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妹の街


 

 

闇夜を切り裂く騎士のように、鋼鉄の馬に乗り街を駆ける。一筋のライトの光は誇り高き剣のよう。
巨大なるエンジンの爆音は彼の溢れんばかりの血気のように。漆黒の夜に走る愛車は、いつもより機嫌がいいようだ。
「この街も久しぶりだよな」
ヘルメット越しに聞こえる街の寝息が懐かしく、この街に生まれたことに感謝する一人のさすらいネコ。
彼の名は『浅川・シャルヒャー・トランジット』。カギ尾のネコは、闇夜の紳士となる。

誰もが眠る街を一人走りぬける爽快感。星空を支配した気分がするのか、浅川のスロットルを回す手は幾ばくか調子が良い。
「夜はネコのもの」だとかつて誰かが言っていた。あながちそれは間違っていないのだと、浅川は通り抜ける風で感じる。
昼間は愛用の一眼レフ片手に、街を写し、木を写し、雲を写し。写真家の命を燃やし続けていた。
夜は相棒をV-MAXに変えて、リッター級のエンジンの荒馬を乗りこなすように回して風を切る。
浅川はいつも思う。写真は何もかも覚えているけど、忘れることはできない頑固者だと。

「そういえば、どの位経つのかな……。あれから」
小さい頃から見慣れた交差点。幼い頃は昼間の姿しか見たことが無いが、大人になってたびたび夜の顔を見ることになる。
しかし、どんな顔を見せようが、浅川には昼間の顔しか覚えていない。信号が青く灯り、愛車V-MAXを夜の街に滑らせるが、
ふと思い出したように、いきなりブレーキランプを灯しながら道路わきに相棒を止める。
「この先だったよな……。近寄るのは、やめておこう」
ハザードを光らせて、車体を傾けながらUターンをする態勢に入るがその前に一息。騎士にも休息は必要。ヘルメットのシールドを上げる。
袈裟掛けしていたカバンから、ペットボトルを取り出して蓋を開けると、飛び出したコーラが浅川の顔に直撃した。
「お茶と間違えた……」

そう言えば、あのときから何年経ったのだろう。
忘れることも、忘れぬことも出来ないときのこと。
『お兄ちゃん、フィルム買ってきてあげる』
浅川の街は、嫌に物覚えが良い。

―――次の日の朝。街はいつの間にか明るく広がり、人々がざわわと動き出す。
いつものように変わりなく、これからも変わりなく、ただ一日を刻んでゆくのみ。
雪が降るほどじゃないけど、冷たい空気が登校してゆく佳望学園の生徒たちの脚をこわばらせる。
それに負けじと女生徒たちの明るい声が、街の寒さを吹き飛ばす。いくら毛並みに覆われているとは言え、寒いものは寒い。

「リオ、ハルカー。おっはよう!トラまん食べた?」
短いスカートで脚を寒さにさらしながら、イヌのモエが同級生らにコンビニの新作まんじゅうの話題をする。
トラの顔をしたかわいらしいまんじゅうは、女生徒たちの間でも話題を呼ぶコンビニの人気者なのだ。
ネコのハルカはセミロングの髪を揺らしながら、朝に似合う爽やかな笑顔で答えた。
「まだなんだよね。今度買ってみようかな。リオは?」
「ううん。ま、まだだよ。そう、あれ、あれはおいしそうだよね!」
ウサギのリオは『トラまん』の存在自体を知らなかったのだが「ここで知らないっていう答えはねえよ」と、
知ったかぶりのスマイル0円を二人にご提供。みんなの風紀委員長はみんなの共有財産なのだから。
ネコのハルカは、モエからのどをさすられて、ごろごろごろとのどを鳴らしながら髪飾りのリボンを揺らし、
通学の道に女子高生らしい甘い香りを振りまいていた。リオも負けじとショートの髪を描き上げるが、悲しいかな誰もなびかない。

「ハルカって、お母さんの香りがする。くんくん」
「やだなあ、それ。モエったら」
今朝もハルカは、味噌汁を作ってきた。お日様が昇る前からねぎを刻み、出汁をとり、自分のお弁当を用意してきたのだ。
モエの頭には、ハルカの割烹姿が浮かんでいるのだろう。リオも「あなた、ご飯よ」とハルカが言っているのだろう、と罪の無い妄想。
朝食の香りとネコは、とても似合う。

学園へ続く坂の下のコンビニが彼女らの視界に入ると、思い出したかのようにモエがトラまん談義を再燃させた。
「この前、南6条のコンビニでトラまん買ったらさあ、店員がむかつくんだよっ。だって、トラの顔をむぎゅうっだよ」
「モエもタスクくんの顔をむぎゅうってしてるでしょ?」
「ハルカっ!言ったね!むぎゅうしてやる!」
さらにモエはハルカののどを人差し指で撫で続けると、ハルカはモエの肩に頭をぶつけてきた。
いたずらにリオはハルカの尻尾を掴もうとすると、尻尾だけが生きているかのごとく、すっとそっぽに向けた。
それでもハルカは笑顔を絶やさない、みんなのオカン。……ってハルカが聞いたら怒るだろうか。

休み知らずである坂の下のコンビニは、ご褒美を差し上げたいくらい働き者だ。
佳望学園に通うものなら、誰もがお世話になっている小さなコンビニは、今朝も生徒たちで満員御礼。
そこに寄り道する生徒もいれば、真っ直ぐ学校へ向かう者も居る。ネコの帆崎先生がチョコまんを頬張りながら、
コンビニ前に立っていた。メガネを光らせたリオは、風紀委員長モード半分、羨ましい半分、帆崎に難くせを付け出した。
「ざ、ザッキー?あなたって人は!生活指導の誇りを忘れたのですか!」
「まあまあ、そうかっかするなよ、因幡。ルルが風邪引いてさ」
すきっ腹の帆崎は背中を丸めながら、残りのチョコまんを口にした。生涯の相方の体調を案じながら、ここで腹ごしらえ。
せめて『生活指導』の腕章を外しているときぐらいは、大目に見てくれよ。と帆崎は真面目のまー子をなだめる。
「ルルさん風邪なんですね。スライスした大根をハチミツに浸した蜜をお湯でとかして飲むと、のどにとってもいいんですよ」
「さすが『オカン』だ!ハルカは『オカン』だ!ヤ○ー知恵袋っ!」
モエの誉めているのかどうか分からない言葉に、ハルカはちょっぴり笑っていた。

「クロ!待つニャ!クロったら、朝から張り切るんじゃないニャ!!」
「やだね。コレッタののーろまっ。もひとつおまけに、のーろまっ!!」
遠くから小さな風が走りぬける。初等部のクロ、ミケ、コレッタの子ネコたちがランドセルを揺らしながら、学園へと向かう生徒たちの間を縫う。
生徒の尻尾を踏んづけそうになりながら、コレッタは自慢の髪をなびかせて駆け抜ける。

「コレッタ!危ないよ」
風に揺れるスカートを押さえながら、リオは子ネコたちに注意を促すと、その声に反応したコレッタは道の途中で立ち止まる。
不思議そうな顔をしながらちょこんと立つ姿に、リオは思わず頭を抱える一方、朝から眼福眼福と顔をにやけさせていた。

「コレッタ!後ろ、後ろっ!」
大きな影が近づいた。乗用車が往来を走ってくる。四本の脚の乗り物は、道に立ち尽くすコレッタに近づきクラクションを鳴らす。
イノシシのように一直線に、ゾウのようにコレッタには大きく、そして飢えしケモノのように心は持たず乗用車は少女に近づく。
運転手も気付いて精一杯の力で乗り物を止めようとしているが、間に合うかどうか。南無三、少女との距離はもはや目の前。

「……!?」
アスファルトが軋む音。コンビニから飛び出す生徒たち。何があったか分からないコレッタ。
そして、コレッタに近づく一人のネコの少女。その名はハルカ。

ハルカはカバンを放り投げると、リボンを揺らしてコレッタの方へ駆けつけた。短距離走はお手の物。
脚で地面を蹴り乗用車と短期決戦を挑む。ハルカにははっきりとコレッタに迫り来る車の姿が目に焼きついていた。
「コレッタちゃん!!わたしに捕まって!」
「ニャ?」
コレッタの両脇を抱え上げ、今まで感じたことの無い恐怖と背中合わせになりながら、両脚で天に向かって飛び上がる。
朝の空気はハルカとコレッタの味方をしてくれるだろうか。ひんやりと背中が心なしか薄ら寒い。
弾みで片方のローファーが空を舞う。スカートがはためく。髪からは女子高生らしい甘い香り。
「ハルカーーーーーーーっ」
ハルカの名前がコレッタに届いていたときには、ネコの少女はしりもちを付いて地面に横たわっていた。
両脇を抱えられていたコレッタは、地面に伏す前にするりと抜けて恩人に集まるリオとモエの姿を見ながら立ち尽くす。
「ハルカ?ハルカぁぁぁ!!うわーん」
泣き声にも似たモエの悲鳴。リオは1を数える間もなく、ハルカの側に駆けて行った。

「ニャ……。うわーーん」
「コレッタ……。怪我は無いかにゃ?」
「クロのバカー。あーん!おかあさーん」
『おかあさん』と呼ばれたハルカの腕に捕まり、泣きじゃくるコレッタにハンカチを渡そうとクロとミケがやってきた。
慌てて飛び出した乗用車の運転手も、ひたすら謝る。怪我がなくて幸いだと、帆崎も胸を撫で下ろす。
地面にへたり込んだハルカに脱げたローファーを履かせながら、モエはいまだ止まぬ胸の鼓動を抑えていた。

「……ふぉ?」
足首をくるりと回す。
「……はぅ?」
紺のハイソをたくし上げる。
「……ひぃ?」
尻尾の感触を確かめる。

「ハルカ、どうしたの」
「……生きてる!わたし生きてる!!生きてるんだあ!!いえーい!やっほー」
ハルカのカバンを持っていたリオは、彼女の言葉にいささか首をかしげながら、少しくすりと笑った。
モエは彼女ののどをさすると、ごろごろとさっきと同じようにのどを鳴らしていた。
「ここ地面だよね?立ってるんだよね?生きてるんだよね?うわーい、神さまに感謝感激!」
「ヘンなの。いつものハルカと別人みたい。それはそうと、ザッキー!チョコまん奢ってよ!」
「奢るかよ」
一日が始まる。

―――無事にコレッタが学園に着き、その日の正午ちょっと前のこと。佳望中町の杉本オートには、浅川の姿があった。
一応『決めた』格好で浅川は、乱雑にパーツが詰まれた店先の土間で、気分を表してかカギ尾をへたり込ませていた。
「ミナさんは、ちょっと出かけていまして」
事務を務めるネコの時計川ミミは、どこに出ても恥ずかしく無い丁寧なオトナのお辞儀で浅川の苦労をねぎらった。
魂を半分はみ出しながら浅川は、「そうですか」と答えるしかない。浅川の目的は、浅川の顔に出ている。
「ところで……いつごろ戻られますかね」
「さあ、わかりませんね。『佳望学園に行きます』と申しておりましたが」
「それだっ!」
二つ返事で浅川は、店を飛び出す。愛車に跨る。行き先ももちろん佳望学園。
ヘルメットを被ると、エンジンを掛けて爆音を響き渡せていた。相棒の声は、浅川の代弁か。
「待ってろよお!杉本さぁーん!」
排気ガスとエンジン音を残して、浅川は杉本オートから走り去る。残されたミミは、残りの伝票整理のことで頭が一杯だった。
さあ、これからは電卓と帳簿との格闘だ。わたしはきまぐれネコだから、やる気のあるときにやっちゃうぞ。

―――ときは少し戻り。
佳望学園・高等部の教室では、朝のコレッタとハルカの件で持ちきりだった。
一応ことがあったらいけないと、二人は保健室に寄って白先生に診てもらったのだが、心配ないとのことだった。
大事を取って、1時間目は保健室で過ごしていると、授業の終わりと同時にモエとリオが、涙を浮かべてやって来た。
「無事でよかったあ……。ね、モエ」
「わたし超心配したんだから!」
マグカップのコーヒーを味わいながら、自慢のリボンを揺らして彼女は笑っていた。
ふうふうと、コーヒーを冷まそうと口を尖らす。
「へへーん。地に足が付くって楽しいっ」
「へんニャの。おかしいニャ」
同じく熱いものは苦手なのか、隣でコレッタは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、コーヒーを冷ましていた。

確かに佳望学園の高等部は、いつもと比べて少しおかしかった。
さあ、間違え探しです。どこが違っているでしょう。分かれば100万差し上げます。
でも佳望学園の生徒なら、簡単に100万ぶん取れるだろう。
「ハルカったら、いつもよりハイテンション系?」
「ハルカさあ。いつものオカン振りはどうしたの?ちょ、ちょっと!スカートが捲れてるって!ぱんつだから、恥ずかし……」
ハルカと呼ばれた少女は、にこにこと短いスカートをはためかせながら教室を駆け巡る。
制服を初めて着た新入生のように廊下の大鏡の前でポーズを取ってみせたり、そしてクラスメイトに抱きついていた。

確かにおかしい。ハルカはそんな子じゃない、ってことは、クラスメイトは重々承知。
みんなのオカンのしっかりハルカはどこに行った。これじゃ、はかない女子高生を謳歌する、フツーの女の子。
「フツーの女子高生って、楽しい!あはははは!!」
モエは教室に振りまかれた彼女の髪の香りをくんくんとかいで楽しんでいた。甘い香りは、きょうのハルカと違って変わらない。

―――お昼休み。各々学食に行く者、購買部に行く者、机を合わせてお弁当を広げる者。
「これはウチのかわいい弟が作ってきた、愛弟弁当なのだ」
「タスクくんすごいね」
教室の片隅でモエは、色とりどりのお弁当箱を友人二人に自慢する。どうやらモエは、弟のタスクと
お弁当の作りっこをしてきたらしい。お弁当の中身はそれぞれナイショ。蓋を開けてからのお楽しみ。
「タスクくんって、お姉ちゃん大好きだもんね。ウチのマオもタスクくんを見習って欲しいなあ」
モエの隣の席でサンドウィッチを包んだラップを広げながら、リオは脚をバタつかせていた。
さて、モエが弁当箱の蓋を開けると、真っ白な白米が敷き詰められた上に、見ているだけでつばきが溢れる梅干が真ん中に乗っているだけ。
モエの頭上には白い湯気がゆらゆらと揺れていた。

モエの向かいの席では、白い湯気がゆらゆらと魔法瓶の口から昇っているお弁当。
おかずの筑前煮と焼き鮭切り身が、モエのご飯とよく似合う。しかし、そのおかずを初めて見るような顔をして……。
「ハルカの特製味噌汁だあ!いつもありがとう!」
「モエには、あげないよ!」
「ふふーんだ。リオも欲しいくせに!」
ナイスなボケと突っ込みという、才能の無駄遣いをするモエとリオ。そして、お弁当の持ち主はと言うと。

「へえ!お味噌汁だなんて、わたし……久っさし振りだなあ!」
リオは目を丸くして、隣のネコ少女を覗き込む。だって、だって?
「ハルカ。いつもお味噌汁って持ってきてない?」
「そうなの?そうなんだ。お母さんの味噌汁……飲みたいな。うん……」
「わー!ハルカ!!暗くならないで!!」
カタンと魔法瓶が机の上に立つ音が、彼女の心を余計に暗くする。
リオは彼女の目の前で手を振りながら、味噌汁の湯気でメガネを曇らせて叫んだ。
「ハルカー!返って来いー!ここにおいで!!」

―――「んー?まだ来てないよ?」
「ガビーン!!不肖・浅川っ、張り切りすぎました!」
新作の『じゃがりこ』てりやきチキンを片手に職員室の入り口でサン先生は、大げさに仰け反る浅川を出迎えていた。
ぼりぼりと音を立てて、サン先生はまた一つ『じゃがりこ』を口に運ぶと同時に尻尾を大きく振っていた。
はるばるここにやって来たのに、杉本さんが居ない!浅川がここにやって来た理由が一つ潰えた。
サン先生の前で跪いた浅川は、魂が抜けた人形のように呟いていた。
「先生、杉本さんとデートがしたいです……」
「試合終了だから、あきらめな」
「ザッキー!なんてことを!」
毛を逆立てるサン先生の背後に腕組みして立つ帆崎の言葉は「お菓子をくれないと、イタズラしちゃうぞ」とやって来た子どもたちに、
「やれるもんならイタズラしてみろ。クソガキ」と言うことと同じぐらい、浅川には残酷に聞こえたことだろう。

浅川の口から白い固まりが抜け出していたのをサン先生は目撃したかどうかは分からないが、もはや浅川はどうクリックしても再起不能。
どうしてそんな血も涙も無いことを言ったのか、じゃがりこをかじりながらサン先生は帆崎に問い詰める。
「こうでもしないと、コイツ吹っ切れないだろうしな。昔からコイツはそうだったんだよ」
「ふーん。ザッキーから噂に聞いた通りの人だったね。浅川くんは」

二人の間に軽トラックのエンジン音が割り込む。この学園に似つかわしく無い車の音。
突如、浅川のネコミミが動く。カギ尾が跳ねる。そして、再起動。
「このエンジンの音は……!すぎもとさぁーーーん!」
「こ、こらー!廊下を走るんじゃないっ!浅川!」
こめかみに青筋こしらえた帆崎は、生活指導担当のスイッチをONに切り替えて、廊下一杯に怒声を上げた。

―――とき同じくして、こめかみに青筋こしらえたリオは、風紀委員のスイッチをONに切り替えて、廊下一杯に怒声を上げた。
ランチの時間を終えた学園の昼休み。静かな図書室前の廊下の出来事だった。
「こ、こらー!美弥家さん!廊下で剣を振り回すんじゃないっ!」
「ああ!ぼくの封龍剣が」

キジトラネコの美弥家加奈は、昼休みに一人でモンハンごっこをしている所をリオに見つかり、愛用の装備品を取り上げられてしまった。
美弥家加奈は、とあるゲームに夢中になりすぎたあまり、実際にゲームを体感しようと装備品をこしらえ上げて、
リザードマンの高等部生徒・利里をリオレウスと見誤り追い回してしまった経験がある。
巨大な剣を振り回す、と言うより巨大な剣に振り回される加奈であった。

場所が図書室の前の廊下と言うこともあり、リオは借りたラノベを隠しながら「ジャッジメントですのっ」と大鉈を振る。
真面目のまー子は「風紀以前の問題だ!」と、巨大なスイカバーを加奈からひったくるとその後の所在に少し困ってしまった。
こんな巨大な物どうするんだ。注意した建前「ごめんね。返してあげる」なんて言えるもんか。

「おやおや。因幡さんも美弥家さんも仲良しさんね」
図書室の扉が開くと、ふわりとリボンで結んだ髪を揺らして司書の織田理恵がやって来た。
文学少女をオトナにしたような織田は、人差し指を口元に当てながら長いスカートを揺らす。
二人の話をゆっくり聞くと、隣のお姉さんの顔で「帆崎先生に見つかったら大変ね」と笑って加奈の封龍剣を預かった。
「ご、ごめんなさいにゃ」
「放課後こっそり取りにいらっしゃい」
天使のような織田の慈悲に感謝しながら、加奈とリオは深々と織田にお辞儀する。
やってくるにはまだ早い春風吹かす司書は、本を愛する少女のような笑顔を見せた。

―――その頃、学園の中庭では浅川が、思春期を迎えた少年のようなにやけ顔をしていた。
「杉本さん!」
「おや、いつぞやの写真家さん?」
軽トラックからひょい尻尾を上げて降り立った、白いネコの女性・杉本ミナ。
短い金色の髪は彼女の突き抜けるような明るさにも似ていた。赤いダウンベストが寒空に眩しい。
学園の土はミナのブーツの音を響かせながら、彼女の来校を歓迎していたのだろう。

この街で開業しているバイク屋の娘であるミナは、以前に浅川の愛車であるV-MAXを診ていた。
そして、心奪われた浅川はミナに自分の思いのたけを伝えて見事玉砕していたのだが、ここで朽ち果てるような浅川ではない。
「あの、あの、あの……。杉本さん」
「浅川くんだっけ?相棒は元気かな?」
「そりゃもう!夜を昼にするぐらい駆け回っていますよ」
まるで宮殿に戻るお姫さまを迎えるかのごとく、執事・浅川はミナに片膝を付いていた。
「きょう来たのはね、サンに用事があったんだけど」
「この浅川めが、エスコートしますよ!」
二人が校舎への入り口に向かうと、奥から季節外れな夏の太陽のような声が聞こえてきた。
足音が言葉にしなくても、声の主の気持ちを語っている。

「わーい!学校の中庭だあ。やっほー」
「ハルカってば!」
リオが駆けながら「廊下を走っちゃいけません!」と、ネコの少女の尻尾を追う。
その後ろに続いて、台車のキャスターの音がついて来る。おまけに少年のような声もしているが、よくよく見ると生徒ではない。
「も、もう!サン先生も廊下で台車に乗っちゃいけません!!」
あたふたと下駄箱でローファーに履き替えながら、リオは数学教師を叱責していると、隣のネコの少女が迷っているのを見つけた。
まるで自分の名前を忘れたよう。「何かがおかしい」とリオは、彼女の靴の入っている場所を指差してやる。
「わたし、『ハルカ』っていうんだよね。えっとお……あったあった!」
「????」
「いや、何でもないの。気にしないで……ね。わーい、高校生らしいなっ。この靴」
ポンと土間に二人のローファーを置くと、揃って中庭に駆け出した。

玄関からの大きな音に、二人は振り向く。玄関の段に気付かず、サン先生が台車に乗ったまま突っ込んでコケたのだ。
しりもちをついたサン先生は、照れ笑いをするしかなかった。

中庭では、浅川とミナが立ち話をしていた。リオに気付いた浅川は、いつものように軽く話しかける。
「おや、きみたちは高等部の生徒だよね」
「は、はい。あなたは」
「おお!良くぞ聞いてくれたっ。本と美しき風景の為なら地の果てまで追い駆けて、自然をこよなく愛する
さすらいネコの写真家・浅川・シャルヒャー・トランジット!これからもごひいきにっ」
ミナは浅川のどこで入れ知恵されたのか分からない自己紹介に、あっけに取られるリオを見て笑っていた。
そして、リオは自分の腕に捕まっている同級生が、浅川の目を見つめていることに気付いた。

「ハルカ。知ってる人?」
「……」
甘い女の子の香りがリオの鼻腔に届く。
後からやって来たサン先生が、ミナの顔を見るなり彼女のブーツを軽く蹴ったが、お返しにミナから頭を叩かれた。
「もしかして、サン先生の彼女さん?だったら、だったら……ちょ」
「だったらいいのにね」
ミナは悔しがるサン先生の手を軽くあしらいながら、遠い空を見上げて答えた。

「おや。杉本さんですか?」
サン先生がビクっと固まる。やましいことは何も無い、だけどこの声で背筋が凍るのはパブロフの犬状態だからか。
言うまでも無い。英語教師・英美王女史が校舎の玄関からやって来たのだ。
「お久しぶりですね。英先生」
「きょうは何かご用事ですか?」
微笑みながら英先生は、ミナの来校を歓迎していたが、ここに車を止められると少し困るので、ミナに軽トラを移動するように申し立てた。
軽トラに飛び乗り、エンジンを掛けて排ガスをふかす。少し前に車を走しらせる。

「きゃあああ!!お兄ちゃん!!怖い!!」
「お兄ちゃんって誰?ハルカ?」
ネコの少女は、エンジンの音と軽トラが向かって走ってくるのを見て、悲鳴を上げて膝を付いた。
住処を奪われ、ダンボールの箱の中でうずくまる捨てネコのように彼女は、小さくなっていた。
「ご、ごめんね!!」
「だ、大丈夫です!は、ふぁあ……」
ミナは軽トラから飛び降りて、うずくまる少女を介抱していたが、浅川にはどうしても引っ掛かるところがあった。
確か、自分の目を見ながら「お兄ちゃん!」と叫んでいたこと。試しに指でカメラのフレームを作って覗いてみると、
思惑通り『ハルカ』と呼ばれたネコの少女が、気丈にもスカートを摘んでポーズを取っていた。

「やっぱりお兄ちゃんだ!やっほー!すんごい久しぶりだよね!モモ、お兄ちゃんがこの街に帰ってくるって、
天上界の偉い人から聞いたからやって来たんだよっ。誉めて誉めて!!ね、お兄ちゃん」
「そうか……。モモなのか?」
「そうだよっ」
ハルカなのだかモモなのだか、解いた毛糸のように頭を絡ませていたリオは、足で大きく地面を蹴った。
モモと名乗った『ハルカ』は、浅川の胸に飛び込むとくんくんと匂いをかいでいた。

「うん、間違いない。暗室の匂いがするもん」
「……モモだよな。そのセリフいっつも言っていた」
「きょうは『ハルカちゃん』をお借りして、地上界での遣り残しをしにやって来ました」
浅川と『モモ』と名乗る『ハルカ』のお邪魔をしちゃいけないと、サン先生とミナは仲良くケンカしながら校舎に消えて行った。
リオは『モモ』と言う人物に興味を持った、と言うより持たざるをえなかった。
とにかく『お兄ちゃん』だの『ハルカをお借りしました』だの、リオの理解を超えているのだから無理は無い。

「あの、浅川さん。この子、ハルカって言うんですけど」
「うん」
空の雲が幾つか流れた頃、休み時間終了5分前のチャイムが鳴る。
そろそろ教室に戻りなさいと英先生に促されて、リオと『モモ』と呼ばれたハルカは玄関に向かう。
「お兄ちゃん、また後でね!折角帰って来たんだから、おもてなししなさいよねー」
「ああ……。って、杉本さんがいないっ!」
中庭に残された浅川は、長い足を伸ばしてミナの姿を探していた。

クラスに戻る廊下の途中、リオが余り口にしたことが無い言葉をつらつらとはき出す。
「ハルカが『モモ』だの『天上界』だのって……」
並んで歩くモモは、リオの顔を覗き込むと身の上を話し始めた。
表情は明るいが、けっして明るい話ではないことをモモの胸に抱いきながら。

「実は、小さい頃なんですが、わたしは死んでしまっているんです。生きていれば、ちょうどハルカちゃんぐらいかな。
そう。街で車の事故に遭ってしまってね。だから、車の音を聞いたりすると……。うん。ごめんなさい。
天上界の許しを得て、地上界に戻ろうと思ったら、『同じ種族』で『同じ年頃・性別』の子が必要って神さまから言われてね、
いろいろ調べた結果、白羽の矢が当ったのが、そうなんです。ハルカちゃんだったわけなんです」
「そうなんだ。なんだかアニメみたいなお話だよね」
「そう思うでしょうね。ちゃんとした現実なんですよ?リオちゃん、わかります?神さまって時々おかしなイタズラをするってことを。
でも、わたしもこの佳望学園に通ってみたかったし、この制服も着てみたかったからお誂えですよね?」
今、リオと話している子は、この地上には居ない。なかなか理解できることではないが、リオは理解しているつもりだった。
何故なら、現実に起こっている出来事なのだから。いくら物事が1か0か、白か黒か、あるか無いかで決められていても、
それを上回る答えがこの世に存在すると言うこと。理屈とは、人々が勝手に決めた決まりごとだってことを。モモの瞳が全てを語る。

「遣り残したことをやったらハルカちゃんに返すって、神さまと約束してるから……」
「その遣り残したことって?」
「どうしても読んでみたい本の続きがあるんです」
二人の足音が止まり、静けさが廊下に広がる。
わたしだって、力になることがあれば、なんでもするつもりだよ。リオはぐっと手を握る。

「超ムカつく!タスクの教室に抗議に行ったんだけど、タスクったら逃げやがって!!」
手抜き日の丸弁当の件で収まりの付かないモエが、二人の背中をポンと叩いた。

午後の授業が始まるが、モモから一切の事情を聞いたリオは、心中複雑で授業どころではなかった。
内容が内容だけに、あまりクラスメイトに言い散らすことは、避けておいた方が良いと押し殺すように考えた。
シャープペンシルの芯を長く出しては、戻し、長く出しては、戻しの繰り返し。さて、新記録更新か。
落ち着かない気持ちを察してくれたのか、シャープペンシルの芯は結構頑張って伸びてくれる。
「行列はね……。ほら、こうやって」
丸イスの上にサン先生が乗り、板書をしているのだがどう見ても危なっかしい。こっそりサン先生の後ろに回って、
膝カックンでもしてやろうか。という悪しき考えがリオの頭に浮かんでは消えてゆく。
毛並みをチョークの粉まみれにしながら、サン先生は『行列』を書き続けていた。黒板の音だけが響く。
モモはと言うと、無論授業のことは分かっていないので、目を輝かせながら単にサン先生の仕事っぷりを鑑賞していた。

リオが再びシャープペンシルの芯を伸ばし始めると、目の前でいきなり芯がぽっきりと折れた。
アニメキャラの落書きだらけなノートの上には、小指程度に小さくなったチョークの固まり。
教壇の机にサン先生が仁王立ちして、リオに向かって大きな三角定規でご指名していた。
「じゃあ、この計算式の解を因幡さん、10数える間に答えてもらおうか!」
「え、えっと……すいません。わかりません」
「だろうね!だって、まだ何も出題して無いもん」
クラス中の笑い声がリオに突き刺さり、胸を通り過ぎて行った。メガネの向こう側は、暗い。
悔しくて悔しくて、自分の耳を垂れさせる。頑張っているのに、自分を笑うヤツなんて、みんな……。
唯一の救いは、モモも同じように笑っていたこと。この子だけは、笑っても許してあげるから。

―――放課後。
ざわざわと帰り支度をする者もいれば、うだうだと居残る者もいる。そして、モモは椅子に座ってその光景を楽しんで見ていた。
「わー。これが『高校生』の放課後なんだね!」
モモが目を輝かせていると、現役女子高生のリオはモモの前に現れる。モモのためなら、クラスメイトのためなら、と思ったリオ。
モモの座っている席、つまりハルカの席の前に立ち両手を机に付けて、バンと音を鳴らす。
教科書をトンと揃えながら、カバンにしまっていたモモなのだが、これから遣り残したことをしなければならない。
いつまでもハルカの身体を借りているわけにもいかないからだ。神さまとの約束は絶対。小声でリオはモモに耳打ちする。
「確か、本の続きが読みたいって言ってたよね。ここの図書室だったら、たいていの本はあるはずだよ」
「すごいね。早速行こうよ!リオちゃん」

しかし、リオはこれから風紀委員としての仕事が控えており、モモと一緒に図書館に行くことが出来なかった。
言っておくが、ここの図書室は半端無い。もしものことがあったらと、リオは付き添い役が欲しかったのだ。
その事情を耳にすると、モモはかねてから決めていたように、一人の少年を案内役に選んだ。自然と伸びたモモの指は不思議だった。
「あの子だったらいいと思うんだ」
「あいつ?」
数学の時間に飛んできたチョークの固まりをリオは、モモが選んだ案内人の方へと投げつけた。
机で一人して本を読んでいる白いイヌの少年にぶつかり、少年は振り向く。尻尾の動きが大人しくなる。
彼は本にしおりを挟んで閉じると、何も表情を感じない顔でリオとモモの元へやって来た。

「犬上。頼みがある」
何か言いたげだが、特に口にすることなく黙って頷くだけのイヌの少年に対して堰を切ったかのように、
リオは腕組みしながら情熱にも似た願い事を畳み掛けた。冷たいようでもあり、温もりも感じ取られる。
「ホントはわたしがモ…ハルカと一緒に図書室に行きたいんだけどねっ。探したい本があるんだって!
でも、ほら、わたしって多忙な女でしょ?だから犬上にお願いして……。図書委員より犬上の方がなんだか……ね!
べ、別にわたしは犬上のことをどう思っているとかじゃないんだから!龍ヶ谷に頼もうと思ったんだけど、
アイツ寒いのに屋上で呑気に……おっと。ここからはジャッジメントもジャッジしないのですの!」
「何を言っているのか、さっぱり分からない」
「とにかく、ハルカのお手伝いね!このクラスで本に詳しいのは、あんたぐらいなんだから!いい?」
ハルカといつも一緒にいるリザードマンの龍ヶ谷は、ちょっと強面でちょっと厳つくて、ヒカルとは正反対な男子生徒。
しばしば屋上で先生に見つからないように、こっそりと煙草……、おっと。ここからはジャッジメントもジャッジしないのですの!

図書館までの廊下は、お昼休みより少し寒くなっていた。
モモはヒカルの後に続いて、上履きを鳴らす。ヒカルはどうして自分が『ハルカ』の案内をしているのかが、今は分からなかった。
後ろではなうた交じりの呑気な歌が、ヒカルのイヌミミを振るわせる。

「犬上ヒカルくんだよね?」
「……」
いまさらというような顔をして、ヒカルはモモを図書館へと案内していた。
ヒカルの目にはどう見ても『ハルカ』にしか見えないので、今は『モモ』という子に変わっていることは分からない。
「お兄ちゃんが言ってたんだから、ヒカルくんのことは知ってるよ。お兄ちゃんのお世話になった方の……」
モモはリオに話したことと同じように、身体を『ハルカ』から借りていることをヒカルに打ち明けた。
そして、『お兄ちゃん』という人物がヒカルの父にお世話になっていたと言うこと。その人物に妹がいて小さな頃事故で…。
それを含めて、ヒカルは今までの曇り空が吹き飛んだ気がした。ヒカルの記憶の糸が開放される。
「きみの言っている『お兄ちゃん』って、浅川さんだよね。カギ尾のネコの」
「そのとーり!ぽちぱちぱち!」
女子高生の甘い香りを振りまきながら、ヒカルの肩にモモは寄り添った。

―――職員室では、生活指導の帆崎を始めとした『(仮)放課後遅くまで残っちゃだめよ隊』が結成されていた。
といっても、正規の隊員は風紀委員長のリオだけ。お仕事ですから!と輝かし風紀委員の証である腕章をはめる。
「年末年始は気の緩む頃だから、しっかり生活指導をするように!」
「はっ。因幡リオ、この命に代えてもっ」
「別にそこまでしなくてもいい」
帆崎の号令の元、彼らは校内の巡回を始めた。

もちろん、リオは気が気でないことがある。犬上がきちんとモモを図書室まで案内して、目当ての本を探し出しているかどうかだ。
犬上だったら、口数も少ないし誰かとつるむことは無いから、モモのことを任せることが出来るだろう。
仕事がなければわたしが付いていったのに。いや、わたしが付いていっても犬上は来るんだ。モモからの頼みだから。でも、何だか悔しい。
それに、龍ヶ谷が付いていっても恐らくボディガードにしかなら無いかもしれない。顔面凶器にモモがひっくり返ってしまうかもしれない。
あまりにも考えごとをしていたため、立ち止まって注意をしていた帆崎の背中にリオは、うっかり追突していた。

「あの、先生。わたし屋上の巡回に言ってきます!」
「……おれも行こうか?」
帆崎が来ることを何かを恐れるように拒み、すっ跳ぶようにリオは屋上への階段を駆け上る。
扉を開けると、冷たい空気が流れ込みリオのスカートをふわりといたずらする。ニーソックスだけじゃ、やっぱり寒い。
「うん。いた!やだあ、またやってる」
手持ちの携帯電話を操作すると、屋上でたたずむ巨体を写メで激写する。写り具合を確認して、どこぞかへメールを送信し、
大きな音を立てないように扉を閉めて「異常はありませんでした!」と、何食わぬ顔で帆崎の元に返っていった。

―――ハルカのカバンの携帯電話が震え始める。
「わ!ケータイだ!高校生っぽいなあ。ふんふんふん」
地上の記憶は事故に遭うまでの頃で止まっているモモにとっては、携帯電話でさえ遥か遠くの未来の道具に見える。
取り出したものの、どう扱えばいいのか分からずパカパカと開いたり閉じたりしていると、代わりにヒカルが携帯電話を受け取った。
「メールだよ。因幡からみたい」
「メール?お手紙なの?」
「……電話の。見れば分かるよ」

件名:ただいま校内を巡回中
本文:龍ヶ谷猛は、今屋上でタバ……ゲフンゲフン。ここからはジャッジメントも知らないのですの!
あと、犬上に伝言。変な気起したら龍ヶ谷に言いつけるからな。

「龍ヶ谷って人は、ハルカちゃんの……だよね?どんな人だろう!へへへ」
どうやら龍ヶ谷の写メが添付されているようなのだが、敢えてヒカルはモモに見せることはしなかった。
歩きなれた廊下の風景。そう、二人は図書室前に来ているのだった。
「すごーい!さすが佳望学園ね!!いいなあ、ヒカルくんは毎日こんな図書室に通えるんでしょ?」
大空を泳ぐ鳥のように、モモは両手を広げて暖かい本の園に飛び込んでいった。

扉を開けると広い部屋に蔵書の山、活字をこよなく愛する者にとっては、なんとも幸せに満ちた空間なのだろう。
何日かかったって、何年かかったって、ここにある本全てを読みつくしたい。ここに通う者なら誰しも考えたことであろう野望。
だけど、それはかなわぬはかない夢。はかないから誰しも夢を見る。それを忘れるために本の世界に飛び込む。
知らず知らずのうちに、ヒカルの尻尾はいつも図書室に来たときのように激しく揺れていたのだった。

カウンターでは、中等部女子・ネコの美弥家加奈が図書委員たちに詰め寄っていた。
「あの。今、織田さんは席を外していて……その『しょうりゅうけん』ですか?それがどこにあるのか、わかんないんです」
「封龍剣だにゃ!あれがないと狩りに出れないにゃね?ぼくの大事な封龍剣を返せ!」
「だから…織田さんが」
「このわからず屋(にゃ)さん!」
ヒカルとモモはすったもんだの騒ぎに巻き込まれないように、こっそりと奥の本棚へと入っていった。
本の迷宮は、二人を歓迎してくれるのだろうか。探し物を見つけられないまま涙を飲む者もいるとかいないとか。

「で、なんていう本を探してるの?」
「池上祐一先生の……」

ヒカルはモモの手を引っ張り、見慣れた本棚の隙間を急ぐ。その名前ならいつもの場所だ。
だけど、人気作家だから貸し出し中かもしれない。不安が当らなければいいが、と弱気になる。
池上祐一の著書『片耳ジョン』の名台詞がヒカルのイヌミミに蘇り、そしてひとかけらの勇気となる。
『この世の答えはイエスかノーだけだ。迷ったとき、きみが若ければイエスを選ぶがいい。ノーを選ぶときは人生を知り尽くしたときだ』

目指すは、913番の書籍番号の本。五十音順に並んだ蔵書を一冊一冊確認する。『い』の頭文字の作家は、意外と多かった。
「い、い、五十嵐、池尾……。い、い、い」
「……池上…。あった!あった!すごいよ!わたしがいなくなってからこんなに出てたんだ」
モモが読んでいない本は、運良く貸し出されてはいなかった。街で遭ったあの出来事からはや数年。
池上祐一が書き連ねた言の葉が、地上にいるはずの無い子の手に渡る奇跡。事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだ。

ヒカルはモモが読んでいないという本を脚立に乗って取ってやると、モモは嬉しそうに本を抱きかかえて日のあたる机に向かった。
ここまで目を輝かせて本を抱きしめてくれるなんて、作者が見れば喜んでくれるだろう。
しかし、クールで有名なオオカミ・池上祐一のこと。ヒカルは以前に会った印象からはそのような池上を想像が出来なかった。

「池上先生!また会えたね!大好きだー」
モモの無邪気な歓声がヒカルの耳元に届いたような気がした。
全て読み終わるにはどの位かかるだろうか。そんなことは気にするな、でもハルカの身体はきっちり戻さなければならぬ。
夢中でモモは本を捲っていた。ヒカルは窓から杉本ミナの軽トラが走り去る所を見ていた。

外の光はいつの間にか夕暮れに変わった頃。冬の黄昏どきは、一年を通じて最も美しいという。
だが、モモは夕焼け空よりも本に心奪われ、最後の一冊に読み耽っていた。
カウンターでは、戻ってきた織田に図書委員たちが封龍剣のありかを尋ねていた。

「犬上。無事に役割を果たした?」
『風紀委員』の腕章をはめたリオが、外を眺めているヒカルの尻尾を蹴る。
返事が無いのはいい返事。ヒカルは黙って頷いているだけだった。
「でも、龍ヶ谷が来るんじゃない?モモはまだ読んでる途中だし」
「忘れてた!」
ここで龍ヶ谷がやって来たら話がややこしくなる。

一方、カウンターでは織田が加奈の身の丈ほどある剣を返していた。
「やったあ!ぼくの封龍剣が返ってきたにゃ!」
「そうか!情報によると屋上に一匹の龍がいるらしいぞ。美弥家加奈よ、行かなくていいのか?ハンターの誇りにかけて」
すかさず、リオは加奈のネコミミに耳打ちをする。ゆさぶりは一人のハンターを奮い立たせるには十分過ぎる。
「よっしゃあ!狩りに行って来るにゃあ!」
加奈は大きな剣を携えて、図書室を後にした。しばらくは龍ヶ谷を追い駆けていることであろう。

「あの、因幡さん。もうすぐ閉館の時間なんですけど」
遠慮がちにリオのカーディガンの裾を引っ張るのは、ペンギンの図書委員・比取。
図書室の奥では、モモが本を読んでいる。後もう少しで、池上祐一の本を読みつくすことができるのに。
リオとヒカルは、きょうほど時計の働きを恨むことはなかった。気が付くと、自分たちと図書委員。そして、モモと織田だけ。

「あの、まだ本を読んでいる子がいるから、ちょっと待ってくれない?」
「因幡さん。きっちりしないといけない委員をやってるんでしょ?」
比取の言葉がざっくりとリオの大人しい胸に突き刺さる。図書委員たちは帰宅準備を始めているので、
そろそろおいとましなければならないのは、重々承知のこと。モモが地上にいる間と言うタイムリミットがあるので、
貸し出しをすることは出来ない。その事情が分からない図書委員たちは、リオのカーディガンを引っ張ることしか出来なかった。

このままでは『のびのび』のカーディガンを着た『のびのび風紀委員長』になってしまう。開館時間を『のびのび』にして欲しいが、
カーディガンを『のびのび』にされてしまうのは、いっぱしの女子高生として一生のお願いをしてでも止めて欲しい。
そうしているうちに、とうとう時計は図書室の閉館時間を差してしまったが、逆にリオはぐっと握りこぶしを作る。
「確か、閉館時間は過ぎたんだよね。そうだよね!比取くんよ、答えなさい!」
「は、はい。そうです」
「その言葉が聞きたかった!」
リオは腕を腰に当てて、雁首揃えた図書委員たちに叫ぶ。それはまるで猛々しい勇者の如く。

「みなさん!閉館時間後は、風紀委員がこの図書室の権限を掌握するっ!全責任はわたしが取る!」
「……いいんですか?因幡さん」
「後は知らん!風紀委員の長(おさ)、因幡リオが許すんだからねっ!」
腕章が誇らしく蛍光灯の光に照らされる。織田もにっこりと笑ってリオの考えに同意して、奥の本棚へ消えて行った。
しばらくは、静かに本を楽しむことができるから、ゆっくり心行くまで池上祐一の世界を楽しんでくれ。

「ねえ、犬上。モモは誰の本読んでるの?」
文芸雑誌を捲りながらヒカルは、カウンターに腰掛けているリオのさりげない質問に答えた。
「池上祐一の本」
「へえ!わたしも大好きなんだよっ!『迷探偵マリィ』のシリーズとか何度も読み返しているし!」
「ぼくも、そのシリーズは好きだよ。『片耳ジョン』もだよ」
「わ、わたしだって『片耳ジョン』は大好物だよ!あ、でも……マリィのドジっぷりも、尻尾もふもふしてあげたいくらいいいよね。
凍てつく池に落ちちゃったところは、わたしも暖めてあげたかったのね!でも、それで風邪引いて、風邪薬をメイドから貰ったとき、
『そう言えば、旦那さまは普段漢方薬を使っていたんですよね?漢方って大抵食前に飲むんですけど、
あなたの目撃情報では食後に飲んでいたってなってるんですよ?』の一言で、真犯人のメイドを捕まえちゃったマリィ、ホント求婚しちゃうよ!
マリィは犬上よりわたしの嫁にお誂えなんだからね!ぜったい譲れないんだから!犬上、聞いてる?」
「何を言ってるのか、さっぱりわからない」
口では「わかない」といっているヒカルだが、「因幡は池上祐一のファン」ということだけは何とか理解した。
モモの動向が気になり、ふとヒカルは立ち上がりモモの席に近づいた。リオは、マリィの決めポーズを真似している。

「風紀委員がここを守っている間は、誰にもモモの邪魔をさせない!マリィ!見ててよねっ。わたしの雄姿を」
「おい、因幡。風紀委員長自ら下校時間を過ぎてもだらだら居残りするなんて、一体何を考えているんだ」
帆崎の声が図書室の扉と共にやって来た。リオの帰りが余りにも遅い為、校内中を探していた結果のことだった。
リオは帆崎に襟首を掴まれて引きずられながら、悲鳴にも似た声を上げている。
「あの先生!あの子は、ここの子じゃなくって」
「どう見ても、ウチの制服だろ。ウソつくのもいい加減にしろよ」
「もー!分かってよ!犬上ーっ助けて!ミスはなかったはずだっ!わたしの判断は正しかったはずだぞ!」
「風紀委員長は神じゃないぞ。図書室の権限を自由にしようなんて、おこがましいと思わないかね」
帆崎の言葉が外科手術のメスのようにリオに突き刺さる。この患者は手遅れかもしれない。

「面白かったあ!この子の命が助かって良かったぁ!!」
一冊の本を読み終えた炭酸水を飲んだ後のような爽快感。本を愛する者ならば、誰もが体験したことであろう。
最後の一冊を閉じ、目を閉じて余韻を楽しむモモは伸びをしていた。外はもはや木の影さえ見えないほど暗く沈んでいる。
図書委員もとっくに帰宅してしまい、残るはヒカルにモモに、そして織田だけだった。
遣り残したことは終わりました。そして最後に残ったのは、無言でやって来るさよならだけ。
お忘れ物はございませんか、今一度お確かめください。もしかして、二度と来ることの無い列車かもしれません。

「ヒカルくん。わたしね……」
「……」
「お兄ちゃん、どこ行ったんだろうね」
いつかは読破したかった本。その本の残りページが少なくなると、必ずやって来る登場人物との別れ。
次に会うのはいつだろう。二度と会わないかもしれない。読み尽くすことが出来る喜びと、読み終えてしまう寂しさ。
本を愛する者ならば、誰もが体験したことであろう。

遅い時間まで図書室を開けてくれた織田に感謝すると、ヒカルとモモは自分の教室に戻って行った。
「わたしね。大きくなる前に死んじゃったから、こういう……何だろう。男の子と一緒に歩いたことが無いんだ」
「……」
「だから、ねえ。わたしのことをぎゅって」

頬を赤らめたヒカル。モモの腕がヒカルの腕に絡みつく。髪の毛からは女の子の甘い香り。
廊下は誰もいやしない。遥か長く物音さえ許さない、たった二人だけの校舎。ヒカルはそっと顔をそらした。
「こ、こらああ!!不純な男女交際はよくないと思います!」
嫉妬にも似た金切り声で、風紀委員長・リオの声が下校時間を過ぎた廊下を響かせる。
モモが心行くまで本を楽しんだことをリオは知ると、寂しさにも似た感情がふつふつと浮かんできた。
「犬上じゃなかったら、龍ヶ谷に言いつけるところだったからね!」
「それに下校時間過ぎてるんだから、お前らとっとと帰れよ」
生活指導の帆崎の疲れた声が、リオに続いて響いていた。

ヒカルたちの教室まで帆崎が付いてくると、一日を50時間で過ごしたような顔をして、彼らに愚痴にも似た言葉をこぼした。
「さて、ここにも下校時間を守れないヤツがいてな。因幡、注意してやれよ」
教室の扉を開くと、一人のネコの男性が机に腰掛けて本を読んでいた。彼の尻尾はカギ尾だった。

「お兄ちゃん?」
「事情はコイツから聞いた。因幡の言っていた意味が何となく分かった。すまん。あれだろ、お前さんもそろそろ帰るんだろ?」
モモはそろそろ地上界から、さよならしなければならない。そういう約束でここにきているのだから。
神さまとの約束は、絶対にして尊大。モモは浅川の胸に軽く頭をぶつけながら、尻尾を立てる。
「お兄ちゃん、帰る前に言いたいことがあるんだ。あの、杉本さんって人。お兄ちゃんさ……」
「すぎもとさん?」
「『この世の答えはイエスかノーだけだ。迷ったとき、きみが若ければイエスを選ぶがいい。ノーを選ぶときは人生を知り尽くしたときだ』だよ」
「ナマ言うなよ。大人をからかうんじゃない」
浅川からのどを擦られているモモを見ながら、ヒカルとリオは、少し笑っていた。

「ぶーぶーぶー!!ひゃっほー!」
廊下から甲高い声が、台車の車輪がきしむ音と混じって響く。
台車の上には、ご存知サン先生。
風紀委員を覚醒させたリオは、ちょっと昔のドラマのワンシーンのように台車の前に立ちはだかかる。
「ちょ、ちょっと!サン先生!!廊下を走っちゃいけないって!!」
「走ってるのは、ぼくじゃないよ!台車が走ってるんだ!」
インチキな屁理屈で返すサン先生と、リオとの距離は徐々に縮まる。
3メートル前、リオの耳が回る。
2メートル前、サン先生のメガネが光る。
1メートル前、モモが廊下に飛び出す。

「リオちゃん!危ない!!」
「……!?」
廊下が軋む音。駆けつけるヒカル。何が起こっているのか分からないリオ。
そして、リオに近づく一人のネコの少女。その名はモモ。

リボンを揺らしてヒカルを抜いて、リオの方へと駆けつけた。短距離走はお手の物。脚で廊下を蹴り台車と短期決戦を挑む。
「リオちゃん!!わたしに捕まって!」
「モモ?」
リオの両脇を抱え上げ、今まで感じたことの無い恐怖と背中合わせになりながら、両脚で天井に向かって飛び上がる。
夕暮れの空気はモモとリオの味方をしてくれるだろうか。ひんやりと背中が心なしか薄ら寒い。
弾みで片方の上靴が空を舞う。スカートがはためく。髪からは女子高生らしい甘い香り。

そうだ。朝起きた出来事が、再びここにやって来た。
「モモーーーーーーーっ」
ネコの少女の名前がリオに届いていたときには、彼女はしりもちを付いて廊下に横たわっていた。
「あれ?コレッタ……。コレッタは?帆崎先生!風邪には、大根のハチミツ……」
記憶が途切れ、再び記憶が戻ると無意識的に記憶が途切れた瞬間の行動を取ることがあるらしい。
ハルカはここにありもしない自分のローファーを探していた。

―――その晩、浅川は帆崎と共に学園の校門前にいた。
「シャルヒャー、まだ一人身なんだろ。そろそろ落ち着けよな。お袋さんも……」
「おれの相棒は、コイツだけだ!それに、モモもいるからな!」
自慢の重量級のバイクに跨ると、学園では浮いた存在の爆音を上げた。スロットルを回す手が心地よい。
夜風に背中を丸めた帆崎は、一刻も早く自宅に戻りたかった。そんな帆崎の思いとは裏腹に、浅川は遠い目でこぼす。

「でもさ、家庭の味って……いいよな?」
「お前、ウチに来る気?」
青ざめた帆崎は浅川が自宅に来ることを拒んだ。もちろん、相方のルルが風邪をひいているからだ。
しかし、そんな事情を知らない浅川は、呑気に笑いながらヘルメットを被る。
「ははは。お熱いこった。おれは街を撮影しに行くから達者で。また来年でも会おうな、素晴らしき友よ」
「二度と来んな」
誤解されたまま帆崎を置いて、浅川は夜の騎士へと戻っていった。

―――その晩、サン先生はリオとハルカとヒカルと共に学園からの坂を下っていた。
愛車・ラビットを押しながらサン先生は、廊下での出来事のことを話している。
「帆崎先生から頼まれたときは、ちょっと驚いたよ。でも、事情を聞いたらさあ、ぼくも一肌脱ぎたくなってね」
「せ、先生!だからと言って危ないから廊下で暴走しないで下さいね!」
リオは子どものような数学教師を注意すると、大人のように髪を掻き揚げていた。
坂の下のコンビニでトラまんを奢ってあげるからと、サン先生はリオをなだめる。

彼らの後ろからエンジンの音が聞こえてくる。ライトの光が背後から照らされる。鋼鉄の黒馬に跨り、通り過ぎるのは他でもない浅川だった。
浅川は何も言わずに背中で「また来ちゃうからねー」と軽い口調で再会を誓っているのが分かった。
押していた自転車を止めてヒカルは呟く。
「また来るかな……」
「来るよ、多分」
尻尾を振ってサン先生は、池上祐一の新刊情報をプリントアウトした紙を眺めながら答えた。

妹の街は、嫌に物覚えが良い。


おしまい。