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御堂家の換毛期 その後


「ぶぇっくしっ!」

鼻に堪らないむず痒さを感じてくしゃみ一発、視界の端に舞いあがったのは誰かの抜け毛。
……おかしい、数日前に親父のグルーミングを徹底的にやった筈、もう抜け毛や毛玉は出てこない筈だが?
ふと、視界の端にゆらゆらと舞い飛ぶ毛玉を見つけ、それを吹き飛ばさない様に上手くキャッチする。
その毛玉は、親父の物とは違って黒っぽい色をしていた。この毛色からすると……

「……義母さん?」
「あら、もうこんな時期なのね……もう、いやんなっちゃうわ」

俺の手にある毛玉に気付いたのか、居間で本を読んでいた義母さんは恥かしそうに尻尾をくねらせた。

……妙だ、義母さんにしては妙過ぎる。
何時もの義母さんならば、換毛期が来た時は直ぐに自分自身でグルーミングをして抜け毛が出ない様にする筈だ。
にも関わらず、毛玉が家の中を舞い飛ぶまで放置しているなんて……明らかにおかしい。
そんな俺の訝しげな眼差しに気付いたのか、義母さんはちょっと申し訳なさそうに

「実は言うとね、先週から腕が肩から上に上がらなくなっちゃってね、
如何してかなと思って昨日、お医者さんに行って診てもらったら、四十肩だって言われちゃったのよ……」

四十肩……加齢に伴う組織の変性が原因となって痛みを発生する事で、
運動を制限するためにさらに拘縮が進み、次第に痛みが強くなる悪循環を伴う症状である。
肩関節周囲炎・凍結肩・疼痛性肩関節制動症等に分けられる。軽度のものは温熱療法、運動療法が効果的である。
治癒まで約1年から1年半程度かかるが、自然に完治するという特徴がある。
かつては、この四十肩は人間族でしか発症しない病気だと言う迷信が信じられていたが、
人間と同じく二本足で歩き前足を手として使うケモノでも、ある程度の歳になれば普通に発症する。
無論、腰痛、ぎっくり腰も同様である。(聞く所によると、帆崎先生も一度、ぎっくり腰を発症した事があるそうだ)

……と、親父から貰った本に書かれていた説明をつらづらと並べてみたのだが、
つまり簡単に言ってしまえば、四十肩は老化で肩が上がらなくなる一過性の病気だと思えば良い。
まあ、義母さんも外見や行動は若々しいとは言え、一応はそれなりの歳なのだ。発症しても何らおかしくは無い。

「だから、自分でグルーミングをするにしても、身体の前の辺りだったら出来るのよ。
けど、背中とか後腰とかは肩が痛くて痛くて上手く出来なくてね……。
本当、肩が痛くなければもうとっくの内に終わらせちゃってるんだけど……」

言って、困った様に耳を伏せて溜息を付く義母さん。
道理で、何時もならばとっととグルーミングを終わらせてしまう義母さんがやらずにいた訳である。
いや、やらずにいたと言うより、この場合、やろうと思っても肩が痛くてやれなかった、と言った所か。
となると、このままでは義母さんは肩が治るまで自分でグルーミングが上手く出来ないとなる訳だが……。

「けど、あの人に頼むとしてもね。あの人、ああ見えて恥かしがり屋でしょ?
私が頼んだとしても、あの人は何やかんやと理由をつけて逃げるのが目に見えてるのよ……」
「ああ、確かに……」

うん、親父なら有り得る話だな……。
何せ、同じ男同士である息子相手にですら恥かしがってた位だからな。
そんな親父に義母さんのグルーミングが出来るかと言うと……うん、親父なら逃げるな、確実に。
そうなると、必然的に義母さんのグルーミングが出来る人は限られてくる訳で……。

ふと、俺はこちらへ期待の眼差しを向ける尻尾を上機嫌に立てた義母さんに気付いた。
心の中で凄く嫌な物を感じながら、「俺がやるの?」と自分を指差してみると、
義母さんはにっこりと満面の笑顔を浮べ、大きく頷く。

「やっぱり、そうなるよな……」

そんな余りにも予想通りの展開に、俺は心の中でがっくりと項垂れた。



「……はぁ、何でこうなるのかな……」

場所は変わって、味気も素っ気も無いシステムバスな我が家の風呂場。
俺は親父のグルーミングをした時と同じ格好で義母さんを待ちつつ、世の無常さに対して愚痴を漏らした。
それにしても、親父も来るのが大分遅かったけど、義母さんも来るのが遅いな……?
恥かしがって逃げまわった親父じゃあるまいに、一体何をやってるんだ?

「卓ちゃん、待たせちゃってゴメンナサイね」

と、俺が心の中で愚痴っていた所で義母さんが来た様だ。
やれやれ、恥かしがって部屋に逃げ込んだ親父じゃああるまいに、義母さんは一体何を……

「……義母さん? なにそのカッコ」
「似合ってるかしら? 新しく買った水着。今年の夏に使う予定なの」
「……」

シンプルなデザインの白のビキニ姿でポーズを取る義母さんを前に、俺は呆気に取られた。
道理で、来るのが遅いと思ったら……わざわざ水着に着替えていたのか、義母さん。
つか、義母さん……仮にも英先生と同い年だと言うのに、その水着は無いだろ……?
いや、似合ってる似合っていない以前の問題として。

「あのな……義母さん、ふざけているの?」
「いやねぇ、卓ちゃん。私は別にふざけていないわよ?
私は、この格好の方が卓ちゃんにとってやりやすいだろうと思っただけなのよ」
「いや、それにしても……」
「それとも、卓ちゃんはお母さんの産まれたままの姿を見たかった訳?」
「――う゛……わ、分かったよ……」

こう言われてしまうと男の立場と言うのは悲しくなる程弱い。
そう、それが例え義理の母親と息子の関係だとしても、何ら変わる事は無い。
よって、俺は半ば嫌々ながらも、水着姿の義母さんのグルーミングをする事となった……。

「義母さん。最初は背中をやるから椅子に座って」
「はいはい、分かってるわよ」

取りあえず、何時までもげんなりとしている訳にも行かないのでとっとと始める事に。
椅子に座らせた母さんの背後へ回り、先ずは水着の紐に当てない様に背中の毛皮を軽くブラシでひと掻きしてみる。

「…んぁん♪」

なんか妙に艶っぽい声をあげていた様だが、ここは聞かなかった事にしてブラシを掻く。
親父の時とは違い、義母さんは抜け毛が少ないのかブラシに絡み付く毛はそう多くは無い。
その上、毛質も親父に比べて柔かいのか、ブラシを掻いた時の手応えはそう感じなかった。
この分だと、親父の時とは違ってそう苦労はしないな。
ただ、別の意味で苦労しそうだけど……。

「悪いけど義母さん、ブラシを掻く時に変な声を上げたりしないでくれよ?」
「あら、ごめんなさいね? ちょっと気持ちよかったからつい……」

俺の指摘に、ペろっと舌先を出して照れ笑いをする義母さん。
何処かで聞いた話だったか、ケモノによっちゃブラッシングの感触が気持ち良いと感じると言うが。
よもや義母さんがそうだったのか……。こりゃ、親父の時とは別の意味で苦労しそうだな。おもに煩悩的な意味で。

「義母さん、これから始めるから、幾ら気持ち良くても声を上げたりしないでくれよ?」
「はいはい、言われなくても分かっているわよ?」

如何も適当な義母さんの返答に激しく不安をおぼえつつも、
俺は動かない様に義母さんの首元を軽く抑え、目立つ所をザシザシとブラシで掻き始める。

「はぁん」

……。

「あふぅん♪」

…………。

「ぁひゃあん♪」

…………………。

「義母さん、取りあえず黙ってて!」
「ご、ごめんなさい……」

いい加減、ブラシを掻くたびに義母さんが上げる変な声が
別の意味で気になってきたので強く注意すると、義母さんはしょんぼりと耳を伏せさせた。
ったく、この義母さんは……。これじゃ落ちついてブラッシングが出来やしない。
と言うか、ブラッシング出来る出来ない以前に俺の煩悩が如何にかなりそうだ……。
一応、血は繋がってないし種族も違うけど相手は母親なんだぞー、落ちつけ俺の煩悩。

「んじゃ、気を取りなおして…」

ようやく煩悩が落ち着いてくれた所で、俺はブラッシングを再開する。
注意が効いたのか、ブラシを掻いても義母さんは小さく声を漏らすだけで、変な声を上げなくなっていた。
これでようやく落ち付いてブラッシングに集中できる。……何だかこの時点で精神的な疲れを感じてきたな……。

「こんな感じで良いのか?」
「うん、それくらいで……」

気を取りなおして、義母さんに具合を聞きつつ毛並みに沿ってブラッシングを行う。
そういや、今の今まで俺がこうやって義母さんにブラッシングしたりとか肩を揉んでやったりとかした事が無かったな。
一応、義母さんの誕生日の時も、そして母の日の時も、日ごろの感謝を込めて物を贈ったりはとかはしてはいたけど、
いざ行動となると、何処かこっ恥かしいというかむず痒いというか、そんな気持ちが出てしまって出来なかったんだよな。
う~ん、そう考えてみると俺は何と言う親不孝物なのだろうか……?

「どうしたの? 卓ちゃん。手が止まってるわよ?」
「―――あ、ごめん、ちょっと考え事してた」

いけないいけない、つい物思いに耽って手が止まっていたようだ。
数日前の親父の時はうっかりヘンな所を掻きそうになったし、俺は如何も考え事に夢中になってしまうらしい。
こう言うのは何とか治しておかないとな……。

「もう、卓ちゃん。考えるのは良いけどそれでボケっとしちゃ駄目でしょ? しっかりしなちゃ」
「はいはい。分かりましたよ……っと、こんな感じかい?」
「……ん、そこ、良い感じよ……」

義母さんの注意を聞き流しながら、俺はブラッシングを再開。
俺のブラッシングが余程心地良いのか、義母さんからぐるぐると喉を鳴らす声が聞える。
こう言う所を見ると、やっぱり義母さんのような豹族もネコ族の近縁なんだなぁと思ってしまう。
とは言え、その体付きはネコ族の人と違ってやや筋肉質でがっしりとしているし(獅子族には劣るが)。
また、その黒の単色に見える毛皮を良く見れば、微妙な黒色の濃淡による独特の豹柄模様が入っている。

……そう言えば、豹柄模様を見て思い出したけど、
確か、俺が小学生の頃だったか、義母さんと一緒に風呂に入った時。
何気に義母さんの毛皮の豹紋を数え始めたのは良いけど、それでついつい数えるのに夢中になってしまい。
結局、125を数えた辺りで俺は湯当りを起こして倒れて、義母さんにえらく心配させた事があったんだよな……。
若気の至りとは言え、何ともまあ間抜けな話で……。

それから中学に上がる頃には、クラスの連中にからかわれるのが嫌で一緒に風呂に入る事が無くなったから、
こうやって義母さんの体をまじまじと観察する事もなくなったんだよな……。
にしても、義母さんの毛皮は歳の割に美しく、艶かしい――って、何考えてるんだ俺は。落ちつけ俺の煩悩。

「また手が止まってるわよ、卓ちゃん? さっきから如何したの?」
「あ、いや、何でもないから気にしないで」
「そう? なら気にしないで置くわね?」

まるで俺の思考を見透かしたかの様に、クスリ、と笑う義母さん。
途端に恥かしさを感じ、頬がカアッと熱くなるのを感じる。多分、今の俺の顔は熟れた苺の様に赤くなっている事だろう。
クールダウン、クールダウンだ俺。相手は母親なんだって、何を意識しちゃってるんだよ……馬鹿か俺は。



「義母さん、終わったよ……」

そんなこんなで自分の煩悩と戦いながら約1時間後。
俺はようやく、義母さんの背中の毛皮のブラッシングを終了させた。
何と言うか、親父のグルーミングをやった時の数倍疲れた気がする。特に精神的な意味で。
ひょっとしたら、義母さんの四十肩が治るまでずっとこれをやる訳か……?

「ご苦労様。卓ちゃん。やっぱり、グルーミングした後は何となく気分がスッキリするわね?」
「ああ、そうだな……」

肉体的と精神的の両方の意味でかなり疲れた気分を感じている俺に対し、
義母さんはと言うとかなり気分良さそうに「ん~っ」と背伸びをして―――……背伸びをして?

「それじゃあ、卓ちゃん。今度は腰の方を……」
「なあ、義母さん?」
「ん? な、何かしら?」

俺へ次の指示を言おうとした所で、義母さんはその背に向けられた俺のジト目にようやく気付いた。
そして、恐る恐る振り向く義母さんに向けて、俺はごく冷静淡々と気付いた事を指摘する。

「四十肩なのに、何で腕を思いっきり上げた背伸びが出来るんだ?」
「……っ!?」

ここで義母さんは自分の犯した過ちに気付いたらしく、全身の毛を思いっきり逆立てて硬直する。
そして、まるで風船の中の空気が抜けていくかの様に、その耳がゆっくりと伏せられ、尻尾が下に垂れて行く。
多分、もし義母さんが俺と同じ人間だったなら、その額にはびっしりと脂汗が浮かんでいる事だろう。

「え、えっと……その、あのね? 卓ちゃん……」

しばらく気まずい空気が場を流れた後、耳を伏せた義母さんが、おずおずと言った感じで話始める。
その際、しきりに片手で顔を洗う仕草をしている所から、義母さんは相当緊張しているのだろう。

「その……数日前に、卓ちゃんがあの人のグルーミングをしてくれてたでしょ?
それで、その時のあの人がずいぶんと楽しそうだったから……その、私もして貰いたいなって思っちゃって……」

成る程、義母さんがわざわざ仮病を使ってまで、俺にグルーミングをさせたのはそう言う理由か。
確かに、この義母は昔っから息子とのスキンシップ(無論、健康的な意味で)に飢えているからなぁ。
恐らく義母さんは、俺が親父と楽しそうにグルーミングをやっているのを見て(?)、心底羨ましくなったのだろう。

「けど、今まで自分で全部やってたグルーミングを、
今更、卓ちゃんに手伝う様に頼むなんて如何も恥かしくなっちゃってね。それで、その……」
「四十肩で肩が痛くて上がらない、とか俺に嘘をついた訳だな?」
「……う、ゴメンナサイ」

尚もジト目な俺の言葉に、義母さんは遂にシュンと身体を縮こまらせた。
全く、面倒臭がりな親父といい、このサムコンな義母さんといい、俺の家族は如何も困った人揃いである。
しかもおまけに、夫婦共々なんら悪意が無いのが更に困り者である。
さて、この場合は如何した物か……良し、あれで行くかな。

「えっと、その、卓ちゃん……私はね、別に卓ちゃんを困らせようとかそう言う事は考えてなかったのよ?
只、本当にあの人が羨ましかったから、私もして欲しいなって……」

何やら一人で弁明をしている義母さんを余所に、俺はそっと壁に掛けられたある物を手に取る。

「だから、その、怒らないで欲しいn――ハブラビシュ!?」

尚も話を続けようとした義母さんの顔面目掛けて、シャワーホースによる必殺ハイドロジェットを一発!
お湯のジェット水流を受けた義母さんは、豆鉄砲を食らったハト人のように暫し濡れた顔でキョトンとした後、
プルプルと顔を振って水気を飛ばし、震えた声で問い掛ける。

「す、卓ちゃん、いきなり何をするの……?」
「ん? グルーミングをした後の恒例の奴だよ。 義母さんは知らないの?」
「それは知ってるけど……いきなりh――ヒョベバァ!?」

義母さんが言いきる間も与えず、再び顔面へお湯のジェット水流をお見舞いする俺。
再度プルプルと顔を振って水気を払っている義母さんへ、俺は満面の笑顔を浮べて言う。

「義母さん? 一応、事情があったとは言え嘘は嘘だからな……取りあえず、覚悟は良いかな?」

言いながらじりじりと迫る俺の様子にヤバイ物を感じたらしく、
尻尾を巻いて立ちあがった義母さんはゆっくりと後退りしつつ、引き攣った笑顔を浮かべて俺へ言う。

「え、えっと……優しくしてね?」
「ごめん、無理♪」

無論、んな懇願聞く耳持たない俺は、義母さんに向けて容赦なくハイドロジェットの引き金を引いた。


……そしてその頃。

『きゃーきゃー! 卓ちゃん、お願いだから優しくして頂戴!』
『うわ、そう言いながら尻尾でお湯を掛け返すなって義母さん!』
『せめてもの反撃よ、卓ちゃn――って、きゃー!』
『くぉら! にげるなぁぁぁっ! 黒豹なだけあって素早いなぁ、クソ!』

バシャーンバシャーン

「……楽しそうだな」

謙太郎は自室の真下にある風呂場から聞えてくる、妻と息子の何処までも楽しそうな声と水音を耳にしながら、
数日前にあった息子とのエピソードを面白可笑しく改変し、新たな作品に書き加えてゆくのであった。

―――――――――――――――――――――終われ―――――――――――――――――――――