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スレ3>>808-810 ただいま!

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匿名ユーザー

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ただいま!


わたしが「ただいま」と生まれ育った泊瀬谷家の門を潜るのは、去年のお日様の照り輝く季節以来のこと。
弟が「姉ちゃん、いつ帰ってくるの?」と言うので、なるべく早く努めていたのだが、
わたしが仕事に追われているうちにいつの間にか除夜の鐘は108回音を鳴らしてしまい、
この年始まってのお日様を見るのは、お昼過ぎのことだったのだ。

それもこれも、新学期から始める授業の資料を作っていたときのことだ。
カタカタと職場でノートPCを鳴らしながら、碌に保存もせずにWordで打ち込む作業をしていると、
ついつい喉が乾いてしまい、コーヒーを入れようと席を立ったのだ。
しかし、PCから伸びるACアダプタのコードに足を引っ掛けて、
そのままプラグがコンセントから逃げ出してしまった。無論、ノートPCの画面は闇に包まれていた。

そばで見ていたサン先生も、これはもうダメだねと尻尾を垂らす。同じく後ろで座っていたヨハン先生もお手上げ。
今まで打ち込んだものが全て失ってしまい、始めからやり直し。時計は冷酷にも進み続ける。暮れはもう間近。
結局は、わたしが電源コードを雑に床に置いておいたせいなのだが、このときばかりは誰かのせいにしたくもなった。

「泊瀬谷先生、ぼくらもお正月はお仕事なんですよ…」

ヨハン先生とサン先生はわたしを慰めているつもりなのだろうか。

従って、生まれ育った実家に帰りつく予定は、
元日の夜中という実にはた迷惑な帰省になってしまったのは申し訳ない。

出発前、実家に居る弟にメールで『今晩帰ってくるから、父さん母さんによろしく』と、
ふみを打っておいたので大丈夫だろう。
もう、日が沈み出している。急がなきゃ…。

季節は未だ冬。ネコっ毛を逆立てて空気を入れるという、この世に生を受けてからの習性は、
だれが始めたのか知らないが、この見えないふさふさが私たちネコ族の体温を守ってくれる。
わたしが勤める学校のある街から電車を乗り継いではや一時間、
茜色に染まった小さい頃見慣れた風景を車窓から覗く。

海岸沿いに走る線路はわたしの生まれた街へと運び、規則正しいリズムでわたしの乗る列車を揺らしていた。
薄暗い中ウサギの跳ねる海を見ているうちに、列車は終着駅に滑り込む。ここから歩いておよそ20分で目指す実家へ。
実家に戻ってきただけなのに気恥ずかしい気持ちになるのは、わたしだけだろうか。
その家の表札には『泊瀬谷』の名に続いて、父・母・弟、そして『スズナ』とわたしの名前が書かれていた。


「あら、スズナ。帰ってくるんだったら連絡ぐらいしなさい」

母の声で迎えられたわたしは、弟に既にこのことは伝えてあるのに…と、抗弁する。
しかし、母は「そんなことは聞いていない」と、ばたばたと何か急ぐように奥へ消えていってしまった。
弟を叱り付けようと思いつつ、廊下の床を鳴らす。

居間に入ると、父はこたつで横になって居眠りをしていた。こっそりわたしもこたつの仲間入り。
ふう、凍てつく冬風の幅を利かせる外から、安眠を誘う暖かい家へと帰ってくるこの安堵感。
尻尾までこたつに入れなきゃね。

「お父さん、スズナの帰りを待ちくたびれたのかね。大晦日から『スズナはいつ帰ってくるのかね』ってね」

何か一仕事をしてきた母が、見るだけでつば溜まるようなミカンをカゴいっぱい入れて居間にやって来た。
わたしと同じように、父を起こさぬようそっとこたつに入ると、母の足がわたしの尻尾に当った。
少し背中にすっと涼しいものが通り抜ける気がする。ごめんと母は笑顔で謝った。

「ねえ、お母さん。ハルキは?」
「あの子ったら、友達と飲みに出かけてるのよ」

大学に通う弟のハルキは、友達の誘いで生憎外出中。
折角、半年振りにお説教をしてあげようと思ったのに、これで計画はパーだ。

そんなわたしの気持ちを知らず、母はおしゃべりを始める。きっと、話を聞いてもらえる相手が欲しかったのだろう。
止まらない止まらない。父のこと、弟のこと、親戚のこと、ご近所のこと…。
母とて『元』女の子、お喋りは専売特許か。
うんうん、と相槌を打つのが精一杯のわたしは、静かにミカンを頂いた。爪の間に酸味の効いた果汁が染みる。

「スズナ、お仕事は失敗とかしてないの?母さん心配でね」
「してないよ!子供じゃないから」

新年早々大ウソを吐いた。わたしは、失敗ばかりしている。この間もやったばっかりなのに。
ごろんとふてくされたわたしの目に飛び込んできたのは、立てに幾筋も走っている柱の傷跡。
その立て傷は、寝転んだわたしの視線からでも丁度目に入る位置から上へと繋がっている。
しかし、下に行くほど筋は多く、逆に上に行くほど少なくなっているのが分かる。
まるでグラデーションを描くように。

「思い出した?その傷はね、スズナとハルキが研いだ爪の跡だよ」

……そうだ。小さい頃、腑に落ちないこと、
収まりがつかないことがあったときこの柱に爪を立てていたことがあった。
その度に、母から「爪はちゃんと爪とぎで研ぎなさい」と、お説教を受けていたことをこの柱を見て思い出した。

下の爪跡は丁度歩き始めた頃の背丈と同じ位置にあり、小学生くらいの背丈で爪跡は消えている。
大きくなるに連れて柱で爪を研ぐこともなくなってきた証拠なのだろう。

「ネコの家は何処もそうだからね…」
と、半ばあきらめた顔をして母はこたつで寝転んだ。


わたしも弟も、もう柱に爪を立てることなんかない。爪は爪とぎで研いでいる。
でも…ちょっとまた柱で研いでみたいかも。
そのとき、わたしの携帯がわたしを呼び出した。メールだ。送り主は、ヨハン先生。

『お正月を故郷で過ごす泊瀬谷先生へ。ぼくは、今から新春の海を見にドライブへ行く所です。
泊瀬谷先生をお誘いできなくて残念ですね。いつか一緒に春の海を見に行きましょう』

その文に添えられた画像は、高級そうな車の運転席に座っているヨハン先生が窓から手を振っているところだった。
画像を覗き込んだ母は、笑っていた。学校の同僚よ、と説明すると母は呑気にこう答えた。

「あら、イケメンじゃないの。スズナを貰ってくれないかね?この先生」
「とんでもない!!こちらから願い下げよ…」

急いでわたしはヨハン先生に返信をし、携帯電話を折りたたんだ。
母は、わたしの答えに不満でもあったのか、ニコニコしながら尻尾を畳に叩きつけている。
話を逸らそうとわたしは、咎なき弟を犠牲にする(ホントはあるのだが)。

「ハ、ハルキ遅いね!!」
「そうね。もう帰ってくるんじゃないの?」

もう、今日が終わってしまうぞ。わたしは、弟に言いたいことがあるっていうのに。
その思いが伝わったのか、玄関の扉ががたがたと鳴る音がする。

「ただいまー。母さん、鍵開けてよー」

聞き覚えのある声もする。弟だ。
その音で父もむくりと起き上がり、泊瀬谷家一同がこうして正月に揃ったのだった。


―――後日、知ったことだったのだが、わたしに送られてきたヨハン先生と車の写メールは、
教頭先生がお正月に新しく買った車の納車の際、
それにお供をしていたヨハン先生とサン先生が企てたイタズラだったのだ。

ヨハン先生は、教頭先生の目を盗んで運転席に座り、髪をなびかせながら自慢げにハンドルを握る姿を
サン先生が撮ったものだったのだという。この後、教頭先生に見つかり揃って叱られたらしい。

二人を知るものならここまでは予想がつく者も居るだろう。こういうことを平気でする人たちなんだから。
しかし、そのことに気付かなかったわたしは、さらに自分で自分を苦しめることをしてしまった。
何故なら、そのメールで返した文章が問題だったからだ。その内容は…。

「今度、その車のボンネットに爪を立てに行きますからね」


おしまい。



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