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命長し恋せよおっさん


傾いてもなおさんさん照りの太陽にもまけず、たくさんの色鮮やかな花が咲いている。
心地よい土の香りを含んだ風が、すずやかに風鈴を鳴らす。まだ緑色のススキが柔らかにゆれる。
明るい夕暮れ。途切れることのないセミの声に包まれて、麦藁帽子の子供たちが駆けて行く。

「あちー」

ひとりごちても一人。
店頭には秋に向けた花の苗が並べられる。
季節を先取りした空間の中で、黒豹獣人の巨漢は、その巨体には似合わないオレンジ色のエプロンを身につけて作業している。
剪定と枯葉の処理が終わり、はさみを片付けると、古いパイプ椅子にギシと座る。
溜息を細く吹き、人肌に温まった不味い缶コーヒーを口に含む。
見上げた空の入道雲を見つめていると、自分がゆっくりと流れているような、そんな錯覚におちいる。
規則的にゆっくり首を振る扇風機ごしに時計を見やると、まだ十分明るくとももう夕飯時。
太ももがだるい。今日もこうやって、なにごともなく一日が終わっていく。むなしいようなむせ返るほどの平和。
ふと、自分がなぜ花屋になったのか謎に思う時もある。
汗と筋肉に挟まれてただひたすらにぶつかっていたラガーマンの黒豹が今、その太い手で掴むのは草花。

「おばんでございます」
「はいっ!」

ついうとうとしてしまい、気づくと目の前に浴衣の美しい猫人がたたずんでいた。
清楚な、それでいて鮮やかな紫陽花の模様が、草花の中にいても凛と映える。
丁寧に髪をまとめ上げた毛並みのつややかな女性、その泣きぼくろは官能的ですらあった。
風に揺れる尾と、なめらかな体。 清流のような涼しい印象にとらわれた。
これが、ひとめぼれ。 45歳独身の黒豹、じっくりヴェルダン

「あの」
「……あふっ!」
「大丈夫ですか?」
「すいません、いらっしゃいませ!」

勢いまかせに立ち上がると、パイプ椅子が音を立てて倒れてジョウロを派手にひっくり返した。
その水しぶきが自分の尾とサンダル履きの素足にもろにかかる。
その拍子にチラリと見えた猫人の華奢な素足に、頭が血に上る勢いだった。

「あちゃっこりゃっ、ども申し訳ないっ!」
「なんだか、驚かせてしまって、すいません」

猫人は両手を口に当てて申し訳なくうろたえている。
ものごし柔らかでしなやかで、微笑んだ可憐な表情とあいまって、たおやめぶりな猫人である。
何を考えているんだ、すっかり自分も慌ててしまって、
なにをすればいいかわからず、自分の毛皮とは裏腹に頭の中は真っ白だった。
ほんの数秒の長い沈黙。セミがはやし立てカラスがあざける。どこかで遠雷が呆れた。

「あの、カサブランカの球根って、ありますか?」
「はい、あの、いえ」
「やっぱり扱ってませんか?」
「いいえ、その、カサブランカは一般に春植えですので秋の終わりぐらいから入荷いたします。今は置いてないんです」
「あら、そうなんですか! てっきり秋に植えるものだとばかり」
「お嬢さん、ガーデニングですか」

おくての自分が、自分から話題を振っていることに驚いた。
これは、おおきな第一歩かもしれないかも、しれない。
無表情を装いたいが、はち切れんばかりに高鳴る心臓が血潮をたぎらせ、思わず顔面が緩んでしまいそうだ。

「はい。実は仕事で生け花とかフラワーアレンジメントをやっていまして、ちょっと自分でもお花を育てて見たくなって」
「なるほど」
「でも、よく売られている花は少し派手でございましょう……うちの庭にはちょっと会わなくて、それでユリをやってみようかと」
「わ、和風の庭なんでしょうか?」
「あ、はい」

行き過ぎた質問だったかも、しれない。やってしまった! あせっている自分に焦る。
背中に汗が流れる。こんなにむずむずするのは何年振りであろうか。尾を、ものすごく、振りたい。

「和風の庭でしたら、秋はリンドウやキキョウ、こちらのキクなんかもおすすめです」
「あら! 私ったらぜんぜん見ていなかったわ、てっきり派手なお花だとばかり。 紫で、かわいい」
「もし庭仕事大変だなと思ったら、その、出張もいたしますので!」
「いいえ、主人と息子がいるので」
「そ、そうですか。 あの、小さめのオニユリでしたら今つぼみをつけている苗もありますけれど」
「ユリにもたくさん種類があるんですね。 もう、生け花に使う花以外はサッパリで、お恥ずかしい」
「はい」

はい、じゃねえよ自分……あたふた、という擬音が聞こえそうなほど足ががたがたしそうである。
いままで自分は自分で自分を寡黙で落ち着いた男だと勘違いしていた。 ちがう、動かないんじゃない、動けなかったんだ。
傍目から見た自分はどう映っているだろうか。挙動不審だろうか。四捨五入すると半世紀なのに、なんでこんなに恥ずかしいほど、うぶなのか。

「いろいろ教えて頂きありがとうございます。 それでは、また」
「またのご来店、お待ちしております!」
「ではごきげんよう」
「ありがとうございました」

いつもどおりの営業スマイルで見送った。
気が付けば橙色の空。一番星があかるくきらめく。
黒豹獣人は早々とシャッターを閉めて、エプロンをつけたまま畳の上の万年床にもぐった。
暑いのにもかかわらず汗だくになりながら目をつぶると、自然と涙があふれてきた。

「結婚、してたんだ」

名前すら聞けなかった綺麗な女性。
脳裏にしっかり焼きついた可憐な紫陽花。
もう、会いたくないと心のどこかで弱い自分が音もなく叫んでいた。

「こどもさんも、いたんだ」

巨漢がじめじめ泣いている。異様な光景に時折扇風機が心配そうにこちらをふりかえり、風を送る。
その励ましですら痛々しく悲しい。ティッシュ箱からはみでたやわらかいチリ紙がむげに揺れた。
黒豹はがっちりと丸くなり、行き場のない思いを布団の外に出した尻尾に伝えてクネクネした。
夏バテだ。

「あちー」

暑さに耐えかねて、布団をひっくり返し仰向けになった。
ふいに、エプロンをつけたまま布団で感傷に浸っているのが馬鹿らしくなってきた。
窓の外は、もう夜だった。 部屋の明かりもつけずに、自分は何をしているのかと。 蚊が入ってきている。
風呂に入って、はやめに寝よう。そうしよう。 黒豹獣人はものぐさに立ち上がると、エプロンをくしゃくしゃに脱いだ。