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スレ5>>473-520 ヒカルの御堂家訪問前編

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ヒカルの御堂家訪問 前編


「あれ? 御堂じゃないか……お前が図書室に来るなんて珍しいな。本でも借りに来たのか」

図書室入り口の一目で高級な材木を使っているであろう重厚な扉を開け放ち、
室内の本のインクと接着剤の臭いが交じり合った特有の空気を感じる間も無く、
俺の存在に気付いた図書委員の和賀が首を伸ばし、酷く珍しそうに声を掛けてきた。

「いや、ちょっとしたヤボ用って所だな」
「……ヤボ用? って事は本を借りに来た訳じゃないのか?」

俺の答えに伸ばした首を不思議そうに傾げさせる和賀。
それと同時に図書室の隅の席で本を読んでいたヒカルも俺の存在に気付くが、
一瞬だけ珍しい物を見る様な眼差しを向けた後、直ぐに興味を失ったのか本へと視線を戻した。
相変わらず人嫌いな奴と言うか心に壁を張っている奴と言うか……ま、それは気にしないとして。

「まあ、言ってしまえばそうだな。ちょいと織田さんに用事があるんだ」
「織田さんに?……御堂、織田さんにヘンな事するんじゃねえぞ?」
「分かってるって、流石にお前には噛まれたくないしな」

軽く答えつつ後手をひらひらと振って、
和賀の怪訝な眼差しを背に受けながら向かったのは、春の日差しも暖かい貸し出しカウンター。
其処で暇そうに頬杖を付いていた司書の織田さんも俺に気付き、笑顔を浮かべて声を掛ける。

「あら、御堂君」
「織田さん、俺が前に言っていたアレ、持ってきました」

言いながら俺がカバンから2冊の本を取り出す。
一冊はかなりの年代物と思しき英語のタイトルで書かれている本、
そしてもう一冊はごく最近の、それもついさっき製本されたばかりと思しき文庫本。
カウンターに並べられたそれを見て、織田さんは少し不安混じりな表情を浮かべて言う。

「本当に持ってきてくれたのね……これってかなり高価な物なんでしょ?
御堂君、本当に良いの? ここに寄贈しちゃって」
「ああ。親父も構わないって言ってたし、気にしなくても良いですよ」

古びた方の本を指差しつつ何処か不安混じりに問う織田さんに、俺は不安を紛らわせる様に明るく答える。
その際、俺が持ってきた本が気になったのか、さっきまで本を読んでいたヒカルが俺の後からそっと覗き込んで来た。
そして、カウンターに置かれた2冊の本を見るなり、ヒカルはやおら尻尾をピンと跳ね上げ、

「ちょ、これって!? ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』の初版本!?
そ、それにもう一冊あるそれは、池上 祐一作『名探偵片耳のジョン』シリーズの最新刊21巻『探偵と騎士』!?
それの発売まで後1ヶ月も先だと言うのになんで!? 何で御堂がこれを持ってるんだよ!?」

全身の毛皮を思いっきり逆立て、鼻息を荒くして俺へ詰め寄るヒカル。
何なんだ、この凄まじいまでの食いつきは。 何時もの大人しく人見知りな印象のヒカルは何処行った?
つか、余りの態度の変化に和賀は呆然としているし織田さんも苦笑いを浮べてるぞ?
それにも気付かないとは、こいつ、かなり興奮しているみたいだな。

「いや…まあ、親父が小説作家をしている関係でな……」
「小説作家!? まさか、ひょっとしてひょっとすると……」
「うーん……まあ、そのまさか、といった所かな?」
「う、嘘だろ!? 卓君のお父さんが名探偵片耳のジョンの生みの親だなんて!? ぼく、大ファンなんだよ!」

俺の苦笑いを浮べながらの返答に対し、もう鼻と鼻がぶつかり合う寸前の距離まで詰め寄るヒカル。
ちなみに、池上 祐一と言う名は親父のペンネームである。
それと、さり気にヒカルの俺に対する呼び方が、御堂との呼び捨てから卓君へとランクアップしているようだが、
ここは敢えて気にしない事にしよう。

「大好きな本の作者が、俺の親父だと知って幻滅したか…?」
「そんな訳無いだろ! まさかクラスメイトの父親が作者の池上 祐一大先生だなんて……本当に夢みたいだ……」
「大先生って……いや、まあ良いけど」
「ヒカル君、ずいぶんと興奮しているみたいね……」
「…………」

呆れる俺と織田さん、そして言葉を失っている和賀の三人の眼差しすら気にする事無く恍惚した表情を浮かべるヒカル。
この時点で、彼の尻尾は扇風機も真っ青な高速大回転を見せている。

――ここで改めて紹介しておくが、ヒカルが興奮しきりなこの『名探偵片耳のジョン』は
過去の事件によって削ぎ落とされた片耳に、薄汚れた着古しの黒のスーツ、
そして常に咥えたパイプと言う風貌の狼族の探偵、ジョン・カーターが主人公の推理小説。
そのチンピラまがいな風貌とは裏腹の巧みな話術と卓越した推理力で難事件を解決して行くストーリーで、
20年以上も前に第1巻が発売されて以来、今も年に一冊のペースで新作が発表されるロングセラーである。
一般の人の間では余り有名ではない物の、推理小説ファンの間では根強い人気を持つ作品でもある。
息子の俺が言うのも自画自賛な様な気もするが、実際に読んでみればかなり面白い事は確かで、
現場の空気をリアルに感じ取れる文章力と最後の1ページまで飽きさせない構成力は、
ヒカルが引きこまれてしまっても無理もないと俺は思う。

……そうだ、ヒカルがここまで大ファンだと言うなら、ちょっと喜ばしてやっても良いかな?
まあ、こいつの隠された一面と言うのを見てみたいってのもあるけど。

「なぁ、ヒカル、其処まで親父の小説の大ファンだって言うなら、今度の日曜、俺の家に来てみないか?
その日だったら多分、親父も家に居ることだろうし」
「…ゑ゛っ!? 本当!?」
「ヒカル君。『このタイミングで嘘を言う奴はそうそう居ないだろう?』」

余程信じられなかったのか、思わず聞き返すヒカルへむけて、
俺はちょいと試しに13巻『探偵と空の浮船』113ページの辺りで、ジョンが助手へ言った台詞を返してやる。

「あっ!『もし居るとすれば、そいつは相当な詐欺師か単に忘れっぽいだけさ』だったね」

ヒカルは直ぐ様耳をピクリと動かして反応し、合いの手を入れる様にその続きの台詞を返してきた。
この反応だけでヒカルが正真正銘の大ファンだと分かってしまう辺り、
俺もまた、親父の小説にのめり込んでいる様だ。

「…でも、本当に良いのかい? ぼくなんかが来たら大先生の…いや、卓君の家族の迷惑になるんじゃ…?」
「大丈夫だって。 親父もそんなに気にする人じゃないし。義母さんだって喜んで持て成してくれる筈さ。
それに見た所、お前の尻尾は『何と言われようとも行きたいです!』って言ってるみたいだしな?」
「――っ!? もうっ、からかわないでくれよ! これは反射的な物なんだからさ」

俺の指摘で、ヒカルはようやく大回転し続けている自分の尻尾に気付き、恥かしそうに両手で尻尾を隠す。
だけど、それでも余程嬉しいのか、抑える両手からはみ出た尻尾の先端がプルプルと振られ続けている。
こう言う所があるから、犬族のケモノは考えが読みやすい。
それを見ていた織田さんもクスリと笑っているぞ。

「はは、からかって悪かったな。ヒカル。……と、それより、お前、俺の家のある場所知ってるか?」
「知ってるよ。…確か藤ノ宮電停の辺りだったね」
「へ? あ…いや、知ってるんだったら良いんだけど……?」

……ありゃ? これは意外や意外。
ヒカルの奴、俺の家のある場所を知ってたよ。つか、教えた憶えはないのに……?
と、その考えがどうやら表情に出てしまっていたらしく、それをあっさりと読み取ったヒカルはクスリと笑って言う。

「藤ノ宮から三駅隣の東小宮電停近くに、ぼくの行き付けの古本屋があってね。
其処に自転車で向かう最中、藤ノ宮電停で電車を待ってる卓君の姿を見た事があったんだ。
それで多分、卓君の家は其処にあるんだろうなと思ったけど、その顔からすると読み通りだったみたいだね」
「うわ、カマかけかよ。ひっでぇな」
「尻尾の事でからかったお返しだよ。お互い様」
「ちっ、お互い様とあっちゃ仕方ないな……」

どうやら人間もイヌ族の尻尾の様に、表情で考えが漏れてしまうみたいだな。
それで憮然とする俺に向けて笑う名探偵 犬上 ヒカル。そう言えばこいつがこうやって笑うのは初めて見る。
誰だ? ヒカルは暗い奴だって言ったのは。話してみるとこいつ、意外に面白い奴じゃないか。
どうやらこいつに対する”本だけの口下手な奴”と言う思い込みは、思考のゴミ箱へ捨てた方が良い様だ。
ヒカルがこうだから、ひょっとするとおバカな塚本の奴も意外と頭が良かったりとか……いや、それは無いか、流石に。

「んじゃ、藤ノ宮に着いた時には電話でも入れてくれ、俺が直ぐに迎えに行くし。 あ、これ、電話番号な」
「うん、分かったよ」

俺が渡した携帯の番号を書いたメモを、ヒカルはカバンから取り出した自分の手帳へと丁寧に綴じる。
この几帳面さは利里の奴に学ばせたい所だ。 あいつ、大切なメモを渡した側から無くしてくれた事有るし。
と、メモを渡したタイミングを見計らっていたかの様に、生徒達へ下校を促すチャイムが鳴り始めた。
それに気付いたヒカルは「あれ?もうこんな時間か」と漏らしながら慌しく読んでいた本を元の本棚へと戻し、

「それじゃ卓君、今度の日曜、電停についた時は必ず電話するから。それと、織田さんもさようなら」
「はい、さようなら。ヒカル君」

と、俺と織田さんへ向けて尻尾と手を振りながら図書室から去っていった。
その背と尻尾を見送った俺へ、ようやく茫然自失状態から開放された和賀が呟く。

「……なぁ……あいつ、あんなキャラだったか?」
「さぁな。ひょっとすればアレが本当の姿かもな?」

その呟きに、俺は図書室の出入り口を眺めつつ返すのだった。




……そして、時はあっという間に流れて日曜日。

「よ、犬上。 待たせたか?」
「いや…それほどでも」

冬の寒さの名残さえも吹き飛ばした春の暖かな日差しが降り注ぐ中。
電話を受けて迎えに来た俺が藤ノ宮電停そばの本屋で立ち読みしているヒカルの白い毛並みを見つけ、声を掛ける。
しかし、本を本棚に仕舞う彼から返ってきたのは味気も素っ気も無い返事が一つ。尻尾の揺れも今一つ。
どうやら、あの時のテンションは時間と共に冷めちゃっている様で。 
まあ、それも仕方ないとしよう。本来ならこいつが来る事自体が奇跡みたいな物だし。
取りあえず、今頃は義母さんも菓子を用意して待っている事だろうし、さっさと行くとしようか。

「んじゃま、とっとと俺の家に……って、如何した?」
「……」

ヒカルを自宅まで案内するべく店から出た所で、彼は唐突に歩みを止めた。
そして、同じく足を止めた俺に向けて、耳を伏せ視線を逸らしたヒカルは申し訳無さ気に言う。

「いや…やっぱり帰るよ。…卓君の家にぼくが行っても迷惑になるかもしれないし…」

をいをい、今更になってネガティブモード発動ですか……しっかた無いなぁ、もう。

「だから…その……」
「『少年は、恐いからと言って其処で歩みを止めてしまうのかね? 
まあ、行かなければ行かないで良いさ。少なくとも僕には関係の無い事だ。しかし……』」

ヒカルがもぞもぞと言おうとするのを遮って、
俺は片耳のジョン第十三巻『少年と探偵』で家出少年を親元に返すシーンでジョンが言った台詞をぶつけてやる。
と、その台詞を言いきる間も無く、ヒカルが伏せていた耳を立てて鋭く反応し、

「『恐がってばかりでは本当の世界は見えてこない。時には、恐れを捨てて進んでこそ見える世界が有る』
…ずるいよ、卓君。よりによってその台詞を持ち出してくるなんてさ」
「でも、多少は行く気になっただろ?」
「まあ、ね。…ここで引き返しちゃ大先生にかえって失礼だ」

さて、ヒカルが行く気を取り戻した所で早速、ご招待と行こうか。

「所でさ、大先生…じゃなくて卓君のお父さんはどんな人なの?」
「どんな人ってか?」

本屋を出て我が家へと向かう道すがら、
既に景色が桜色から新緑へと移り変わった桜並木を歩いている所で。唐突にヒカルから問いかけられた。
俺はオウム返しに聞き返した後、暫し思考を逡巡させて答える。

「そうだな……親父を一言で言うと、とにかく寡黙な人…ってとこだな」
「寡黙…? あの、ぼくも無口だって良く言われてるけど?」
「いやいや、うちの親父はそれ以上に無口なんだよ。何せ、必要最低限な事以外は一切喋らないし。
例え喋ったとしても、ひらがな換算で12文字を超える言葉を喋る事は殆ど無いと言って良いんだ。
もうある意味、寡黙さにおいては親父は徹底しているよ」
「うわぁ…流石と言うか難と言うか…」
「まあ、その代わり、eメールや手紙とかの文章のやり取りにおいては、親父はかなりの饒舌家なんだけどな。
それは『名探偵ジョン』の後書きから見れば分かるけど、長い時だと10ページほど使っている事もある位だし」
「あ、確かにそうだね…」

何処か納得した感じに呟くヒカル。ゆらりとゆれる彼の尻尾。

「そしてもう一つ言えば、親父は何考えているのかさっぱり分からない…って所もあるな」
「へ? それって如何言う事?」
「親父はな、寡黙なだけじゃなく、感情さえも余り表に出さないんだ。
嬉しい時も楽しい時も怒っている時も悲しい時も、何時もの穏やかな態度、無表情のまま。
だから外面からじゃ、何を如何言う風に考えているのかさっぱり読めやしないんだよ」
「へぇ…ぼくには余り想像できないけど」
「そうだな、分かりやすい例として…あれは1ヶ月ほど前か、
親父が俺と一緒に出掛けた時、チンピラに因縁付けられた事があったんだけどな。
様々な罵詈雑言を並べて煽り立てるチンピラに対して、親父は『ふむ』とか『そうか』とか静かに返すだけ。
俺はその横で『流石は親父、貫禄あるなぁ』と感心したその直後だよ」
「…どうなったの?」

興味深そうに聞くヒカル。俺は呆れた様に溜息を付いて

「次の瞬間、親父が無言で放った右ストレートがチンピラの顎を捕えてた。無論、チンピラは即KO。俺、唖然。
後で親父に聞いてみると『腹が立ったからやった』と、何時もの穏やかな態度で一言。
まあ、この話から分かると思うけど、外面じゃ怒ってない様に見えて実はブチ切れてたって事は何度もあるんだ」
「うわぁ…それってある意味厄介だね」
「そうなんだよな、特にイタズラしてそれがバレた後となるとな……。
もう怒ってないのか、それともまだ怒り心頭なのか、こちらからじゃ全然分からないんだよ。もう恐いのなんの」

両手で自分の肩を抱いて身を竦める俺に、ヒカルはハハ、と声に出して笑って見せる。
と、話に夢中になっている間に桜並木の向こうから俺の家が見えてきた。
うむ、何かに夢中になっている時は何時も周囲がタイムワープする様だな。不思議発見。

「ここが俺の家だ」
「ここが…」
「思ったより小ぢんまりとした家だろ?」

藤ノ宮電停からゆっくり歩いても約10分程の道のりの先。
俺達が辿りついたのは閑静な住宅街の家々に紛れる様にして建つ、ごく有り触れた大きさと外装の住宅。
この家こそが俺の自宅であり、同時にヒカルの憧れる大先生が住む家である。
家を見上げるヒカルの目には、然程大きくない俺の家でも巨大なお城の様に映っているのだろうか?
まあ、憧れの人が住む家だと思ってる以上は、そう言う風に見てしまうのも無理も無いだろう。
さてと、ヒカルの気が変わってしまう前にとっとと入るとするかね。

「ただいまーっと。ほら、お前も入れ」
「え…でも…」
「良いって、義母さんも待ってる事だしさ」

俺は尻尾と耳で難色を示すヒカルの手を取って、家に入るように促す。
にしてもこいつの手の肉球、他のイヌ族の野郎に比べて全然柔かいでやんの。
一瞬、男相手にドキッとしてしまったじゃないか。落ちつけよ俺の煩悩。

「やっぱりぼく…」
「あら、おかえりなさい、卓ちゃん…って、その子が昨日言ってたお友達?」

それでもヒカルが難色を示そうとした所で、玄関のドアが開いた音と共に家の中から優しげな女性の声が掛かる。
俺とヒカルが振り向き見てみれば、玄関先に春物のカーディガンの上にエプロンを付けた姿をした、
端で縛ったロングヘアーの黒豹の女性の姿があった。

「ああ、こいつが昨日言ってた親父の大ファンだって言ってたクラスメイト。犬上 ヒカルって言うんだ」
「まあまあ、君がうちの主人のファンなのね? ヒカル君って言うんだ。 
こんな可愛いイヌの子をファンに持つなんて、うちの主人も捨てた物じゃないわね?
けれど今、主人はちょっと立て込んでるから、もうちょっとだけ卓ちゃんの部屋で待っててくれるかしら?」
「…は、はい…」

俺がヒカルの事を紹介するや、彼女はまるで子供を相手する様に中腰になって微笑みながら話しかけてくる。
対するヒカルはと言うと、初対面の女性に話し掛けられたのに緊張したのか、尻尾を強張らせ返答も上の空だ。
取りあえず、俺はヒカルの緊張を解きほぐす為に彼女の事を紹介する。

「えっと、紹介するけど、この人が俺の義母の利枝(としえ)さん。職業は雑誌の編集担当。特技は菓子作り」
「宜しくね、ヒカル君」
「あ…う、うん」

俺の紹介と同時に手を差し出す義母さんに、ヒカルは緊張しながらも差し出された手を握る。
余程手を握られた事に興奮したのだろう、さっきからヒカルの尻尾の毛が爆発している様になってしまっている。
この様子から見ると、如何もこいつは年上の女性にとことん弱いみたいだな……。

「それじゃ、今直ぐお茶の用意をしてくるから、ヒカル君は卓ちゃんと部屋で待ってて頂戴ね?」
「わ、分かりました…」
「卓ちゃんも、ヒカル君に意地悪したりしないで頂戴ね?」
「はいはい」

言って、義母さんは俺と緊張するヒカルへ微笑みかけた後、
漆黒の尻尾を上機嫌に揺らしながら、パタパタとスリッパの音を残して家の奥へと引っ込んで行った。
……玄関のドアを開けっぱなしにしたままで。相変わらず義母さんはそそっかしい。

「……す、卓君のお母さん…綺麗な人だったね」

開きっぱなしの玄関をぼんやりと眺めながら、ポツリと俺へ言うヒカル。
俺はその肩を叩いて、頭を横に振りつつヒカルへヒソヒソと話す。

「…ヒカル、見かけに騙されるんじゃないぞ。ああ見えてあの人、実は英先生と同い年なんだぜ?」
「え゛!? 嘘っ!? 如何見ても二十歳くらいとしか……」

驚愕の事実に驚きを隠せないヒカル。
俺はそのピンと立った耳に向けて更にひそひそと続ける。

「其処が恐ろしい所なんだよ…実は言うと、義母さんは若さを保つ秘訣としてな、もげんた――」
「卓ちゃん、さっきからなにをやってるの?」
「――おっと、いけねぇ! 義母さんにどやされる前にとっとと入るぞ」
「…え? ちょ、ちょっと、卓君! 『もげんた』って何? ねえ?」

義母さんの横入りで切られた話の内容が余程気になったのか、
玄関へ向かいつつヒカルが何処か必死になって聞いてきた。
しかし、「悪いが、その話は後。とっとと家に入るぞ」という俺の適当な返答に、彼は納得行かない表情を浮かべた。
…納得行かないのも分かるけど、この話を義母さんに聞かれたら俺の身が危ないんだ。悪いな、ヒカル。

「…お邪魔します」

やはり他人の家に入るのは緊張するのだろうか、
まるで悪い事をした子供が、恐る恐る家に帰ったときの様な態度で玄関に上がるヒカル。
彼にとっては、他人の家に上がる事さえも危険渦巻く迷宮に乗り込む事と同意なのだろう。
しかしそれでも、框に上がる際に足の裏の肉球を自前のハンカチで拭くのを忘れない辺り、几帳面と言うか。
そうやって玄関から俺の自室に向かう最中、彼はマズルを前に突き出してしきりにすんすんと辺りの匂いを嗅ぎまわる。

「如何した? なんか変な臭いでもするのか?」
「あ…いや、他人の家に上がるのは初めてだから…」

ヒカルは俺の指摘に気付くと、少し照れた様に耳の後辺りを掻いた。
今まで遠目で見ていた時は、ヒカルの奴はイヌ族らしくない奴だと思ってたけど。
こういうさり気ない行動を見ると、こいつもやはりイヌ族なんだなと思ってしまう。

「…何? さっきから薄ら笑いなんか浮べちゃって…」
「あ、いや、ちょっと思い出し笑いしちゃってな。 気にすんな」
「……?」

危ない危ない、どうやら思いっきり表情に出てた様だ。
表情筋の豊かな人間はこう言う所が難儀な所だ。ポーカーフェイスを心がけないと。

「ここが俺の部屋。まあ、自分の家の様にゆっくりとくつろいでくれ」
「……」

そんな感じで我が御堂家の2階にある、俺の自室へと到着。
多分、他人の部屋に入ったのは初めてなのだろう、ヒカルは尻尾を揺らしながらしきりに鼻をスンスンと鳴らしている。
そして、その流れで本棚に目を向けると、彼は直ぐに興味を引かれたのか本棚へと向かった。

「へぇ…卓君の事だから、漫画本ばかりかと思ってたけど…小説が一杯あるね?」
「まあ、な。親父が物書きをしている関係、って言うんだろうかな、
良く何処からか本を貰ってきてな、その度に読んでみろって俺にくれるんだよ」

他人に本棚の内容を見られるのに何だかこっぱずかしい物を感じ、俺は思わず頭をぽりぽり。

「…ぼくと同じだね。ぼくも父が物書きしてるから、家には本が一杯あるんだ」

言いながら、ヒカルは本棚に整然と並ぶ背表紙に暫し見入った後、
ある一冊の本に目を止めて、「これって」と呟きながらその本を手にとる。

「ああ、それか…確か、それは親父の大学時代の親友が、自分が初めて出版した本だってくれた物だってさ。
その本、何度か読んでみたけど、何だか読んでると心が暖かくなるような詩集だよな?」
「これ…ぼくの父が書いた物だよ…まさかぼくの父が大先生、じゃなくて卓君のお父さんと知り合いだったなんて…」

驚きを隠せぬままに手にした本をぱらぱらと捲るヒカル。
言われて見りゃ確かにその詩集の作者は『いぬがみゆたか』、ヒカルと同じ苗字だ。
そう思うと、ページを捲るヒカルは古い友人に久しぶりに会ったような表情を浮べている様に見えた。

詩集を本棚に仕舞った後、ヒカルはふと、部屋の窓際に備え付けられた勉強机の上にある物に目を止める。

「所で…その机の上に並べられてるのは何?」
「ああ、これか?」
「うん」

机の上に並べられたそれを手にとって、俺はヒカルに聞き返す。
一見したら針金のピンの付いた丸いボールのような奇妙な物体。ヒカルが疑問の感じるのも無理も無い。

「これは閃光玉だよ。このピンを引っこ抜いてから3秒ほどで強烈な光を放つんだ。
その光をうっかり直視したら最後、10分近くは目が見えなくなるぜ」
「へぇ…これが…」

俺がこの閃光玉を作り始めたのは、小3の頃に親父が貰ってきた本に書かれていた製法を知ったその時から。
以来、小学生の頃は親や教師から逃げる時に、そして中学生から今では絡んでくる不良に対する牽制に、
この閃光玉は何時の時だって役に立ってきた。もうこれは俺にとってはアイデンティティみたいな物となっている。
閃光玉が置かれた台の横には、それを製作する為の高精度な計量機や乳鉢、フラスコやビーカーなどが並んでいる。
ここだけを見ると、とても一介の高校生が使っている机とは到底思えないだろう。
もし、これを科学教師のはづきちが見たら何と言うか…

「そう言えば、『片耳のジョン』第18巻で、ジョンがこれに似たのを使ってたような…」
「それ、俺が閃光玉を作ってるのを知った親父が、『面白そうだ』と言ってジョンも作ってるって設定を作ったんだよ…。
俺がそれを知った時の恥ずかしさとあったら、もう今直ぐ穴を掘ってその中に入り込みたいくらいだった」
「うわぁ…ある意味ファンにとって憧れのシュチュエーションじゃないか…なのになんで恥かしいの?」

首を傾げて問うヒカルに、俺は何処か暗い面持ちで『片耳のジョン』第18巻のある一節を言う。

「『この閃光玉はジョンが12歳の頃、カーター家の隣にあるマーカス家の人間の悪童に作り方を教えてもらった物だ』
…この『悪童』は他でもなく俺がそのモチーフ。しかもその『マーカス家の悪童』は後の作品にも度々登場しててさ…」
「えっと、その『マーカス家の悪童』に関する話と言うと、
確か、巨大な落とし穴を掘ったのは良いけど、ターゲットが落ちずに無関係な自動車が落ちて大騒ぎになった話とか。
大木にツリーハウスを作ろうとして、半分ほど完成した所で設置した枝諸共落ちてまたも大騒ぎになった話があったね。
それはひょっとしてひょっとすると…」

更に問うヒカルに、俺は大きく溜息を漏らして、

「それも全部、俺が今までにやった事だよ…親父、俺の忘れたい失敗談を面白おかしく書いて作品に載せるんだ…。
今まで俺は何度も止めてくれって頼んでるのに、親父は「善処する」の一言だけで一向に止めてくれる気配が無くてな」
「そう言えば卓君が図書室へ持ってきてた第21巻でも、『マーカス家の悪童』の話があったね。
爬虫類種の人が冬に飲む保温剤を、ジュースだと間違って飲んでその場でひっくり返ったって話。
それもひょっとして、卓君の失敗談って事かな…?」
「そうだよ…本当にこれだけは勘弁して貰いたいよ。もう次に何を書かれるかと思うと不安でならないぜ…」
「はは、ぼくの父が詩集作家で良かった。少なくとも自分の失敗談を本に書かれたりしないからね」

がっくりと項垂れる俺に、ヒカルは同年代の少年らしい笑いを漏らす。
にしても、もう読まれていましたか……流石は本の虫、ヒカル。俺の口から思わず漏れ出てくる溜息。
無論、この話も、俺が小学生の頃、利里のホットドリンクを間違って飲んでその場で倒れた出来事が元である。
こんな俺の失敗談を親父は何処からどうやって調べ上げているのか分からないが、いい加減止めて欲しい物である。
これ以上、自分の恥を全国レベル、いや、ワールドワイドにふれ回られたくは無い!

と、俺が独り頭の中で憤慨している所で、部屋のドアからコンコンと軽いノックが響く。
このタイミングからすると、どうやら義母さんがお茶とお茶菓子を持って来た様だ。

「卓ちゃん、入るわよ?」
「義母さん、まだ入って良いって……っ!?」

俺が何かを言う間すら与えず、勝手にドアを開けて入ってくる義母さん。
そんな図々しい行動に対して、俺が一言文句を言おうと振り返り――そのまま絶句した。

「今日は主人の大ファンが来ているから、お母さん、張りきっちゃったわよ♪」

義母さんがにこやかに笑いながら呆然とする俺とヒカルの前に置いたのは、何処にでもあるホットケーキ。

……ただし、その量が半端ではない。
何せ皿の上にホットケーキが何十段も積み重ねられ、さながらホットケーキの塔になっているのだ。
……張り切り過ぎだ、義母さん。これ、朱美なら兎も角、ヒカルには明らかに食い切れんだろ?

「ヒカル君。遠慮せずにたっぷり食べて頂戴ね?」
「は、ハイ…」

義母さんは緊張と呆れを入り混じらせた表情を浮かべるヒカルににっこりと微笑みかけ、
ふんふん♪と鼻歌を鳴らしながらスリッパの足音を残して、俺の部屋を後にしていった。
後に残されたのは、盆の上で湯気立てる紅茶と部屋にそびえる一対のホットケーキタワー、
そしてそれを前に呆然とする人間とケモノの少年二人。
「……」
「ヒカル。無理して食わなくても良いんだ…後で俺が何とか……」
「食べるよ、ぼく」
「え? おい?」

暫し呆然とした後、ヒカルは何を思ったか、俺の制止を振りきってホットケーキタワーに挑みかかった。
銀に輝くフォークとナイフを武器に携え、高くそびえる狐色の塔に挑むは純白の毛皮の勇者、犬上 ヒカル。
彼の孤独な戦いの幕は今、切って落とされた!

「…うぷ。もう限界…」

――そして10分後、戦いはあっさりと終結した。
あれからホットケーキを3枚半ほど食べた所で、彼の胃袋が無条件降伏を申し出てきたのだ。
何だってこんな無茶をしたんだこいつは……如何見ても食い切れないだろうに……。

「ほら見ろ、無理して食うからそうなるんだ…」
「で、でも…残したら卓君のお母さんに悪いと思ったから…」

ああ、なるほど……やっぱりこいつ、年上の女性にとことん弱いんだな……
もし、彼のこの性分が大人になっても続いていたら多分、姉さん女房に尻に敷かれている可能性は高いな。

「このホットケーキ、後で朱美でも来てもらって食べてもらうよ。流石に俺でもこの量は食べ切れんし」
「…ごめん…迷惑かけて」

少しでも消化の助けになればとヒカルの背中を擦りながら言う俺に、ぐったりとしたヒカルは申し訳無さ気に言う。
義母さんのホットケーキは美味しい事は美味しいんだけど、ボディブローの様に後になって胃にもたれてくるからな、
それを一気に3枚も食べたとあっちゃ、彼がそうなってしまうのも無理も無い。
まあ、朱美ならば、ホットケーキタワーだろうがものの三十分足らずで全て平らげてくれる事だろう。
……問題は、どうやって義母さんを誤魔化すか、だが……まあ、それは後でゆっくり考えるとする。

「如何する? おやつ食ったら親父の部屋に行こうと思ってたんだが…お前のその様子だと無理じゃ…」
「行くよ。その為にぼくは卓君の家に来たんだ。これ位の事で会わないで帰るなんて今更出来ないよ」

問いかける俺の言葉を遮って、ヒカルは満腹で動くのが億劫な筈の体を奮い立たせる。
ピンと立った白い尻尾から見ても彼の闘志(?)は充分。どうやらここで彼を止めるのは野暮な様で。
ならばと俺は立ちあがり、ヒカルへ手を差し出して言う。

「其処まで言うなら仕方が無い。予定通り、俺が親父の部屋まで案内するよ」
「…ありがとう、卓君」

差し出されたその手を取って、ヒカルは微笑を浮べた。

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