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ゆきうさぎ


 「ゆきうさぎの目が赤い理由って知ってますか?」

 ウサギの島から渡ってきた、小さなうさぎのハル子が玄関先から上を見上げて言う。
 お盆の季節にゆきうさぎ。ハル子は客人に『ゆきうさぎ』のことを得意げに話していた。

 「どうしてだろうね」
 「……うーん」
 「ほら。夏って夜更かししたくなるじゃない。お祭りとか、花火大会とか」
 「そっか!」

 自慢するはずが教えられた。客人がついた適当なウソに気付かないハル子は改めて傍らの『ゆきうさぎ』をちらと見た。

 「杉本さん……」
 「ミナでいいよ!」

 彼女がそう言うんだから、ハル子も遠慮がちに「ミナさん」と呼んだ。
 とある港町の旅館。白いTシャツ姿のミナは旅の疲れを癒そうと、狭い畳敷きの部屋で手足を伸ばしているところだった。
ごろんと仰向けになって畳に寝転がることが出来るのは、身のある一日を過ごした者の特権なのかもしれない。ミナは自分の街から
バイクに乗ってはるばるガイドにも地図にも小さくしか載らないような港町にやって来た。夏だから。海が見たいから。
理由は何でもよい。一人旅するために誰からも咎められる訳が無いんだから、どこぞへでも飛んでゆけ。それでたどり着いたのはここ。

 内海への島へ渡る桟橋と人家だけで形成される港町。旅するネコのミナが町に訪れたのはその日の暮れのことだった。
一旦宿に入れば外に出る理由を見つけるのが難しいような町なので、蛍光灯と土壁だけの和室でお布団と一夜を過ごすつもりだった。
 二階の窓からは波の音だけが聞こえてきて、ひと時の息抜きには余計な飾りはいらないと訴えてくる。
 だが、この旅館に居たのは宿の主だけではなかった。内海の島からやって来た子うさぎ。夏休みだからか、旅館で気ままな時間を
過ごしているところらしい。島と本土の港町は町ぐるみで知り合い同士なので、ハル子はちょくちょくここに訪れているという。
 季節はお盆前。夏休みの宿題も一息ついた、星空が金平糖のように甘く輝く宵のころ。

 古い家屋の玄関先でゆきうさぎと一緒に誰かが帰ってくるのを待ち続けるハル子。
彼女が言うにはお盆の頃、各家庭には玄関先でゆきうさぎがこの地域では多く見られるという。
 小さな、小さなウサギの子。いっちょまえにメガネなんかかけちゃて、いっちょまえに大きなカメラをぶら下げちゃって。
それでも子どもっぽくハル子は大人に薄い胸を張って、自分を育んだ町のことを自慢げに話し出した。そりゃ、自分の町だもの。

 「ご先祖さまがゆきうさぎに会いに来るんですよ」
 「ゆきうさぎに?」
 「そう!ご先祖さまだって夏は暑いからひんやりしたいんですよー」

 ウサギの祖先が帰ってくるとき、よそのイヌだのオオカミだのの一族とかち合って怖がるので、
彼らが住む港町や内海の島では、若干よそより早くお盆を迎えるらしい。
 昼間の暑さを残したまま晩を迎え、夏の星座に見守られながら木製の盆に盛られたゆきうさぎを玄関先に置く。
内海の波音は優しい。ざざあ……と暗闇から聞こえてくる潮のぶつかる音は地上のウサギには聞き慣れたもの。
かき氷で盛られた『ゆきうさぎ』。洗面器大に丘のように固められ、小豆で目がこしらえられて、耳は夏みかんの皮でぴんと立つ。
 やっぱり暑いせいかゆきうさぎはたらりたらりと汗をかき、町を積み重ねてくれた先人に捧げるようにじりじりと体を削ってゆく。

 「ねえ、ミナさん。そっちに行っていい?ご迷惑ですか」
 「おかまいなく。どうぞ」

、ハル子が首からかけた大きなカメラを両手で抱えながら屋内に引っ込むと、ミナの耳に階段を登る小さな足音が
だんだんと近づいてくるのが聞こえた。やがて足音はミナの部屋の前で止まり、がらりとふすまが開く音に変わる。

 「こらあ、ちゃんと『入りまーす』って言わなきゃだめだぞ」
 「ごめんなさい……」
 「へへ。お姉さん、偉そうなこと言っちゃいました」

 ぺこりと頭を下げていたハル子を迎えてくれたミナは腕を伸ばして旅の疲れを癒しているところだった。

 ふと、ハル子はミナの部屋の隅に置かれた荷物に目が向いた。
こざっぱりにまとめられたナップザック、磨かれた白いヘルメット。その傍らに並べられた、バイク用のグローブ。
男の子のアイテムばかり並んだ旅の荷物のようでもあるし、ナップサックのポケットを挟んだ淡い色の髪留めを見ると、
そうでも無いように見える。女の子の直感は正しい。ハル子はすかさずそれらに食いついて、ミナを独り占めしようとたくらんだ。

 「ミナさん、バイクに乗ってるでしょ?」
 「どうして?」
 「あの……。あのヘルメット、バイクに乗ってる人のだもん!」
 「そうなの?知らなかったー」
 「ええ?もう!!だって!だって!淺川……。じゃなくって、そーいう人がここに来てね、ソイツもバイクに乗っててね、
  すんごい大きんだよ。真っ黒で、鉄って感じがして、まるで……とにかく大きいの。淺川みたいだよ!」
 「淺川って人はどんな人?」
 「えっと。白と黒のネコのお兄さん……いや、男の人で、いつもカメラを持ってて、バイクに乗ってて、耳がちょこんと欠けてて、
  尻尾が曲がってて。そして、自分のことを『根無し草』って言ってる大ばかやろうのこと!だよ……」
 「すんごく詳しいね。わたしがその人に会ったら、もしかしてお友達になっちゃうかも」

 同じ街に生まれ育った旅人兼写真家兼根無し草。彼の名は淺川だ。ミナにとっては「普通」の「バイク乗り同士」の「よい」
「お友達」程度のヤツ。そう言えば、以前淺川に会ったときに話だけは聞いていた。だからこの港町を宿に選んだんだ。
 「この町にカメラを持った子ウサギがいる」と。その子に興味はあった。その子は誰だ。目の前に居るじゃないか。ハル子だ。
 ミナはハル子の方から淺川のことを口にしたことに幸運と見えざる縁を感じた。
 妹をからかうようにミナは手のひらでハル子を転がして、くるくると目を回している様子を一人で楽しむ。
あんまり放し飼いにしておくと可愛そうなので、ポンと雄弁に語っているつもりの子ウサギの髪をてっぺんから優しく掴んだ。
 にこりとハル子に笑みを浮かべるミナの姿が蛍光灯に照らされてハル子のメガネに反射していた。

 柔らかかった。
 ネコの白い毛並みの指と指の間から、けがれを知らない子どもの黒髪が覗く。
 萌え出でる若草のよう。ごろんと寝っ転がるのもいいかもしれない。くんくんと初めて尽くしのにおいに囲まれることも。
 首をすくめたハル子はいっちょ前な上目遣いでメガネを蛍光灯の明かりで反射させて手元のカメラをいじっていた。

 「ハルちゃん、写真撮るの?」

 小さく頷いて、カメラの自慢をしようとしたが、また怒られるかもとそれはやめた。
 そのかわり、ミナのことをいろいろ聞かなきゃ。写真はカメラで撮れるけど、お話はわたしが聞かなきゃ、と。
旅館の玄関先に止めてある、クラシカルなバイクのことを思い出した。このあたりで見かける乗り物といえば、カブか軽トラぐらいだし。
しかしながらそのバイクは寂れた港町の軒先をお借りしても、なんら違和感を感じることも無いたたずまいを持っていた。

 「表に止めてあるの、ミナさん乗ってきた?」
 「あれ?うん、そうね。あれでなかなか可愛げがあるヤツだよ」
 「ふーん」
 「そうだ。港町に来たから、潮風に吹かれてるよね。明日洗ってあげなきゃ」

 ミナから離れたハル子は窓際に駆け寄り、真下の玄関先を覗き込んだ。
 ゆきうさぎと一緒にミナのバイクがのほほんと疲れを癒す。気ままな性格は持ち主によく似ている。

 「いいなあ。わたしも乗ってみたいな」
 「淺川って人みたいになりたいからかな」
 「ち、違います!淺川なんて人知りません!もう!」

 二人の間で「淺川」という人物が話に出ることの不思議。
 ミナはナップサックから携帯電話を取り出して、画面を指先でくるくるとなぞる。爪を立てないように、優しく画面を扱うのが
どうもネコの間では難しいらしい。だが、慣れてくるとそれも気にならなくなるという。 

 「わたしはハルちゃんみたいな大きなカメラは扱えないけど、これでハルちゃんを撮ってあげるね」
 「じゃあ、わたしはミナさんを撮る!」

 ミナは最新の携帯電話、ハル子は使い慣れた大きなカメラ。お互いに向かい合って構えると、ハル子は「ちょっと待って」と
レンズのキャップを取り忘れていたことに気付く。ミナがそれを笑うと先にシャッターを切る。畳に座った子うさぎが慌てる。
 「ずるい!」と憤慨したハル子は仕返しするようにミナをファインダー越しに怒ってみせたが、その姿さえもミナの携帯電話に
納められてしまった。その姿を見せようとハル子にミナが画面を向ける一瞬のこと。

 「あ!淺川!」
 「どこどこ?」

 携帯電話のフォルダに納められた淺川の写真がまぶたに焼きつくぐらいの短さでハル子に飛び込んでいた。
自分の愛車に腰掛けて、ニシシと笑うどうしようもない淺川の写真だった。どうしようもなくても、ハル子にはどうしようもなくもない。
 白々しくミナは「いないよ」と答えるとないしょの手紙を読むように携帯電話を隠してハル子のふてくされた写真を見せた。

    #

 明け方になるとゆきうさぎは姿をくらましていた。
 ハル子が言うには、ご先祖さまたちが美味しく頂いたらしい。小豆と夏みかんの皮だけが濡れた盆に残っていた。
 ゆきうさぎと一夜をともにしたミナのバイクも同じように玄関先に姿は無い。

 ミナが過ごした畳の部屋は布団と小さな子うさぎだけが居た。
 大事そうにカメラを抱えて、すやすやと明け方の光を受けながら夢を見る。
 ミナの代わりに一枚の手紙が。大人の文字で「ハルちゃんへ」と宛名が記されていた。

    #

 ハル子が住む島を背景にしてミナは愛車で海岸沿いを走る。潮風が毛並みを傷めるのも旅の味わいのうち
登り始めた太陽の光がバイクのミラーで跳ね返されて、磨かれたむき出しのエンジンを照り返す。
 次の街に着いたら、まずコイツを洗ってやって……と考えながら加速する。シールドにびゅんびゅんと風が当たる幸せ。
 人気すら無い隣町への県道を道なりに走らせると、道端のウサギの看板を見てミナは忘れ物を思い出した。

 「ゆきうさぎの目が赤い理由を聞いてなかったっけ……」

 グリップを緩めて愛車を道の隅に止めると、ハル子が寝ている港町の旅館の方へ振り向いた。
 また次の夏会うときの言い訳にしないといけないね、と。


  おしまい。