※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

ねこまんま


「因幡くんじゃないか?奇遇だね。きっと神様からのぼくへのご褒美じゃないのかな?」
「しっかり屋さんとはいつもと違う、ポップでキュートな格好の因幡くんもいいじゃないか。このヨハンが言うんだからね!」
「風紀委員・因幡くんもいいけど、やっぱり女の子してる因幡くんがいちばんだよ!そう思わないか?」
軽薄。勘違い。そして、ご機嫌取り。
人を悲しい気持ちにさせる為だけの言葉のような男が因幡リオの目の前に居る。ヨハンだ。

リオは日曜日を利用してちょっとした旅行も兼ね、よその街で開かれた同人即売会『こみけっと』に出かけていた。その帰り道のこと。
人の波にもまれてどっと疲れているときに、リオがいちばん会いたくないヤツに出会ってしまったのだ。
のんきに愛車の窓から顔を出して、家路を急ぐ人が溢れる駅前通りにてキャリーカートを引きずりながら
とぼとぼと歩くリオをヨハンは発見したのだ。カートの中の『こみけっと』での戦利品の山が、巌のようにリオの腕にのしかかる。

いつものメガネからコンタクトに変えて、髪型も明るい外はねにし、ぱっと見に『因幡リオ』だと分からないようにしていたのに、
ひっそりと生きる乙女の苦労を踏みにじり、一発で見抜いてしまうヨハンの嗅覚をリオは恨めしく思う。
悪気のないヨハンの台詞がリオの耳に突き刺さる。一刻も早くここから立ち去りたい一方、
相手はああ見えても学校の教師なので、いくらめげないヨハンでも邪険には扱えない。八方美人のいい子ちゃんを
今まで続けてきたリオも、ヨハンのことで今まで積み重ねたものを崩したくはなかった。わが身がかわいいのは誰も一緒。
この日一日を共にしたキャリーカートが、先ほどまでよりもいっそう重く感じた。

「折角だから、ぼくのシトロエンできみの家まで送ってあげようか?」
「ええ?ヨハン先生…悪いですよ。ウチ、そんなに遠くないし」
教師と生徒との会話だ、と言えば「送ってもらえば良いのに」とお思いだろうが、その教師がヨハンという人物を知っているならリオの返事も頷ける。
無論、ヨハンも一秒でも長く女の子と一緒に居たいという『男子の純粋な気持ち』と、重い荷物を引きずる
リオを哀れんでという親心から、リオを車に誘っているのだ。しかし、ヨハンの親切心はマヨネーズ嫌いの者が食べようとするサラダに
「美味しいから!」とたっぷりマヨネーズをかけるようなもの。強く断ると悪いから、やんわりたしなめても、相手は図に乗って
ぎゅっとマヨネーズを搾り出す。リオもリオで、きっと旅行先のことを根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかと、冷や汗をかいている。

「困っている子を見ると、ついついぼくは救いの手を差し伸べたくなるんだよね」
「困ってません!」
ヨハンと目が合うのを避けながら、眉を吊り上げてリオは反論した。
「今日はねえ、かれこれ3時間ばかりここに居たんだけどさ。待ち合わせの時間に遅れてるのかなあ、あの子」
「先生。たぶん、すっぽかされたんでしょう」
「おやおや。そんなこと言うなんて因幡くん、どいひー」
『どいひー』なのはお前の脳みそだぞ。尻尾ばっかり振っていると薄っぺらく見えるから、少しは自重しろ。
と言ったつもりでリオは堪えていると、一人の女性のイヌが近寄ってきた。

「あの…すいません!十字街まではどうやって行くんですか?」
「えっと、わたしも同じ方向に行くのでご一緒に!!」
何か叫ぶヨハンを振り切り、リオは女性のイヌと共にその場を去った。
彼女は純白な毛並みを光らせ、腰まで伸びたウェーブがかった髪を風で揺らし、リオと同じようなキャリーカートを引っ張っていた。
落ち着いた色のスーツから甘い香りが放たれ、磨かれたパンプスで街の石畳を鳴らす彼女の姿はリオにはまだまだ遠い大人の女性だ。
駅前の電停に止まる市電に、キャリーカートを転がしながら二人揃って飛ぶように駆け込む。

リオはしっかりキャリーカートの取っ手を握り締め、イヌの女性に一言でもいいから何かを伝えようとしていた。
「あのー、何ていうのか…ありがとうございます」
「久々に帰国したら、イヌの男も軟弱になったもんだね」
疲れているのか、イヌの女性はつり革を頼りにうな垂れ、息を切らしながら嘆いた。
続けて、「あんなヤツは無視しておきなさい」とリオに一言物申すものも、リオは「あれはウチの学校の先生なんです」と…言えなかった。
車内の窓ガラスには背の高いイヌの女性と肩をすぼめるリオの姿が並んで映っている。
満員とは言えないながらも混雑している市電の車中。市電はうなるような声を上げながら電停を出発すると、
車中の一同は慣性の法則よろしく、後ろへよろけそうになる。軌道の上を重い車体を左右に揺らし、一路繁華街へと進んでゆく。

「お嬢ちゃんも旅行?」
「は、はい」
気だるい声でイヌの女性はリオのキャリーカートを見て問いかける。こんな大荷物を持っていれば、旅行と思われるのも当然。
中身は何であれ、旅行は旅行。家に帰れば思いっきり読書にふけることが出来る。その楽しみだけにきょうは疲れに出かけたのだ。
「あのー、お姉さんも旅行ですか」
「そうよ。旅行してるの。世界中のいろんな人と会いに…。ビジネスだけどね」
「楽しいですか」
「楽しいよ」
イヌの女性はリオには見慣れた風景を懐かしむように眺めている。リオにとってどうでもいいような街路樹や喫茶店も、イヌの女性にとっては
久しぶりに開いたフォトアルバムのように見えているのだろうか。そういう目を彼女はしていた。

「次は十字街です。お降りの方は…」
車内のアナウンスが目的地である土地の名を叫ぶ。が、彼女は降車ボタンを押す気配を一向に見せない。
市電の速度が遅くなるにつれ、リオは一種の焦りのようなものを感じ始めた。それでも、市電はモーターの音を抑え始める。
「あの…」
「……」
市電の扉が開く。リオの勇気を絞った一言をあえて流すかのように、イヌの女性は沈黙を通しつつ、つり革につかまる。
イヌの女性は目をつぶって、尻尾をうな垂れているだけであった。リオはゆっくり流れ降りる人々の背中を見つめている。
やがて、乗客の乗り降りが終わると運転手の合図で扉が閉まる。信号を確認した運転士はレバーを緩ませると、
市電は車輪をきしませ、急カーブをよたよた曲がりながら十字街を過ぎていった。
「過ぎましたよ!?」
「…ああでもインチキをしないと、お嬢ちゃんさ、逃げられなかったでしょ」
十字街を遠くに見ながら彼女はつぶやいた。
「ビジネスにはインチキも必要。ふう…」
「そう、なんですね」

気の抜けた返事しかできないリオは自分が恥ずかしくなった。鏡に映した文字のように正反対のタイプの人だったからだ。
「そうそう、わたしも外国で駅前の男みたいなヤツに呼び止められたことあるんだよね」
「……」
「こういうときに上手く切り返せないとね、悪いケモノに騙されちゃうから…。その経験が役に立ったかな」

わたしはこの人が辿って来たであろう道をけっして辿ることはできない。わたしなんかは今、隣で外を眺める、
髪の長いイヌの女性みたいになれるわけがない。と、リオは自分自身を見下す。同じように車内の窓ガラスには並んで
リオとイヌの女性の姿が映っているはずのに、リオは自分だけが窓ガラスに映っていないような気がした。
まじめのまー子だけで生きているリオにとって、インチキで相手をあざけり返すという発想ができなかった。
そして普段、趣味のことで負い目に思っていることが多いリオはこのイヌの女性に、一種の憧れが芽生えた。

すっかり暗くなった車窓を眺めていたイヌの女性はリオに耳打ちする。
「次の電停の近くに、おいしいメロンパン屋さんがあるから、ごちそうするね」
「いいんですか?」
軽く女性のイヌは頷くと、降車ボタンをチンと押した。
リオは旅人のようでもあるが、何故かこの街に詳しいことに彼女をいぶかしんだ。しかし、白い毛並みが何故かそのことを掻き消す。
再び市電は車輪を軋ませながら、途中の電停で一休みした。中から幾人かの乗客を吐き出す。

市電から下車し、二人して程なく歩くと古いワゴン車を店舗とした、小さなメロンパンの店が目に入ってくる。
この界隈では知らない者はいないという、小さなメロンパン屋。長きにわたって、クマのおやじはこの街を見守ってきたと女性は言う。
甘い香りがリオとイヌの女性を包む。店主のクマのおやじはリオの隣に居る女性を見て会釈していた。
「おお、鈴ちゃん。帰ってきたかい?」
「この歳で『鈴ちゃん』はないですよ。高校生の子供が居るんですよ」
リオの長い耳は伊達ではない。鈴という隣の女性の毛並みと、高校生の子供という情報を聞き逃さない。
思い当たる節があるのだが、ここは黙っておくことにした。口で災いを起こすのはヨハンだけでいい。
しかし、この毛並みで自分と同じ歳ほどの子どもがいると知ると、リオは目を丸くする他なかった。

メロンパンが出来上がる間、鈴はリオの足元を見ている。
「お嬢ちゃんの靴、かわいいね。どこで買ったの?」
「湊通りのお店です。友達と買いに行きました!あ…わかりませんね、湊通り…」
「知ってるよ。あのお店ね」
リオは気に入っている白いストラップのパンプスを誉めてくれて、少し誇り気であった。

やがて、クマのおやじから出来立てのメロンパンが二人に差し出される。
リオは鼻をヒクヒクさせると、名物なだけあって香りだけでも人気の秘訣が分かる気がした。
「はい。どうぞ」
「い、いただきます」
あつあつのメロンパンを二人でかじりながら、静かな人気のない公園に向かう。少しお行儀悪いけど、
風紀委員のリオは隣の女性と一緒なら、とそのことはさほど問題にはしていなかった。
子どもたちから解き放たれて、暇を持て余す夕暮れの公園。黄昏た遊具はイヌとウサギを静かに迎え入れる。
ベンチに腰掛け、日中の旅の疲れを癒しながらリオと鈴は甘いパンを味わった。
「ふう、やっぱりこの国はいいよね。落ち着くし」
「外国って…どうなんですか?せかせかしてるとか…」
「いろいろ。国が違うと、ケモノも違うからね。ましてや種族も違うと尚更ね」

律儀なイヌの性格の鈴が言うことにはネコの思考回路が分からないと言う。
仕事で海の向こうの国に渡ることが多く、「よその国のネコってさあ、時間に無頓着っていうか…
平気で待ち合わせに3時間ぐらい遅れて来ることがあるんだよね…。ふう」と語る。
「そうなんですか?3時間も待たせるんだ!!」
「うーん、全てがそうだと一概には言えないけどね。なんだかのんびりしているところはトコトンそうみたいだよ。
この間仕事で会った、イタリアのある島出身のネコが遅刻してきた理由が『昼寝の時間だったから』だってさ」
「…時計の回り方が違うんですね」
「そうね。大事なビジネスパートナーだから、仲良くしなきゃいけないんだけどね」
もしかして鈴はネコたちのことを内心苦手にしているんじゃないか、とリオは勝手に推測するが、
器用に身をこなす鈴にもこんな苦手なものがあるんだ、と知ると少しほっとした気がする。
そんなに楽天的な土地があるのなら、いっそのことヨハンを移住させしまおうか、とも思った。
「ビジネス抜きなら、ネコもイイヤツだよ…」
メロンパンを口にくわえたまま、鈴の呟きを聞いたリオ。
もしかして鈴はネコに対して別の意味、憧れのようなものを持っているのかもしれない、とリオは察した。

旅の疲れも癒されて、メロンパンは残り一口。
せーので残りを二人一緒に口に放り投げ、顔を見合わせると旧知の友人同士のように、ニコッと一緒に笑った。
「さあ、ウチの人が待ってるから『ねこまんま』でも食べに帰るかな」
「ねこまんま!」
「わたし、好きなの」
茶碗を片手に、さらさらと掻き込むような格好を見せる鈴。ご飯に味噌汁があればないもいらない、と言う。
『汁かけご飯』、またの名を『ねこまんま』。
「そう言えば、他の県の人にねこまんまのことを言ったら、鰹節かけたご飯のことって言ってた。
やっぱり、ねこまんまは味噌汁をかけた熱々のご飯じゃなきゃね。ウチの息子に連絡しなきゃ。味噌汁作っとけって」
ねこまんまを食べにだけに鈴が帰ってきたように見えて、リオは少し笑った。そんな鈴が可愛らしいじゃないか、と。

鈴はカチカチと携帯電話を打ちながら、自宅に連絡をしていた。リオは歳よりも若く見える鈴の母親の顔を見た気になる。
ここまで付き合ってくれてありがとうと鈴はリオに深々とお辞儀をし、一路家族の待つ家に向かって消えた。
リオは家に帰る前に、日中に飼ってきた同人誌を人気のいない公園で少し眺めることにした。
自分ちの母親と比べてもしょうがない。このまま真っ直ぐ帰宅することに少しながらの抵抗を感じたからだ。
一冊の同人誌を手に取ると、くんくんとインクの香りを楽しんだ。

―――翌日、目を真っ赤にしたヨハンが一人で音楽室のピアノを奏でていた。
「昨日のときめきはきっと白昼夢だったんだよねー。あはははは!」
昨日デートをすっぽかされたヨハン。一度は聴いたことのあるオールディーズを何度も何度も音楽室に響かせていた。
音楽室の入り口ではリオをはじめ、授業にやって来た生徒たちが、ヨハンを冷ややかに見つめていた。そう、もうすぐ授業開始の鐘が鳴る。

昨日のことを思い出させないように、リオはそっとヨハンに授業を促すことにした。
「あの、先生。音楽の授業は…」
「…よし!このヨハン。これから仕事に生きることにする!!見てなさい、この男の瞳を!」
「先生。涙目です」
生徒一同の答えは全員一致しているのは言うまでもない。
(この人は仕事に生きることなんか出来るもんか)と、生徒たちの頭上に吹き出しが浮かんでいた。

一時間後、つつがなく授業は終わり、学園はお昼休みに入る。もっとも、音楽の授業はヨハンの独唱会になってしまったのだが、
音楽教師だけに歌声は流石に上手い。尻尾をリズムに合わせて振るヨハンは心なしか、やけっぱちのようにも見えた。
生徒一同、この人は音楽がなければどうなっていたのか、と考えたに違いない。

一時間分の授業を儲けたと、生徒たちはクスクスと笑いながら学食に向かう者、購買部でパンを買うもの、弁当を広げるもの、と散った。
「ねえ、リオはお弁当?」
「うん」
「じゃあ、中庭で食べようよー」
モエとハルカに誘われて、リオは一緒に中庭に出ようとしていたときのこと。
クラスの隅で一人、魔法瓶と弁当箱を机に並べるイヌの生徒がいるのをリオは発見した。彼は白い尻尾をゆっくり振り、他の生徒のように
騒ぐことなく暖かそうな白いご飯を弁当箱から見せ、湯気の立つ味噌汁を魔法瓶から注いでいた。
モエとハルカが自分の弁当箱を抱えて、尻尾を揺らす犬上ヒカルを見つめていた。
「あれ?ヒカルくん。きょうはお弁当?」
「ちょー家庭の手作り系って感じだ!ハルカも割烹着着て作ってるんでしょ?でしょ?」
「着てないよ!」
味噌汁の香りがふんわりと広がり、懐かしくも温かい空気に包み込まれる。
しかし、リオは購買部でパンばかり食べているヒカルが、弁当を持ってくることを珍しく思っていると、ヒカルが口を開いた。

「昨日、母さんがいきなり帰ってきて『ねこまんま』を食べたいって…」
「ねこまんま!」
「そのときの、残りの味噌汁…持ってきたんだ」

その頃、犬上家ではヒカルへの置き手紙をテーブルの上に残した犬上鈴が、次の旅への準備を始めていた。


おしまい。