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**第4部 バルバロッサ編 第2話「赤いボナパルト」 2006年12月07日 放送 概要 ボリス・レシェンスキーが語る、ロシアの英雄トゥハチェフスキーの来歴と粛清。 随所にでてくるマキの叔父の正体を匂わせる発言。 そして明らかになるレシェンスキーの正体とは。 ---- #contents(fromhere) *トルストイ伯の領地 トゥーラ南方のヤースナヤ・ポリャーナにはトルストイ伯爵家の荘園があり、グデーリアンはモスクワ攻略戦時ここの博物館に戦闘指揮所をおいていた。 文豪レフ・トルストイはトルストイ伯爵家の四男でここで生をうけた。 *ブレスト=リトフスク 戦前のポーランド中央部にあった要塞。 第一次大戦ではドイツとロシアのボルシェビキ革命政権間の休戦条約がここで結ばれた。 第二次大戦でポーランドが分割占領された後に独ソの新国境となり、ソ連軍が駐屯していたこの要塞は独ソ開戦劈頭にドイツ軍の重要な攻略目標となったが、激しい抵抗にあい一ヶ月近く戦闘が続く激戦地となった。 *ハバロフィアク部隊 ドラマでは語られていないが、日本に派遣されていたソ連スパイゾルゲのもたらした「日本の対ソ開戦はない」という情報がスターリンにハバロフィアク部隊の西方移動を決断させたといわれている。 *「君の叔父上と同じようにね」「あのシュタウヘンベルク大佐」「君の叔父上のように」 この台詞からマキの叔父はヒトラーの暗殺、またはナチ政権へのクーデターに主要人物として関わっていたことがわかる。 おそらくは史実のクラウス・フィリップ・マリア・シェンク・フォン・シュタウフェンベルクのことである。 第二次世界大戦中のドイツ陸軍大佐。 ヒトラー暗殺計画の実行者の一人。 *アプヴェーア ドイツ国防軍防諜部 軍の諜報機関としてドイツ国内外の諜報・防諜活動を行った部署。 長官であるヴィルヘルム・カナリス提督は反ヒトラー派の一人だった。 *ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー ソビエト連邦の軍人。 赤軍の機械化を推進。数々の画期的戦術理論を編みだし、赤軍の至宝、あるいは赤いナポレオンと呼ばれた。 彼の死は、ナチのハインドリヒによるスターリンへの密告によってだが、ドイツ側がこうした行動に出るようにスターリンが仕向けたという説もあり、真相は定かではない。 いずれにせよスターリンはこれを口実にして、トハチェフスキーを銃殺した。 赤いナポレオン(ボナパルト)と呼ばれた。 今回の主要人物。 *インゴルシュタットの捕虜収容所 これもドラマでは語られていないが、トハチェフスキーはこの収容所で同じく捕虜となったフランス軍人シャルル・ド・ゴールと出会っている。 また彼はここから何度も脱走を試みたが、五度目に成功してロシアに帰還し赤軍に参加した。 *半ダースもの西欧貴族と血の繋がる近衛士官 トハチェフスキー家はロシアに帰化したポーランド貴族だが、婚姻を通じフランス貴族などとも血縁関係があった。 フランス語など外国語にも堪能で西欧美術に関しても造詣が深く、このことがグルジアの貧しい靴職人の息子だったスターリンのコンプレックスをいたく刺激したとも言われている。 *ツァーリ ブルガリア・ロシアなどで使用された皇帝の称号。 そもそもは、ローマ皇帝、その継承者である東ローマ(ビザンツ)皇帝を意味する称号として「カエサル」という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。 その際に発音が変化して「ツァーリ」となった。一般に「皇帝」と訳されることが多い。 この場合ではトゥハチェフスキーが帰ってきた時に帝政が終わっていたということ。 *コルチャック提督 アレクサンドル・ヴァシリエヴィッチ・コルチャーク ロシア革命後の内戦期の白軍(反革命軍)指導者 革命後イギリスの支援でシベリアのオムスクに樹立された反ボルシェビキ政府(オムスク政権)の指導者となる。 一時はシベリア全域を掌握したが内戦に敗れ、政権崩壊後に赤軍に逮捕処刑された。 *デニーキン将軍 同じく白軍指導者 *ヴィシンスキー アンドレイ・ヤヌアレヴィッチ・ヴィシンスキー ソ連邦検事総長 トハチェフスキーを含む粛清裁判で辣腕をふるい、多くのスターリンの政敵たちを処刑場や流刑地に追いやった。 自白を「証拠の女王」とする原則を打ち立て、これによって粛清対象者達は秘密警察の厳しい尋問と拷問によって自白を強制されることとなる。 *カール・ラデック カール・ベルンガルドヴィッチ・ラデック ロシア革命初期の革命家の一人でポーランド生まれのドイツ系ユダヤ人。 休戦後のドイツで革命運動を指揮した後ソ連の指導者の一人となるが、後にスターリンと対立して失脚。 1939年頃に銃殺されたといわれる。 *赤軍とドイツ国防軍の軍事同盟 ドイツとソ連の間に結ばれたラッパロ条約締結後、密かに結ばれた軍事同盟のことで、この同盟に基づいてドイツ軍はソ連領内で密かにヴェルサイユ条約で禁止されていた軍用機の製造や戦車の開発を行った。 ソ連政府とドイツ国防軍のゼークト将軍の仲介をしたのがかつてドイツ共産党の指導者だったラデックである。 *プトナ将軍 *テロル テロ 現在では、国家にに対する過激派の暴力行為を指すが、心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為のことである。 国家による暴力的抑圧(恐怖政治、粛清等)をその意味に含めていた。 *メーデー 世界で毎年5月1日に行われる労働者の祭典である。労働祭とも呼ばれる。 *ジョージ6世 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国国王(在位1936年12月11日 - 1952年2月6日)。 インド皇帝(在位1936年 - 1947年)。 兄エドワード8世がウォリス・シンプソン夫人との結婚問題で、わずか11ヶ月で退位したために国王に即位することとなった。 第二次世界大戦ではチャーチルと共に国民の士気高揚に勤め、第一次大戦時の国王であった父ジョージ5世とならんで国民的人気が高かった。 現イギリス女王エリザベス2世の父。 *ルビャンカ チェーカー(ロシア秘密警察:GPUの前身で後のKGBにつながる組織)の本部の所在地。 粛清時にはルビヤンカ地下にある「タイル張りの地下室」で多くの囚人が射殺された。 「タイル張り」なのは処刑後に掃除人が血を洗い流す為。 なおここで描写されているようにチェーカー(KGB)の処刑は囚人を後ろ手に縛って跪かせ、後ろから後頭部(延髄)を拳銃で撃つというのが通常の方法であった。 *「陰謀か歴史の必然か」 トゥハチェフスキーの死を、作中で語ったスターリンの陰謀説でない可能性を示唆している。 *ジッド アンドレ・ジッド(またはジイド) フランスの小説家 *ラインハルト・ゲーレン プロイセンの中産階級出身の陸軍軍人。 参謀本部のソ連情報を担当する東方外国軍課長である。 ドイツ諜報活動の中心人物の一人である。 史実では、その情報分析能力から「ドイツの絶望的苦境」をヒトラーに報告し、解任される。 ドイツが降伏すると、ソ連軍事情報を手土産に有能な部下ともにアメリカ軍に投降する。 戦後、米軍情報機関に協力して生き残り、対ソ諜報組織であるゲーレン機関を設立した。 *「日本の煙草じゃないか」 ゲーレンの肩書きである「東方」外国軍課長からだろう? あるいはレシェンスキーを名乗って逃亡中のゲーレンが日本と接触しており、その目的地が満州もしくは日本であることを示唆しているのかもしれない。 *ヴァルター・シェレンベルク 親衛隊国家保安本部(RSHA)第6局局長で、親衛隊の対外諜報活動を指揮していた。 1939年に周到な罠によってイギリスとオランダの情報部員を誘拐したヴェンロー事件を指揮した功績で、29歳で親衛隊最年少の将官となっている。
**第4部 バルバロッサ編 第2話「赤いボナパルト」 2006年12月07日 放送 概要 ボリス・レシェンスキーが語る、ロシアの英雄トゥハチェフスキーの来歴と粛清。 随所にでてくるマキの叔父の正体を匂わせる発言。 そして明らかになるレシェンスキーの正体とは。 ---- #contents(fromhere) *トルストイ伯の領地 トゥーラ南方のヤースナヤ・ポリャーナにはトルストイ伯爵家の荘園があり、グデーリアンはモスクワ攻略戦時ここの博物館に戦闘指揮所をおいていた。 文豪レフ・トルストイはトルストイ伯爵家の四男でここで生をうけた。 *ブレスト=リトフスク 戦前のポーランド中央部にあった要塞。 第一次大戦ではドイツとロシアのボルシェビキ革命政権間の休戦条約がここで結ばれた。 第二次大戦でポーランドが分割占領された後に独ソの新国境となり、ソ連軍が駐屯していたこの要塞は独ソ開戦劈頭にドイツ軍の重要な攻略目標となったが、激しい抵抗にあい一ヶ月近く戦闘が続く激戦地となった。 *ハバロフィアク部隊 ドラマでは語られていないが、日本に派遣されていたソ連スパイゾルゲのもたらした「日本の対ソ開戦はない」という情報がスターリンにハバロフィアク部隊の西方移動を決断させたといわれている。 *「君の叔父上と同じようにね」「あのシュタウヘンベルク大佐」「君の叔父上のように」 この台詞からマキの叔父はヒトラーの暗殺、またはナチ政権へのクーデターに主要人物として関わっていたことがわかる。 おそらくは史実のクラウス・フィリップ・マリア・シェンク・フォン・シュタウフェンベルクのことである。 第二次世界大戦中のドイツ陸軍大佐。 ヒトラー暗殺計画の実行者の一人。 *アプヴェーア ドイツ国防軍防諜部 軍の諜報機関としてドイツ国内外の諜報・防諜活動を行った部署。 長官であるヴィルヘルム・カナリス提督は反ヒトラー派の一人だった。 *ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー ソビエト連邦の軍人。 赤軍の機械化を推進。数々の画期的戦術理論を編みだし、赤軍の至宝、あるいは赤いナポレオンと呼ばれた。 彼の死は、ナチのハインドリヒによるスターリンへの密告によってだが、ドイツ側がこうした行動に出るようにスターリンが仕向けたという説もあり、真相は定かではない。 いずれにせよスターリンはこれを口実にして、トハチェフスキーを銃殺した。 赤いナポレオン(ボナパルト)と呼ばれた。 今回の主要人物。 *インゴルシュタットの捕虜収容所 これもドラマでは語られていないが、トハチェフスキーはこの収容所で同じく捕虜となったフランス軍人シャルル・ド・ゴールと出会っている。 また彼はここから何度も脱走を試みたが、五度目に成功してロシアに帰還し赤軍に参加した。 *半ダースもの西欧貴族と血の繋がる近衛士官 トハチェフスキー家はロシアに帰化したポーランド貴族だが、婚姻を通じフランス貴族などとも血縁関係があった。 (ただしこれについては中世にロシアに帰化したフランドル貴族の末裔であるトルストイ家の支流、あるいはロシアの古い貴族の末裔であるといった異説もある。) フランス語など外国語にも堪能で西欧美術に関しても造詣が深く、このことがグルジアの貧しい靴職人の息子だったスターリンのコンプレックスをいたく刺激したとも言われている。 *ツァーリ ブルガリア・ロシアなどで使用された皇帝の称号。 そもそもは、ローマ皇帝、その継承者である東ローマ(ビザンツ)皇帝を意味する称号として「カエサル」という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。 その際に発音が変化して「ツァーリ」となった。一般に「皇帝」と訳されることが多い。 この場合ではトゥハチェフスキーが帰ってきた時に帝政が終わっていたということ。 *コルチャック提督 アレクサンドル・ヴァシリエヴィッチ・コルチャーク ロシア革命後の内戦期の白軍(反革命軍)指導者 革命後イギリスの支援でシベリアのオムスクに樹立された反ボルシェビキ政府(オムスク政権)の指導者となる。 一時はシベリア全域を掌握したが内戦に敗れ、政権崩壊後に赤軍に逮捕処刑された。 *デニーキン将軍 同じく白軍指導者 *ヴィシンスキー アンドレイ・ヤヌアレヴィッチ・ヴィシンスキー ソ連邦検事総長 トハチェフスキーを含む粛清裁判で辣腕をふるい、多くのスターリンの政敵たちを処刑場や流刑地に追いやった。 自白を「証拠の女王」とする原則を打ち立て、これによって粛清対象者達は秘密警察の厳しい尋問と拷問によって自白を強制されることとなる。 *カール・ラデック 本名カール・ベルンガルドヴィッチ・ゾーベルゾーン ロシア革命初期の革命家の一人でポーランド生まれのドイツ系ユダヤ人で、「ラデック」は彼が十代のころから使っていた変名。 休戦後のドイツで革命運動を指揮した後ソ連の指導者の一人となるが、後にスターリンと対立して失脚。 1939年頃に銃殺されたといわれる。 *赤軍とドイツ国防軍の軍事同盟 ドイツとソ連の間に結ばれたラッパロ条約締結後、密かに結ばれた軍事同盟のことで、この同盟に基づいてドイツ軍はソ連領内で密かにヴェルサイユ条約で禁止されていた軍用機の製造や戦車の開発を行った。 ソ連政府とドイツ国防軍のゼークト将軍の仲介をしたのがかつてドイツ共産党の指導者だったラデックである。 *プトナ将軍 ヴィトフト・カジミロヴィッチ・プトナ ソ連軍人で内戦時代からトハチェフスキーとともに戦った腹心の部下。 革命後はイギリスやドイツでソ連大使館付武官を勤め、特にドイツに対してはしばしばプライヴェートで訪問するなど親近感を抱いていた。 このためトハチェフスキー事件においてはいち早く逮捕され、厳しい尋問によって「陰謀」の供述を強いられた。 裁判によりほかの被告とともに死刑となる。 *テロル テロ 現在では、国家にに対する過激派の暴力行為を指すが、心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為のことである。 国家による暴力的抑圧(恐怖政治、粛清等)をその意味に含めていた。 *メーデー 世界で毎年5月1日に行われる労働者の祭典である。労働祭とも呼ばれる。 *ジョージ6世 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国国王(在位1936年12月11日 - 1952年2月6日)。 インド皇帝(在位1936年 - 1947年)。 兄エドワード8世がウォリス・シンプソン夫人との結婚問題で、わずか11ヶ月で退位したために国王に即位することとなった。 第二次世界大戦ではチャーチルと共に国民の士気高揚に勤め、第一次大戦時の国王であった父ジョージ5世とならんで国民的人気が高かった。 現イギリス女王エリザベス2世の父。 *ルビャンカ チェーカー(ロシア秘密警察:GPUの前身で後のKGBにつながる組織)の本部の所在地。 粛清時にはルビヤンカ地下にある「タイル張りの地下室」で多くの囚人が射殺された。 「タイル張り」なのは処刑後に掃除人が血を洗い流す為。 なおここで描写されているようにチェーカー(KGB)の処刑は囚人を後ろ手に縛って跪かせ、後ろから後頭部(延髄)を拳銃で撃つというのが通常の方法であった。 *「陰謀か歴史の必然か」 トゥハチェフスキーの死を、作中で語ったスターリンの陰謀説でない可能性を示唆している。 *ジッド アンドレ・ジッド(またはジイド) フランスの小説家 *ラインハルト・ゲーレン プロイセンの中産階級出身の陸軍軍人。 参謀本部のソ連情報を担当する東方外国軍課長である。 ドイツ諜報活動の中心人物の一人である。 史実では、その情報分析能力から「ドイツの絶望的苦境」をヒトラーに報告し、解任される。 ドイツが降伏すると、ソ連軍事情報を手土産に有能な部下ともにアメリカ軍に投降する。 戦後、米軍情報機関に協力して生き残り、対ソ諜報組織であるゲーレン機関を設立した。 *「日本の煙草じゃないか」 ゲーレンの肩書きである「東方」外国軍課長からだろう? あるいはレシェンスキーを名乗って逃亡中のゲーレンが日本と接触しており、その目的地が満州もしくは日本であることを示唆しているのかもしれない。 *ヴァルター・シェレンベルク 親衛隊国家保安本部(RSHA)第6局局長で、親衛隊の対外諜報活動を指揮していた。 1939年に周到な罠によってイギリスとオランダの情報部員を誘拐したヴェンロー事件を指揮した功績で、29歳で親衛隊最年少の将官となっている。

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