※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

風を切って



この街にわたしが帰ってくるのは十何年振りのことだろう。
街の大通りをガタゴトと不器用に走る路面電車。わたしがこの街にいた頃はまだ小さな学生。
そう、通学でよく利用していたっけ。

くんくんと、木で出来た内装の電車の匂いを嗅ぐ。
電車はゆっくりと懐かしい町並みを車窓に写し、あの頃のわたしにふっと帰らせる。

街の女学生の制服はわたしの頃よりも、
ずっと可愛くなってることに少し嫉妬してしまうのはわたしが元・女の子である証拠なのだろうか、
イヌっ子の女学生たちがきゃんきゃんと、古びた車内を華やかにしている
確か、あれは隣の天秤町の生徒。天秤町…懐かしいな、この響き。

学生の間ではわたしの学校と、天秤町の学校とで街の人気を二分していた事もあったかな。
そんな思い出に浸っているうちに、間もなく学校最寄りの停留所に電車は近づく。

「次は、東通り16丁目ー、東通り16丁目です」

鼻にかかった運転手のアナウンスもちっとも変わらない。
チンと降車ボタンを押すと、わたしを乗せた電車は優しく停留所に止まってくれた。
路面電車から降りると、相変わらず太陽はさんさんと輝き、風はわたしのネコミミを揺らす。
さっきの女学生たちは席に座ったまま、相変わらずきゃんきゃん騒いでいた。

大通りから路地に入ると、学校までの坂道が見えてくる。学生時代はこの坂道をぱあっと駆け上がっていたものだが、
久しぶりに歩くと結構わたしを苦しめてくる。丘の上の学校は、オトナにはつらい。
今日はあの子に会いに来たのだ。あの子はまだこの学校にいる。学生時代過ごした学び舎を愛してやまない彼女。

彼女は今頃、何をしているのだろう。

眩しい太陽に重なりながら、懐かしい校舎が見えてきた。意外に学校って小さく見える。
毎日くぐった校門も、いつも見上げていた時計台も変わらなく毎日を過ごしているなんて
その事実だけでもわたしはちょっと嬉しくなる。


グランドの方へちょっと寄り道。体育の授業で生徒たちがバレーボールをしている。
青春のいちページってところか。そんな時代もあったかな、
でもそんな甘ったるい時代、わたしにとっては苦いクスリの味にしか思えない。

と、コロコロと子犬か駆けて来るように、ボールがわたしの方に転がってきた。

「すいませーんニャ!お姉さん!!」
小さな白い毛並みのネコが長い髪を振りかざしながら駆け寄る。

わたしはボールを拾い上げ彼女の方へポーンと投げたが、その子は掴み損ねて再びボールを追いかけた。ごめん。
その向こうから、彼女の友達たちが呼んでいるのが聞こえてきた。

「コレッタ!早くー!」
「わ、分かってるニャ!!」
ニマニマとわたしは子ネコたちを眺める。

わたしのネコミミはピンと立ち、校庭の樹のざわめきを感じ取っている。風が心地よい。
きょうも尻尾は絶好調。ボブショートのくせっ毛をなびかせ、風を切って歩きだす。

「懐かしいな…」
校舎の表玄関は、廊下を通じて職員室に繋がる。普段、生徒は出入りしないのだが、わたしは今や生徒ではない。
そう、わたしは卒業生。

そういえばあの頃、学校帰りにあの子といろいろ話したっけ、勉強のこと、将来のこと、恋のこと。
久しぶりに玄関先の段に座ってみたら、当時と同じ視線で周りが見えるなんて、わたしが変わっていないのか、
それとも学校が変わっていないのか。答えはなんだろう、別に知りたくはないが。

「おや、我が校にご用事ですか?」
初老のヤギがわたしの元に近づいて来た。彼は手を後ろに組み、飄々とした態度で

話しかけてくるので、あまり威圧感は感じ取ることは出来ない。彼はここの教頭だと名乗る。

「はい。わたし、ここの卒業生で…、この間お電話で面会のお約束をしていました、時計川ミミと申します」
「はいはい、時計川さんですね。これはこれは」
「実は、わたし…ちょっと会いたい方が居まして、北の街の方からやって来ました」
「それはわざわざ…ありがとうございます」

教頭に連れられ、校内へ。授業中なのか、静けさだけがわたしたちを包み込む。
事前に教頭に話を通しておいたわたしは、彼と軽く話をして別れ一人で目的の部屋へと歩き出す。
そう。わたしの会いたい人物の居場所は、分かっている。懐かしい廊下の音を耳に刻み込む。
間取りは全然変わってないのだから、手に取るように部屋が分かる。意外と学校は小さい。


目的の部屋にたどり着いたわたしは、深呼吸をして小さくノックをする。
誰かいますか、居ないなら居ないって返事しろー。すると、中から思ったとおりのネコが現れた。

「ん?誰だ?こんな時に??」
「やっぱ、アンタさ。ちっとも変わんない」
「ミミ?ええっ!どうして?」
「ふふ。シロったら全然変わらない!」

白衣に身を包み、タートルネックのセーターのネコミミ女は、
目をメガネ越しにお月様のようにまん丸くして口に手を当てる。

「きょうは、アンタとの約束を果たしにやって来たんだからね。もっと感謝しなさい」
ちょっと間を空けたシロは髪を掻き揚げ、わたしが学生だった頃の事を思い出してか、ポツリと呟く。

「ふっ、そんな約束…あったかしら」
「ネコの恩は十年忘れないのよ。そこんところ、よろしく」
「じゃあ、丁度忘れた所じゃないの。十年って」
「…さすがシロね。鋭いよ」
「ミミが不器用すぎるな…」

わたしもシロも三十路にお邪魔したばかりのお年頃。世間様は十代、二十代の子をチヤホヤするのだが、
三十を過ぎるとハナタレと違っていろんなことが見えてきて、ネコにとっていちばん毛並みがいいときだと思うのだ。

でも、巷のヤツラはわかっちゃくれない。わたしにとっちゃあ、そんなものクソ食らえってか。

「すっかりシロもオトナの女って感じね」
「『オトナ』かあ。きっと生徒たちはわたしのこと『保健室のオバサン』とか呼んでるはずよ」
「あいかわらずクールなのね。でも、学生の頃からオトナっぽかったからねえ、シロは」
「それじゃあ、『オバサン』になっててもおかしくないかな」
「オバサンかあ」
「ふふふ。あんたが生徒だったら、自慢の毛並みをオキシドールで脱色してやるぞお」
シロは校庭で走り回るガキンチョな生徒たちを眺めながら呟いた。

「ミミもそろそろオスネコでも見つけたら?」
「あたしはそんなことにゃ、てんで興味ないよ。この尻尾に誓って」
「じゃあ、わたしはこの白衣に誓おうかなあ。オスネコなんてバカヤロウって」


二人してまったりした時間を過ごす中、いきなり怒鳴った保健室の扉がその時を吹き飛ばす。

「先生!シロ先生!急患っス!!コレッタがぁ」
「だから、わたしは急患じゃないニャ!」
海賊風の衣装に身を包んだ子が、ブルマ姿の白い毛のネコ少女を連れて、保健室になだれ込んだ。

少女はまるでお節介を焼かれているようで、少々迷惑気味。
一方海賊さんの方は、ぱっと見、男の子なのか女の子なのか分からない。

彼…いや、彼女か?とにかくその子が張り切って少女を助けたい一心は分かるが、いまいちから回り。
その子はあんまり慌てているので、被っている大きな帽子がぐらっと揺れる。
どさくさにまぎれて少女はその子の尻尾を引っ張る。

「やめろニャー!保健委員ー!職権乱用で訴えてやるニャ!!」
ネコ少女は涙を浮かべて、じたばたと顔をゆがめながら暴れるばかり。
そんな少女を宥めながら、シロは海賊さんへ冷静に舵取りの指示を出す。

「急患とは聞き捨てならないな。さっそくアルコール消毒の準備を!」
「イエッサー!ドクター・シロ!」
「ど、どこも怪我をしてないニャ。体育でちょっとコケただけニャ」

「よしっ、各人手をアルコールで清めたな。ふむ…ただの捻挫だな、憂うことはない。
経皮鎮痛消炎外用薬を準備して、患部に貼付するのだ!」
「ラジャー!コレッタ、じっとするッスよ!」
「いたたたたっ!ニャめろお!」

わたしはその一部始終を見学させてもらった。なんだか、シロが頼もしいオトナの女に見える。同い年なのに。
テキパキと処置をしていくシロ、彼女はかつてわたしが憧れた『素敵なオトナ』になっていたのだ。
同い年なのに、夢をかなえてドクターになって、身のある毎日を暮らしているシロが羨ましい。

それに比べて、抱えきる事も出来ない夢だけ持って北の大きな街に飛び出し、都会の牙に噛まれて
結局は何も出来ず挙句の果てには田舎に帰るなんて言い出す、ただの風に吹かれた弱いノラネコだ。
母校よ、わたしの街よ、そしてシロよ。笑うんだったら笑いなさい。けっしてわたしは泣いたりはしない。
でも、ほんのちょっとだけ…泣くかも。でもその時は許してくれ。わたしはノラネコなんだから。


一連の騒ぎも収まり、足に湿布を貼られたネコ少女は保健委員の海賊さんの肩につかまりながら、
とことこと保健室をあとにした。

再びわたしたち二人っきりの保健室、シロはぼんやりと外を眺めていた。一瞬の静粛をわたしが破る。

「わたし、この街に戻ろうかなって思ってるんだよね」
「ふーん、いいんじゃないの。帰ってきなさいよ」
「あいかわらず率直ね」
「言葉にムダは不要」

シロはこぽこぽとコーヒーを入れながら、にこりと笑っていた。
さばさばとした答えが、わたしには入れたてのコーヒーのように暖かく感じる。
メガネを湯気で曇らせながら、シロは魚の絵の描かれたマグカップにコーヒーを入れ、わたしにそっと渡してくれた。

昔っからそうだった。シロが恋に破れた時にも涙一つも見せず、
からっとしていてこの子には『恋』なんて必要ないんじゃないかって思う程だった。

反対にわたしが恋に泣かされたときには「これで忘れなさい」と帰り道の喫茶店でアイスを奢ってくれた。
「悪いよ」ってお会計をわたしが申し出ても、シロは「出世払いでいいから」と断った。

あの甘いアイスの味をわたしは忘れない。

そういえば、クラスの中でいちばん将来のこと考えてたな。
「わたし、医者になってここの保健の先生になるっ!」って。
そんな夢を鼻でせせら笑っていたわたしはバカだ。

ネコミミをくるっと回したシロは再び外を眺めながら、コーヒーをごくり。
ぼそっとわたしは後ろを向いたままのシロに話しかける。

「シロのそういうところ、好きだよ」

みんなで育てた街を離れ、すまし顔の都会に一人で住み出してはや十年ちょっと。
わたしの街は、わたしを快く引き受けてくれる。シロに、この学校に、この街に…感謝。

「そういえば、なんでここにやってきたの?」
ふと思い出したかの如く、シロはわたしに話しかける。そうだ、今日来たのは他でもない。

あの頃の借りを返しに来たのだ。あの頃の…。
「あのさ、返すよ。コレ」
「ん」
「アイスの借りだよ。出世払いだからね。あの頃よりかは、偉くなったかな…」
そっと机の上にわずかなコインを置く。無機質な音が響く。
くるりとわたしのほうを見上げるシロはメガネを光らせ、ニヤリ。

分かっている。シロはこの後なにを言うのかは分かりきっている。
きっと、こう言うんだろう。シロは意外と単純な女だ。

「そんなものは知らない」

思った通り。そう言いながら、こっそりシロはわたしに見られないようにコインを受け取った。
そんなシロの仕草をけっしてわたしは見逃すはずがなかった。ふっ。


わたしが帰ると言うと、シロは玄関先まで見送ってくれるという。
再びシロと一緒に校内を歩くなんて、あの頃には思いもしなかったこと。お互いきっとそう思っているはず。

校庭ではさっき保健室に駆け込んできたネコ少女と保健委員の海賊さんが、爪を立てない言い争いをしていた。

「ほらほら!コレッタは怪我人なんだから大人しくする!」
「い、痛くなんてないニャ!あんたは港にでも行って、大海原に出て行けニャ!
悪い船長に雇われて安い給料でコキ使わされろニャ!そして、二度と戻ってくんニャ!」
「うるさいな!涙目になってるッスよ!」

制服に着替えたネコ少女は捻挫をした足をかばうように、ケンケンしながら
海賊さんから逃れようとしているが、なんだかその光景は見ていてほほえましい。
そんな時でも風がふっと吹き、わたしの髪を揺らす。

一緒にその場面を見ていたシロはやれやれと思っていたのか、二人に近づきネコ少女の肩をぽんと叩く。
一方、はシロに縋り付き、保健委員の海賊さんをキッと目で怒鳴り散らしている。
ネコ少女の尻尾がぴくっぴくっと動いているということは、機嫌が悪いという証拠。

しかし、シロはそんな気分を察してか、白衣のポケットに手を突っ込み、ネコ少女に何かを差し出していた。

「二人でジュースでも買って、飲みなさい」
シロはネコ少女のネコミミにわたしに聞こえるぐらいの声で耳打ちしながら、
さっきわたしが返したコインを渡していた。

「あ、ありがとうニャ…シロ先生」
「せ、先生…。ありがとうッス」

ふふ、シロらしいな。にやりとしながらシロを見つめていると、シロは気恥ずかしそうに
わたしの目線をあからさまに避けていた。

「ミミさあ。学校って楽しいだろ?また、遊びにおいで」
「うん。これから何十年経って、わたしたちが『オ…』」

いきなりネコ少女がわたしの台詞を遮った。
「そ、その言葉は禁句ニャ!!」


おしまい。