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さよなら早良なずな


「あの、あの…、泊瀬谷センセ!これ…受け取ってください!」
「ええ?」
「センセ!それじゃあ!!」

わたしが仕事を終えて帰宅しようと自転車置き場に向かう途中のことだった。
一人のシロネコの少女がわたしにきれいな包み紙で飾られた小箱を渡して、何処かへすっとんでいった。
金色の腰まで伸びた長い髪、黒のビーニーキャップ、そしてまだまだ寒いというのに薄そうなシャツと
フリルのミニスカートを身にまとっていた少女。ガールズバンドのボーカルかのような雰囲気さえ漂わせる。
彼女の歳はわたしの受け持つ高等部の生徒と同じくらいか。他校の生徒としたら、どうやってここに入ってきたのだろう。
さらに不思議なことに、初対面なのに彼女は私の名前を知っていたのは何故だ。あれこれと頭の中がぐるぐると酔う。

確かに添えられたカードには『泊瀬谷先生へ』と書かれていることからして、わたしへの贈り物と推測は出来る。
もしや、何か思惑があってわたしに贈り物でもしたのだろうか。そういえば、きょうは2月13日の金曜日。
こんな日だからこそ、悪いことが何もなければいいが…、と不安がよぎるわたしは考えすぎなのだろうか。
しかし、考えようによってはあしたバレンタインデーだし、ってなる。
いや、獅子宮先生ならまだしも、女の子からチョコレートを貰うほどわたしは格好よくないぞ。

戸惑いながら包み紙を開くとチョコレートでも入れるようなきれいな小箱が現れる。高級そうな包み紙は
口に入れると上品な甘さ広がる海を越えたココアのお菓子がよく似合う。
その包みを丁寧に捲り、小箱のふたを開けると中から現れたのはいちまいの写真と折りたたまれた便箋。
ところがその写真を見るやわたしは全ての毛が逆立った。

わたしが生徒たちの下駄箱からきれいな封筒を取り出している写真だ。しかし、その写真の裏側に書かれた文章、
一行足らずのいまどきの女の子が書くような可愛らしい色文字なのに、残酷にもわたしに耳へと茨のように突き刺さる。

『2月14日撮影。泊瀬谷先生が生徒の下駄箱に恋文を入れています』

さらに同じ箱に入っていた手紙には同じように、可愛らしい文字でこのように書かれていた。

『この写真を来週月曜の16日、教頭先生に送りますね。もちろん写真の裏の文章もいっしょにね』

ちがう。天地天命に誓っても違う。わたしは恋文を生徒の下駄箱に入れたことはない。
『2月14日撮影』とわざわざウソを記すところからして、何かの罠に陥れられたのだろうか。


―――2月12日、昨日のこと。
いつものように自転車に乗って帰宅しようと鍵をトートバッグから取り出そうとしたところ、無い。鍵が無い。
そうだ、今朝自転車の施錠を忘れていたことに気付いた。わたしがよくする凡ミスだ。やれやれ、
わたし。しっかりしろ、と自分自身に呆れながら自転車を引っ張ると動かない。

「あれ…、鍵がかかってる?」

確かに鍵をかけた覚えは無い。なのに、自転車の前輪は駄々っ子のようにわたしの言うことを聞いてくれない。
焦るわたしの目に飛び込んだのは前籠に入れてあったピンク色の小さな封筒だった。
『泊瀬谷先生へ』と、小さな文字でプリントされた封筒を手にする。手紙は匿名である。なんだろう、これ。
と、封筒を開くと『自転車の鍵は下駄箱に入れてあります。場所は…』との旨が書かれていた。
やれやれ生徒の悪戯か、と呆れつつ指示された場所に向かった。

場所は高等部の下駄箱。下校時間をとっくに過ぎているので人影は無く、風だけが通り過ぎてゆく。
手紙を手にして、いつもは生徒たちで賑わう下駄箱の周りをうろつきながら、指示された靴入れを探し始める。

「えっと…この列の上から4番目、右から12番目…と」

手紙に指示されるがまま靴入れのふたを開けると、生徒の上履きと共に先ほどと同じようなきれいな封筒が入っていた。
まるで、女の子が恋焦がれる男の子に差し出すような、見ているだけで甘酸っぱくなるブルーの封筒。
その封筒には封はなされず、拾っただけでふたが開く状態で生徒の上履きの上に乗っていた。

と、その瞬間後ろからシャッターを切る無機質な音が聞こえた。

「誰?!」

音の方向に尻尾を回しながら振り向くが、人影は無い。
振り向いたと同時に封筒が開き、中からわたしの自転車の鍵がぽんと落ちてきた。


―――わたしは確かに生徒の下駄箱から封筒を取り出したことはあったが、恋文を入れたことは無い。
しかし、写真に写った見方によっては『下駄箱に封筒を入れている』ようにも見える。
裏に書かれた文章を見れば、九分九厘の者は恋文を下駄箱に忍び込ませているように受け取ってしまうだろう。

写真は真実だけを伝える。いや、見たままのことしか伝えることが出来ない、意思の無い刃のようなものだ。
その刃は使い方一つで心強い味方になるか、残忍な仇にもなるということはきょうの贈り物で証明できる。
この『早良なずな』という人物は何を考えて、このような行動を取ったのだろうか…。

このまま家に帰ることに不安を覚え、わたしは職員室に戻った。
暖かい職員室では未だ帆崎先生と獅子宮先生が談笑していた。

「わたしはバレンタインなんぞ、軽々しい騒ぎは好まん。巷は揃いも揃いやがってバレンタインと騒ぎやがる」
「はは、獅子宮センセらしいっすね。シロ先生はどうかなあ」
「シロ先生は…、興味ないんじゃないのか?みいちゃんはあちゃんな若いネコとは違うからな」
「あしたがバレンタインっていうのに、何の素振りを見せないシロ先生は仕事熱心ですからね。教師の鑑ですよ」
「ははは。帆崎はさんざん、ルルからチョコレード攻めに遭うのを覚悟するんだな。この果報者が」

帆崎先生は照れながら書類を添えていた。きっとうちに帰るのが楽しみなのだろう。
シロ先生も先ほどまで職員室でコーヒーを飲んでいたのだが、
ちょっとやることがあると保健室に閉じこもってしまったのだ。
帆崎先生はわたしが近づく足音に反応して、いつものような明るい声で話しかけてきた。

「おや?泊瀬谷先生、いかがしました?」
「実は…」

ことの話を両先生に話すと、帆崎先生は頷きながらある人物の名前を口にする。
それはわたしも知っている(と言うより、さきほど知った)あの名前。

「アイツか…。早良…」
「ご存知で?」
「ああ、早良なずな。アイツはなぁ、確か中等部に進んでからぱったりここに来なくなったんだ」

帆崎先生の話によると、早良なずなという生徒は佳望学園に在籍し普通に進学していれば、高等部にいるはずの生徒とのこと。
しかし、学費や単位の関係で進級もできず、今では宙ぶらりんの状態で、学園に姿を見せることは滅多に無いと言う。
生活指導の帆崎先生は自由気ままな彼女のことで、今までずいぶんと悩み続けていたのだ。

「面白いヤツだな、早良ってヤツは」
「獅子宮先生!」

煙の立たない咥えタバコをセキレイの尾のように揺らしている獅子宮先生、
まるで早良なずなに振り回されるわたしたちを面白そうに傍観しているようでもある。
不安で落ち着かないわたしはスカートの裾を抓りながら呟いた。

「初めに会った、金髪の…」
「ソイツが早良なずなのはずだ」

帆崎先生の目の色が変わる。彼女はまだこの辺りにいるかの可能性があるらしい。
兎に角、わたしたちは外に向かった。


小高い丘に建ち、木々に囲まれた佳望学園。その林は沈みかけた日に照らされ、色濃く影として空に浮かび上がる。

「早良を探す時には上を見るんです」
「ええ?」
「アイツは木から木に跳んで逃げ回るんですよ。ネコですから」

彼女のクセを知り尽くしている帆崎先生と一緒に、わたしは早良なずなを探しに校門から延びる長い坂を歩く。
捜索隊は二人っきり。獅子宮先生は「くだらない」と職員室に残ったままだった。
丘の上から見えるのは光が灯り始めた街。
まるで宝石のように美しく輝き始めている街だが、そんな景色を楽しむ余裕は一寸も無い。

夕方と夜の間ぐらいの時刻。わたしたちが早良なずなを探すのに夢中になっていると、坂の上から小さな灯火が下りてくる。
その灯火は金属が軋む音を立てながら、すっとわたしたちの前に止まった。

「どうしたんですか」
「ヒカルくん?」
「犬上くん。遅くまでどうした?とっくに下校時間は過ぎてるぞ」

マフラーをした下校途中のヒカルはわたしたちを不思議そうに見ていた。
わたしと帆崎先生がヒカルを囲むと、自転車からすっと降りて呟く。

「図書館から追い出されたんです…」

本を読むのに夢中になって、すっかり下校の鐘が頭をすり抜け、
司書の織田さんから促されて帰宅する途中だった。

「追い出されたって…。こんな時間まで気付かないなんて犬上も変わったヤツだな」
「帆崎先生、すいません」

当然のようにヒカルはわたしたちの今の状況を尋ねる。
「なんでもないの」とこの場をさらりと流したい。
ヒカルが早くここから立ち去って欲しい、と心の底で切に願う。何故なら…、
昨日、わたしが下駄箱の写真を撮られたときに開けたのはヒカルの下駄箱だったからだ。
場所からしてはっきりと写真で分る。

もちろん、ヒカルの下駄箱でなくてもヒカルには知られたくはない。
おそらく、ヒカルの下駄箱だからだって慌てふためいているのは世界中でわたしだけであろう。
名もなき街に一人取り残された気がしてきた。周りは平然としているのに、わたしだけが不安になっている。
きっと、早良なずなはわたしがヒカルの下駄箱に恋文を入れたように言いまわるだろう。
ヒカルには迷惑はかけたくない。ヒカルの白い毛並みを汚す者は許さない。
そうだ、痛い思いをするのはわたしひとりだけでいい。


「いたっ!」

わたしの耳に小さな固まりがぶつかり激痛が走った。反射的にかがんだわたしに、ヒカルと帆崎先生は慌てて振り向く。
足元には折れた小枝が転がっていた。人の手でへし折られた小枝が上から飛んできたことはまちがいない。

「上の方から…、上の方から何かが…」

と、わたしが痛む耳を押さえながら上を向くと、
枝だけが伸びる桜の木の枝に、小枝を持ったネコ少女が腰掛けていたのだ。
自転車置き場で小箱を渡してきた少女、正しく彼女だ。そして、正しく彼女が早良なずなであった。

「オトナをからかうと面白いね、泊瀬谷センセ」

彼女はわたしたち三人を見下ろしながら、ケラケラと笑うネコ少女。
片手で折れた小枝をバトンのようにくるくると投げては掴み遊んでいる。
帆崎先生が何かを言おうとした刹那、彼女はぴょーんと両手両脚を伸ばし、短いスカートを翻しながら宙を舞った、
と思いきや隣の桜の木に飛び移り、木の幹に手を添えながら春を待ち続ける枝に両脚で立っていた。

「あたしの方からセンセのところに行こうと思ってたけど、センセの方から来るなんてサービス行き届いてるね」

若いネコはすばしっこい。地上で追い駆けまわる帆崎先生を嘲笑うかのごとく、
彼女は次々に桜の木から木へと飛び回る。帆崎先生もネコ、脚力には自信がある…はず…が、

「いたたた!」
「ん?あたしは木の枝なんか投げてないよ」

帆崎先生が膝を付く。坂道を駆け上った為、脚をつってしまったようだ。悔しそうな帆崎先生は
自分の年がもうウン才若ければと痛む足を庇いながら、校門へと続く坂道に倒れこんだ。

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ」とわたしが帆崎先生に駆け寄ると、
その光景を見ていた早良なずなは欠伸をしていた。

「ねえ?見た?見たでしょ?わたしのぱんつ!」
「いてて…」

短いスカートで自分のパンツを庇いながら、脚をバタバタさせる早良なずなはわたしたちを挑発する。
坂のはるか上に逃げている早良なずなを捕まえようと、ヒカルも坂を駆け上ってきた。
やめて!ヒカルくん!この子には関わらないで。


「ヒカルくん!帆崎先生を保健室に!」
「は、はいっ」

わたしにしては転機の効いたことを口に出来た。確かシロ先生は保健室にいるはずだ。
ヒカルは自分の自転車のサドルに帆崎先生を腰掛けさせて、帆崎先生の背中を押したがこの身体、なかなか重い。
帆崎先生は自ら自転車から降りてヒカルに命ずる。その光景を冷たい目で早良なずなは見下ろしていた。
天上界に潜む神が、地上で玩ばれている人々を冷酷に見つめているようにも見える。

「お、俺はいいから…犬上くん。きみが走ってシロ先生を呼んでくれ」
「はいっ」

ヒカルは自転車でおりたばかりの坂道を駆け登っていった。

わたしはやっとのことで早良なずなに追いつく。ヒカルが校門に辿り付いたところが遠くに見える。

「あの写真のことさあ、黙っておくなら黙っててもいいよ…。お金さえ出してくれたら」
「え?お金?」

木の幹に頭を擦りつけながら、後姿の早良なずなはある提案をわたしに持ち駆けてきた。
帆崎先生は未だ脚をつったままもがいている。
のるかそるかはわたし次第。帆崎先生もこれ以上早良なずなを刺激するのは危ういことと分って、何も言わない。

「えっとね、1万円でこの写真の権利を買ってくれたら、あたし黙ってあげる。
 あたし、そんなに悪い子じゃないから。もし、1円でも足りなかったら…知らないからねっ!
 あはははは!オトナをからかうと面白いね!」

「やめて!早良さん」
「うるさいな!お金はわたしの味方なんだからね」

振り向く早良なずなの瞳は鋭く光っていた。ネコだからである。


彼女には両親がいない。いや、もちろんいたのだが今は二人とも離れ離れになり、
事実上早良なずなは一人暮らしをしているのだ。
彼女の両親はネコとオオカミ、お互いそりが合わなくなり彼女を残して消えてしまったと言う。

学校にも顔を出さず、お金に執着を始めたのは一人暮らしを始めてからだと帆崎先生は言っていた。

「あたしね、中等部に入った頃はね、犬上と同じクラスだったんだよ。
 でね、お家の都合で一人暮らしを始めた頃から、だんだんクラスメイトが遠くに感じてきたんだ。
 言うんだよ、クラスのヤツが『お前は銭と結婚しろ』なんてね。あはは!」

「ヒカルくんはそんなこと言わない!」

「うん。犬上のヤツはわたしのことを気にもしないし、
 構いもしないヤツだったからそんなわたしの爪を光らせるようなことは一切言わなかった。
 変わったヤツだったよなあ…犬上ヒカルは。いつも誰それと群れることなく一人で何かしていたっけ。
 犬上ってずっとそんなヤツだったんだよね。それが印象深くてね、イヌのくせにネコみたいなヤツだなって。
 そして、わたしの中の記憶は犬上だけ残った。イヤーな思いは記憶の底から消し去っちゃったのね。
 自己防御ってヤツかな、白倉が言ってたっけ。生きる為にはそんな記憶が邪魔なんだよね。
 クラスのヤツラのことなんかみーんな忘れちゃった。
 みんな、みんな消えちゃえ…ってね。そして、誰も彼も消えていった。…犬上は違ったの。でもその犬上からも…」

だんだんと声が小さくなる早良なずなの話はさらに続く。

「学校に行かなくなって、と言うか…行けなくなった。わたしの元からお金が逃げるのが怖かったから。
 でも…ここのことが気になってね…高等部に進むはずの歳になってね…この学校を覗いてみたら…。
 犬上と…あんたと…。犬上でさえもわたしを置き去りにしちゃうのかな、
 …自分勝手でごめんなさいね。好意が憎悪に変わることもあるんだ。
 でもさ、なんだかあたしね…どうかしてたんじゃないかと思った。泊瀬谷センセとのことを知ったときは悔しかったもん」

「……早良さん」
「ごめんなさい、泊瀬谷センセ。ネコってどうしても執念深いんですよ。
 泊瀬谷センセもネコだからお分かりでしょ?ね?それにわたしにはオオカミの血が流れている。
 片方の親がオオカミだからね。この血のお陰で一人でも平気なんだ。
 そしてさ…狙った獲物には容赦しないから覚悟なさいね、泊瀬谷スズナ。逃げられるとは思うなよ。さ、あたしに…」

と、早良なずなが木の枝に立ち上がった瞬間爆音と共に強い光が早良なずなを差した。
目を眩ました彼女はバランスを崩し、桜の枝から宙返りしながら道の脇の草むらに落っこちた。


「さ、早良さん!?大丈夫??」

爆音の主は獅子宮先生の愛車。獅子宮先生は坂の上からウィリーをしながら降りてきたのだ。
上を向いたヘッドライトの光はそのまま木の上の早良なずなに直撃。わたしは音でしか獅子宮先生のことに気付かなかった。

「話は犬上少年から聞いた。それまでだ」

バイクから降りた獅子宮先生が早良なずなを追い駆ける。獅子からすればネコなんて赤子同然だ。
獅子宮先生の迫力に負けて早良なずなは抵抗する間もなく、襟首を掴まれた観念したようだった。
そして、獅子宮先生にお姫様抱っこをされながら、わたしの元に戻ってきたのだ。

ここであった一部始終を帆崎先生は獅子宮先生に話す。
黙って話を聞いている獅子宮先生のシルエットは神話の勇者に見えた。
いつの間にか夜に飲み込まれた坂道に止まるバイク、そのライトがわたしたちを明々と続けている。
一方、抱きかかえられた早良なずなは獅子宮先生の胸の中で、まるでお子さまのようにわめいていた。
すとっ、と地上に下ろされた早良なずなに獅子宮先生はある提案を持ちかけてきた。帆崎先生の話を受けて…。

「ところで、早良少女よ。その写真、わたしが10万で買おう」
「!!!!!」
「10万じゃ足りんか?30万でどうだ」
「は、はい」
「そのかわりだ。わたしの言うことは絶対に聞くんだ。いいな。これが資本主義ってやつだ」

獅子宮先生の言うこととは

一、 泊瀬谷スズナに謝ること。そして、今後一切迷惑をかけないこと。
一、30万円は大切に使うこと。

というたった二つだけの条件だった。断るすべの無い早良なずなはこの提案をのみ、
獅子宮先生のサイフから現れた現金30万円の束を大事そうに抱えて、深々とわたしたちに頭を下げ、
誰も待たない自宅へと消えていったのだ。
その後姿を見ながら、獅子宮先生はタバコを咥えセキレイの尾のように揺らしている。

「ところで…獅子宮先生。いいんですか?」
「ダメなヤツを見るとついつい手を差し伸べたくなってな」
「はあ」
「実にくだらんな」

そんな言葉を残して獅子宮先生は愛車に跨り、爆音と共に坂を下っていった。
取り残されたわたしと帆先先生は校舎へ向かった。
シロ先生とヒカルが来るのが待ちきれず…。


しかし、そのあと校門の前でシロ先生にばったり出会うことになる。

「シロ先生!」
「すまん。遅くなった」

少し着崩れた白衣をふらふらとはためかせ、シロ先生は申し訳なさそうに頭を下げた。
ちょっとした作業をしていて部屋を出るのに遅れたそうだ。
どおりで髪も乱れたまま、めがねもずれたままなのか。
しかし、ヒカルの姿が無いのが気になった。話によると、獅子宮先生とヒカルは職員室前の廊下でばったり出会ってそれ以降…。
しかし、シロ先生は謝ることで精一杯な様子であった。

「一生の不覚、すまん。本当にスマン!」
「い、いんですよ。ほら、ぼくだって脚も治りましたしね」
と、子どものように飛び跳ねる帆崎先生。ところが…。

「うっ!!」

完璧に治りきっていなかったせいで、再び同じ苦痛を味わうこととなってしまった。
その光景を見ていたシロ先生は、いつものように

「まったく…ばかだなあ。ほら、保健室に行くぞ」

とは言わずに、この場で帆崎先生の脚を診ていた。
おかしい、なにかがおかしい。

「うーむ、カーゼが足りないな…。ちょっと待ってくれ、取ってくる。泊瀬谷先生ここで…」
「わ、わたしが取ってきますから、シロ先生はここに」
「待て、泊瀬谷。わたしが!!」
「いてててててててて!!!」
「ガーゼですね!ガーゼ!!取ってきます!!」

苦痛に顔を歪める帆崎先生を助けたい一心でシロ先生を押しのけて、わたしは保健室に駆けた。
このくらいのことなら、わたしだってできる。

息を切らして保健室に駆けたわたしに飛び込んだのは、チョコレートの甘い香りと処置台に散らかった料理道具。
さらに不釣合いなことに、きれいな千代紙が折り重なってシロ先生の机に置いてある。
湯気の立つ耐熱ボールがぷかぷかとつい先ほどまでチョコレートを湯煎にかけていたと物語っている。
しかし、何故ここで。まさか、シロ先生がここで…?

「いてててててててて!!!」

と、ベッドから声がする。何だか苦しそうな声。こんな時間に生徒がいるはずはないのでは?いや…一人いた。あの子だ。
がらっとカーテンを捲ると指と口がチョコレートまみれのヒカルが、おなかを押さえながら寝転んでいたのだ。


おしまい。