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スレ>>66-67 狼と少女



 暗い森の中を、灰色の影が疾走している。長い距離を走り続けてきたのか、尖った口ををだらしなく開き、「ハッ、ハッ」と絶えず荒い息をしていた。
 イヌ科の獣特有の長い舌を口から垂らし、全身を覆う毛皮は手入れをしていないのか、ボサボサの上に汚い灰色をしていた。
 彼の金色の瞳がギラリと光り、木々の間に微かに覗く、灯りを見つけた。

「ぉおおおおんっ!!」

 彼は自分の存在を知らせるように咆哮を上げると、地面を強く蹴り、一気にジャンプする。
 目前に迫った木の枝を掴み、その上に乗っかると、踏み台にして木のてっぺんまで飛び上がった。
 森の中に居たときはよく見えなかった彼の姿が、月明かりの元に照らされる。
 人のように二本の足で立ちながら、狼の顔と全身を包む毛皮を持っている。腕は長く、足も人とは違い、どちらかと言うと獣のものに近い。
 背中は猫背気味に丸まっていて、人と獣の中間に位置する“獣人”とは言え、どちらかと言うと獣側の印象を受けた。
 そこから眺めると、森に隣接した一軒家がよく見える。一階は灯りがついておらず、二階の窓のカーテンの隙間から、微かな光が漏れていた。
 彼は木々の上を飛び移りながら、そこへと向かう。人ならざる脚力を持ってすれば、ほんの数度のジャンプで届く距離だ。
 森の途切れる間際、彼はひときわ大きくジャンプすると、フサフサの尻尾をはためかせながら、二階の窓に飛び移る。

――ガシャンッ

 派手な音が鳴ったが、窓ガラスは割れてはいなかった。以前、勢い余って窓を突き破ってしまい、こっぴどく叱られた事もあるので、彼はこのときだけ、とても慎重になる。
 割ってしまわないように気をつけながら、窓ガラスを裏手でノックする。
 返事は無かったが、パタンと本を閉じる音、それをベッドの上に投げ出す音、ベッドから離れるギシッという音、そして窓まで歩いてくる音が順に聞こえた。
 足音が近づいてくるに連れて、彼は大きな口の端を吊り上げ、まるで牙を剥いているような表情を浮かべた。
 人間から見れば怒っているようにも見える表情だが、それは狼である彼の笑顔だ。
 足音が窓辺で立ち止まると、カーテンの後ろに、細いシルエットが見える。細い手がカーテンの端に伸びた。カーテンが開く。
 片まで伸びる、軽くウェーブしたのブロンド、寝巻きのワンピース。風呂上りらしくて、少し火照った白い肌。
 顔の美醜は、種族の違いのせいでよく分からないが、近くにある人間の村で聞き耳を立てれば、村一番の美女として、彼女が話題に上がらない日はなかった。
 狼は、感極まった声色で「くぅん……」と鳴いた。こうやって、暇あらば人間の女の家に通い詰めて、犬みたいな声を出してるなんて、群れの仲間には絶対に言えない秘密だ。

「あら、お久しぶりね。狼さん」
「お、おう。俺様来たぞ! おま、オマエも俺様に、あうっ、会いたかった、だろ?」

 あまり流暢とは言えない、狼の言葉遣いに、彼女は上品な仕草で口元に手を当てて、クスクスと笑い、窓の鍵を外して狼を招き入れる。
 小奇麗に片付いた部屋の中、薄汚い毛皮で、ボロ切れのようなズボンを履いているだけの狼は、酷く場違いに見えた。
 だが、そんな事は気付きもしていない様子で、床に座り込むと、後ろ足で耳の裏を掻く。ノミが跳ねて絨毯の中に潜り込んで行くが、それも気にしない。
 痒みも取れたところで、狼はお座りのような姿勢で、女性の方を向くと、捲くし立てるように語りだした。

「お、俺様、今度は群れのみんなと、もっと、ずっと、遠いとこ行って来た! 兎も羊も山ほどいるとこ!
会いに来れなかったけど、まい、毎日、オマエの事思い出してたぞ!
ホラ、ホラこれ、そこでとって来た! 花好きだったよな? 嬉しいよな?」
「あ、うん……ありがとう」

 狼がズボンに手を突っ込んだかと思うと、萎れて元の面影を全く留めていない花を取り出し、それを差し出してくる。
 元はとても綺麗な花だったのだろうと、微かに引き攣った笑みを浮かべながら、彼女はそれを受け取った。
 だが、別に萎れた花だげが原因で、引き攣った笑みを浮かべているのではない。しばらく水浴びもしていないのだろう。彼の毛皮が放つ臭いは、強烈だった。
 鼻を塞ぎたい衝動を我慢しながら、彼女は優しく話しかける。

「ありがとう、私のために。本当に嬉しいわ。それと……」
「だろ? だろっ? 俺様、お、おま、オマエの事、一番分かってる!
次は何がいいか? また花か? キラキラする石か? オマエのたの、頼みなら、何でもとってくるぞ!」

 お礼の言葉に感極まった狼は、問答無用で彼女に飛びつく。ノミと垢だらけの身体で抱きついて、顔を近づけ、肩を揺さぶりながら矢継ぎ早に話し続ける。
 体臭だけでなく、生肉の香りを放つ口臭も結構なものだ。それでも彼女は笑みを崩さないまま、やんわりと狼の顔を押し退けて話しかける。

「うちへ来たときの決まりごと。憶えてるでしょ?」
「あー、うぅー……お風呂……」
「そう。結構臭ってるわよ。毛皮もボサボサにして」
「けど、俺様お風呂嫌いだ……」
「背中ぐらい流してあげるわよ。身体を綺麗にしたら、膝枕してあげるから、旅先の話を聞かせて。
今夜はずっとあなたの話を聞いてるから、いいでしょ?」

 そう狼に言い聞かせると、彼の鼻面へと唇を近づけ、ちゅっと音を鳴らしてくっ付ける。
 瞬間、鼻面から波打つようにして、狼の全身の毛皮が逆立った。それが収まった後も、尻尾だけが心地良さそうに揺れていた。
 彼はしばらくの間、拙いキスの余韻に浸っていたが、不意に我に返ると、女性に向かって叫ぶように言った。

「お、おう! 俺様お風呂入るぞ! お風呂は嫌いだけど、オマエに身体を洗ってもらうの好きだ!
ホラ、オマエも早く来い! 俺様、先にお風呂行くぞ? ちゃんと入るぞ!」

 話しながら、すでに乱暴な手つきでドアを開けて、一階への階段を駆け下りている。
 部屋に残された彼女は、“狼さんは本当に慌ただしい人だな”と、一人クスクスと笑った。
 獣のような外見と仕草も、少しばかり回転の遅いおつむも、慣れれば可愛くてたまらない。
 顔だけ見て言い寄ってくる男に比べて、何て魅力に溢れた人だろうかと、彼女はいつも思うのだ。

「待って、今私もいくから」

 すでに一階へ降りただろう狼に、そう声を掛けながら、彼女も階段を駆け下りていく。
 普段は上品に、物静かにを心掛け、階段を駆け下りるなんて真似はしないのだが、狼が来ると、ついはしゃいでしまう。
 彼女が笑みを浮かべながら階段を降り終えたところで、風呂場の方から『ガシャンッ!』と音が聞こえた。
 また狼が何かを引っくり返したのだろうか。仕方ない人だと苦笑しながら、彼女は風呂場へと掛けていった。
 慌てるのがこんなに楽しいと教えてくれたのは、あの狼だ。




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