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スレ3>>149-150 なんどめのこい


「こんな話をすると、犬飼さんには笑われてしまうかもしれないけれども 」

何がきっかけでこんな話になったのかは忘れてしまったけれども、
射し込む光ももう輪郭だけを浮かび上がらせるだけとなった夕刻の教室で、
あの一寸女性にしては低い良く透る声で美王先生はゆっくりと語り始めた。

「もうずいぶん前になるわ。 先生もね、一度だけ、恋をしたことが有るのよ」

『え?』普段の美王先生からは思い至らない内容に思考が付いていかず、思わず

「それで、その恋はどうなったんですか?」なんて、馬鹿な質問をしてしまう。

結果は判ってるんじゃない?今、ここで、話しているんだから…
口を出た言葉は取り返せない。反射的に何でも口に出す癖は一生治らないのかな。
耳の奥でツンと音がして校庭から聞こえていた運動部の生徒の嬌声が遠ざかる。
自分の顔が赤らむのが判る。教室が暗くて良かったと、頭のどこかで誰かが言っているのが聞こえた気がする。

「うん、駄目だったのよ」

笑ったような声で先生が答える。先生の声は奇麗だ。

「あれはまだ今の犬飼さんと同じ年の頃、だったかしら?
 いろいろ有ったけど… あのひとはもう…
 そうね、あれからもう恋はしていないわ」

いつもと違った歯切れの悪い先生の言葉に、言いたくないことだって有るんだろう
なと気づいても、ついまた考え無しの言葉が口を突く。

「でも先生だってまだまだイケてるんだから、これからコイビト探せばイイんじゃない?」

何を言ってるんだ?私は。


「ありがとう」

今度は本当にクスりと笑い声。

「でも、ね。先生の恋はあれでお仕舞。
 たった一度の、一生に一回きりの恋だったのよ」

馬鹿だ、本当に私は馬鹿だ。先生の声まで遠くなる。

「先生はね、ひとにはたぶん一生に出来る恋の回数ってのが生まれたときに決まってるんだ、
 と思うの。先生に用意されていたのは一回だけだったのね、それに気づかずずいぶん無駄な時を過ごした気がするわ」

「犬飼さんがこれから何度恋が出来るかは判らないけど、それぞれを大事に悔いのない恋をしてちょうだいね」

少し身体を傾けて、窓に顔を向けた美王先生に夕日の最後のひとかけらがすうっと射した。
瞬間、学校中に響き渡るチャイムの音と、生徒を追い立てる下校のアナウンス。
うるさいうるさい! 私はもう少し先生の顔を見ていたいんだ。

「さぁ!帰りましょう! 窓の鍵を見てくれるかしら?」

いつものような凛とした声でそう言いながら教室の出口へ向かう美王先生。
追いかけるように急いで身支度を整えて廊下に飛びだすと、先生は職員室へ向かう廊下の端の角を曲がるところだった。

「恋って何回、出来るんだろう…?」

私は先生の背中を見ながらそうつぶやくと、振り返って玄関へと駆け出した。

(おしまい)