香芝(かしば)

 「香芝」。その名の歴史はまだ新しく、命名の由来は、昭和31年の五位堂村、下田村、二上村、志都美村4村合併の少し前、昭和24年に開校した4村及び當麻町の一部の組合立「香芝中学校」の「香芝」を採用したものです。
 この名は、広く一般から公募し、当時の県視学中川良秀氏らによって命名されました。「香芝」は、香芝中学校がある小字「香の池尻」の俗称地名「カマシバ」の転訛の説が有力で、大字の「鹿島」があったことや下田の鹿島神社の鎮座する「鹿島(カシマ)」との間に小字「鹿島前(カシママヘ)」があったことや、これが、「カマシマヘ」と訛り、音節の転倒によって「カマシバ」・・・「コウノシバ」「香の芝」となったのだと考えられています。


  • 五位堂
大伴金村の末裔、五位殿某に由来か。江戸時代には五位戸村、五井戸村の表記がある。
  • 鎌田
蒲田から変化したものか。源義朝に仕え、平治の乱で討ち死にした鎌田藤原政清の子、次郎政光が、鹿島明神のお告げによって下田に鹿島神社を建て、居住したという。
  • 良福寺
地名に寺名を用いるような寺院は相当の古刹と考えられるが、良福寺にはその寺跡さえも明確ではない。恵心僧都誕生伝承地を良福寺に求める意義が認められる。
  • 別所
開墾地を意味する「別所」という説や、国郡司の次官が別に居を構え政務を執る所、国府に対して別府の意味を持つ郡家的なものとする説などがある。
  • 瓦口
河原口、河原ともいわれ、河原の口が一般的。古文書に「瓦山一処」「瓦釜参口」がみえるところから、異論もある。
  • 下田
鎌倉時代、このあたりを下田山と呼んでいたらしい。また、二上山麓に比較すると字義のように下ノ田であり、いわゆる高田の対語。
  • 藤山
もと大字畑の小字名「藤山」から昭和50年に町名設定。
  • 逢坂
二つの坂が合体する峠に由来する説が有力。
  • 狐井
井にちなみ、杵築井(きつきい)→杵井→狐井と考えられている。
  • 北今市
江戸時代に上里村から分村。明治初年、今市村を通称名であった「北今市村」に改称した。
  • 五ヶ所
江戸前期に下田村から分村。空き地を拓いてつくった村という意味もある。
  • 磯壁
イは接頭語で、蘇我部又は磯部の意といわれる。
墾田の意といわれる。
  • 穴虫
穴に伏す低地という地形から。古くは大坂と呼ばれていたと考えられている。
  • 関屋
大和と大阪を結ぶ峠道に置かれた関所であったことから。
  • 田尻
江戸前期に関屋村から分村。大和の田の尻から開墾地の終わりの場所を意味する。
江戸前期に上里村から分村。湿地帯、もしくは川の氾濫を恐れ、微高地に移動した。
  • 上中
明治20年に上里村と中筋村が合併してできた地名。
  • 平野
地形によるものと考えられる。
  • 今泉
新しいわき水の意味と考えられる。
  • 尼寺
    • 王寺町畠田は元は北葛城郡志都美村。4村合併で香芝町になったときは香芝町大字畠田だった。1年後、王寺町へ大部分編入され、残った畠田が「大字尼寺」に改称。町内の「大字」も平成3年の市制施行とともに廃止された。
昭和32年、大字畠田から改称。片岡尼寺があったとされることから。
  • 西真美
昭和54年、馬見丘陵西の土地区画整理事業で設定され、「馬見の西」からの音意。
  • 白鳳台
昭和61年、土地区画整理事業で設定。
  • 真美ヶ丘
昭和61年、馬見丘陵地帯の土地区画整理事業で設定され、「馬見の丘」からの音意。
  • 高山台
平成12年、土地区画整理事業で設定。
終戦後、志都美村南西部を農地開拓するための開拓農業協同組合設立の折、朝日を仰ぐ東斜面であったために組合員が名付けた。
  • 志都美
志都美神社の通称「清水八幡」から音の転訛
  • 二上
二上山に由来


最終更新:2006年12月03日 10:07