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体育、いやニャ


「体育、いやニャ…」
ランドセルを背負ったコレッタは、呟きながら朝の学園の廊下を歩いていた。
少し毛並みを膨らませなければ、夏服はちょっとつらくなる秋の日。
廊下を吹きぬける風は、コレッタの髪とスカートを揺らす。

コレッタは体育が苦手。白い毛並みが汚れるというのも一つの理由、そして。
「また、クロやミケにからかわれるニャね」
揺れる尻尾の真上には、ボールを取り損ねたコレッタが幼馴染みのクロ、ミケから絶賛の拍手を受けるシーンが浮かんでいた。
この間はかけっこでビリになるし、逆上がりも苦手。コレッタは体育の時間は昼寝でもしたいな、と考えていた。
教室からは「おはよう」の声が飛び交い、鳥類のケモノたちが羽ばたく音さえ聞こえてくる。
だが、コレッタはそんな声を聞いても、ゆううつな心持ちを晴らすことは出来ない。
ぎゅっと両手で担いだランドセルの肩紐を握り締めても、何も変わらなかった。
「1時間目からいきなりなのは、いやだニャ」
外には爽やかな空、校庭には風薫る木々、教室前にはポツンとコレッタ。
コレッタがガラリと教室の扉を開けると、いきなり彼女の頭上に重みを感じた。
黄金色の髪の毛がばさりと視界を塞ぐと同時に、教室から他の教室からとは違う笑い声が聞こえた。
目の前に、ころんとコットンの手提げバッグが転がる。

「あははは!こんなに簡単に引っ掛かるとは思わなかったニャ!!」
「だ、だれニャ!こんないたずら仕掛けたのは!」
扉に手提げバッグをはさんであって、開ければコレッタの真上にストン。そんな昭和のトラップにまんまとコレッタは引っ掛かる。
目の前の手提げバッグを拾い上げながら、コレッタはクラスメイトの笑い声が上がる教室を見渡した。
よくよく見ると、拾い上げたカバンから飛び出した体操服とブルマに犯人の名前が書かれているではないか。

『1組・佐村井』
「やっぱり、クロの仕業ニャね」
クロと呼ばれた黒い子ネコは、背中を向けて椅子に座ったまま肩を揺らしていた。
彼女の対面に立つのは同じくクラスメイトのミケこと三斑恵。ミケはコレッタを指差しながら笑いを抑えるのが必死である。
「だって、こんなに使い古されたいたずらに引っ掛かるなんて、コレッタも相当の注意不足だニャ」
「ちょっと、考えごとをしてたからニャよ」
いたずらの小道具をミケに投げつけ、コレッタはぷいとすねてみた。
手提げバッグはミケの反射的なネコパンチであえなくかわされる。
「ミケ!甘ーいいちごの香りがするわたしの体操服を粗末に扱うんじゃないニャ!」
ごめんなちゃいと転がる手提げバッグをミケは追い駆ける。
ランドセルを自分の机の上に置いたコレッタは、ゆらゆらと尻尾を相変わらず揺らしていた。

ゆーら、ゆーら…カチカチ、カチカチ。

吹奏楽部の朝練のため、学園内の渡り廊下でヨハンの指導の下、ウサギの星野りんごは打楽器に向かってスティックを振り続けていた。
自慢したいのか、ヨハンは己の髪をといている。足元の動きは、りんごの手の動きと同じリズム。
真面目にゆらゆらと揺れるメトロノーム。その音にあわせて、パーカッションの練習を続ける。
「素敵だね、きみのスティック捌きは。そうそう、打楽器はリズムが大切なんだ。
早すぎても遅すぎてもいけない。まるで、きみらの恋のようにね。大切なことだよ!」
「は、はい」
「星野くんのような子が教え子で、ぼくもしあわせ者だなあ。それにしても星野くんよ、
ぼくと音楽の神・アポロン、二人の心をほしいままにするなんてきみってヤツは!」
いちごのように甘ーい言葉で褒めちぎる。しかし、ウサギはそのいちごは食べてはならない。
食べるときっと、はら痛を起すに違いない。できればむしりとってやりたい、でも放っておくのがいちばんだと聞く。

幼い頃から握り続けたスティックは、もはやりんごの体の一部だ。りんごがランドセルを担いでいた頃は、上手くいかないときに
スティックをよくかじっていた。流石に高等部になるとそんなことはしない。このスティックも何代目なのだろうか、
と感慨深く頷く余裕もなく、りんごは秋の定期演奏会に向けて腕を磨き続けていた。ヨハンの言葉を尻目に。

「美しいね、そのパーカッションを聴いていると、まるで命の鼓動を聴いているようだね!命は美しい!まるで…」
「先生、あの…メトロノームの音が聞こえません…」
涼しげな風が吹いているというのに、真夏以上の暑苦しさを感じるのは何故だ。しかし、答えを知ると余計に暑苦しくなる。
相変わらずなヨハンとは正反対であるそよ風のような言葉が、りんごの背後からしてきた。
「あの、お尋ねします。学校の方ですね…」
ふと、りんごが振り向く間、メトロノームの音だけが残る。同じくヨハンも髪をとく手を止める。
白い毛並みを持ち、ふんわりとした金色の長い髪を持ったネコの女性がふたりの視界に入る。清楚な出で立ちに心奪われる。
一瞬、秋が春へと変わったのかと思うほど。りんごはスティックをあわせて膝の上に置いた。

今まで聞いた事のない深みのある声で返事を返すのはヨハンだ。
背中に氷のような温度を感じたりんごは、ぎゅっとスティックを握り締めた。
「お困りでしょうか?佳望学園のことなら何なりと、このヨハンめに申し付けて下さい」
「キャラが変わった!」
「オホン…。星野くん、きみの長い耳でもう一度よくメトロノームの音を聞いてみたまえ。
先ほどのスティック捌き、微妙にリズムがずれてはないか?それではきみはそのまま練習を続けたまえ」
「は、はい(何を目指しているんだろう、この人)」
ヨハンはりんごを練習に集中させると、そっと髪と毛並みをなびかせ、ネコの女性の横に添い立った。

荷物はわたくしが持ちましょう、とヨハンは手を差し伸べるが断られる。そもそも、彼女は何故ここに来たのか。
そんな根本的なことを聞くのを忘れて、ヨハンはどうしようもない世間話でネコの女性とのわずかなひとときを楽しむ。
「ところで、お嬢さんのご趣味は…?」
「ええっと、料理全般ですね」
恥じらいながら、ネコの女性は頬を染める。『相手の趣味から話題を切り出して、親しくなっちゃうぞ作戦』を実行するヨハン、
「わたくしも、少し料理を齧ってまして」と、出任せで話を合わせると、ヨハンの言葉でネコの女性はたやすく心を許し、料理の話を弾ませる。
「この間、筑前煮を作ったんですよ。でも、なかなか上手くいかなくて…。どうすればいいんでしょうね?」
「本来、レンコンは穴が開いてなかったものが多かったそうですよ。しかし、寒冷地で栽培されたものは、穴の開いたものばかりだそうです。
『表面積を広くすることで栄養を多く吸収させる』ために、厳しい土地にあった品種を栽培してたんですね。
それが室町時代末期、味は格段に穴の開いていないものより美味だと分かり、全国的に穴の開いたものが広まりました。
レンコンを上手く煮るには、穴の大きいものを選ぶと良いでしょう。これは、家庭科の先生のお話です」
(どうしてこの人は、こういうウソがすらすらと思い浮かぶんだろう。しかも、穴は小さい方がいいのに)
と、実家がレストランであるりんごは、真面目に練習を続けながら呟いていた。
「へえ!ありがとうございます。それにしても、穴の開いてないレンコンなんてあったんですね」
ネコの女性の屈託のない言葉に、りんごはあきれて思わずスティックを落とした。

遠くに立つ時計台をちらと見たネコの女性は、何かを思い出し申し訳なさそうに尋ねた。
「そうそう。あの…、初等部の校舎はどちらでしょうか?」
ヨハンの尻尾はくるりと縮こまる。幾多の経験からなす本能的な勘。
「は、はい?ええ、っとですね?ご、ご父兄の方で?」
「コレッタの母です」


まもなく、1時間目の授業が始まる。
りんごは楽器を片付け、ヨハンとネコの女性に一礼し、高等部の教室へ駆けた。
学園のいたるところで、生徒たちはざわざわと自分の席へと着席し、それぞれ教師が来るのを待つ。
授業のないヨハンは、コレッタの母を初等部の校舎まで案内すると言って、共に渡り廊下を去った。

一方、コレッタのクラスでは、生徒たちが1時間目の授業の支度をそれぞれ始める。コレッタ以外は。
みんなが制服から体操服に着替える最中、コレッタの慌てふためく声が教室に響き渡る。
「ニャい!ニャい!どこにもないニャ!!」
「今頃気付いたのかニャ?コレッタたん?」
机に掛かったランドセルをひっくり返す。あたりまえだが、探し物は返事をしない。
側ではクロとミケがコレッタの尻尾にちょっかいを出しながら笑っていた。
左から三人の胸元についているものは、『佐村井』『三斑』のゼッケンに、一人だけ赤いリボン。
「…おうちに体操服、忘れてきたニャ」
教室の入り口では、クロとミケがまさにコレッタを置いて体育館に行かんとしている。
未だ制服姿のコレッタは、空っぽのランドセルを両手で握り締めて、静かになりつつある教室に取り残された。

ところが、コレッタ。ニコリと笑いながら両足でぴょんと飛び上がり、イスの上に立って小さな拳を振り上げる。
「ということで、きょうは体育をお休みするニャ!保健室に行ってくるニャ」
「コレッタ!ずるっこだニャ!!」
体操服に身を包んだクロがコレッタに向かって駆ける。それをかわそうと、制服姿のコレッタがイスからジャンプ!
蛍光灯に照らされて、コレッタの髪が美しい弧を描く。スカートがふわりと舞い上がる。
ネコのジャンプにメダルがあれば、コレッタのジャンプは間違いなく金メダル。
一部始終を見ていたミケの脇を走り去るコレッタは、教室を飛び出し保健室の方へと駆けていった。

「あー!おなか痛い、痛いニャ!」
「うそつくニャ!おなかが痛い子がそんなジャンプができるもんか!」
「白センセのところへいくニャよー!あー!痛い痛い」
「コレッタ。わたしがどうかしたのか?」
先ほどまでの元気は何処へ行ったのか、コレッタは廊下で鉢合わせした白先生を見て固まる。
それに気付いてか、クロとミケも同時に白先生の方を向く。
コレッタが驚く理由は白先生だけではない。何故なら、白先生の隣にはコレッタそっくりのネコの女性がいるから無理もない。
「おかあさん!どうしてここにいるニャか?」
「コレッタ、忘れ物よ」
両手にコレッタの手提げバッグを持った、コレッタの母がにこりと微笑み、口をつぐんでこくりと頷く娘を見て、一安心していた。

「体操服、忘れてきたでしょ?授業に間に合ってよかったね。コレッタ」
「う、うん…ニャ」
「さっきまで『おなかが痛い』とか叫んでたのは、どうした?」
白先生の挟んだ言葉にコレッタの目が丸くなる。しまったニャ、と思っても覆水盆に帰らず。
向こうに見えるクロとミケのひそひそ話は聞こえない。
「あ!そうだ!お、おなかが…痛い…ニャ」
「あらあら!コレッタかわいそうに…。大丈夫?」
「そうだ?コレッタ…どうした?」
向こうに見えるクロとミケは大きく『違うニャよ!』とジェスチャーを送るっているのに、
それを無視するように、わざとらしくお腹を押さえるコレッタであった。

「おお、お探ししましたよ!こんな所にいらしてたんですね!コレッタくんのお母さま。
急に姿をくらますなんて、わたくしの前から太陽の光が消えてしまったのかと思いましたよ!」
体調が悪いときに、会いたくないヤツの声が聞こえてきた。激しい尻尾の動きは見ているだけで物悲しい。
無論、声の主はヨハン。
(わたしが折角まいてやったのに。勘だけはいいヤツだな…)
コレッタの母に道案内をするヨハンを目撃した白先生は、自分から道案内を買って出る振りをして、
無理矢理、魔の手を振り払ったのだ。しかし、悪い意味で不屈の精神を持つヨハンの嗅覚は、白先生の想像を超える。
コレッタの母に駆けて近づくヨハンにつける薬は無いものなのかと、白先生は頭を悩ませた。

「コレッタくんも、お父上も、こんな美人のお母さまの手料理を食べられるなんてしあわせ者だね!
わたくしめも、ぜひぜひお母さま特製の筑前煮を頂きたい!」
ちらと、ヨハンの目を見たコレッタは、ぼそりとこぼす。
「今度は、頭が痛いニャ」


おしまい。