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**第6部 スターリングラード編 第4話 「包囲」 2007年2月08日 概要 ---- #contents(fromhere)
**第6部 スターリングラード編 第4話 「包囲」 2007年2月08日 概要 ---- #contents(fromhere) *「戦場における指揮者に独自の指揮権を委ねるのはわが軍の伝統だが」 「指揮官の細かい命令にロボットのように従う」という一般的なイメージとは異なり、ドイツ軍においては伝統的に現場の指揮官には任務(たとえば○○を占領せよ)のみが与えられ、その手段については指揮官の裁量に委ねられていた。 これを「委任戦術」といい、指揮官は現場の状況に合わせて積極的に独自の判断で柔軟に対応することが求められた。 フランス戦や独ソ戦の初期においては、敵の弱点や確保可能な地点を発見した指揮官が上級指揮官の判断を仰がずに独自の判断で攻撃をかけ、作戦目的を実現した事例が数多く見られる。 ただし指揮官には高い能力が求められており、将兵にはその階級よりも一段高い(兵卒には下士官の、下士官には将校の、将校にはさらに上級の将校の)教育が施され、上級指揮官が戦死等で指揮能力を喪失しても下級指揮官が直ちに指揮を引き継ぐことが可能であった。 この一方、大戦前半のフランス軍やイギリス軍では現場の指揮官は上級司令部の立案した詳細な計画通りに任務を遂行することが求められ、現状にそぐわない作戦を強行したり上層部の判断を仰ぐために貴重な時間を浪費して失敗することがしばしば起きた。 *「その軍務に対する考課は」 あらゆる組織がそうであるように、軍隊においてもまたその構成員の能力や業績に対する評価(考課)は重要であり、下級者に対する上級者の評価に基づき昇進や降格、賞罰が行われている。 *シュトルヒ フィーゼラーFi-156「シュトルヒ」連絡機 フィーゼラー社によって1936年に開発されたドイツ空軍の小型偵察・連絡機。 高翼単葉の単発レシプロ機で、最高速度も175km/hと低速だが、短距離離着陸性能が高く、不整地での離着陸もできた。 ムッソリーニ救出で使用されたことでも有名。 シュトルヒ(Storch)はコウノトリのことで、飛行する姿からこの名称がつけられた。 *共同坑と生石灰 戦死者は、共同坑に集められ、消毒用の生石灰を散布したうえで埋葬される。 可能ならば再発掘の上認識票を元に身元確認を行って軍人墓地などに個別に再埋葬される。 *抗命行為 上官の命令に反抗すること。 命令が絶対である軍隊においては、軍法会議で降格や銃殺の宣告が下ることもある重罪である。 *「戦線の両翼に赤軍の集中が始まったらしい」 史実では1942年11月に開始されたスターリングラード奪回のための大攻勢「天王星(ウラヌス)作戦」の準備。 スターリングラードの両翼で戦車部隊を中核とした攻撃をかけ、弱体なドイツの同盟軍を突破して第6軍を包囲することを目的としていた。 この時同時にスターリングラード北方のルジェフのドイツ軍橋頭堡にも攻撃をかけることが計画されており、こちらは「火星(マルス)作戦」と呼称された。 *「イタリア第8軍やルーマニア軍」 ブラウ作戦の後半ドイツ軍の戦線はヴォルガ川に沿って長く伸び、これを守る兵力は決定的に不足していた。 このためドイツは枢軸陣営に属していたイタリア、ルーマニア、ハンガリー各国に協力を仰ぎ、その軍勢を以ってスターリングラードを攻略する第6軍の左右両翼の防衛を図った。 しかし各軍とも装備、特に装甲兵力や対戦車戦兵器においてドイツ軍のそれに大きく劣り、その士気も決して高いものではなかった。 この時第6軍の側面を守っていたのは左翼は西からハンガリー第2軍、イタリア第8軍、ルーマニア第3軍。 右翼はルーマニア第4軍である。 *「マンシュタインは手持ちの装甲部隊をかき集め始めたようだが」 史実ではスターリングラード包囲後マンシュタインは第11軍から新設のドン軍集団司令官に転任し、包囲された第6軍との連絡を命じられている。 ただしこの時点ではドイツの兵力は疲弊しており、ドン軍集団も予備兵力や壊滅した軍の残存兵力をかき集めた脆弱なものだった。 このためドン軍集団司令部は後退する敗残兵を映画上映会を餌に集めたり、他の部隊に移送中の戦車や突撃砲を横取りするなどあらゆる手段を使って兵力をかき集めている。 *「かつては敵性市民だった日系ドイツ人」 つまりナチス政権時代から日独は敵対関係にあり、日独伊三国同盟は結ばれていないということになるのだろう。 対談等から、中国における利権や蒋介石軍に対するドイツの軍事援助などがその理由となっていると思われるが、今のところ推測の域を出ない。 *「前政権と運命を共にしたレニ・リーフェンシュタール」 この台詞からヒトラー暗殺後リーフェンシュタールが失脚し、ナチス支持者として処罰の対象となっていることがうかがえる。 史実においては戦後リーフェンシュタールは一貫して自分はナチスを支持したことはないと主張し続けていたが、その生涯の終わりまで常に疑惑の対象となっていた。

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