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スレ2>>618 頑張るから頑張れ


「そんなどうして私が!」
「仕方ないんですよ。運動部じゃ女手少ないから、牛沢先生と伊織さんに頑張ってもらわなきゃなんないんです」
学園祭当日になっても、未だに不平を言い続ける伊織さんに、
頼み込むように話しかけながら、俺は心の中で溜め息を吐く。

伊織さんがこういう女の子らしい格好が苦手なのは分かる。男勝りな性格で、今さら引っ込みがつかないのも分かる。
自分では面倒臭がっている、大きな胸を強調するようなメイド服が、彼女にはまさに冥途服に見えているのも分かる。
けれど、ライバルの多い喫茶店をやる上で、お色気要素が無くては太刀打ちなど出来ない。

そりゃ、俺だって少しぐらい料理には自信があるが、
家庭料理が主なので紅茶にコーヒーに菓子は他の喫茶店を越えるものが出来るか不安だ。
そうなるとこの陸上部主催喫茶店が、他の飲食店を圧倒できる要素など、
この学校でもトップクラスの胸を持つ牛沢先生と伊織さんしか居ない。

幸いな事に、牛沢先生は予想外あっさりと了解してくれたが――ここで俺は、開店前から接客の練習をしている牛沢先生へと目を向ける。
最初は渋々ながらと言った態度をとっていたのに、いつの間にかかなり乗り気になってるようだった。
フリフリのメイド服にカチューシャで「いらっしゃいませ、ご注文はいかがいたしますか?」と
女性にしては低く遠くまで響く声で言う姿は、日ごろの体育教師の姿からは想像がつかない。

何なんだこのギャップは何なんだこの手馴れた様子の着こなし方は。
数々の疑問を抱えたまま、俺は伊織さんに視線を戻した。
この伊織さんが問題なんだ。彼女の性格を知ってる他の部員は、
俺にまる投げして「当日までに絶対に了承を貰えよ」だから困る。

「伊織さん、学祭終わったら、俺んちで打ち上げしましょう。伊織さんと俺と舞と姉さんの四人で。
打ち上げを思いっきり楽しむには、出来る事を全力でやるのが一番ですよ」
「むぅ……。それもそうだが……」
「姉さんも舞も伊織さんが喫茶店でウエイトレスやるって聞いて、とても楽しみにしてるんですよ」
「そうか……」
 俺の顔とメイド服を交互に見つめながら、「う~ん」と呟いて考え込み始めた。もう一押しだ。
「何でも言う事聞きますから」

そう言って伊織さんに向けて両手を合わせて懇願すると、
彼女は照れくさそうに咳払いをして、俺の首に手を回して強引に引き寄せる。少し苦しい
何事だと思っていると、耳元に口が近づけられて、うっすらと暖かい吐息が耳に掛かった。
というか胸がくっ付いてます。やめて。それ以上マシュマロを押し付けないで。
俺は男ですよ。伊織さんの性格にいくら色気が無くても、その胸は色気の象徴みたいなもんなんですよ。
俺の葛藤を他所に、伊織さんは何が恥ずかしいのか他の誰にも聞こえないような、小さな声でささやいた。
「学祭明けの代休、私に寄越せ。付きっ切りで練習だぞ」

デートの誘いじゃないんだから、何処にそこまで照れるのやら。
俺が『そりゃないっすよぉ!』と叫ぶ前に、伊織さんは俺の手からメイド服を引ったくり、
教室の隅にカーテンで区切られた更衣スペースへと入っていった。

しばらく待っていると、牛沢先生と同じくフリフリのメイド服を着込んだ伊織さんが出てくる。
室内の男子たちが「おおっ」とざわめく声が聞こえる。俺だってその中の一人だ。
学校じゃ制服どころかジャージ姿で通していて、色気を感じさせる服装などまるでしてこない伊織さんが、
胸元を強調したフリッフリのメイド服。誰だって「おおっ」ってなるさ。

男どもの不穏な視線に対して、伊織さんは「何だ。文句でもあるのか!」やら「私だって好きでやってるんじゃないんだ。ジロジロ見るな!」やら恥ずかしそうに声を張り上げている。
そして最後に「私がここまでしたんだ……。みんなもその、頑張れよ。やるからには目指すはトップだ。私も応援している」とのフォロー。
素でツンデレ喫茶を演じるとは伊織さんも中々器用な人だ。
俺は噴出してしまいそうになるのを堪えながら、一旦教室を出ると、そこで少しだけ笑ってから教室に戻る。

さてさて、あの伊織さんがここまでやってるんだ。
不味いケーキとコーヒーじゃ、いよいよ不釣合いになってしまう。頑張る必要がありそうだ。