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いつでも笑って~林間学校のはじまり~


「海だあ!」
潮風薫る田舎道に、大きな甲高い声がこだまする。揺れる尻尾を押さえきれず、バスの窓から乗り出そうとする一人のイヌの姿を見て、
英語教師・英美王はいつも学園でやっているように、小さな影に苦言を呈する。
「先生!バスから顔を出したら危ないですよ!」
「はーい!わかってまーす。はなぶちゃちぇんちぇー」
まるで親から叱られた小学生のようなとぼけた返事に、車中の高等部の生徒一同が声をあげて笑い、尻尾を揺らす。
それでも数学教師・サン・スーシは叱られたことを気にもせず、夏の空から誘われる興奮を抑え切れなかった。
遠くでセミが鳴いている。

そう、林間学校の季節が今年の夏もやって来た。生徒たちは海で遊び、自然に親しみ、そして恋に…と、この行事に全力を注ぎ、
また教師陣は期間中に設けられた学習時間を利用して、生徒たちの気分転換で学力アップを望む、ということに全力を注ぐ恒例行事である。
街の喧騒を離れて、静かな浜辺の旅館へと一同は向かう。バスの中ではそれぞれの夏にかける意気込みがちらほらと。
「ウチはこの夏、どこにも行けそうにないから林間学校に青春をかけるぜ!」
「学習時間さえなければなあ」
「ホントかな…出るって…」
目的地の旅館の車中、生徒たちは心弾ませながら、まだかまだかとざわつき始めていた。
細い田舎道を通り抜け、巨体は広場へと抜け出す。ここの旅館でしばらく佳望学園の生徒はお世話になる。
遊び盛りの若人を乗せて、バスは旅館の門の前でゆっくりとその足を止めた。

古い民家を改装した趣あるたたずまいを見せる旅館は、佳望学園の生徒教師らを懐広く迎えてくれる。
バスの中でも心地よい木の香りが届いてくるのではないかと、生徒一同古い建物に食い入るように見ている。
人間で言ったら人生の何もかもを知り尽くした余生を楽しむご隠居が、第二の人生を歩みだしたと言ったところか。
貫禄が漂う旅館は孫の顔を久しぶりに見た老人のように、優しく声を返してくれるようにも見えた。

バスが止まるとガイド席で猪田先生のポケットからくしゃくしゃになったメモ紙を取り出して、汗を掻きながらメモを読み上げる。
メモ紙には猪田先生が書いたであろう小さな字で、びっしりとこの旅での注意事項が書かれていた。
「今回、サン先生のお知り合いの方からの計らいで、この旅館を使わせて頂いています。
みなさん、旅館の方に失礼のないように」
「はーい」
「特に、サン先生はふすまを破ったり、屏風を壊したりしないように」
思いのよらない英先生の付け加えにバスが揺れる。
しかし、既にサン先生はバスから降りて、いつの間にか麦わら帽子に虫取り網、浮き輪を携えて旅館に走っていた。
そして、こけた。

今年も夏が、始まる。

大広間での猪田先生からのお話に、旅館の方のごあいさつ、クラスごとの注意事項…と、一通りのお約束を済ませた生徒たちは、
それぞれ各自の荷物を持って宿泊部屋に入ってゆく。古い建物は、ミシミシと音を立てて大勢の若い客たちを満足そうに歓迎した。
生徒たちは二階の階段を上り、班別に振り分けられた部屋に入ってゆく。
懐かしいふすまを開ける音、畳の柔らかい香り、そして窓一面に広がる青い世界。
「うおおお!この部屋、景色が目にしみるぜ!」と、雄叫びを上げる利里。
「この窓から滑空したら、最っ高かもね!」と、手を組んで目を輝かせる朱美。
「こんな部屋で養生したら、どんな病気もすぐに完治するッスね!」と、保健委員。
それを聞いて「……」と、ヒカル。
それぞれ言葉は違えど、生徒たちは部屋に笑顔で感動。

一方、教師たちの宿泊するのは『楓の間』と『椛の間』という、窓のない一階にある座敷だ。
男性教員は『楓の間』、女性教員は『椛の間』に集い、初日の行動予定である、浜辺での自由時間までそれぞれくつろいでいた。
「…そら先生は、寝かせときなさいね。夜空が楽しみって言ってたからね」
椛の間の隅に、昼の弱い百武そら先生の小さな身体が転がる。中央では姿勢よく英先生が正座している。
「ふう…」
「英先生、どうしました?お疲れで?」
「いや。泊瀬谷さん、なんでもない」
お茶を入れながら英先生を心配する泊瀬谷先生は、もしや昨晩からの仕事で疲れたまま、この林間学校に臨んでいるのでは?と、
耳を折りたたむ。潤んだ瞳に英先生のお茶を味わう姿が映る。だが、「心配ない」と安心さまいと英先生は軽く答えた。
「昔を思い出してね」
「そうなんですか」
「まったく…、サン先生ったら」
きょとんと首をかしげる泊瀬谷の横では、百武そら先生は引き続きタヌキ寝入りをしていた。
いや、タヌキ寝入りではなく本当に寝ているのかもしれない。それもそのはず、寝言と言う、そら先生の呟きが聞こえるのだ。
「うーん…、夏の大三角形が見えるね…。白鳥座に乗りたいよー」
わたしだって、空を飛んでみせることが出来るはず。そんな時代も、わたしにもあったのね…
と英先生、そら先生の寝顔を見ながら旧友の言葉を思い浮かべた。

そら先生の声を掻き消さんばかりの大声が、『楓の間』から聞こえてくる。
「お坊ちゃま?大叔父さまのお怒りをご理解できないの?」
「自分は、自分で自分の伴侶を見つけた次第です!大叔父さまには関係のないお話です」
「この青二才!ウチの敷居を二度と跨ぐな!!!」
旧家のお屋敷の雰囲気に飲み込まれたのか、昼ドラごっこに興じる帆崎、猪田そしてサン先生の姿。
掛け軸を背に、恰幅よく座る猪田先生は大叔父さま。その脇にちょこんとサン先生が女形よろしくおばさまになりきり、
血気溢れる若き世間を知らない、とある家の跡継ぎを帆崎が熱演していた。
舞台背景は昭和初期の田舎のお屋敷、封建社会色濃く残る家制度と言ったところであろう。
学園祭でやれば拍手喝さいだが、そもそも演じる場所が間違っている。余りの迫力と熱演に、昼寝をしていたそら先生が起きてしまった。

「うーん、オリオン座が昇るにはまだ早いよお」
「お静かになれませんの?先生方!」
英先生が勢いよく楓の間のふすまを空けて、カットのカチンコを鳴らす。本番はおしまい、そして今日の芝居の反省会。
そら先生は英先生をやんわりとたしなめるが「生徒に示しが付かないから」とお構いなく、仲良く男連中は廊下に正座させられたのであった。
「さ、次は浜辺での自由時間ですよ。先生たちもご準備を」
「待ってました!!」
足をしびれさせながら張り切るサン先生をよそに、英先生は椛の間に戻った。
(…やっぱり、似てるのかしらね…)

サン先生の小柄な身体に重なる、もう一つの体。

××××××××××××

「次は体育の時間ですから、皆さん準備を」
「待ってました!!」
夏色に染まる桜女学院中等部。担任の萩野が次の授業を伝えると同時に、クラスいちばんの元気ものの神楽が飛び跳ねる。
さっきまで身体に似合わない大きな尻尾をもたげさせえていたのにもかかわらず、体育と聞いて水を得た魚のように、
神楽は目を輝かせて体操服に着替える。一方、美王は未だトントンと教科書を片付けていた。
美王の顔は、若さのわりには少し憂いた表情をしていた。

「美王は体育、苦手?」
「うん、あまり得意じゃないな」
「そっかあ。天は二物を与えずってね。美王に運動までこなされたら、わたし天の神さまに猛抗議しちゃうかも」
「そんな。わたしは勉強も得意じゃないし…」
「すーがくだけは、でしょ?」
美王がブラウスのボタンを外し始めた頃には、神楽は既に体育のスタンバイOKであった。
ブルマから生えた大きな尻尾の毛並みはこの日いちばんに美しかった。
「よーし!きょうの体育はバスケだって!3組に勝ったら萩野センセからアイス奢ってもらおうね!!」
「やったー!よし」
クラス全体が雄叫びが上がる中、ゆっくりとブルマに足を通す美王であった。
教壇に立ち、クラスメイトの前で拳を上げる神楽、元気もので、みんなの中心に自然となることが出来る彼女に美王は、少し嫉妬した。

××××××××××××

「ぼくと遠泳で勝てたら全員にアイスを奢ってあげるよ!!」
「あまり思いつきで言葉を出さないでくださいよ、サン先生」
「はは…。それは冗談として…」
松林の控える浜辺で、海の自由時間での注意事項をサン先生が伝えていた。横には帆崎先生が呆れて立っていた。
「という訳で、海に入るときは十分気をつけて…解散っ!」

歓声とともに生徒が散る。
康太と雅人は海に飛び込み、クロールで技を競う。
卓は朱美の足に捕まり、海原の上空を颯爽と散歩した。
鎌田と甲山は松林の日陰で寝ていた。
モエとハルカ、そしてリオは渚でビーチボールと戯れようとしていた。
ティーン誌の読者モデルにでもなった気分で波打ち際を駆けはねるモエ。足が波で濡れることを気にしているハルカ。
そして地道にリオは、キコキコとエアポンプでビーチボールに命を吹き込む。
モエとハルカは、スクール水着姿でお互いのプロモーションを自慢しあう。

「折角だから、かわいいビキニで来たかったよね。クラスの男子をどぎまぎさせたかったのに!」
「学校の行事だもんね、モエ。今度、みんなで行くときは水着の見せっこだよ。ね、リオ」
自慢するほどのない胸と水着しかないリオは、無難な顔で黙って空気を入れ続けた。これ以上、首を突っ込むのは自滅行為。
触らぬ神に祟りなし。だが、恐れを知らぬ芹沢モエは、リオを元気つけようと笑ってポンとメガネっ子の背中を叩く。
「リオはさあ、明るい系の色でフリルの付いたかわいいヤツとか、ちょー似合うと思うんだけど!」
「そうだよね。今度、一緒に買いに行こうよ!湊通りのアウトレットにいいお店が出来たんだって!」
(やめて!わたしは、人さまに見られるためのバディじゃないんです!)と、メガネの乙女は無邪気な夏の雲に祈る。

その頃、木陰にシートを敷いてサン、英、泊瀬谷先生らが、文字どおり陰ながら生徒を暖かく見守っていた。
英先生は泊瀬谷から勧められたイヌハッカのハーブティを味わいながら、遠い空を眺める。
「英先生、どうしました?」
「うん。わたしにも、あんな頃があったのかな…ってね」
「見てみたいなあ、英先生の高校のときの写真」
「お恥ずかしい」
ニヤニヤとサン先生はシートに転がった。泊瀬谷先生は生徒たちをじっと体育座りで見ている。
仕事なんか忘れて、昼寝でもしたい気分だ。海風が心地よすぎて、ちょっとまどろむ。
この時間がいつまでも続けばいいのに、との泊瀬谷先生の思いは風で吹き飛ばされてしまった。
「きゃあ!!」
サン先生の麦わら帽子が泊瀬谷先生の顔目掛けて飛行する。

「ほら!モエ、いくよっ。そーっれ!」
「リオ!!風向きが!!」
リオのサーブでビーチボールが風に吹かれて、昼寝していた甲山目掛けて飛んでゆく。
三人が追い駆けるが、マイペースなビーチボールは風に流され松林の方向へ。
「うおっ!いてえ!」
「なに?怪人が現れただと!!」
ビーチボールは甲山の角に弾かれて、さらに高く舞い上がり松林に消えて行った。鎌田はいもしない怪人を探していた。
結局、ビーチボールは松の木の枝で一休みしながら、女子三人を見下ろしながらくつろいでいた。
残念ながら、これでは女子三人には取れそうにもない。モエが足元の小石を投げてみたが、無駄な行為に終わった。
松の木も松ヤニを搾り出して、ビーチボールの味方をしている。三人そろって、上を見上げることしか出来ない。
と、松林から小さな影が現れる。その名は、ご存知サン・スーシ。
「どした?可憐な女子高生三人組」
「あの…」
「話はわかった!よーし。先生、頑張っちゃうぞ!」

一人のイヌが松に飛び掛り、よじ登る。みなさんは、イヌが木に登るところを見たことがあるだろうか。
しかし、サン先生は常識を覆すことに命を懸けるようなヤツだ。あれよあれよと言っている間にビーチボールの引っかかった枝まで
サン先生はたどり着いた。得意気に歯を見せるサン先生を英先生は黙って見ていたのだった。
(やっぱり…似てるのかな…あの子と)


××××××××××××

美王にとっては退屈な体育の時間が始まった。一方、神楽はグラウンド狭しと駆け回る。
夏の風に吹かれて、グラウンドの大樹の木葉が揺れながら、思春期真っ只中の彼女らを見守っていた。
きょうの体育はグラウンドでバスケットボールのクラス対抗戦。小さな身体の神楽にとって、すばしっこく動き回る運動は、
得意中の得意であった。神が与え誌才能かもしれない。神楽がボールを掴む、ドリブルしながら相手をかわす。
どれをとっても、神業としか言うしかない。ここまで神に愛された娘を見たころがあるだろうか。

「美王!パス!それっ!!」
「え、ええ!!」
相手チームに囲まれた神楽は、美王にボールをパスしてゴールへ託す。腕を天に伸ばし、ゴール目指して力いっぱいボールを投げる。
長身の美王から青空に放たれたボールは、籠から放たれた小鳥のように美しかった。
しかし、ここはゲームの最中。感傷的な雰囲気に浸る暇はない。ざわざわ、と生徒一同が天を仰ぐ。
待てど待てども、ボールは帰ってこない。おかしい、何かがおかしい。
「いけない…。引っ掛かった?」
「みたいだねえ」
美王が幾ら悲しげな顔をしても、大樹の枝に引っ掛かったボールは落ちてくることはなかった。
ゆすっても、小石を投げても暖簾に腕押し、ぬかに釘。

「仕方ないね、先生を…神楽???」
「よーし。わたし、頑張っちゃうぞ!」
気が付くと、美王の目線よりも上に神楽はいた。
気が付くと、神楽の尻尾が美王の頭をかすめた。
大樹の上から甲高い声がする。するすると枝を難なく伝って、ボールが引っ掛かった場所まで
神楽が登って行っていたのだ。クラスメイトが止めようにも、神楽の行動は案ずるよりも早い。
「木登りの苦手なリスって、聞いたことある?」
ボールをクルミのように両手で抱え、ポンと神楽は軽く投げる。吸い込まれるように、ゴールの網に入っていった。
ぱらぱらと両チームから拍手が起こる。
「へへへ!これって何点ぐらいのシュートかな。美王、分かる?」
「…分からないね」
木の枝に腰掛けた神楽は、夏の風を受けながら高みの見物をしていた。

が、体育の授業の後のこと。神楽はボールを抱えて、瞳を濡らしながら校舎の隅で座っていた。
「気にしないで」
「うん…」
付き添うように美王が神楽の側に立つ。その姿はさっきまで木によじ登っていた神楽とは全く違う、小さなか弱い生き物。
「ほら、体育の吉沢のことなんか気にしないの。神楽はみんなの為と思ってやったんでしょ」
「うん。でも、吉沢が…」
「ま、吉沢も『木から落っこちたらどうするんだ』って、言ってたからって、意地悪で怒ってたわけじゃないわ。
わたしも神楽が無事に降りてきてホッとしてるし。神楽を止めたってムダなことは十分承知だからね」
「はは…」
「ほら、笑って」
神楽の頬を一滴の光るものが伝わると同時に、白い歯を見せながらニコリと微笑み返す。
ちらと美王は小さなリスを一瞥すると、足元の小石をコツンと蹴った。
「でさ…、美王。知ってる?」
「何?」

××××××××××××


「ほら!木登りの苦手なイヌって聞いたことある?」
「あの、サン先生。イヌってそもそも木登りが…」
「あー!あー!聞こえない!聞こえない」
ビーチボールが引っ掛かった松の木の枝から、サン先生は叫びながらモエ、ハルカ、リオを見下ろす。
ポンとビーチボールをサン先生が投げると、ニュートンの法則よろしく地上に落下して、リオの足元に転がった。
転がるビーチボールをリオは追い駆けて、掴み取るが羽毛に寝た付くものを感じた。
「ありがとうございます。でも、先生。松ヤニだらけです」
「ぼくは大丈夫!お風呂に入れば無問題!」
「ボールが、です…」

―――夕食前のふわふわっと身体が宙に浮く時間。
サン先生は一足先に体中に付いた松ヤニを落とすために風呂に入ってきたところだった。
そよ風吹けば、夢の世界へと誘われても自然な心地よい疲れ。元気の固まりのサン先生も例外ではなかった。
一緒に風呂に入った帆崎先生も右に同じ。
「あーあ。一年分、遊びつかれたよ」
「でも、サン先生。夕食の後には学習時間ですよ」
「あー!あー!聞こえない、聞こえない!」

楓の間には、掛け軸を背後にふんぞり返る猪田先生がいた。
猪田先生は昼ドラごっこの続きをする気まんまん、この一瞬のために考えたセリフをここぞとばかりに大砲のような声で熱演した。
「尚武!この縁談は無かったことにするぞ。でなければ、分かっておるだろうな!わが、佳望家の名を守るんだな!」
「猪田先生、何やってるんですか?夕食の準備ができますよ、もうすぐ」
「ええ?ちょ、ちょっと!お、おばさまも切歯扼腕なので、は…?」
「あー、お腹すいたあ…。帆崎センセに猪田センセ、行きますよ」
「わー!サン先生まで!!」
一人相撲を取って赤っ恥をかいた猪田先生を呆れて見ていたのは、英先生だった。
いつも、わたしの側には小さなヤツがいる。
種族も性別も違うけど、一緒にいるだけで心配かけて、笑って暮らせるヤツがいる。
「英先生、どうしました?」
「いや、ちょっと昔のことを」

ジャージに着替えた泊瀬谷先生は英先生の顔をくるっと覗き込む。
にこりと泊瀬谷先生は笑顔を見せると、つられて英先生も笑う。
「ほら!すごいすごい!!夏の大三角形がこんなに見えるなんて!」
夜になって元気いっぱいのそら先生の声を聞きながら、笑顔で英先生は夕食に向かう。
今年も、夏が始まる。


おしまい。