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きつねちゃんには騙されない!


あるはずのない焼き芋を白い毛並みのイヌの少年は、焼けた落ち葉の丘の中を枝で掻き分けながら必死に探していた。
無心に探し続ける彼の大きな尻尾にはらりと落ち葉が舞い落ちるが、気にせずに泊瀬谷のためにウソの焼き芋をさぐり続ける。
しゃがみこむ少年の側で泊瀬谷が片手をぎゅっと握って立っていたのは、滲み出す罪悪感からなのだろうか。

(ごめんなさい。わたくし泊瀬谷スズナは、ウソをつく子になってしまいました)
まさか、聖なる境内の中でウソをつくとは思っていなかった。後悔しても誰も助けてくれやしない。
神さまの元でウソをつくという背徳感が、一層強く泊瀬谷を責め立てる。ウソをつくのはいけません。
そんなことは子どもでも知っている。大人だったら尚更だ。それでもウソをついてしまったことは、どう説明しようか。
そんな理屈を考えるより、ついてしまったウソを引っ込めることを考えろ。しかし、ウソをつき慣れない泊瀬谷には無理なこと。
ウソを塗りつぶすたびにウソをつく。そしてそのウソを塗りつぶす為に更にウソをつく。
終わることの無いウソの塗りつぶしあいを泊瀬谷には、無論耐えることなんか出来ない。

(ごめんね。ヒカルくん……)
忠実なイヌの少年は終わることない探し物をしていると、燃えかすが彼の白い毛並みに引っ付いた。
許していただけるのなら、許してください。小さな神社の神さまは、一人ぼっちのネコの願いを聞いて下さるのだろうか。
イヌの性なのかそれでも彼は、あるはずのない焼き芋を探し続けていた。

―――土曜日の午後、用事で登校していた泊瀬谷は、テキパキといつも以上のスピードで仕事を片付けていた。
その甲斐あって、予定していた時間より随分と早く用事を済ませることが出来た泊瀬谷は、小さく自分に向かって拍手する。

秋の空が心地よい。すぐに帰るのはもったいない。泊瀬谷は、職員室隅に置かれたダンボール箱を開ける。
その中には、紅葉と見紛うほど紅いサツマイモがぎっしりと。秋の香りがふんわりと泊瀬谷の鼻腔に届く。
「英先生、いただきまーす」
実家からたくさん届いたと、英先生が学校に持ってきた秋の味覚の代表・サツマイモ。
自分だけでは食べきれないから、ご自由に……と、置いてあったものである。大地の恵みと英先生に感謝しながら、
泊瀬谷はサツマイモを適当に見繕い、手持ちの新聞紙に包んで紙袋に詰め込んだ。
「これが楽しみできょうは来たんだよね」
ぼそりと誰にも聞こえぬように呟くと、そそくさと荷物を持って仕事場から帰る準備を始める。
そう、泊瀬谷はこの日、とっとと用事を素早く済ませることができた原動力は『このあとのお楽しみ』をひとり企んでいたからだ。
紙袋の中のサツマイモが幾ら重くても、足取りはいつもの帰り道よりも軽い。

「それでは、獅子宮先生、そら先生、お先に失礼しまーす」
職員室に残った教師たちに深々と泊瀬谷はあいさつをすると、ライオンの獅子宮怜子は「おう」とPCに向かったまま返答し、
タヌキの百武そらは、椅子に座ったままデスクの上にお気に入りである籐の枕を頭に、諸手を突っ伏したまま手を振った。
そら先生曰く、「この時間がいちばん眠い」とのこと。正直者の時計が指す時刻は、午後の4時過ぎ。
外では、泊瀬谷と同じく用があって登校してきた生徒の声がちらほらと聞こえてくる。
購買部の側を通ると、ウサギの因幡リオがじっとガラスケースを睨んでいた。


グラウンドから大空部の部員がウォームアップする掛け声が聞こえてきた。
いつもと違う土曜日の学校にいると、校舎も校庭も何もかも独り占めできる気がしてくるのは何故か。
浮かれ気分の泊瀬谷は、足元をしっかりと踏みしめて廊下を歩く。靴に履き替えて、入り口の扉を開ける。
秋の風はきょうだけはお休みの模様。まあまあ、きょう位はゆっくりしていていいんですよ。
風に語りかけた泊瀬谷は、ふと何かを急に思い出したのか、静かに足取りが止まる。
「そういえば……。ヒカルくん、どうしているのかな」
つい、職場にいることを忘れて一人ごと。ヒカルはただの生徒にすぎない。なのに、どうして今思い出してしまったのか。
ぶんぶんと首を振って再び歩き出した泊瀬谷は、グランドの側を通り過ぎる。何故か、心臓の鼓動が身体の奥から鼓膜を刺激する。
無い物ねだりをする歳ではないではないか。そう言えば、イヌが天に瞬く星を手にすることを望んで、空をじっと見つめることがあるらしい。
ヒカルの気持ちは分からないけど、イヌの気持ちは少しずつ分かってくるような気が泊瀬谷はした。

「おや、泊瀬谷のお嬢ちゃん。何の御用事かな?」
「あ!す、すいません。真田さん!!えっと、あの……焼き芋!!」
考え事をしながら歩いていたせいか泊瀬谷は、用務員室の前まで無意識にたどり着いていた。
目の前に笑いながら腕を組んでいるのは用務員の老犬・真田勉、人呼んで『ベンじい』。
無論、真田に用事があってここまで来たのだが、まさか真田の方から話しかけられるとは思っていなかった泊瀬谷。
手短に今回の用件を話すと、「こんなこともあろうと思ってな」と、言い慣れた口調で呟き竹箒とポリバケツを泊瀬谷に渡した。
「ありがとうございます!でも、『お嬢ちゃん』はないですよお」
泊瀬谷が恥ずかしげにお辞儀をすると、孫が玩具で戯れるのを見るように、ベンじいは笑っていた。

竹箒とポリバケツ、そして幾らかのサツマイモとアルミホイルが入った紙袋を持った泊瀬谷は、校舎から離れた林に囲まれた石畳を歩く。
それでもここは学園の敷地内。小高い丘に広がる佳望学園は、林に守られて月日を刻んでいったのだ。
どこぞかへと続く石畳だけが、泊瀬谷の行く手を導いている。コツコツと新しく買ったショートブーツが響く。
ここまで来るともはや学園の音は聞こえない。学園内にいることを忘れるぐらいの静けさだけが、この空間にたたずむことを許される。

「着いたぞお!」
囲んでいた林が急に開ける。広い空き地が足元に広がる。その先に街が模型のように立ち並ぶ。
ここに着くと、泊瀬谷はなんだか子どもに戻った気になるのだが、気のせいだろうか。

右手には丘を降りる石段が目に入る。左手には石段から続いて並ぶ幾つかの鳥居。そして鳥居の右にはキツネ、左にタヌキの石の像。
目の前の丸く広い空き地は、子どもたちがながなわをするには十分な広さで、林との反対側は、学園の裏の街並みを一望できる高台だ。
丘の淵の手すりが錆付いていることから、殆ど人の手に触れていないことが分かる。
街並みを見守るように鎮座する建物は、古いようで意外というのはおかしいがしっかりと自分の居場所を守っていた。
街並みに飽きて振り返ると木々に囲まれて、まるで映画のパートカラーを見るように朱色の鳥居の群れぽつんと浮かび上がる。
そして建物に掲げられた額に書かれた文字は『佳望神社』。これでも、学園の敷地内なのだ。


学園に通うものでも知る人も殆どいない小さな神社。こっそり一人で焼き芋を食べるならここなら、と
はなうた交じりで泊瀬谷は焼き芋をする準備を始めた。ざっざと土を掃く音が静寂を掻き消す。
しばらくすると、境内に落ち葉の丘が出来上がった。泊瀬谷はアルミホイルに焼き芋を包み、落ち葉の丘に潜り込ませる。
余り乾燥しすぎた葉っぱでは煙いので、あらかじめ汲んでいた水を軽く振り掛ける。
新聞紙を火種にするためマッチを擦ると、焦げた匂いが鼻にツンときて、思わずマッチから顔を遠ざける。
周りには、燃え移りそうなものは無し。消火の水も準備万全。役者は揃った、あとは開幕を待つのみ。
燃え上がる新聞紙を落ち葉の丘に投げ入れると、じわじわと赤い炎が見え隠れし始めていた。

「ふふふ。楽しみだなあ」
消火用のポリバケツの水面に、はらりと落ち葉が落ちた。やがて焚き火は灰色に塗りつぶされ始める。
揺れる炎を見つめているうちに、何だか自分自身がタヌキかキツネに化されてしまうんではないか、と錯覚する。
染みる煙に耐えかねて、泊瀬谷の瞬きの数が自ずと増え出していた。焼き芋はまだまだ遠い。
ところが誰もいないはずの祠の脇で、一人腰掛けるイヌの少年がいることに泊瀬谷は気付いた。
鳥居を囲んで泊瀬谷から見える少年は、毛並みが白いので嫌でも目に付く。薄暗い中少年が浮かび上がる。
彼は、尻尾を揺らしながら一人、本の世界に耽っている所である。その姿を見て、思わず声を上げてしまった泊瀬谷。
「ヒカルくん?ヒカルくんだよね?」
佳望学園の制服を着ているし、どう見てもヒカルなのだが泊瀬谷は少しこのことを受け入れることに時間を要した。
殆ど知られていないはずなのに、いや……ヒカルのことだとすれば、知っていてもおかしくはない。
パチパチと炎に身を焦がす落ち葉を気にしながら、泊瀬谷はイヌの少年に言葉を投げかける。

「ヒカルくんも学校に来てたの?」
彼は言葉を使うことではなく、首を縦に振ることで言葉を返した。
手にしていた文庫本を賽銭箱の上に置いた彼は、泊瀬谷に尻尾を揺らしながら近づく。
「先生」
たった、一言。そのたった一言聞いただけなのに、泊瀬谷の耳には心臓の鼓動が体の中から聞こえてくる。
焚き火のせいではないけれど、身体が少し温まる。あと、もうちょっとで冬だというのに、季節外れの火照りを許して欲しい。
「焼き芋、ですね」
「う、うん。こういう焼き芋も風情があっていいよね」
暖かい焼き芋が出来上がるというのに、それを置いてきぼりにするなんて、なんてひどい女だと思わないか。
泊瀬谷の自問自答が続くのを知ってか知らずか、彼はしゃがみこみ小枝を拾って、火の弱まってきた落ち葉の丘を突付き始めた。
落ち葉の山は、燃え尽くして頂が落ち窪んでいた。落ち葉が言うには、焼き芋が食べごろか。


「そろそろ、焼けるんじゃないんですか?」
「そうね。それじゃ、ヒカルくん。お芋を拾いなさい……なーんてね」
泊瀬谷は照れ笑いをしながら、少年の働きを見守る。
秋の色から、無機質な灰色に変わった落ち葉から煤だらけのアルミホイルの固まりが、小枝に促されて手元に帰ってきた。
カーディガンの袖を伸ばして、熱くないように焼けたアルミホイルに包まれた芋を取り上げた少年は、ちょっと驚いた顔をする。
「大丈夫!?」
泊瀬谷が駆け寄ると、煤が舞い上がり少年の白い毛並みを汚す。
カーディガン越しだが、いつの間にか泊瀬谷は少年の手をそっと掴んでいた。

「ヒカルくんも食べる?」
「いいんですか」
「いいよ」
わずかなのだが、言葉を返すのがやっとの泊瀬谷は、もう少し言葉が出なかったのかと悔やんだ。
アルミホイルから顔を出した焼き芋は、泊瀬谷と同じく紅い顔をしていた。
ふたつに割られた焼き芋からは、泊瀬谷と同じく湯気を立てていた。薄い皮を剥くと一層白い湯気が舞い上がる。
青空は、ダンボールの中のサツマイモと同じく紅く染まり始めた土曜日の黄昏どき。
肌寒い秋の空気の中、ふたりの肉球は、ほかほかの焼き芋で温まっていた。

「いただきます」
「いただきます」
二人一緒にかじったそれぞれの焼き芋が、ふたり一緒にそれぞれの口の中に広がる。焼き芋が甘い。
当たり前のことだが、当たり前のことを誰かに話さずにいられなかった泊瀬谷は、ついこのことを漏らす。
少年もそのことを否定することなく受け入れる。少年は、泊瀬谷に話しかけられるたびに、頬を赤らめる。
それに気付かない泊瀬谷は、ちょっと間を空けてショートブーツのつま先で地面を蹴っていた。

ふうふうと、熱い焼き芋を冷ましながら口を尖らせる少年を見ながら、二人で影を伸ばしてゆくが、
その影もふたりに呆れたのかどこかへと消えてしまった。街並みの灯が少しずつ灯るのが目に見える。
さっきまで近寄りがたかった落ち葉の丘も、赤い火の力を弱め始めて、自分の居場所を闇に譲る。
誰もが安らぎを求める、秋の夕暮れ。泊瀬谷は、思わずのどを鳴らして、二つ目の焼き芋を口にした。

落ち葉の丘の火が消え隠れし始めて、おなかもいっぱいになって焚き火を消そうとしたときのこと。
バケツを抱えた少年の肩を叩いて耳を回しながら泊瀬谷は、遠慮がちに問いかけた。
「えっと……。まだ一つあるみたいなんだけど。お芋がね……見つけてくれる?」
ウソだ。サツマイモは一つ残さず焼き芋にして食べてしまった。
なのに、あと一つあるってウソをついてしまったのは、泊瀬谷の純粋で不純な気持ちからだ。
真っ白な毛並みゆえに、それを真っ黒に塗りつぶすことが出来ること。少年は小枝を再び手にしてしゃがみこむ。


こうすれば、一秒でも長く白い毛並みを持った少年と時間を共有することが出来る。
こうすれば、一分でも長く白い毛並みを持った少年とくだらない話をすることが出来る。
こうすれば、一時間でも長く白い毛並みを持った少年のことを思い出に閉じ込めることが出来る。
燃えたうず高い丘をせっせとほじくる少年を泊瀬谷は黙って見つめていた。
(ごめんなさい。わたくし泊瀬谷スズナは、ウソをつく子になってしまいました)
あるはずの無い焼き芋は無論見つかることなく、泊瀬谷は再び少年の肩を叩いて探すことをやめさせた。

「ごめんね。無かったみたいだね」
「うん。ごめんなさい」
咎を受けることの無い少年をどうやって慰めればいいのか、泊瀬谷は悩みに悩んだあげく、結局何もいえなかった。
後悔するぐらいなら、始めから言わなければいいのにと責める泊瀬谷は、鼻の奥が詰まる気がした。
悔し涙も出ない泊瀬谷が出来ることといえば、足元の小石をポンと蹴り上げることぐらい。
少年は水で満たされたパリバケツで灰の丘の火の粉を沈めた。いつの間にか空が暗い。白い雲の変わりに星が瞬く。
先ほどまで主役を張っていた落ち葉の山はあっという間に崩されて、彼らはここを立ち去る後方付けを始める。
そして、跡形も無く元に戻った境内を二人して寂しそうに見つめるのであった。

「あ!」
「何?どうしたの?ヒカルくん!!」
いきなりの少年の声に一瞬、焼き芋の暖かい空気が逃げ去った。
共に耳を立てて、あたりに止まりかけた時間が急に早く回りだす気がする。
「ぼく、帰らなきゃ……。ごめんなさい!」
立った耳で気配を感じた白い若きケモノは、挨拶そこそこに泊瀬谷の側から消えて行った。
取り残された泊瀬谷は、何も言葉をかけられなかったことをひどく悔やむ。
秋の空は空気を読むことが苦手なのか、それともお誂えの演出をしたつもりなのか、いつの間にか黒く塗りつぶしていた。

闇に浮かんだ林を潜ってくるものがいる。その姿は、結構小さい。
「今年も会えたね、オリオン座流星群ーの星たちよー」
少しごろの悪い一人ごとのような歌が境内に響くのを泊瀬谷は耳にした。
イヌの少年と入れ替わりに境内に入ってきたのは、泊瀬谷と同い年の地学教師・百武そらであった。
小さな身体に大きな望遠鏡を担いで、パタパタと使い慣れた靴を鳴らしてやってきたのだ。
「あれー、はせやんだ!何してんの?ってか、この神社のこと、知ってたんだ」
昼間が過ぎて夜が近づくと元気いっぱいになるそら先生。泊瀬谷が職員室を出るときにはタヌキ寝入りをしていたというのに、
泊瀬谷は、まさかタヌキに化されたのではないとか、とそら先生にこの愚問をぶつけてみた。
曇り顔の泊瀬谷を吹き飛ばすように、そら先生の顔は、雲ひとつ無い夜空のように明るかった。
「はせやん、なかなか面白いこと言うね。でも、ここの神社はキツネとタヌキの化かし合いの言い伝えがあるって言うからね」
「何、それ?そらちゃん…教えて!」


せっせと望遠鏡をスタンバイさせながら、そら先生はいきいきと語り始める。泊瀬谷は望遠鏡の匂いをくんくんと嗅ぐ。
「えっとね、もともとここはお稲荷さまでね、キツネの使いが住み着いていたのね。だけど、もともと小ずるいキツネは、
神さまの側にいることをいいことにワガママを始めちゃったわけ。街に降りて町人に化けて、油揚げを盗んできたり、
それはもうやりたい放題。トラの威を借るキツネってところかな、トラじゃなくて神さまだけど」
泊瀬谷は望遠鏡の匂いを嗅ぐのを一旦やめて、耳をそら先生の方へと傾ける。

「ところが、天網恢恢疎にして漏らさず。キツネの悪行が神さまにばれちゃったの。もちろん神さまは怒髪天を突いて、
キツネをここから追い出そうとしたんだよね。しかし、それを何とか止めてもらおうとしたのが…」
「したのが?」
「そうです!タヌキなのよ。でも、タヌキはある提案を神さまにしたのさ、等価交換の原則ってヤツかな。
『お願いがあります。我々タヌキもこの神社で神さまのお使いとして働かせていただけないでしょうか?
その代わり、タヌキの一族がキツネを見張っているから、ここから彼らを追い出さないで下さい』ってね。
それで、ここにはキツネとタヌキが同居するようになって、『稲荷』の名前も取れたってわけ。
お陰でキツネはタヌキの温情で居残れたから、ここのキツネはタヌキに頭が上がらないんだよ。
ま、たまにタヌキの目を盗んで参拝客を騙くらかすこともあるってお話も聞くこともあるけどね」
そら先生は、自慢の望遠鏡を泊瀬谷にひとしきり見せびらかすと、手持ちの魔法瓶からココアを注いで口にした。
泊瀬谷にも勧めると泊瀬谷は、内心「甘いもので口がいっぱいだ」と思いながらも、そら先生のココアを味わっていたのだった。

「そう言えば、はせやんのクラスの子かな。白いイヌの男子ね、犬上くんだって?風紀委員長に連れられて働かされていたよ。
犬上くん、正直者だからねえ……。とっとと逃げればいいのに。でも、そんなところよろしゅうございませんか?ね、泊瀬谷せんせ」
泊瀬谷の尻尾が膨らんだ。もしかして、さっきまでいた少年はヒカルではないのではなかろうか。
しかし、それを確かめるすべはもはやない。

「……」
「はせやん!見て見て!!スピカがきれいだよ!」
望遠鏡を覗き込むそら先生は、子どものように声を上げていた。
今夜はきっと夜空が美しいだろう。曇りの無い空の星たちよ、地上のケモノの心を奪おうと瞬き始めるがよい。
青い星から遥かなる天体たちの自由な時間は、これからなのだから、そっと見守らせていただきますよ。と、そら先生。
「いけない!ハルキからの荷物が届くんだった!わたし、帰りますね」
泊瀬谷はそら先生にさよならの挨拶をしたあと、ヒカルのことを思い浮かべながら林を潜りながら学園校舎に戻っていった。
背後からそら先生の歓声が聞こえてくる。


箒とポリバケツをベンじいに返して、学園から自宅に帰ろうと、自転車置き場に向かうと白い毛並みのイヌの少年がいた。
ヒカルだ。彼もまた同じく家に帰ろうと自転車に跨っている所であった。
家でぐだぐだするのもなんだから、図書館で本を読もうと思って登校したものの、運が悪く風紀委員長のリオに捕まった。
「頑張れ!男の子!」と、リオに連れられて、学校の為、リオの為に働いていたので帰りが遅くなってしまった、と彼は言う。
彼も同じく、自転車に乗って自宅に帰るところらしい。泊瀬谷は我を忘れて白いイヌの少年の元へ駆け寄る。
「ヒカルくん!いっしょに帰ろ」
「……」
言葉は出さずとも、ヒカルの心を泊瀬谷は分かっていた。
ぐっとペダルを漕ぐ足は、いつもよりかは力が入る。話したいことなんか幾らでもある。
しかし、泊瀬谷の口から出たのはこの言葉。ヒカルについてのことを話しかける勇気が出なかった。
「い、因幡さん。は?」
「委員長なら、購買のおばちゃんと帰ってた」
学園をあとにしながら、二人一緒に自転車を進める。

ヒカルは半日中リオに引っ張りまわされたのに疲れたのか、ついついこんな一言をこぼす。
「きょうは……なんだか、先生といるとほっとする」
気の弱い泊瀬谷は、誰かと一緒にいることで安心していた。例え、相手が生徒であっても自分を受け入れてくれる者に心許す。
手を繋ぎたい。手を触れたい。できることなら……。しかし、自転車に乗っている限りそんなことは夢の話。
今度はきっと、今度はきっとと、心のうちで繰り返しながら、学園からの坂道の途中、泊瀬谷は自転車を止める。
あとから気付いたヒカルは泊瀬谷の先で自転車を止めた。心配させてしまったのかと感じた泊瀬谷は、俯き加減で言葉を吐き出す。
「なんでもないの。行こっ!ヒカルくんを追い抜いてやるぞお!」
ブレーキを緩めて、ヒカルに追いつこうと泊瀬谷は自転車を進めた。

その頃、因幡リオは購買部を守るタヌキの女主人が運転する車に同乗しながら、かきたくもない冷や汗をかいていた。
タヌキの女主人は、21世紀だというのに時代に取り残されたかのような軽自動車を操りながら、市電と競争していたのだ。
「生意気な電車だね。子どもの頃から乗ってるけど、ちっとも変わりゃしない」
「あの、おばちゃん。車のエンジン……大丈夫ですか?素人目に見ても」
「何だって?あたしのスバル360はあたしの青春時代を共にした相棒だよ。お前さんみたいな若造に同情されてたまるかい」
リオは学生カバンをぎゅっと握り締めながら、ハンドルを持つタヌキのおばちゃんを心配した。
家路を急ぐ人々で溢れた市電が、二人を乗せた軽自動車の側を追い抜いていった。

―――祠の形が闇夜に浮かぶ。そら先生も夜空に囲まれてご満悦のまま自宅に帰って行った。
誰もいなくなった佳望神社。音の無いことがしんと耳に突く。
そこでは一人のキツネが夜遅く、境内で何処かでくすねてきたサツマイモで、焚き火で焼き芋をしている姿があった。
「おタヌキさまのいぬ間に、焼き芋作っちゃお」
佳望神社のキツネは、賽銭箱の上に置いていった本の続きを読みながら、誰からもじゃまされない夜を一人で楽しんでいた。


おしまい