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ヤマネコ


わたしの目の前で、市電が走り去ってしまった。
いつも何かに取り残されてばかりだと悔しい思いをかみ締めて、ぎゅっと拳を握り締めながら停留所で一人たたずむ。

「ったく…、ついてないな。ロードワークついでにひとっ走りするか」

爪を引っ込めてメガネのつるを摘み、ジムまでひと汗覚悟で駆けて行く準備。
すたっと横断歩道を駆け抜けて、制服のスカートを翻しながら一雨ごとに暖かくなる街の風を切る。

手を握り締めると、不思議と何かに燃えてくるので不思議だ。拳はわたしの宝物なのだろう。
ただでさえ少ない種属・イリオモテヤマネコ族なのに、男の子のようなショートヘアと内気な性格のおかげで
他の子たちからからかわれてきたわたしが出来ること。それは、おのれの拳で語ることだけだ。

拳は正直者。相手がトラであっても、オオカミであっても理屈を捏ねることなく白黒はっきりさせてくれる正直者だ。
しかし、規律正しい学園の中で暮らしてゆくには拳は正直者に『バカ』がついてしまう厄介者となるだろう。
そんなオトナの顔をした学園であった話。

「鎌田!起きろ!もうすぐ啓蟄だぞ」
「……まだまだ2月じゃないか。2月はGⅠがあったかな…、3月は中山…」
「ヒーローが縮こまってどうする!正義の拳を振りかざせ!」

ウマの塚本とシカの来栖が半纏に包まった「ライダー」こと鎌田を囲み、奮い立たせようとしている。
鎌田も鎌田でまだまだ寒いからと一向に動く気配も無い。ここまで登校することが出来たことが奇跡だ。
関わらないようにと、わたしはクラスの子たちと一緒に鎌田のことで笑っていた。

「ヒーローごっこなんてやっぱ男子ってバカタレだよね、りんご」
「そ、そうだよね、リオ。はやみもそう思う?」
「そうね…あはは」

正直者の仮面を捨てて、上っ面のウソをつく。

ヒーローなんているのか。ヒーローなんてわたしたちの幻想ではないのか。
幼い子には映っても、大人になればなるほど薄っすらと消えてゆくヒーローに思いを馳せているなんて、
鎌田もわたしも同類なのかもしれない。事実わたしがヒーローになれるかも…なんて思ってもいなかったし。

「とお!!」

ヒーローのような掛け声で、ジムにわたたしは駆け込む。スカートがふわりと風にのっても下はスパッツだから気にしない!


「きょうは早かったな、瀬戸はやみ」
「へへ、勢家さん。きょうは走ってきたんですよ。遅刻なんてもうしません」

わたしが挨拶をするまで、オニのような顔をしていたトレーナーがニッとジムに似合わない笑顔を見せ、わたしを出迎えてきた。
カンガルーである彼はそんな雑談はさておきと顔を元の真面目な顔に戻し、わたしに着替えて、ウォーミングアップの要求をする。
スパーリングの音が響くジムをわたしはスカートを翻しながら横切る。

きっかけは些細なことだった。
ヒーローになりたかった。
ただそれだけ。

ものごとは始める理由なんて、たったそれ程度でも十分な言い訳になるはず。
Tシャツに着替え、ジャージを履けばわたしが何者だろうが拳だけを信じる一人っきりのヒーローだ。

「着替えてきましたあ!」
「お前、メガネを取ると大分印象が変わるな。いつものことだけど」

あれは伊達メガネ。ボクシングをしていると顔にパンチが当って悲しい顔になってしまうことが多々あるから、
普段はこうしておしゃれで隠してるんですよ。わかりますか?トレーナー。

きっと、クラスのみんなはわたしがボクシングをやっているなんて知らないだろう。
むしろ、わたしにとってはみんなに知られないほうがいいかもしれない。
それは、人知れずヒーローになることがわたしにとっては拳を握る原動力になるからだ。
身体を温めながら、先輩たちがリングの上で拳を交える姿を見る。

このジムで身体を動かす女の子はわたしだけ。
人数も少ないし、チャンピオン育成どころかやる気があるのかどうかわからないここのジム。
カンガルーのトレーナーやヤマネコの会長の人徳だけで続いているようなものだ。

そんな『対馬野ジム』に通うようになったのは一人のヤマネコのおかげ。同じ血が流れるもの同士わかるのだろうか。
わたしが、いじいじと毎日暮らしていたのを公園で見て、拾ってくれたのが会長の一人娘、対馬野はな。
わたしと同じヤマネコだったからか、はなは自分にわたしを重ねて一人ベンチでたたずむわたしに

「あなただったら、大丈夫」と根拠の無い激励をしてくれたことを忘れない。


2年前のあの日、わたしは一人だった。何もかも終わればいいと思っていた。
生まれながら正直なのが災して、損ばかりしていたわたしは何もかもがわたしを苦しめるものに見えた。
わたしが座っているブランコでさえ、嘘っぱちの固まりに見えてくるからその日のわたしはおかしかったのかもしれない。

わたしだけに見える刃こぼれのした剣を振り回して、わたしを苛める何もかもを斬り倒したい。
例え誰かを斬り倒しても、許されるんじゃないかと、自分勝手な解釈を始めるわたしは末期症状。

「バカー!!」

石を蹴り上げ、街に叛旗を翻したぞ、という中学生男子のような過剰なえらぶりっ子をしていると、
一人のネコにこつんと当った。しまった、わたしはそこまで悪い子じゃない。

「ごめんなさい!!」
「わたしは大丈夫」

大人びたネコ…ヤマネコが髪をなびかせ、わたしを許してくれた。

わたしと違って髪も長く、大人の香りのする彼女は理由も無くわたしの味方をしてくれたのだ。
わたしは彼女と話しをした。ここ最近、これ以上お喋りしたことなんかないと思うぐらい、彼女に自分のことを話した。

「わたしもね、ツシマヤマネコって言う種族だから、はやみちゃんもことがとっても分かるの」
「お姉さんも…わかるんですね。ヤマネコの辛さを」
「そうね。そうそう…興味があったら、ここにおいで。あなただったら…大丈夫…」

名刺を渡してそういい残すと、せきをしながら彼女は正直者の街に消えて行った。
対馬野はなは全てを敵に見ていたわたしの持つ剣を優しく握り締め、鞘にそっと収めてくれた。

彼女に引かれて、ここの門を叩いたのは言うまでも無いこと。
初めてはめたグローブも、今じゃすっかり手に馴染み、これさえつければ何でも出来るんじゃないかと勘違いするようになった。
初めはすぐにばててしまったロードワークも、自分を苛めるが快く感じることさえなってきた。

「さて、はやみ。ロードワークにでも行ってこいよ…」
「ええ?わたし、さっき走ったばかりですよ」
「バカタレ、たったそれしきで体が出来たと思うなよ。それじゃあ、おれは病院からはなちゃんを迎えに行くかな」
「勢家さんのバカー!」

素直にトレーナーの言うことを聞きながら、リングに上がる時間を待ち望み、春風が控える街に駆け出る。

わたしだって、ヒーローになれる…かな。
もうすぐ、春。鎌田はそろそろ起き出すけれども、わたしはとても今、眠い。


おしまい。