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そよ風の誘惑


「ヒカルくん、だっけ」

ぼくの隣でハンドルを握るシロネコのお姉さんが、助手席で居心地が悪そうなぼくに話しかける。
お姉さんはガタガタと揺れるギアを片手に、ぼくらの学校への坂道を駆け上る小さな軽トラックをまるで、
魔法使いのように手に取り操り、校門へと軽トラックを進める。彼女は、ぼくが今までに会ったことのない女性だ。

ネコミミが付いたコットンの帽子、そこから美しい滝のように襟首まで流れ落ちる金色の短い髪は、
オトナの雰囲気を醸し出し、ダウンベストにハーフパンツという活動的ないでたちは、
怖いものを知らない巣立ち前の若者のようにも見える。

「ねえ、サンは元気?」
「サン…、さん?」
「サン・スーシ。ここで数学の先生してるんだよね、確か」

ぼくらの学校ではちょっとした有名人のサン先生、隣に座る女性は彼の名を親しげに呼ぶのは何故か。
彼女への答えを返そうとした時、彼女はグイっとアクセルを吹かす。荷台の物が音を立てる。

「おっと、いけない」
「あの、サン先生がどうしたんですか」
「んふふ。アイツったらホント…バカだよね」

そんなことより、ぼくは荷台に積んでいるぼくの自転車が気がかりだ。

今日はついてないのか、それともついているのか。下校途中、現代文のノートを教室に忘れたことに気が付き、
再び学校までの坂道を登っていたところ、あろうことにも自転車の前輪のタイヤがパンク。
途中、近道のつもりで工事現場を通ったせいか、小さな鉄片をタイヤが踏んづけていたようだ。

ここじゃ、ぼくは手も足も出ない。足取りが重くなってしまった自転車を坂の上まで押しあがる覚悟を決めていると、
このお姉さんの車が通りかかったのだ。親しげに話しかける彼女に、一抹の警戒心を抱きながら彼女の話を聞くと、
ぼくらの学校に詳しい者らしいことが分かった。丘のこと、校舎の時計台のこと、そしてサン先生のこと。

「パンクしてんでしょ?自転車押して坂を登ろうったて、ムリムリ。
荷台に乗っけなよ…あとで、あたしが直しとくからさ」

お姉さんの白い毛並みを自転車のチェーンの油で汚しながら、荷台にひょいと乗っけると、呑気に鼻歌を歌っていた。


ふと、荷台に目を向けると古めかしいが何処となく未来を感じさせる、
一台のスクーターが『お先にごめんよ』とふんぞり返っていた。

「あの…」
「さ!行くよ!乗ったり、乗ったり!」

スクーターから後ろ尻尾引かれながら、ぼくは運転席の彼女の隣へ座る。
軽トラックは自転車と比べ物にならない速さで、ぼくらを毎朝苦しめる坂を駆け上る。
車窓を賑わせる両脇の桜の木は、遠すぎる春を待ちながら後ろへとすっとんで行く。

「お姉さん…あの」
「ミナでいいよ。杉本ミナ!」
「ミナさん…」

ぼくがミナに話しかけるや否や、軽トラックはすっと校門を潜り、彼は疲れを癒すように静かに玄関前に止まった。
エンジンを止めると、ミナは軽トラックから跳ねるように飛び降りる。ぼくも一緒にミナに続く。
ミナはドアのポケットに置いていたペットボトルの水をごくりと飲みながら、自分の毛が濡れるのを気にしていた。

「んじゃ、いっちょひと仕事するかな」

軽く荷台のほうに跳ねてスクーターを降ろす準備を始める。荷台から地上へとスチール製のスロープを掛け渡す。
恥じらいもなく片足でひょいと荷台に飛び乗るミナは、ネコ獣人ならではの跳躍力。尻尾が美しい孤を描く。
短い髪をふわりと回して振り向き、ミナは両手を膝に当て上からぼくを見下ろしながら、ニシシと笑っている。

「おーい、男の子!男の子だったら手伝いなさいよ!!」
「……」
「ふふふ、ヒカルくんさ、きみには彼女は居るのかな?」

唐突な踏み入った問いかけに、ぼくは戸惑う。中性的なミナの女の子を見た気になる。
ただ、その問いかけにぼくは、素直に首を横に振ることしか出来ない。
ミナはそれを見ると、軽く頷き再び作業に戻る。

「ふふーん。きみのその毛並み、大切にした方がいいよ。宝物じゃん」

ゆっくりとスクーターを降ろしながら、またもミナは少し太腿の羽毛をスクーターの油で汚していた。
しかし、このスクーター…不思議なフォルムをしている。古いものだとは分かっているが、
まるで某ショートショートの大家の本の挿絵に登場しそうな、近未来的ともいえる個性的なスタイルである。
ミナのことなんぞ忘れて、ぼくはじっとこのスクーターを見つめていた。


「こら!男の子!」
「ふあっ!」

スクーターを大地に降ろして得意気なミナは、やはり女の子。汚れた自分の毛を気にしている。
ぱんぱんっと油で汚れた部分をはたくが、暖簾に腕押しなのはぼくでも分かる。
ふふんとミナは、スクーターのグリップを握り校舎玄関ぎりぎりまで押しながら、ぼくに説明する。

「このスクーターさ、『ラビット』って言うんだよ」
「うさぎ?」
「そう。彼是何十年前に作られたスクーターでね、単純な構造ゆえに修理も簡単で長持ちするんだな。

それに独特の魅力に取り付かれたヤツなんかごまんと居るんだ。ホラ、あいつがそう」
振り向くと、サン先生が校舎の中からバタバタとぼくらの方へ走ってきた。
サン先生の目は、クリスマスのプレゼントをはじめて貰った純粋な子どもと、互いはなかった、はずだ。
大地に降りたったばかりのスクーターにサン先生は飛びつき、尻尾を振って歓喜の声を上げる。

「ミナ!待ってたよ!」
「職場にまで持ってこさせるなよ、バカ」
「だって、コイツに乗って早く桜の坂を駆け下りたいんだもん!だから、今日は市電で学校に来たんだぞ」

ぽんぽんっと座席を叩くサン先生は、生徒が居る前にもかかわらず駄々を捏ねる。そんな姿、シロ先生に見られたら知らないぞ。

「おーい。サン先生!集合!戻って来い!ハウス!!」

校舎の中からシロ先生がサン先生を呼ぶ声が聞こえる。ちぇーっと言い残して、校舎の中へ消えていった。

「そういえば、ヒカルくんの自転車さ。直してあげるって言ったよね…ここで直してあげるからさ」
「そんな…悪いですよ」
「もちろんタダよ。良心的でしょ?」

ぼくが「うん」と言う前にミナは、さっきと同じようにぴょんと荷台に飛び乗り、
ぼくの自転車を抱えて荷台から降ろすと、助手席下に置いてあった工具箱を持ち出し、
飲みかけのミネラルウォーターのペットボトル片手に、せっせと修理の準備を始める。

パンクした前輪のタイヤを器用に外し、力をなくしたゴムチューブが引きずり出すと、
携帯用空気入れで瞬きの間に空気を入れる。
ペットボトルの水でチューブを濡らしながら、気泡でチューブの穴を探す姿は、
若いのにまるで熟練した年配の職人のようだ。

「やだ!手が濡れちゃった…。ンモー」

それでも、杉本ミナは街角で甘い香りを放ちながら歩く若い女の子と同じ世代のネコ。
毛並みの汚れなんか全く気にしていないのか、せっせとチューブの穴を探す。


今、ミナは自転車の修理に夢中だ。ぼくになんか気を払っていない。
そして、目の前には『ラビット』。初めて見たのに懐かしく、そして古めかしいのに新鮮なこの乗り物。
見たことのない機械はぼくにとって、見知らぬ旅先の老人に話しかけるときのように、期待、不安、
そして新たな発見を呼び起こすものだ。

(…なんだか、いいな。これ)

見知らぬ乗り物にぼくは腰を掛け、グリップを軽く握る。

(こんな気分なのかな…。バイクに乗るってことは)

足を伸ばすと右足にペダルが当たる。そして、グリップをさらにぎゅっと握り締める…。

桜の木が花咲いた。優しい春風も吹いてきた。そよ風の誘惑に惑わされて、ついひとっ走り。
ぼくは、ラビットに乗って学校の坂を下っている。
風がぼくの毛並みをすり抜けて行き、尻尾も風に倣ってはためいている。
毛並みのおかげで寒くはない。聞いたこともないのに、エンジンの音がぼくの耳に届く。

「ヒカルくん?気に入った?」
「あ!ご、ごめんなさい!!」

ぼくの顔の横には、ミナの油ですすけた顔が控えていた。ぼくは我に帰る。
気のせいだったのか…。依然、ぼくの周りは学校の玄関前。ラビットなんか走っていない。
ぼくの出来心だ。ごめんなさい。ぼくは軽率だ…。ラビットから降りようとするぼくをミナは何故か止める。
しかし、ミナはぼくを責めることなく、むしろ誉めてくれた。

「コイツに乗れる年になったら、ウチのお店においで。コイツをまた探してやるからさ」

そういいながら用意しておいたバケツに、校庭の水やり用の蛇口からいっぱいに水道水を湛える。
ミナは用意しておいた洗い物洗剤をバケツいっぱいの水に少し垂らし、それで毛並みの油を落としていた。
ただ、ネコの血の性か水に触ることを怖がっているようにも見える。

「ヒカルくん。恋人がわたしみたいに油だらけの毛並みの女の子って、イヤでしょ?」
「……」
「これでもからだ中の毛並みはね、しっかりとわたし染め直したのよ。でも、こんなお仕事してちゃ
すぐに汚れちゃうのはしょうがないし。さて、水ですすがなきゃ…、やだな…濡れちゃうの」

ぱっぱとそれでも落ちない油だらけの手を振って水を切り、清らかな水道水ですすぎ直している。
ミナの顔はただの女の子の顔。ペロペロと濡れた手首を舐めるさまは、
甘えん坊だった子ネコ時代を思い出したのだろうか。
いや、ミナが甘えん坊だったなんて言ってはいない。ただ、彼女の仕草がそう見えたのだ。


しばらくした後。サン先生は、意気揚々としながら玄関を飛び出して来た。あきれた顔をしたシロ先生と
笑っている泊瀬谷先生が後に続く。ぼくらにとっては見慣れた光景。同じようにミナはふふんと笑っている。

「さーて、今日の仕事も終わったし、コイツに早速乗って帰るか!」
「サン、乗って帰る気?」
「帰る気マンマンだよ!」

気の置けない会話を交わす二人は、どういう関係だろうと気にしていると、シロ先生が答えをにおわす。

「サン先生の方が子どもに見えるな…」
「……。でも、何時になくはしゃいでませんか」
「サン先生は、子どもに地位とお金を与えたような人だからな」

泊瀬谷先生はサン先生に気を使ってか、小さくくすくすと笑う。

ぼくがさっき跨った『ラビット』に、サン先生は飛び乗るが新たな問題が。

「ほらさ。サンったら全然足が届かないじゃん」
「なんでだよ!ちくしょう!!」
「こいつにはブレーキペダルがあるからな。一目ぼれの衝動買いも剣呑だな」

サン先生は浮いた足をバタつかせている。ミナはなんとか改良してやるからと、弟を叱るように優しくなだめ、
サン先生を両脇に抱えて座席から下ろすのだった。

―――「じゃあ、またな」

と、あっさり一言残してミナは乗ってきた軽トラックにサン先生とラビットを乗せて、
花びらを忘れた桜並木を駆け抜ける。
風はまだまだひんやりと、『そよ風』と呼ぶには遠すぎる厳しさ。泊瀬谷先生は思わずぶるっと毛を揺らす。
しかし、ぼくが『ラビット』に乗っていたときには、確かに『そよ風』のような気がしたのだ。


「いけない!」

そうだ、ぼくは忘れ物を取りに帰ったのだ。現代文のノートを…、すっかり忘れていた。確か、教室に…。
その旨を両先生に伝え、校舎に向かおうとすると、泊瀬谷先生が声を上げる。

「あ!わたしも現代文の教科書が確か…机に!」

同じように泊瀬谷先生も忘れ物をしたと、すたたと職員室に戻る。

―――教室から忘れ物を持ち帰ると、シロ先生一人で玄関先にて泊瀬谷先生を待っていた。
折角だから、コーヒーでも飲んで温まりなさいと、ぼくは誘われて職員室に寄り道。

「ホント、寒くなったね」

暖かい室内ではシロ先生のメガネが曇る。泊瀬谷先生は教科書を握り締めて、
職員室から出るところとぼくらとかち合う。

泊瀬谷先生も誘い、ちょっとばかしのナイショのお茶会。
シロ先生とっておきの高級コーヒー豆、折角だから一杯どうぞ、と。
一旦、握り締めた教科書を自分の机に再び置いた泊瀬谷先生、目をつぶって香りを楽しんでいる。

「普通だったらのませないぞお」

サン先生に負けず、シロ先生もけっこうお茶目なのかもしれない。
シロ先生自慢の最新式のサイフォンがこぽこぽ音を立てて、ぼくらのためにコーヒーを注ぎ出す。

コーヒーが入る間にサン先生のPC装備に見とれる。やっぱりすごいや…、ぼくも欲しいな。
ふとモニタの横に、ある写真が飾られていることに初めて気付いた。一枚の青い写真。
この間、PCを扱わせて頂いたときには、写真の存在に全く気が付かなかったが、
その写真の中には、数人の若者の姿。

ど真ん中に写るサン先生は、あの大きな声が聞こえてきそうなほど跳ね、そして隣には杉本ミナがすましていた。
学生時代の写真だろうか。後ろには広大な青い海と、高く天に向かう白い雲が広がっている。
そして、写真の中の杉本ミナは、今日よりも真っ白の毛が眩しかった。夏の雲のように。

「コーヒーどうぞ」

ぼくは、ぼくの白い毛並みを汚さぬよう、ゆっくりと冬のコーヒーを楽しむ。
『きみのその毛並み、大切にした方がいいよ。宝物じゃん』か…。
ふと窓を見ると、外はもう既に薄暗くなっていた。春のそよ風はまだ遠い。

「それじゃ、もう遅いから一緒に帰ろうか」

泊瀬谷先生は三人分の空のマグカップを流しで洗い、ぼくとシロ先生は帰宅準備。
三人分のマグカップを洗いあげた泊瀬谷先生は、ぼくらに追いつこうと駆けて来たが、
三人揃った所でひゅんと声を上げる。

「いけない!また教科書忘れるところだった!!」


おしまい。




ラビットスクーター とは
(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC)