「「シャルンホルスト」」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

「シャルンホルスト」」(2007/04/04 (水) 00:42:08) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**第8部 メーメル篇 第1話「シャルンホルスト」 2007年3月22日放送 概要 マキ達の乗る装甲列車が到着したのは北方軍集団戦区にあるメーメルの海岸だった。 命令受領の為軍集団司令部のおかれた戦艦シャルンホルストへ向かうマイヤーにマキ達は同行する。 装甲猟兵の撮影をためらうマキをベルンはいぶかしむが、マキはそれに明確に答えることができない。 やがて命令をうけたマイヤーが告げたその 内容は、北方軍集団の撤退の後衛として戦えという過酷なものだった。 陸に戻ったマキにダイスラーはある申し出をするが・・・ ---- #contents(fromhere) *オストゼー ドイツ語で「東の海」という意味でバルト海のこと。 *オストプロイセン 東プロイセンともいう。 中世にドイツ騎士団によって先住民(プルシ人)の征服・改宗とドイツ人の植民が行われた土地で、プロイセン発祥の地。 第一次大戦後はポーランドの独立により、第二次大戦開戦までドイツ本国から離れた飛び地だった。 史実では戦後ポーランドおよびソ連(現ロシア)に併合されドイツ人住民のほとんどが本国に任意または強制により移住したため、ドイツの一地域としてのプロイセンは消滅した。 *メーメル クールラントの港湾都市の一つ。 メーメルはドイツ名で、現在はクライペダと呼ばれている。 ダンチヒとは直線距離で約300km離れている。 史実では第二次大戦末期に激戦地となった。 *クールラント ラトビア西部の半島。 史実では第二次大戦末期に北方軍集団はこの地で孤立し、クールラント軍と改称された後に赤軍に降伏している。 *ダンチヒ ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)と並ぶオストプロイセンの主要都市。 第一次大戦後ドイツから分離され、国際連盟の保護下にある自由都市となった。 第二次大戦でのポーランド侵攻は、この都市の回復を名目のひとつとしている。 史実では戦後ポーランドに併合されグダニスクとなった。 *封緘命令書 封をされ、指定された受領者以外の開封と閲覧が禁じられた命令書のこと。 開封時期を指定した上であらかじめ受領者に渡す場合もある。 *ダンケルク 1940年5月にフランス戦の敗北によって海岸部に包囲された英軍(およびフランス軍の一部)が、英本土への撤退作戦を行ったベルギーの小都市。 英軍はこの撤退作戦(ダイナモ作戦)のために輸送船やはしけから、タグボートやヨットにいたるまであらゆる船舶をかき集めダンケルクに派遣した。 戦史でも今なお謎となっているヒトラーによるダンケルク寸前での進撃停止命令のため、空襲と砲撃により兵員や船舶に大きな損害はでたものの撤退は成功し、約30万名の兵士が英国に生還した。 *ヴァイデンフェラー大尉 北方軍集団司令部参謀部所属 名前はサッカー選手のロマン・ヴァイデンフェラーからとっているものと思われる。 *参謀 参謀とは指揮官の下でその指示に基づく実際の作戦立案を行ったり情報を分析する将校のことであり、19世紀初頭にプロイセンでその職務は組織化された。 参謀の職務はあくまで指揮官の補佐であり、部隊に直接命令を出す指揮権を持たない。 ドイツ軍では参謀将校は参謀科という兵科に属し、赤い縁取りのされた階級章、ズボンの両サイドに入れられた細い赤線、モールで作られたひも状で胸に取り付ける参謀飾緒などで部隊を指揮する野戦将校と区別できる。 参謀候補者は成績が優秀な将校から選任され、軍大学で教育を受けた後に参謀本部や大隊や連隊付きの参謀に配属される。 昇進や転属ごとに参謀職と野戦将校を行き来する者がほとんどで、ドイツ軍の名将と呼ばれる人物には参謀職の経験者は多い。 *内火艇 大型艦に搭載されるエンジンを持つ小型艇のこと。 艦艇同士、あるいは停泊中の艦艇と港湾間の移動・連絡などに使用される。 *ブリッツボマー ドイツが第二次大戦時の開発した世界初のジェット爆撃機「アラドAr-234ブリッツ」のこと。 Blitzとはドイツ語で「電撃」を意味する。 航続距離の短さ(約1,200km)と爆弾搭載量が少ない(最大1,500kg)という欠点があったが、最大速度は750km/hと当時のレシプロ戦闘機を凌駕していた。 史実では初飛行は1943年6月なので、作中ではジェット機の開発と実戦投入ペースは1年以上早くなっているようである。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Arado_234B_3.jpg (機首上の円筒形の部品は爆撃用照準器) *シャルンホルスト ドイツ海軍の戦艦(正確には巡洋戦艦)。 主砲の28cm砲は40cmクラスが主力となっていた当時の戦艦に比べれば小口径だったが、高初速と照準装置の正確さで高い威力を誇った。 姉妹艦のグナイゼナウとともに、ナポレオンと戦いプロイセン参謀本部設立に貢献した高名な軍人から名をとっている。 *ヴィルヘルムズハーフェン ドイツ最大の港湾都市の一つで、帝政時代から現在に至るまでドイツ海軍の根拠地となっている。 ドイツ海軍の艦艇のほとんどがこの地で建造された。 *ブロンベルク事件 ブロンベルクの妻となったエルナ・グリューンの過去については様々な説があるが、娼婦であったか否かはともかくとして彼女がポルノ写真のモデルとなり、それがベルリン警察の風紀係によって押収されたことがこのスキャンダルの発端となっている。 ブロンベルクとフリッチュの事件については電撃戦篇第3話「初陣」を参照のこと。 *チャネルダッシュ ここでドイツ側の作戦名は「ケルベロス」となっているがこれはギリシャ語であり、実際にはドイツ語で「ツェルベルス」と呼称された。 *ヘプナー上級大将 エーリヒ・ヘプナー 第4装甲集団司令官(史実と異なり、この時点でも第4装甲集団は独自の兵站組織をもつ装甲軍に昇格していないようである) 史実では1944年7月20日のヒトラー暗殺事件への関与が露見したことで逮捕され、同年の8月8日に処刑されている。 *ドイツ軍の将官の階級について ドイツ軍の階級はほぼ欧米の軍隊のそれと同じだが、将官については相違点がある。 まず准将が存在せず、大佐の次はすぐに少将となる。 次に大将の上に上級大将という階級が存在する。 以下に将官の階級およびそのドイツ語名と概略を述べる。 ・少将(Generalmajor:ゲネラルマヨール) 最下級の将官であり、師団やそれに相当する部隊の指揮官は主にこの階級で任じられる。 ・中将(Generalleutenant:ゲネラルロイテナント) 師団長および軍団長。 ・大将(General:ゲネラル) 軍団長および軍司令官。 ドイツ軍では正式には所属する兵科名をつけて歩兵大将(General der Infantrie),装甲兵大将(General der Panzertruppe)などと呼称する。 ・上級大将(Generaloberst:ゲネラルオーベルスト) 軍司令官、軍集団司令官および参謀総長など ポーランド戦後にヒトラーが元帥を大量に任命するまでは実質的には上級大将が軍における最高位だった。 ・元帥(Generalfeldmarschall:ゲネラルフェルトマルシャル) 軍司令官、軍集団司令官など。 元帥には生涯現役が許されるほか、副官や私邸の歩哨が付くなどの特典があった。 また宝石などの飾りを施された元帥杖という短いステッキが授与され、公式行事などにはこれを携帯することになっていた。 なお武装親衛隊には元帥階位はなく、SS帝国指導者(Reichsführer-SS)であるヒムラーを除けばSS上級大将(SS-Oberstgruppenführer)が最高位だった。 またSS少将(SS-Brigadeführer)の下にSS准将(SS-Oberführer)という階級が存在した。
**第8部 メーメル篇 第1話「シャルンホルスト」 2007年3月22日放送 概要 マキ達の乗る装甲列車が到着したのは北方軍集団戦区にあるメーメルの海岸だった。 命令受領の為軍集団司令部のおかれた戦艦シャルンホルストへ向かうマイヤーにマキ達は同行する。 装甲猟兵の撮影をためらうマキをベルンはいぶかしむが、マキはそれに明確に答えることができない。 やがて命令をうけたマイヤーが告げたその 内容は、北方軍集団の撤退の後衛として戦えという過酷なものだった。 陸に戻ったマキにダイスラーはある申し出をするが・・・ ---- #contents(fromhere) *オストゼー Ostsee ドイツ語で「東の海」という意味でバルト海のこと。 *オストプロイセン Ostpreussen 東プロイセンともいう。 中世にドイツ騎士団によって先住民(プルシ人)の征服・改宗とドイツ人の植民が行われた土地で、プロイセン発祥の地。 第一次大戦後はポーランドの独立により、第二次大戦開戦までドイツ本国から離れた飛び地だった。 史実では戦後ポーランドおよびソ連(現ロシア)に併合されドイツ人住民のほとんどが本国に任意または強制により移住したため、ドイツの一地域としてのプロイセンは消滅した。 http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Memelland_1923-1939.png オストプロイセンおよびメーメルの略図 *メーメル Memel クールラントの港湾都市の一つ。 メーメルはドイツ名で、現在はクライペダと呼ばれている。 ダンチヒとは直線距離で約300km離れている。 史実では第二次大戦末期に激戦地となった。 *クールラント Kurland ラトビア西部の半島。 史実では第二次大戦末期に北方軍集団はこの地で孤立し、クールラント軍集団と改称された後に赤軍に降伏している。 *ダンチヒ Danzig ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)と並ぶオストプロイセンの主要都市。 第一次大戦後ドイツから分離され、国際連盟の保護下にある自由都市となった。 第二次大戦でのポーランド侵攻は、この都市の回復を名目のひとつとしている。 史実では戦後ポーランドに併合されグダニスクとなった。 *封緘命令書 封をされ、指定された受領者以外の開封と閲覧が禁じられた命令書のこと。 開封時期を指定した上であらかじめ受領者に渡す場合もある。 *ダンケルク Dunkerque 1940年5月にフランス戦の敗北によって海岸部に包囲された英軍(およびフランス軍の一部)が、英本土への撤退作戦を行ったベルギーの小都市。 英軍はこの撤退作戦(ダイナモ作戦)のために輸送船やはしけから、タグボートやヨットにいたるまであらゆる船舶をかき集めダンケルクに派遣した。 戦史でも今なお謎となっているヒトラーによるダンケルク寸前での進撃停止命令のため、空襲と砲撃により兵員や船舶に大きな損害はでたものの撤退は成功し、約30万名の兵士が英国に生還した。 *ヴァイデンフェラー大尉 北方軍集団司令部参謀部所属 名前はサッカー選手のロマン・ヴァイデンフェラーからとっているものと思われる。 *参謀 参謀とは指揮官の下でその指示に基づく実際の作戦立案を行ったり情報を分析する将校のことであり、19世紀初頭にプロイセンでその職務は組織化された。 参謀の職務はあくまで指揮官の補佐であり、部隊に直接命令を出す指揮権を持たない。 ドイツ軍では参謀将校は参謀科という兵科に属し、赤い縁取りのされた階級章、ズボンの両サイドに入れられた細い赤線、モールで作られたひも状で胸に取り付ける参謀飾緒などで部隊を指揮する野戦将校と区別できる。 参謀候補者は成績が優秀な将校から選任され、軍大学で教育を受けた後に参謀本部や師団司令部などに配属される。 ドイツ軍の名将と呼ばれる人物には参謀職の経験者は多い。 *内火艇 大型艦に搭載されるエンジンを持つ小型艇のこと。 艦艇同士、あるいは停泊中の艦艇と港湾間の移動・連絡などに使用される。 *ブリッツボマー Blitzbomber ドイツが第二次大戦時の開発した世界初のジェット爆撃機「アラドAr-234ブリッツ」のこと。 Blitzとはドイツ語で「電撃」を意味する。 航続距離の短さ(約1,200km)と爆弾搭載量が少ない(最大1,500kg)という欠点があったが、最大速度は750km/hと当時のレシプロ戦闘機を凌駕していた。 史実では初飛行は1943年6月なので、作中ではジェット機の開発と実戦投入ペースは1年以上早くなっているようである。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Arado_234B_3.jpg (機首上の円筒形の部品は爆撃用照準器) *シャルンホルスト Scharnhorst ドイツ海軍の戦艦(正確には巡洋戦艦)。 主砲の28cm砲は40cmクラスが主力となっていた当時の戦艦に比べれば小口径だったが、高初速と照準装置の正確さで高い威力を誇った。 姉妹艦のグナイゼナウとともに、ナポレオンと戦いプロイセン参謀本部設立に貢献した高名な軍人から名をとっている。 http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Scharnhorst-8.jpg 停泊中のシャルンホルスト *ヴィルヘルムズハーフェン Wilhelmshaven ドイツ最大の港湾都市の一つで、プロイセン王国時代に軍港となり、帝政時代から現在に至るまでドイツ海軍の根拠地となっている。 ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世にちなんで命名された。 ドイツ海軍の艦艇のほとんどがこの地で建造された。 *ブロンベルク事件 ブロンベルクの妻となったエルナ・グリューンの過去については様々な説があるが、娼婦であったか否かはともかくとして彼女がポルノ写真のモデルとなり、それがベルリン警察の風紀係によって押収されたことがこのスキャンダルの発端となっている。 ブロンベルクとフリッチュの事件については電撃戦篇第3話「初陣」を参照のこと。 *チャネルダッシュ Channel Dash ここでドイツ側の作戦名は「ケルベロス」となっているがこれはギリシャ語であり、実際にはドイツ語で「ツェルベルス」と呼称された。 *ヘプナー上級大将 Generaloberst Erich Hoepner エーリヒ・ヘプナー 第4装甲集団司令官(史実と異なり、この時点でも第4装甲集団は独自の兵站組織をもつ装甲軍に昇格していないようである) 史実では1944年7月20日のヒトラー暗殺事件への関与が露見したことで逮捕され、同年の8月8日に処刑されている。 *ドイツ軍の将官の階級について ドイツ軍の階級はほぼ欧米の軍隊のそれと同じだが、将官については相違点がある。 まず准将が存在せず、大佐の次はすぐに少将となる。 次に大将の上に上級大将という階級が存在する。 以下に将官の階級およびそのドイツ語名と概略を述べる。 ・少将(Generalmajor:ゲネラルマヨール) 最下級の将官であり、師団やそれに相当する部隊の指揮官は主にこの階級で任じられる。 ・中将(Generalleutenant:ゲネラルロイテナント) 師団長および軍団長。 ・大将(General:ゲネラル) 軍団長および軍司令官。 ドイツ軍では正式には所属する兵科名をつけて歩兵大将(General der Infantrie),装甲兵大将(General der Panzertruppe)などと呼称する。 ・上級大将(Generaloberst:ゲネラルオーベルスト) 軍司令官、軍集団司令官および参謀総長など ポーランド戦後にヒトラーが元帥を大量に任命するまでは実質的には上級大将が軍における最高位だった。 ・元帥(Generalfeldmarschall:ゲネラルフェルトマルシャル) 軍司令官、軍集団司令官など。 元帥には生涯現役が許されるほか、副官や私邸の歩哨が付くなどの特典があった。 また宝石などの飾りを施された元帥杖という短いステッキが授与され、公式行事などにはこれを携帯することになっていた。 なお武装親衛隊には元帥階位はなく、SS帝国指導者(Reichsführer-SS)であるヒムラーを除けばSS上級大将(SS-Oberstgruppenführer)が最高位だった。 またSS少将(SS-Brigadeführer)の下にSS准将(SS-Oberführer)という階級が存在した。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: