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**第6部 スターリングラード編 第2話 「群狼」 2007年1月18日 放送 概要 ---- #contents(fromhere) *パウルス大将 フリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト・フォン・パウルス ドイツ陸軍元帥。 バルバロッサ当初は第6軍の参謀長で、1942年当時には第6軍司令官。 *オリバー・ノイヴィル軍曹 装甲猟兵大隊第一中隊第一小隊の下士官 軍曹は曹長よりも階級が下なので、ノイヴィルはベルンに敬語で話しかけている。 *ティモ・ヒルデブラント大尉 装甲猟兵大隊第一中隊第一小隊のおそらくは小隊長。 なおこの後登場する指揮官達も含めて、装甲猟兵大隊の隊員たちの名前はマイヤー以外はすべてドイツのサッカー選手からとられている。 (未確認だが他の架空の人物もそうである可能性が高い) *「第101装甲猟兵師団なるものは存在しない」 以下の台詞から第101装甲猟兵師団は充足時においても装甲猟兵大隊を基幹に、装甲中隊、砲兵部隊(おそらくは中隊規模)、その他通信、衛生などの支援部隊を配した、実質は旅団もしくは増強連隊程度の小規模な部隊(おそらくは3000名以下)であったことが伺える。 現在は大隊以下の人員数となっているようなので、おそらくは1000名を大きく割り込むところまで損耗しているものと思われる。 なお通常ドイツの歩兵師団は三個歩兵連隊+一個砲兵連隊基幹で総計17000名前後、装甲師団は二個装甲擲弾兵(歩兵)連隊+一個装甲連隊+一個砲兵連隊基幹で総計12000名前後となる。 *シュトルムシュタッヘル(Sturmstaffel) ドイツ軍においては本来別々の兵科・指揮系統に属する戦車、歩兵、砲兵などの小部隊を統合し、臨時編成された諸兵科連合部隊として作戦に投入することが行われた。 これをカンプグルッペ(戦闘団・戦隊)と呼び、大隊もしくは中隊規模の場合はカンプシュタッフェルと呼称した。 おそらくはこのカンプシュタッフェルの同義と思われる。 *ウニベルマグ(Univermag) ロシア語で百貨店のこと。 ソ連時代は国営百貨店の略称である「グム(GUM)」とも呼ばれた。 史実ではスターリングラードの百貨店地下室はその後ドイツ第6軍の指揮所となり、パウルスはここで赤軍に降伏している。 *「狙撃兵は必ず将校を狙う」 指揮官たる将校を殺傷すればその部隊の指揮系統は混乱し、効果的な対応がとれなくなる。 さらにまず将校を狙撃して重傷を負わせ、救助しようと近づく部下を次々と狙撃するといった戦術も行われた。 このため、将校は階級章や双眼鏡など身分が判別できるようなものは極力身につけず、他の兵卒と区別がつきにくいようにする対策も採られた。 *「シャッターを押そうとしたら、カメラを落としちまう」 野戦病院に運ばれていたら、問答無用で右腕を切断されていただろうというジョーク。 野戦病院は常に患者であふれており、軍医は時間のかかる高度な治療をせず短時間ですむ切断という手段で片付けることが多かった。 戦場医療においては「助かるかどうかわからない一人の重傷者を治療する」時間をかけるなら、それを「すぐに戦場に復帰できる多くの軽傷者に費やす」ことが長い間いわば鉄則だった。 災害時の医療に導入されているトリアージ(治療前の患者の選別)も、その起源は戦場医療にある。 *帝政時代の貴族の別邸 ふくろうや虫の鳴き声から、前線からやや離れたスターリングラード郊外にあるものと思われる。 スターリングラードは帝政時代の旧称をツァリツィンといい、16世紀にタタールの襲撃に備えて建設された要塞が起源の古い都市である。 *ヴォルフガング・マイヤー大佐 第101装甲猟兵大隊指揮官 おそらくは武装親衛隊ヒトラーユーゲント装甲師団の指揮官だったクルト・マイヤーSS准将がモデル。 マイヤーはアドルフ・ヒトラー装甲師団の偵察大隊長として数々の激戦で先陣を切り、「パンツァー・マイヤー」という異名をとった。 その後新設のヒトラーユーゲント師団に転属し連隊長となった後、ノルマンディで前任者の戦死に伴い34歳でSS准将に昇進して師団長に就任、武装親衛隊でもっとも若い将官となっている親衛隊きっての武闘派として有名である。 *クリストフ・メッツェルダー少佐 第一中隊指揮官 *ペア・メルツェザッカー少佐 第二中隊指揮官 *トルステン・フリングス少佐 第三中隊指揮官 *各指揮官の階級について 大隊指揮官は少佐~中佐、中隊指揮官は大尉、小隊は中尉クラスの将校がつくのが普通であり、装甲猟兵大隊の指揮官たちの階級はそれよりも高い。 損耗後に補充なしで部隊の縮小再編成が行われたためか、形だけでも師団であったためか、それとも他の部隊への異動が行われないまま実績に対して将校の昇進が行われたためかは不明。 どちらにせよ、常に大量損耗による高級士官の不足に苦しんだドイツ軍においてこの階級構成は異常ともいえる。 *民兵 独ソ戦初頭の敗北で大量の兵員の損耗したソ連赤軍はなりふり構わぬ大量動員を行うとともに、激戦地の背後で住民からなる民兵を組織し、後方の治安維持や塹壕・対戦車壕の建設、あるいは防衛戦に投入した。 ほとんど訓練が行われず、武器・弾薬や制服の十分な支給はなく、さらに後退する部隊に対しては後方からNKVDの督戦隊が銃撃して前進を強要することもあり、実戦に投入された場合大量の損害を出すことが多かった。 *第三渡船場 ヴォルガ河に沿い南北に長く伸びるスターリングラードには橋がなく、対岸とは船で往来した。 当時ヴォルガの東岸はいまだソ連赤軍の支配下にあり、ここからはしけなどを使って反撃部隊や市内の部隊への増援の上陸、補給が行われた。 史実どおりならチュイコフの第62軍残存兵力が市内のヴォルガ河畔に小さな支配領域を確保し、東岸からの物資と兵力の補給を受けながら市街の大半を占領した第6軍と交戦中のはずである。 *ヤヴォール ドイツ語で「了解」
**第6部 スターリングラード編 第2話 「群狼」 2007年1月18日 放送 概要 ---- #contents(fromhere) *パウルス大将 フリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト・フォン・パウルス ドイツ陸軍元帥。 バルバロッサ当初は第6軍の参謀長で、1942年当時には第6軍司令官。 *オリバー・ノイヴィル軍曹 装甲猟兵大隊第一中隊第一小隊の下士官 軍曹は曹長よりも階級が下なので、ノイヴィルはベルンに敬語で話しかけている。 *ティモ・ヒルデブラント大尉 装甲猟兵大隊第一中隊第一小隊のおそらくは小隊長。 なおこの後登場する指揮官達も含めて、装甲猟兵大隊の隊員たちの名前はマイヤー以外はすべてドイツのサッカー選手からとられている。 (未確認だが他の架空の人物もそうである可能性が高い) *「第101装甲猟兵師団なるものは存在しない」 以下の台詞から第101装甲猟兵師団は充足時においても装甲猟兵大隊を基幹に、装甲中隊、砲兵部隊(おそらくは中隊規模)、その他通信、衛生などの支援部隊を配した、実質は旅団もしくは増強連隊程度の小規模な部隊(おそらくは3000名以下)であったことが伺える。 現在は大隊以下の人員数となっているようなので、おそらくは1000名を大きく割り込むところまで損耗しているものと思われる。 なお通常ドイツの歩兵師団は三個歩兵連隊+一個砲兵連隊基幹で総計17000名前後、装甲師団は二個装甲擲弾兵(歩兵)連隊+一個装甲連隊+一個砲兵連隊基幹で総計12000名前後となる。 *シュトルムシュタッヘル(Sturmstaffel) ドイツ軍においては本来別々の兵科・指揮系統に属する戦車、歩兵、砲兵などの小部隊を統合し、臨時編成された諸兵科連合部隊として作戦に投入することが行われた。 これをカンプグルッペ(戦闘団・戦隊)と呼び、大隊もしくは中隊規模の場合はカンプシュタッフェル(戦闘梯隊)と呼称した。 シュトルムシュタッフェル(突撃梯隊)はこのカンプシュタッフェルを市街地攻略戦における突撃・掃討任務に投入した場合の名称。 1個シュタッフェルはおおむね突撃縦隊(1個小銃小隊+工兵班+対戦車砲、歩兵砲、迫撃砲などの重火器からなる火力支援班)3個とこれを後方から支援する重火器を装備した火力支援チームからなる。 各突撃縦隊は相互支援を行いながら前進し、単独で突出しないように厳密に統制される。 小銃小隊で制圧できない強力な抵抗拠点は、各縦隊の火力支援班やシュタッフェルの火力支援チームが対応する。 *ウニベルマグ(Univermag) ロシア語で百貨店のこと。 ソ連時代は国営百貨店の略称である「グム(GUM)」とも呼ばれた。 史実ではスターリングラードの百貨店地下室はその後ドイツ第6軍の指揮所となり、パウルスはここで赤軍に降伏している。 *「狙撃兵は必ず将校を狙う」 指揮官たる将校を殺傷すればその部隊の指揮系統は混乱し、効果的な対応がとれなくなる。 さらにまず将校を狙撃して重傷を負わせ、救助しようと近づく部下を次々と狙撃するといった戦術も行われた。 このため、将校は階級章や双眼鏡など身分が判別できるようなものは極力身につけず、他の兵卒と区別がつきにくいようにする対策も採られた。 *「シャッターを押そうとしたら、カメラを落としちまう」 野戦病院に運ばれていたら、問答無用で右腕を切断されていただろうというジョーク。 野戦病院は常に患者であふれており、軍医は時間のかかる高度な治療をせず短時間ですむ切断という手段で片付けることが多かった。 戦場医療においては「助かるかどうかわからない一人の重傷者を治療する」時間をかけるなら、それを「すぐに戦場に復帰できる多くの軽傷者に費やす」ことが長い間いわば鉄則だった。 災害時の医療に導入されているトリアージ(治療前の患者の選別)も、その起源は戦場医療にある。 *帝政時代の貴族の別邸 ふくろうや虫の鳴き声から、前線からやや離れたスターリングラード郊外にあるものと思われる。 スターリングラードは帝政時代の旧称をツァリツィンといい、16世紀にタタールの襲撃に備えて建設された要塞が起源の古い都市である。 *ヴォルフガング・マイヤー大佐 第101装甲猟兵大隊指揮官 おそらくは武装親衛隊ヒトラーユーゲント装甲師団の指揮官だったクルト・マイヤーSS准将がモデル。 マイヤーはアドルフ・ヒトラー装甲師団の偵察大隊長として数々の激戦で先陣を切り、「パンツァー・マイヤー」という異名をとった。 その後新設のヒトラーユーゲント師団に転属し連隊長となった後、ノルマンディで前任者の戦死に伴い34歳でSS准将に昇進して師団長に就任、武装親衛隊でもっとも若い将官となっている親衛隊きっての武闘派として有名である。 *クリストフ・メッツェルダー少佐 第一中隊指揮官 *ペア・メルツェザッカー少佐 第二中隊指揮官 *トルステン・フリングス少佐 第三中隊指揮官 *各指揮官の階級について 大隊指揮官は少佐~中佐、中隊指揮官は大尉、小隊は中尉クラスの将校がつくのが普通であり、装甲猟兵大隊の指揮官たちの階級はそれよりも高い。 損耗後に補充なしで部隊の縮小再編成が行われたためか、形だけでも師団であったためか、それとも他の部隊への異動が行われないまま実績に対して将校の昇進が行われたためかは不明。 どちらにせよ、常に大量損耗による高級士官の不足に苦しんだドイツ軍においてこの階級構成は異常ともいえる。 *民兵 独ソ戦初頭の敗北で大量の兵員の損耗したソ連赤軍はなりふり構わぬ大量動員を行うとともに、激戦地の背後で住民からなる民兵を組織し、NKVDの指揮の下、後方の治安維持や塹壕・対戦車壕の建設、あるいは防衛戦に投入した。 ほとんど訓練が行われず、武器・弾薬や制服の十分な支給はなく、さらに後退する部隊に対しては後方からNKVDの督戦隊が銃撃して前進を強要することもあり、実戦に投入された場合大量の損害を出すことが多かった。 *第三渡船場 ヴォルガ河に沿い南北に長く伸びるスターリングラードには橋がなく、対岸とは船で往来した。 当時ヴォルガの東岸はいまだソ連赤軍の支配下にあり、ここからはしけ、舟橋などを使って反撃部隊や市内の部隊への増援の上陸、補給が行われた。 史実どおりならチュイコフの第62軍残存兵力が市内のヴォルガ河畔に小さな支配領域を確保し、東岸からの物資と兵力の補給を受けながら市街の大半を占領した第6軍と交戦中のはずである。 スターリングラードには南部市街の中央渡船場と北部市街の北渡船場の二つがあり、両渡船場は共に戦闘の焦点となったが、ここに出てくる「第三渡船場」は架空の存在かもしれない。 *ヤヴォール ドイツ語で「了解」

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