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御堂家の換毛期


「へっくし!」

それに気付いたのは、鼻にむず痒さを感じてくしゃみをした時。
目の端にゆらゆらと動く物、よく見ればそれは誰かの毛玉だった。くしゃみの原因はこれか。
この毛玉は義母さんの物ではない、黒豹の義母さんの物ならば黒っぽい色をしている。
となると、我が家に居る抜け毛の出そうなケモノは一人しか思い浮かばない。

「おい、親父……頭に毛玉が付いているぞ」
「……ん?」

俺の一言に、ソファに寝そべってTVを見ていた親父が振り向く。
その際にフワリと舞い飛ぶのは、親父の物と思しき抜け毛……やっぱり、案の定か。
それに義母さんも気付き、少し困った様に尻尾をくねらせて俺に言う。

「あらあら、もうこの時期なのね……卓ちゃん、準備してて頂戴」
「あいよ、分かった」

義母さんに言われるまでもなく、俺はグルーミング用ブラシやら何やらを用意し始める。
ここ数ヶ月間使っていなかったから、ブラシはうっすらと埃を被っている。
よく見ると既に抜け毛も被っているようだが……。

「ほら親父。俺が呼んだら風呂にくるんだぞ?」
「……」

振り向き様に親父に向けて言うが、親父はチラリと俺を一瞥すると、若干嫌そうに耳を伏せた。
まあ、親父が耳を伏せて嫌がるのも分からないでもない。

……なにせ、親父はこれから拷問のような目に合うのだから。

身体の殆どを毛皮に覆われたケモノに春と秋の二度訪れるちょっとした試練。
その名は換毛期。夏と冬の気温の変化に対応する為に全身の毛が抜け変わると言う、
ケモノが二本足で立ち上がり、その身に衣服を纏い始めるそれ以前から備わっている生理的機能である。
全身を毛皮に覆われていない人間の俺には、換毛期と言う物がいまいちピンと来ないのだが。
同級生のイヌのヒカル曰く、とにかく全身がむず痒くて舞い散る毛玉がひたすら鬱陶しい、との事だそうだ。
当然、親父も義母さんも全身を毛皮で覆われたケモノである以上、換毛期は必ず訪れる。

義母さんの場合、換毛期が訪れると早々に風呂場で自分自身をブラッシングする事で
毛の抜け変わりを手短に終わらせてしまう。そのお陰で親父や俺が義母さんの抜け毛で困った事はない。
が、対する親父はと言うと、生来の不精者な物だから幾ら毛が抜けようがお構いなし。
身体の彼方此方に毛玉が纏わり付き、自室を大量の抜け毛がふわふわと舞おうとも全然気にしない。
結果、気が付けば親父の抜け毛が我が家の彼方此方を我が物顔で舞い飛ぶのである。

無論、義母さんはその度に親父へ再三注意しているのだが、
それが聞き入れられているかどうかは、この現状を見れば何となく察する事が出来るであろう。
ま、そんな訳で、この季節、親父に換毛期が訪れた時には、風呂場で徹底的にブラッシングを行う事になる。
そして、それをやるのは俺の役目だったりする。

……本来ならば、こう言うのは妻である義母さんがやるべきなのだろうけど。
義母さんがやろうとすると、親父は『恥かしい』と言って逃げまわるのだそうだ。
ヘンな所で恥かしがり屋と言うか何と言うか……難しい親父である。


                ※     ※     ※


「ったく、親父、来るのが遅いな……」

場所は変わって我が家のさほど広くない風呂場。
俺はTシャツに単パン、片手にブラシと言う姿で未だに来ない親父を待っていた。
まあ、親父の事だ、恐らく今頃は面倒臭がって部屋に逃げこんだ所で、
笑顔の義母さんに無理やり連れ戻されているのだろう。

「……」

と、噂すれば曹操の影ありというか、毛並みを若干ヨレヨレにした親父がタオル一丁の姿で風呂場に入ってきた。
その尻尾がやや股の間へ曲がっている辺り、どうやら俺の想像通りだったというべきか……?

「さて、先ずは軽くざっとやるぞ。覚悟は良いな? 親父」
「……うむ」

先ずは親父を椅子に座らせ、背後へと周る。
そしてグルーミング用ブラシでその背中の毛皮を軽くざっとひと掻き。
余程くすぐったいのかびくりと震える親父の身体、ブラシを見ると親父の灰色の体毛がびっしり。
相変わらず大量に抜ける、ちょっと軽く掻いただけでこれとは……こりゃ苦労しそうだ。

「親父、悪いけど動かないでくれよ……」
「……うぅむ……」

取りあえず、ブラシで掻くたびにびくりと動かれてはやり辛いので、
変に動かない様に親父の頭を押さえ、目立つ所をブラシでザシザシと掻き始める。
ブラシ一杯に毛がついた所でビニール袋へ放り入れ、その後はまたザシザシとブラシで抜け毛を掻き取る。
幼稚園の頃は灰色の大平原の様に見えた親父の背中も、高校生の今ではこんな物かと思えるほどに小さい。
これも時の流れと言うべきか……。

……そう言えば、俺がまだ何も分かっちゃいないガキの頃、
一緒に風呂に入っている親父の毛むくじゃらの身体を見て、
『何で、僕は頭にしか毛が生えていないの?』と、親父へ質問した事がある。
しかし、その質問に対して親父は只、押し黙るばかりで俺に何も答えてはくれなかった。
多分、幼い俺へ言い辛かったのだろう、自分達が本当の両親では無いと言う事を。
その時に俺に向けていた親父の悲しそうな目は、一生忘れられない。

……あの後、義母さんに同じ質問をぶつけた俺は、
悲しい表情を浮べる義母さんから本当の事を知らされたのだ……。

っと、いかんな。ついつい感傷に浸ってしまった。
こんな事考えているより、とっととやるべき事を済ましてしまおう。

「取りあえず、背中側はこんな物だな……次は前の方をやるぞ?」
「……」

背中側と両足、そして尻尾の抜け毛を粗方処理した所で、俺は此方へ向く様に親父に言う。
だがしかし、親父はぷいとそっぽを向くだけで振り向こうともしない。
こ、この親父は……!

「あ、あのなぁ……親父、同じ男同士なんだから別に恥かしがる事ないだろ?
……それとも、俺じゃなくて利枝さんに無理やりやってもらいたいか? 親父は嫌だろ?」
「……むぅ」
「そう、ここで恥かしがってても、状況は余計に悪くなるだけなんだ。親父も分かるだろ?
それだったら、状況が悪くならない今の内にとっとと済ませてしまおう。な?」
「……」

俺の説得が通じたのか、親父はようやくこちらへと身体を向けた。
全く、世話の焼ける親父である……。

「んじゃ、顔を上に向けてくれよ……そうそう、そんな感じ」
「……」

顔を上へ向けさせた状態でマズルの下辺りを片手で押さえ、喉元からお腹の辺りまでをザシザシと掻き取る。
こちらの方は背中に比べ、体毛がそう多くは無いのか思ったよりブラシに毛が絡み付いては来ない。
しかし、それは飽くまで背中に比べての話。2、3掻きもすればブラシ一杯に毛が絡み付いてくる事に変わりは無い。
やれやれ、こうも大量の毛を掻き取っていると、そろそろ腕が疲れてくる……。

「――ひぅっ!?」
「うぉっ!? 如何したんだ親父!?」
「…………」

いきなり呻き声を上げて大きく身体をびくつかせた親父に、俺は驚きつつも何事かと声をかける。
親父は一瞬だけ恨みがましい目を俺へ向けると、何か言いた気に自分の下腹部へゆっくりと目を移した。
……どうやら、ブラシが男性にとって大切な所へ当たってしまった様で……。

「す、済まん……ちょっと考え事してたんだ」
「…………」

謝っているより早くやれ、と言わんばかりの親父の眼差しが俺を射抜く。
ハイハイ、分かりましたよ……とっとと終わらせちゃいましょうか、こんな事。
そろそろ、何が悲しゅうて男のケモノのグルーミングなんてやってるんだ、と言う気持ちも出始めた事だしな。

「さてと、ブラッシングはこれで終了……後は……」

粗方ブラシで掻き終えた所で、俺はこっそりと壁に掛けられているある物へと手を伸ばす。
それは本来ならばシャワーとして使われているホースなのだが、
その先端に付いている物は通常のシャワーヘッドとは異なっていた。

「……ぬっ!?」

親父もそれに気付いたらしく、尻尾を股の間に折り曲げ、
そして慌てて椅子を蹴って立ちあがり、風呂場から逃げ出そうとする。――だがもう遅い!

「くらえっ、ハイドロジェット!」

俺の掛け声と共に、親父の背中へ浴びせられる強烈なお湯のジェット水流!
そう、シャワーヘッドの代わりに取り付けられていたのは、水流を収束させて水の勢いを増させる洗車用の物。
それによって凄まじい勢いで水流が親父の毛皮に叩き付けられ、弾け飛ぶ水飛沫、
水飛沫と共に吹き飛ぶブラシでは掻き取り切れなかった少量の抜け毛。

「…………」
「うん、これぞ水も滴る良い狼って所だな?」

そうやって三十秒もしない内に、親父はお湯でグショグショの濡れ鼠と化した。
何時もながら思うが、ぐっしょりと濡れたケモノほど情け無い物は無いと思うのは俺だけだろうか?

「……やるなら言ってくれ」
「言ったら親父は嫌がって逃げるだろ?」
「……」

俺へ恨みがましい眼差しを向ける、水も滴る良い狼状態となった親父。
しかし、俺は全然気にしない。そう、これも毎回換毛期にやっている恒例行事みたいな物である。
こうやる事で、ブラシで掻き取りきれなかった抜け毛を一網打尽にする効率的な方法なのだ。
今までは一言言った所為で逃げ回られて苦労していたので、今回は不意打ちとさせてもらった。

「……」
「……? なんだよ?」

――と、俺が一人勝ち誇っていた矢先、不意にすたすたと俺の前に歩み寄る親父。
その妙な行動に、俺が心の内で嫌な物を感じたその矢先。

ぶるぶるぶるっ!!

「――う、うわぁぁぁぁぁぁっ!?」

――いきなり親父が全身を思いっきり震わせ、毛皮に付いた水滴を飛ばしてきやがった!!
当然、この突然の反撃に、驚いて尻餅を付いてしまった俺は敢え無く全身を水に濡らす事となった。
そして、親父は尻餅を付いた体勢の俺を見下ろし、勝ち誇った様に

「おかえし」
「ほ、ほほぉう、そう言うお返しできましたか……」

言って、ゆらりっ、と立ちあがる俺。
親父はまだ気付いていない、俺の手にはまだアレが在ると言う事を……

「くらぇっ!! ハイドロジェット第二段!!」
「……ぬぅっ!?」

再び親父へ炸裂する強烈なお湯のジェット水流!
それに対して、ずぶ濡れになった親父は身体をぶるぶるっと震わせ全身の水滴を飛ばして対抗する!

「こ、このっ! いきなり抱き付くのは反則だろっ! 親父!!」
「これも作戦の内」
「だったら必殺、風呂桶ボンバーだっ!!」
「ぬ、ぬうっ!?」

ばしゃばしゃと水飛沫が飛び散る音が鳴り響き、誰の物とも付かぬ怒号が飛び交う。
かくて、風呂場はある種の戦場と化して行く……

「あらあら、二人とも仲が良いわねぇ……」

その頃、利枝は未だに風呂場で繰り広げられている春秋恒例父子のお湯掛け大会を微笑ましく感じつつ、
恐らく疲れ切っているであろう父子を労う為、冷たいコーヒー牛乳を用意して待っているのであった。

―――――――――――――――――――終われ―――――――――――――――――――


以上です。

≫860
卓「……康太が凄く羨ましいです」
利枝「あら、なら卓ちゃん、私のグルーミングを手伝ってくれるの?」
卓「ちょww、そう言う意味で言った訳では(///」
利枝「あらあら、顔を赤くしちゃって、可愛いわね」