世界大戦のためのプロパガンダ映画や公共映画を制作する制作会社として政府によりベルリンに設立された。 一旦は民営化されるがヒトラーが政権を取ったのちは再度国営化され、ナチのプロパガンダ映像を作る。 その為に、フリッツ・ラングなど多くのユダヤ系映画人が海外に亡命する。 史実ではナチのプロパガンダのイメージが強く、ナチ崩壊後は活動停止するが作中では存在しているようだ。 軍集団 ドイツ軍を含む近代の軍隊において数個の「軍」によって編成される最大の部隊単位で、数十万人の将兵を擁する。 以下「軍」は「軍団」、「軍団」は「師団」からなる。 ポーランド戦では「北部」「南部」。 フランス戦では「A」「B」「C」。 独ソ戦では「北部」「中央」「南部」。 の各軍集団が編成された。 フランス戦時においては軍と軍団の中間単位として装甲師団や機械化歩兵師団からなる「装甲集団」が編成されたが、独ソ戦途中から「装甲軍」に順次昇格している。 シュリーフェン・プラン この作戦においてはドイツ軍の侵攻兵力は北方のベルギー、オランダとの国境地帯に配置された右翼と、独仏が直接国境を接するアルザス・ロレーヌ地方に配置された左翼に分けられた。 侵攻主力である右翼は作戦開始と同時に南北に並んだ部隊がオランダ、ベルギーを通過して南を回転軸に反時計回りに旋回しつつパリに向かって進撃し、右翼北端はパリを巻き込むような形でこれを包囲、軍勢はさらに南方に向かって旋回を続ける。 左翼は伝統的な侵攻ルートであるアルザスに集結したフランス軍主力に索制攻撃を行って国境地帯に誘い込み、敵の北方への移動を阻むことが主任務となる。 最終的にはパリ南方に敵主力を追い込み、左翼および国境から前進した右翼がこれを包囲し殲滅する。 敵が片翼に攻撃をかけるほどもう片翼の進撃が容易になることから、シュリーフェンはこれを「回転ドアの兵理」と呼んでいた。 敵の裏をかくという意味では優れた作戦ではあったが、いくつかの重大な問題がこの作戦には存在した。 1)対仏戦には本来無関係なベルギー、オランダに侵攻することでおきる国際的な対独感情の悪化を無視している。 2)長大な距離を進軍する右翼の歩兵・軍馬の疲労や補給線の長大化を、これもまた無視している。 3)作戦の性格上ドイツ全戦力のほとんどを投入する必要があり、東部戦線におけるロシアの動員の遅れを当てにしなければならない。 などである。 これらの欠陥は第一次大戦において露呈し、ドイツ軍は泥沼の消耗戦へと陥ることとなる。 しかし大戦後もシュリーフェン・プランは金科玉条として扱われ、第二次大戦においてもマンシュタインによるアルデンヌ突破というアイディアが生まれるまで、ドイツ軍の対仏侵攻作戦はシュリーフェンの焼き直しのままであった。 赤軍 1917年のロシア革命によって生まれたソビエト連邦の軍隊に与えられた呼称。 正式名称は「労働者・農民赤軍(RKKA)」で、日本では労農赤軍ともいう。 赤は、それまでに流されてきた労働者の血を意味している。 スターリンの大粛清で高級将校がいなくなり命令系統が鈍いが、戦意は高く何よりも1500万以上ともいわれる数を誇る。 宣伝中隊 戦闘部隊と行動を共にし、戦線でドイツ軍の映像を記録する部隊のこと。この映像を編集し国内で上映することで、戦意向上を図っていた。宣伝中隊[Propagandakompanie](独語)の頭文字をとって[PK](ペーカー)と称された。 作中ではペーカーと呼ばれることが多いので記憶必須要項。 電撃戦 第二次世界大戦初期のポーランド侵攻や独ソ戦時にドイツ軍がとった軍事戦術を指す。 これは軍隊を迅速に進撃させる事により、敵に防衛線を構築する暇を与えずに戦線を突破する戦法である。 この作戦の成否は一にも二にも時間との戦いに掛かっている。 電撃戦の欠点は、戦車を始めとする快速部隊のスピードに歩兵や後方部隊が追随できなくなり、補給が滞った快速部隊も進撃の停止を余儀なくされてしまうということがあることで、補給部隊や歩兵を装甲車両化することが電撃戦に必要なことを示している。 パルチザン 民間人によって編成されたゲリラ部隊。 反ドイツ組織はモスクワからの放送で正規軍との連携も図られていた。 バルバロッサ 1941年6月に開始されたドイツによるソ連侵攻作戦。総勢300万人を越える兵士によって構成された北方、中央、南方の3軍集団が3方面よりソ連領内に進撃し、ソ連の早期占領を目指した。史実では同年12月に中央軍集団が首都モスクワにまで迫ったものの、ソビエト軍の予想外の激しい反撃により作戦が長期化。補給線の長さからくる物資の不足と厳しい寒さが重なり、当初の目的を達することができなかった。ちなみにバルバロッサとは、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世の渾名。 ファニーウォー ドイツがポーランドに侵攻した後に、ドイツに対して英仏が宣戦布告したものの,実際には翌年まで戦火を交えようとはしなかった。 その間の奇妙な平穏のあった時期. このことを米国のジャーナリストがファニーウォー(いかさま戦争)と呼んだことから。 ポツダムの巨人兵 18世紀前半のプロイセン王フリードリッヒ・ウィルヘルム一世が長身の兵士だけを集めて作り上げた近衛兵達のこと。ただの一度も戦闘には参加せず、儀仗兵という意味合いが大きかった。 ユンカー プロイセンの地主貴族のこと。 ほとんどが零細な農場主であるが、官僚や軍人の人材供給源となりプロイセンの大国化に大きく貢献した。 そのためユンカーといえばプロイセン軍人の代名詞である。 プロイセンは拡大の途上でポーランドなど土着のスラブ人を多く取り込んだので、ユンカーには~スキー、~ヴィッツ、~ノフといったスラブ系の名前を持つ者が多い。 ワイマール体制 第一次世界大戦の敗戦後にドイツ革命によってできたワイマール(ヴァイマル)共和政のこと。 1918年の革命によってドイツにおける帝政は崩壊したが、この後もドイツの正式な国名は「Das Deutches Reich」であった。 Reichには「帝国」以外に「国家」「領域」「連邦」など様々な意味があり、共和制移行後のReichには「ドイツ人の統一国家」という意味合いが持たされた。 いわゆる「ワイマール共和国」とは1919年にワイマール市で制定された憲法に基づいた共和政体としてのドイツを指す歴史学上の用語であり、正式な国名ではない。 ヒトラーによるワイマール憲法の停止により事実上消滅した。
各話別 用語 解説を元に50音順に並べ、場合によっては詳しく説明する。 #contents *ウーファー ウーファー(UFA)は、1917年から1945年の間、ヴァイマル共和政下と第二次世界大戦中にかけてドイツにあった映画会社。正式名称は"Universum Film AG"。 第一次世界大戦のためのプロパガンダ映画や公共映画を制作する制作会社として政府によりベルリンに設立された。 一旦は民営化されるがヒトラーが政権を取ったのちは再度国営化され、ナチのプロパガンダ映像を作る。 その為に、フリッツ・ラングなど多くのユダヤ系映画人が海外に亡命する。 史実ではナチのプロパガンダのイメージが強く、ナチ崩壊後は活動停止するが作中では存在しているようだ。 *軍集団 ドイツ軍を含む近代の軍隊において数個の「軍」によって編成される最大の部隊単位で、数十万人の将兵を擁する。 以下「軍」は「軍団」、「軍団」は「師団」からなる。 ポーランド戦では「北部」「南部」。 フランス戦では「A」「B」「C」。 独ソ戦では「北部」「中央」「南部」。 の各軍集団が編成された。 フランス戦時においては軍と軍団の中間単位として装甲師団や機械化歩兵師団からなる「装甲集団」が編成されたが、独ソ戦途中から「装甲軍」に順次昇格している。 *シュリーフェン・プラン この作戦においてはドイツ軍の侵攻兵力は北方のベルギー、オランダとの国境地帯に配置された右翼と、独仏が直接国境を接するアルザス・ロレーヌ地方に配置された左翼に分けられた。 侵攻主力である右翼は作戦開始と同時に南北に並んだ部隊がオランダ、ベルギーを通過して南を回転軸に反時計回りに旋回しつつパリに向かって進撃し、右翼北端はパリを巻き込むような形でこれを包囲、軍勢はさらに南方に向かって旋回を続ける。 左翼は伝統的な侵攻ルートであるアルザスに集結したフランス軍主力に索制攻撃を行って国境地帯に誘い込み、敵の北方への移動を阻むことが主任務となる。 最終的にはパリ南方に敵主力を追い込み、左翼および国境から前進した右翼がこれを包囲し殲滅する。 敵が片翼に攻撃をかけるほどもう片翼の進撃が容易になることから、シュリーフェンはこれを「回転ドアの兵理」と呼んでいた。 敵の裏をかくという意味では優れた作戦ではあったが、いくつかの重大な問題がこの作戦には存在した。 1)対仏戦には本来無関係なベルギー、オランダに侵攻することでおきる国際的な対独感情の悪化を無視している。 2)長大な距離を進軍する右翼の歩兵・軍馬の疲労や補給線の長大化を、これもまた無視している。 3)作戦の性格上ドイツ全戦力のほとんどを投入する必要があり、東部戦線におけるロシアの動員の遅れを当てにしなければならない。 などである。 これらの欠陥は第一次大戦において露呈し、ドイツ軍は泥沼の消耗戦へと陥ることとなる。 しかし大戦後もシュリーフェン・プランは金科玉条として扱われ、第二次大戦においてもマンシュタインによるアルデンヌ突破というアイディアが生まれるまで、ドイツ軍の対仏侵攻作戦はシュリーフェンの焼き直しのままであった。 *赤軍 1917年のロシア革命によって生まれたソビエト連邦の軍隊に与えられた呼称。 正式名称は「労働者・農民赤軍(RKKA)」で、日本では労農赤軍ともいう。 赤は、それまでに流されてきた労働者の血を意味している。 スターリンの大粛清で高級将校がいなくなり命令系統が鈍いが、戦意は高く何よりも1500万以上ともいわれる数を誇る。 *宣伝中隊 戦闘部隊と行動を共にし、戦線でドイツ軍の映像を記録する部隊のこと。この映像を編集し国内で上映することで、戦意向上を図っていた。宣伝中隊[Propagandakompanie](独語)の頭文字をとって[PK](ペーカー)と称された。 作中ではペーカーと呼ばれることが多いので記憶必須要項。 *電撃戦 第二次世界大戦初期のポーランド侵攻や独ソ戦時にドイツ軍がとった軍事戦術を指す。 これは軍隊を迅速に進撃させる事により、敵に防衛線を構築する暇を与えずに戦線を突破する戦法である。 この作戦の成否は一にも二にも時間との戦いに掛かっている。 電撃戦の欠点は、戦車を始めとする快速部隊のスピードに歩兵や後方部隊が追随できなくなり、補給が滞った快速部隊も進撃の停止を余儀なくされてしまうということがあることで、補給部隊や歩兵を装甲車両化することが電撃戦に必要なことを示している。 *パルチザン 民間人によって編成されたゲリラ部隊。 反ドイツ組織はモスクワからの放送で正規軍との連携も図られていた。 *バルバロッサ 1941年6月に開始されたドイツによるソ連侵攻作戦。総勢300万人を越える兵士によって構成された北方、中央、南方の3軍集団が3方面よりソ連領内に進撃し、ソ連の早期占領を目指した。史実では同年12月に中央軍集団が首都モスクワにまで迫ったものの、ソビエト軍の予想外の激しい反撃により作戦が長期化。補給線の長さからくる物資の不足と厳しい寒さが重なり、当初の目的を達することができなかった。ちなみにバルバロッサとは、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世の渾名。 *ファニーウォー ドイツがポーランドに侵攻した後に、ドイツに対して英仏が宣戦布告したものの,実際には翌年まで戦火を交えようとはしなかった。 その間の奇妙な平穏のあった時期. このことを米国のジャーナリストがファニーウォー(いかさま戦争)と呼んだことから。 *ポツダムの巨人兵 18世紀前半のプロイセン王フリードリッヒ・ウィルヘルム一世が長身の兵士だけを集めて作り上げた近衛兵達のこと。ただの一度も戦闘には参加せず、儀仗兵という意味合いが大きかった。 *ユンカー プロイセンの地主貴族のこと。 ほとんどが零細な農場主であるが、官僚や軍人の人材供給源となりプロイセンの大国化に大きく貢献した。 そのためユンカーといえばプロイセン軍人の代名詞である。 プロイセンは拡大の途上でポーランドなど土着のスラブ人を多く取り込んだので、ユンカーには~スキー、~ヴィッツ、~ノフといったスラブ系の名前を持つ者が多い。 *ワイマール体制 第一次世界大戦の敗戦後にドイツ革命によってできたワイマール(ヴァイマル)共和政のこと。 1918年の革命によってドイツにおける帝政は崩壊したが、この後もドイツの正式な国名は「Das Deutches Reich」であった。 Reichには「帝国」以外に「国家」「領域」「連邦」など様々な意味があり、共和制移行後のReichには「ドイツ人の統一国家」という意味合いが持たされた。 いわゆる「ワイマール共和国」とは1919年にワイマール市で制定された憲法に基づいた共和政体としてのドイツを指す歴史学上の用語であり、正式な国名ではない。 ヒトラーによるワイマール憲法の停止により事実上消滅した。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: