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そよ風の悪戯


見慣れぬバイクが校門で止まっていた。
帰りがけのぼくを引き止めるネコの女性がいた。

「ヒカルくんだよね?覚えてる?わたしのこと…」

ぼくは大きく首を縦に振ると、彼女はバイクのエンジンを静かに黙らせた。
レトロチックなバイクに跨る彼女は確か名を『杉本ミナ』と言ったはず。

短い金色の髪が光りを受けて白く輝くヘルメットから顔を見せ、
古めかしい車体の大きなバイクは楽々と彼女の細い体で操られていた。
まるで荒れ狂う馬に跨るジャンヌ・ダルクのように。

「ねえ、どこに止めたらいいかな…。コイツったら」
「えっと、自転車置き場があるのでこっちにどうぞ。すぎも…」
「ミナでいいよ!」

気持ちいいくらいからっと澄んだ女の子らしい声が、端的に彼女の性格をよく表す気がする。

ミナはすっと尻尾を振り回しながらバイクから降りて、ぼくと一緒に自転車置き場へと愛車を押していく。
少し帰りが遅くなったぼくも一緒に自転車を押して、つい先程までいた自転車置き場へ付き合うことにした。
顔が映るほど磨かれたメーターが示すように、きれいに磨かれたレトロ調のミナのバイク。
ミナはこれでもかと自慢することなく、さりげなくぼくに見せ付ける。

「これ、『エストレア』だよ」
「エストレア?」
「そそ。のんびり走るにはコイツが最高なのね」

ぼくの細い自転車とは違い、荒々しいメカ丸出しのエンジンに上品に滑らかなボディは野性的でもあり、
女性的でもあった。そう、ぼくの横にいる杉本ミナのように。

自転車置き場に近づくと、きれいに並んだ自転車に紛れて大きなバイクが一台見えてくる。
ミナのものとは少し違い、精悍な体つきを持ちつつ大人の貫禄さえたたずむ大きなバイク。
それを見て鋭く反応したミナは少年のように声を上げた。

「あれ?あのZⅡさあ、誰の?」
「あのバイクですか?あれは現社の先生の…」
「男の先生?」
「いや…女の先生です。獅子宮先生って言う」

まじまじと獅子宮先生の愛車を眺めながら、なかなか年季の入ったヤツだよね、とミナが語る。
こんなに愛されながら乗ってもらえるなんて、ZⅡも果報者だと。
ミナのバイクに対する愛情がひしひしと伝わってくる、そんな優しい一言をかみ締めて、
頷き尻尾を思わず揺らしていると、ミナが声を上げる。

「あぶない!尻尾!」

いきなりの声で反射的にぼくは尻尾を丸めると、先程の気の強い顔は飛び去り、少し焦ったミナを見た。
ミナはぼくを心配する顔をして、まるで実の弟のようにぼくを叱った。

「ふう、マフラーで尻尾が焦げるところだったよ。
 エンジン止めてもこいつだけはまだまだ熱いんだから気をつけてね」


ミナは自転車置き場の開いた場所にバイクを止めると、白いヘルメットを脱いでぶるると首を振る。
同じくぼくもその横に自転車をとめると、ミナはぼくにヘルメットを手渡してきた。

尻尾をブラシで梳くからちょっと持っていてとミナは言う。きょうは風が強いから、尻尾がちょっと乱れちゃった
とぶつくさと言いながら、ミナは袈裟懸けしたバッグからブラシを取り出す。
そう言っている間に風がぼくらの間を通り抜ける。
バイクのシートに腰掛けて、器用に手元に風に晒された自分の尻尾を回し、丁寧に梳き始めた。
黙ってぼくはミナのヘルメットを抱えてその光景を見ていた。

「メットから、お姉さんのいいにおいがするかな…?ヒカルくん」
「……」

髪を梳きながらミナはぼくをからかう。ぼくはぎゅっとミナのヘルメットを両手で抱えていた。

尻尾を梳き終わったミナは辺りを見回し、きょうの授業を終わらせた学び舎を見つめる。

「サンはまだ?」
「サン先生?」
「そそ。サン・スーシだよ」

生憎、サン先生は追試の監督で教室にいるのだ。始まったばかりの追試が終わるのはあと30分後。
ぼくの帰りがちょっと遅くなったのはサン先生の命で、残されていたからだ。文系教科なら得意なのだが、
理科系独特の『理論』だの『理屈』と言う言葉はなかなか難儀なもの。
数学者の話しは好きでも数学の計算式ははっきり言って苦手。

放課後の学園は若者の自由と学生の義務が交錯する空間なのだ。そして、自由を持て余すお気楽三人組がここに集う。
そう。グラウンドでは中等部のおき楽三人組が野球をしているのである。
アキラが腕を風車のように回して暴走しているのがここからでもはっきり見える。

「オラオラオラオラオラ!!ナガレいくぜえええええ!!」
「……」

あっけなく風に乗せられ、セロテープで固められた紙の球はポカチーンと打ち上げられ、
球は腕を伸ばしたアキラの頭上を鳥のごとく飛んでいった。

「うおおおっ!オレのWBC仕込みの大リーグ球が打たれるとは!タスク!バックバック!!」
「ふわぁ!」

青い空にふわりと舞う球は地面に落ちて風に煽られて転がり、ぱたぱた走るイヌ少年に追い駆けられる。
球を見失ったタスクは「貴重な球を失くすな」とアキラからの怒声を浴びる。
一方、ナガレは彼らを横目にのんびりグラウンドを周り、楽々とランニングホームランを決めていた。

「ははは。アイツらバカでいいよね」

ミナは笑いながら、グランドで跳ね回るおき楽三人組を見つめていた。
風がぼくの毛並みをすり抜けてゆく。春風はぼくを冬の眠りから目覚めさせる。


「ところで、ヒカルくんさ。彼女はいるの?」

そういえば、この前も同じことを聞かれたような気が。ぼくはミナにからかわれているのか。
いきなりの質問に黙って横に首を振ると、ミナは自分の手の毛並みをペロペロと舐めていた。
きっとミナなりの照れ隠しなのだろうか。さっきまでの『お姉さん:』は『子ネコ』に移り変わっているではないか。
滑稽なことに子ネコは子ネコの姿のまま、オトナの返事をしている。

「そっかあ。きっとヒカルくんもいつか、いい子と出会うはずだよ」
「ぼくなんか、人と話すのは苦手だし…恋人なんかできませんよ」
「話しなんかできなくったって、好きになったら関係ないよ。例え、ずっと顔なんか見えなくてもね」

続いてバイクのシートに座ったままミナは尻尾の毛を指で摘み、恥ずかしそうに話している。
ぼくはさらにぎゅっとミナのヘルメットを抱え込むと、暖かくお姉さんの匂いがする。

「わたしってね、ネコってことが時々嫌になるんだよね。気まぐれだし、素直じゃないし。
 ヒカルくんみたいなイヌに憧れるんだよ。わかるかな…これ」

ぼくと目を合わせずに話すミナは足元の小石をぽーんと蹴った。
グラウンドではタスクがぽーんと球を打ち、何も言わずにナガレがキャッチしていた。

「あのとき、言っとけばよかったのね。今考えたらさあ」
「あのとき?」
「うん。わたしがヒカルくんよりちょっと上の歳のころのことね。
 でも…また、きょうここで会ったら言えなくなっちゃうかもな」

遠くでアキラの大きな声が響く。

「タスクー!今度アウトになったら、ここで好きな子の名前を叫べ!」
「そ、そんな!ぼく…」

毛繕いの手を止めて、ミナが呟く。

「そうね。わたしもあのときそうしときゃよかった。
 だって、一緒に過ごす時間なんてあのときぐらいしかなかったじゃないの。
 アイツったら、こういうのって鈍そうだし……ごめんね。愚痴っぽくなってるかな。わたしのバカバカバカ!」

アキラが球を投げる。構えるタスクは力いっぱいバットを振る。
タスクが球を打つ。バットに運をつけた球は気持ちよく跳ね、守るナガレをかすめて素早く転がっていった。

「わーっ!ナガレ!そんな球、ミスるなよ!ナガレのバカバカバカ!!」

ぼくはヘルメットを少女のように恋に恋焦がれるミナに返す。
するといきなり、
「よしっ!ヒカルくん。ヤツラと一緒に野球をするぞ」

ミナはヘルメットをバイクのミラーにかけて叫ぶ。


ダウンベストを揺らしながら、ミナはおき楽三人組に向かって走り出した。
ミナは少年のままだ。ミナは少年をオトナにしたような…
いや、ミナは女性だから違っているような、でも強ち違わないような。

そうだ。泊瀬谷先生とは全く違うタイプの女性というのは間違いない。
泊瀬谷先生は言ってみれば、ぼくのような若輩者が見ていても何かをしてあげないといけないような人だ。
ミナの方はと言うと、ぼくのような若輩者を見ると何かをしてあげないといけないくなる人だ。

そんなミナはブーツをグラウンドの砂で埃まみれにしながら、お気楽三人組に向かって駆けて行く。

「おーい!きみたち中学生?」
「へえ、野球ごっこかあ。いいなあ」
「グラウンドで走り回ったら楽しいだろうなあ」

そんな会話が遠くから聞こえてくる気がしないか。
いつのまにかにミナはお気楽三人組に溶け込み、ぼくに向かって手を振っていた。

ぼくが駆け付けるとミナはお気楽三人組と掛け合い漫才のような会話をしていた。
その証拠にタスクが早速ミナに気に入られているのだ。

「きみにはお姉さんがいるね?多分!」
「ええ?そ、そうです!」
「やっぱり。おお、ヒカルくんも来たか。みんな揃ったところでポジションの発表をしようかな。
 ナガレくんがピッチャー、アキラくんはファースト、タスクくんはライト、ヒカルくんはショート。
 そして、バッターはわたし!いい?それじゃあ、みんなしまっていくよ!!タスクくん、声が小さい!」

バットを持って張り切るミナの振り分けの元、ぼくとお気楽三人組みはそれぞれのポジションに着く。

ナガレがじっとミナのバットを持つ構えを見つめている。太陽の光を受けてメガネが反射する。
そして、剣道の面を振り落とすがごとく鋭い動きで第一球を投げると紙くずとは思えない鋭い速さでバットに飛び掛った。
ミナがバットを振る。球が当たる。そして、ポカチーンとあっけなく打たれた球は天に虹を描くように空を切る。

「ヒカルくん!バック!バック!!」

ぼくは必死に球を追いかける。こんなに走るのは体育の時間以来。球は風に吹かれて距離を伸ばす。
地面に落ちる前に捕球しようとぼくはジャンプをするが、タイミング悪くぼくの方が地面に落っこちてしまった。
そして、ぼくを笑うように球はぼくの頭の上に落っこちた。

「ははは!ヒカルくん!ファインプレー!」

ミナはぼくに『賞賛』の言葉を与えてくれたが、無様な格好をミナに見せてしまって、少し心が痛い。


ミナの声とは別に、遠くで声がする。
子どものような大人のような、学園ではその名を知らぬ者はいない人気者。そう、ご存知サン・スーシ先生。
サン先生は泊瀬谷先生と取りとめの無い雑談を交わしながら、グラウンドの側を歩いている。
どうやら数学の追試が終わったようである。

いつものように目をらんらんと輝かせながら、泊瀬谷先生と歩く姿はまるで子どものよう。
その声にミナも動きを止めている。そしてサン先生の方はと言うと、持ち前の大声でぼくらに向かって叫んでいる。

「おお?ヒカルくんにアキラくんたち?球技はぼくの得意分野だってコト、知ってるよね?」

これはサン先生なりの「野球に参加させろ」の合図。
敏感なサン先生によってぼくらのお遊びを嗅ぎ取られてしまった。
サン先生は素早くグラウンドに入り込み、センターのポジションに着くと、さあ来い!と球を待ち構えた。

「おお?サン・スーシか。待ってたぞ」
「なんだと?杉本ミナ!ぼくに取れない球があると思ってるのか?」
「バーカ。サンなんかに取れっこないよ」

バットをブンブンと振り回し、約一名に限って挑発しているミナだった。
トントンとバットを地面に叩くと、ミナはぼくらに向かって声を飛ばす。

「よーし!わたし、本気出しちゃうからね。きみたち、覚悟しなさい!」

ミナはナガレにど真ん中に球をよこすように目で合図する。ナガレも渾身のスイングでミナのリクエストに答え、
まるで獲物を見つけたハヤブサのような球をミナに向かって投げた。

見事にバットの芯を捕らえた打球はきょう一番の放物線を描き、サン先生へと向かってのび続ける。
球が先か、サン先生が先か。勝負はこれから。

「もらったぞ!!」

サン先生の小さな身体は砂煙を上げながら地面を蹴って飛び上がり、
傾きかけた太陽と重なり小さな体のシルエットをぼくらに見せ付ける。
空中で手のひらに球が吸い込まれると、サン先生はもんどり打って再び地面に生還し、
ニヤリとぼくらの方に向かって雄叫びを上げる。

「あははは!どうだ!!学生時代『フリスビー連続キャッチ選手権』で優勝したのも伊達じゃないぞ!」
「初めて参加したときに、フリスビーを顔にぶつけて泣いてたくせにー!」
「泣いてないって!!」

ミナとサン先生とのやり取りに、アキラたちはどっと笑っていた。もちろん、ぼくも笑った。
フリスビーを顔にぶつけて泣いているサン先生、そんな姿が目に浮かばないか。


―――遊び疲れたアキラとナガレは帰り支度へと校舎に戻り、ぼくは帰宅のため泊瀬谷先生と自転車置き場に向かった。
サン先生も自分の荷物を取りに職員室に戻る。もうすぐ下校の時間。現を抜かしている時間はお終いなのだ。

一方ミナはタスクが気に入ったようで、しきりにタスクの尻尾を追い駆けて遊んでいた。
逃げる尻尾を掴んでは離し掴んでは離しと、走り周る姿はまるで姉妹でじゃれ合う子猫のよう。

「や、やめてよお!」
「ははは!タスクくんは彼女はいるのかね?」
「い、いないよお!」
「じゃあ、彼女が出来たらこんなことされるのかなあ」

確かにタスクは年上の女性にかわいがられる(からかわれる)のが得意のようで。
アキラが「早く来い」と叫び、ナガレがメガネを陽に光らせている。
ぼくのそばでは泊瀬谷先生がくすくすとその光景を見ながら笑う。

「ヒカルくんって、やっぱり…ああいうお姉さんのほうが…」
「…え?」
「なんでもないですっ。ごめんなさい」

ふわりと髪を揺らし、泊瀬谷先生はすっとぼく横から駆けていった。
コツコツと大人の足音だけが逃げていった。

「こらーっ!ヒカルくん!下校の時間だぞー!」

白い尻尾と両手で握ったトートバッグを揺らしながら、泊瀬谷先生は自転車置き場でぼくを呼ぶので
急いでぼくは自転車置き場に走り、一緒に学校を後にすることにした。

「ヒカルくん。さっきのこと、気にしないでね」
「……」
「ほ、ほら!さっきの野球、カッコよかったよ」

必死に慣れないウソを吐く泊瀬谷先生は、正直すぎると思う。
こんなぼくにでも一発で見破られる、真っ白なウソしか吐けないなんて。
押されて自転車の車輪が回る音だけが、ぼくらの気まずい間を繋ぐ。やがて、ぼくらは校門に近づいた。


ぼくらは白いヘルメットを被ってバイクに跨るミナが、
校門の前でリュックを背負ったサン先生と何かを話しているのを目撃する。

愛馬と共にはやる気持ちを抑えきれない旅人と、一時の別れを惜しむ弟のように見える。
ミナは今から帰るところなのだろう。毛繕いをしていた繊細なミナと違って、からっとしたミナがぼくの目に映る。

「ねえ、ラビットはどう?」
「ああ、街乗りには最高だよ。ミナもエストレアに結構乗ってるよね」

サン先生はくんくんと鉄の馬の匂いを嗅ぎながら、傾きかけた陽を跳ね返すバックミラーに負けじと目を輝かせる。
ぐいっとミナはタンクに顔を近づけたサン先生の頭を押さえ込んだ。

「ZⅡに乗ってる先生、いるね」
「獅子宮センセ?は…はは」
「怖いんでしょ?獅子宮先生って人。いつも叱られてるんだ」
「うるさいよ!」

校舎からアキラたちがぼくらの側を通って帰宅して行く。言うまでも無く、三人の話題はミナのことで持ちきりだった。
特にタスクはミナに気に入られていたことに、二人から突っ込まれていた…というのは言うまでもない。

「サン先生、さよならー」
「おお!宿題忘れんなよ!」
「はーい。あっ!ミナさんもさよならー」
「あ…、カッコいいな。そのバイク」
「また、野球やろうね!タスクくん、しっぽ!しっぽ!」

タスクの毛の乱れた尻尾がアキラとナガレの笑いをクスクスと誘い、黙って彼らを見ている校門を潜っていった。
お気楽三人組の帰りを見届けると、サン先生はミナの足を軽く蹴りながら問い詰めた。

「ところで、ミナさあ。男子をかどわかして、何やってるんだよ。
 あの歳の男子はコロッとミナくらいの子になびいちゃうんだよ」

「だって、男の子たちと外で遊ぶのが楽しいんだもん」
「ったく、アイツらを勘違いさせんなよ」
「なによ!まるでわたしが悪い女みたいじゃないの。
 その気になんかさせてないもん!だって…弟みたいでかわいいんだもん!」

「ぼくはミナみたいな子が家にいたらやだなあ」
「わたしだってサンみたいな兄弟がいたら、毎日蹴り飛ばしてるよ」

学生時代もミナはサン先生をからかい、そして手のひらで踊らせていたのだろう。そんな姿が目に浮かばないか。
ミナはバイクに跨ったままサン先生の足を軽く蹴り返すと、

「また来るね」と、エンジンの音を立てて学校からの坂道を下っていった。


「あれ、サン先生もおかえりで?」

泊瀬谷先生は小柄な若き教師ににこっと微笑みかける。その教師は照れくさそうに微笑返し。
春風に乗って咲くことを恥ずかしがる、桜の花のようにも見えるというのは言いすぎだろうか。
サン先生は少し俯き加減でぼくらに話す。

「どうして女の子って…ねえ!ヒカルくん!」
「ええ?は、はい?」
「この間、ミナが旅に出かけてさあ、帰ってきたからてっきりお土産でもと思ったら…。
 なんだい、ぼくに会っておしまいだなんて言うんだよっ。なんかお土産くれよお!けち!」

そういえば、ミナの顔がサン先生と会う前と会った後で、明らかに輝きが違う。
ぼくの瞳を信じれば、きっとそうだった。
まあまあ、とサン先生をぼくがなだめると泊瀬谷先生がポツリ。

「ミナさんって言うんですか?あの女の人。かっこいいなあ、わたしもバイクに乗ろうかな…」
「……」
「……」
「心配しちゃったかな。ごめんなさい」
「いつか、先生をバイクに乗せてあげますよ」
「え?」

泊瀬谷先生はぼくが初めて先生と一緒に帰った、秋の日のことを覚えているのだろうか。
そんなことをふと思いついた矢先、ぼくの口からそんな言葉が飛び出したのだ。
あの秋の日のせいだ。ぼくが泊瀬谷先生を困らせることを言わせたのはきっと、秋の日のせいだ。

泊瀬谷先生の足音が消えた。サン先生も歩みを止める。
風の音だけが聞こえてくる。花をまだ知らない桜の枝がぼくらに小さく腕を振る。

このときばかりは落ち着きの無いサン先生も黙ってぼくらを見ていた。
この沈黙はぼくが破る。

「風が大分暖かくなりましたね」
「うん…そうね!」

バイクに一緒に乗ったら、あのときの風がまたぼくらに吹くんじゃないかと。
あの秋の日に、泊瀬谷先生を自転車の後ろに乗せた日のことを毎日思い出せるんじゃないかと。
どうして、こんなことを考えているんだろう。きっと、ミナが仕掛けた悪戯に嵌ってしまったのかもしれない。
できることなら、満開に咲いた桜の花の中に飛び込み隠れてしまいたい。が、季節はそれを許してくれはしなかった。

泊瀬谷先生はぼくの顔を覗き込むと、尻尾を揺らしてぼくに尋ねる。

「ヒカルくん?バイク、乗れるの?」
「……いいえ」
「おや?ヒカルくん!バイクに乗りたいの?難しいぞお。数学が出来なきゃ免許は取れないからね!!」

ぼくのようなバイクの素人が聞いても、嘘っぱちだと分ることを平気で言い放つサン先生。
その目はシロ先生や英先生に仕掛ける悪戯を思いついたように、当然ながらキラキラとさせていた。
さらに泊瀬谷先生もサン先生と同じように目を輝かせて、ぼくに張り切って言い放った。

「野球の球も取れなきゃ、バイクの免許は取れないぞお!」


おしまい。