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瞳に恋して!

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瞳に恋して!


   『Can't Take My Eyes Off You ~瞳に恋して!~』


 「わたしもお料理頑張るから、清志郎くんも陸上の大会頑張ってね」

 この一言で水前寺清志郎は胸を弾丸で打ち抜かれたような気がした。甘い言葉に気をつけろ。でも、その甘さに甘えていいじゃないか。
ジャージ姿の清志郎は学校の渡り廊下で想い人から告げられたセリフを何度も繰り返していた。星野りんごというウサギの子を目の前に。
 星野りんごはレストランの娘だ。なので料理はお手の物。もちろん、清志郎の目当てはりんごの作る料理ではない。

 清志郎が星野りんごに夢中になった理由をよく覚えていない。人を好きになる理由はいらない、とはよく言ったもので清志郎も
その理由を探ろうとはしなかった。ただ、彼女をずっと追いかけていたい、そして心を奪ってしまいたいと思っていたのだから。
 敢えて言うなら、彼女の瞳だ。紅い瞳はルビーのように、そして誰をも魅了する金平糖。りんごの瞳に吸い込まれても後悔はない。
手に届かない瞳ほど美しい。だから清志郎は力の限り追いかけた。で、結果はこれだ。当然と言えばそうだろう。りんごの言葉は
女の子が答えに困ったときに使う常套手段だということを清志郎は気づいているのだろうか。恋は盲目。

 これから1000本ダッシュをこなしてくると言い残して清志郎はりんごのもとを離れた。これだけ見れば陸上に青春をささげる少年、
だと……見えるのに。りんごや彼女の友人たちはそう思わざる得なかった。友人の一人、礼野翔子も例外ではない。何故なら、
水前寺清志郎という男は星野りんごにくびったけだからだ。くびったけでは弱いかもしれない。寝ても覚めても星野りんごのことを
考えているに違いない。彼女追いかけて屋上から華麗なるジャンプを魅せたり、家庭科室に潜り込んだりと伝説は尽きない。
それを苦々しく思っているのは清志郎を知っている者なら全てのものだ、と言っても言いすぎでないのだから呆れるではないか。

 翔子は人間の少女だ。りんごとは幼馴染、だからこそお互いのいい所をよく知っているし、そうでない所もつつき合える。
幼馴染は残酷だ。小学生の間は公園での遊び仲間でつるんでいたのに、思春期にお邪魔しかけるお年頃では女子はほんのちょっと
よそよそしくなる。りんごも翔子も違わず。ただ、清志郎は小学生のハートのまま高等部に進んだ大きな小学生であった。
だからこそ、りんごへの思いを惜しげもなく伝えることができるんだ、と。それは生きとし生けるものにとって羨ましいことかもしれない。
 半袖のシャツにリボンを下ろして着こなす翔子、ショートの髪から吹き抜ける風で覗かせるうなじが少女を彩る。
そして、ぽんとりんごの肩を気さくに叩いている姿は少年のよう。翔子はひまわりの花のように青空に映える。

 「りんごちゃん。わたしが水前寺のヤツをしっかり監視してるからさ」
 「翔子ちゃん、いいのよ。水前寺くんもしばらく大会に打ち込むだろうし」

 グラウンドでは白球が打ち上げられる音がしていた。夏の青空の元、絵になる光景。
 「今度りんごちゃんを困らせるようなことがあったら、水前寺のバカヤロウをバットでぶっとばしてやんよ」
 「へへ……いいのかな」

   #

 「いいよ、いいよ!じゃあ、ラスイチいくよーっ。ヒカルくん、バックバック!!」
 白いシャツ、白い球、そして白い大人のネコ。軽く投げられたボールに吸い付くように大きく振られたバットに当たる。
ポカチーンと弓の弧を描くように空へと舞い上がり、地上のケモノは己の脚でそれを追いかける。勢いを失ってくる球に狙いを定め、
犬上ヒカルはグローブの嵌めた左手を伸ばしていた。日光がまぶしい。
 「だめだめだめ!手で取っちゃだめ!体で取らなきゃ」
 バッターボックスではバットを肩にして、子供のようにはしゃぐ大人のネコ。素振りのせいか、活発な少年を思わせた。
彼女の声はグランドの中でいちばん大きかった。

 「よーし!ナイスキャーッチ!ヒカルくん、大分上手くなったね」
 軽い音を耳にして、ヒカルはボールをグローブに収めたまま首を縦に振り、大人のネコの号令でグラウントの上の少年たちは
一同に会した。大人のネコは自分の手の毛並みが砂埃で汚れることだけを気にしていた。
 「みんな集まったかな。じゃあ、後片付けして解散しようか……な」
 「どうしたんですか、ミナさん」
 ミナと呼ばれた大人のネコは呼びかけたネコのメガネ男子の少年の肩を叩いて気になるほうへと指を伸ばす。
 「ナガレくん見てよ。あの子、すんごい脚が速いなって」 
 一緒にノックをしていた少年と共にミナが指差したのは、チーターの少年だった。そう、水前寺清志郎。
大人しくしていても、走っていても目立つ彼をミナが見逃すはずはなかった。片付けたボールをひとつ拝借。

 「じゃあ、もう一度ラスイチいくよ!」
 「え?」
 「そこのチーターくん!それっ」
 ヒカルたちが考えている間もなく、ミナは軽く手元のボールを打ち上げると、あっという間にグラウンドから消えそうになるや否や、
チーターの少年は天に舞うボールに向かって跳んだ。そして、キャッチ。こちらへと踵を返したかと思うや、砂煙を立てながら
ミナの方へ駆けつけていた。

 「どうも、ぼくの名前は水前寺清志郎。今後お見知りおきを」
 「きみ、清志郎くんって言うんだ……」
 ジャージ姿だというのに、清志郎はまるでタキシードを着ているかのような挨拶をミナにしていた。
一方、Tシャツにジーンズという楽な格好のミナは清志郎のことが一瞬で気に入ってしまった。無論、恋心ということでなく。
 「どうも。この町のバイク屋で働いている、杉本ミナです」
 「すぎも……」
 「ミナでいいよ!きみ、足速いね!」
 自慢の脚力を褒められ、ちょっと調子に乗る清志郎は本当のバカヤロウだ。そのバカヤロウを諌めに翔子が後から付いてくる。
男勝りな翔子は「迷惑を掛けるな」と青筋立てるが、清志郎はどこ吹く風とさほど問題にしてはいなかった。
 「ん?あなたはもしかして清志郎くんの彼女さんかな」
 「違いますっ!ただの知り合いです!」
 本気の目をした翔子に清志郎はにこにこと笑っているだけだった。
 ミナがバットを地面に下ろすと、音に驚いたヒカルは尻尾をぶんと振った。

 「今度さ、わたしとヒカルくんたちとで野球しようよ、野球。いつも河原で走ってるよね?姿を見ているよ」
 「は!ぼくのことをご存知なんですね。ソイツは光栄だ。でも、ぼくは陸上部。投げる、打つは専門外でっ」
 「清志郎くんの脚なら、いい盗塁王になれるのになあ。それに取るのもすんごい上手いし」
 「ははっ。短距離バカですから!」

 問題・思春期の男子を手なずけるにはどうすればいいか述べよ。

 周りの者から見れば、簡単に答えを導き出せるのではないかと。それを端的に表した光景だった。
後片付けを終えると、ミナは彼らを引き連れて学園の駐輪場へと足を向けた。ヒカルのナイスプレーに会話の花咲く。
 自転車や原付に混じって止まる一台のレトロなバイク。ロックを外し押して屋根のある駐輪場から出庫したミナはバイクに繋げていた
白いヘルメットを被り、あご紐を結ぶとライディング用のグローブをゆっくりと手に嵌めだした。白いネコ用のヘルメット。頭から
ネコの耳がつんつんと生える。じっと黙ってヒカルや清志郎たちはミナの乗車前の空気を肌で感じていた。まるで厳粛な儀式のように。
確かにバイクに乗ることは儀式かもしれない。鉄と鉄が組み合わせただけの機械に命を吹き込むなんて、儀式以外の何者でもない。
それ相応の礼儀をわきまえて、ミナのバイク・エストレヤに片足上げて跨ると固めのサスペンションが地面に食い込んだ。
ミナは思わず、ぱん!とシートを尻尾で叩く。セルモーターでエンジンを掛けると、独特のリズムでマフラーから音を奏で始めた。
 「時間つぶしはここまで。また、来るねっ」
 ライダーに二言は不要。ミナは振り向くこともせず、尻尾をなびかせながらエストレヤを校門の方へと走らせて行った。

 「おい、ナガレ。なんか言えよ」
 「……」
 リア厨真っ盛りの彼らは妄想を爆発させながらミナの後姿を見送るだけだった。が、清志郎は違った。
 「大人のレディか。ミナさんの瞳も突き抜ける青空のように澄んで美しい。だが、りんごちゃんの瞳も魅力的だな」
 「何、言ってるんですか。水前寺先輩」
 「ふっ。きみたち厨房にはまだまだわからない話さ。女の子の目は分かるかい?恋をしているのか否かって」
 ジャージの上着を肩に掛けて、清志郎は去っていった。まさに誰得。
 ヒカルたちは清志郎の話を聞き流して教室へと戻っていった。

   #

 街のとあるレストランの前には、一台のバイクが止まっていた。洋風のエントランスにランプがひとつ、不釣合いなことは
全く感じられなかった。バイクはレトロなデザインのよく磨かれたエストレヤ。車体脇のヘルメットホルダーには白く明かりを
反射するネコ用のヘルメットがぶら下がる。むしろ、バイクとレストランの持つ雰囲気は絵に描いたようにマッチしていると
いってもいいぐらい。影を落としたバイクは落ち着いて主人の帰りを待っているようにも見えた。
 そして、エストレヤの隣にはレトロなたたずまいのスクーター。わき腹のエンブレムには『ラビット』の文字が貼られている。

 ミナは携帯電話の画面を指摩りながら約束相手を恨んだ。恨むと言うより、呆れたのかもしれない。店内にはミナと幾人かの客。
ウサギのカップルに一人きりのキツネの夫人。そして、杉本ミナ。この街で流行のレストランなのに、落ち着けるのは有り難い。
ずっと開いている向かいの席を見つめながら、ミナは注文の料理を待ち続けていた。流行の店の厨房からはコンロの音が聞こえる。
 夕暮れを迎えて、入口のランプの明かりが灯り、レストランの娘がフロアで忙しそうに仕事をしていた。ミナはお冷に口を付ける。
ウサギのカップルは席を立ち、料理が評判通りだと笑みを零していた。それがミナには恨めしい。男の方がお会計を済ませると、
二人は玄関先の『ラビット』にタンデムを組んで街のとばりに消えていった。これから二人は二人きりの時間。一日は都合がよすぎる。

 「お待ちどうさまでした。ドリアでございます」
 店員のウサギの娘がトレーに載せてきたドリア。熱々の容器からは湯気が立つ。チーズの焦げる香りは嬉しい。
どうしてドリアなんて食べ物を発明できたんだろうかと、食するものを唸らせるコラボレーション。
 「ありがとう。いただきます」
 客はすぐに手を付けようとはしなかった。何故なら。熱いから。そして、人を待っていたから。
人は来ない。だけども、ちょっとぐらいは待ちたいものだ。品の良い内装はいくら見ていても飽きがこない。

 「こんなことなら、グラウンドで野球してたらよかったなあ」
 約束よりも約束を守るほうが正しい。子供ならしも、取引きの大人の世界。
 会うはずだったヤツは今日は来ない。それは約束ができたから。予約まで取ってこのレストランに招いてみた。
だけど、ヤツは仕事バカ。アイツはきっと「夏期講習の準備が忙しくてね!実はぼく、先生だから」とあっけらかんと答えるだろう。
 「サン先生もわたしより仕事を選ぶなんてプロだよね。だから、今日だけは『先生』って、名前につけてあげるよ」
 とみに開いてしまった時間は相棒と過ごすしかない、とミナは時計の針を目で追いながらドリアを口で冷ます。
座るはずだったサン先生の席には何も食器は置かれずに、ミナが過ごす一人だけのディナーを無彩色に彩っていた。

   #

 日の落ちかけた河川敷。陸上部であるTシャツ姿の清志郎は一人で走り込んでいた。
 堤防の上を持てる力振り絞って、何往復したんだろう。それでも体をいじめ続け、力として蓄える。
薄暗い河川敷では大きな川に注ぎ込む水路との水門で水がぶつかり合う音だけが聞こえてくる夜の始まり。

 陸上競技ほど自分に過酷な種目はない。自分がヘマをすればひとりにヘマがのしかかる。誰も助けを差し伸べてくれないのだから。
あえてそれに身を捧げてみんなのために、学校のために体力を使い果たすまで走りこむ。清志郎は敢えてそれを望んだ。
 夏の河川敷は涼しい。風がこれでもかと通り抜けるから、気持ちがよい。清志郎も好んでこの場所で練習をしていた。
その姿を昼間会った、オトナのネコが見ていたのだから清志郎はいやでもやる気が倍増していたのだったが、所詮は人の子。
脚には乳酸が溜まり続け、天から授かった瞬発力を奪い、清志郎を苦しみ続けていたのだった。

 夕暮れに一筋の光。
 落日に染まる河原に一台のバイク。そして、バイクを傍らには大人のネコ。
ミナがエストレヤを押しながら河原の土手を歩いていた。学校の側を流れる大きな川は人気(ひとけ)がないのがもったいない。
だからこそネコだけに涼しい場所を知ってかミナは帰り道を自然とここに選んだのだから。
 待ち人は来なかった。自由になった時間ほど苦しいものはないから、自分で進んで自由を埋める。先が見えないほど長い川の上流、
昼間はきっと子供たちの声であふれていたであろう公園、取り残されてゆく場所。そこへ一歩入り込む気楽なバイク乗り。

 「涼しい……」
 シャツの袖を通り過ぎる夕時の風、バイクを走らせていないのに心地よく、そしてくすぐったく髪の毛をなびかせる。
ミナが帰り道、ここを通る理由がもうひとつ。奇しくもミナと同じことを考えていた少女が一人ギターを傍らに土手の上。
 「ねえ、もしかして……あなた」
 彼女の名は礼野翔子。
 翔子はミナの声に振り向くと体操座りをし続けて、軽く首を縦に振った。

 「昼間に会った……」
 翔子は思い出す。昼間のことを。
 「気になるんだ。清志郎くんのこと」
 「全然っ」
 あまりにも単純な返答にミナはくすっと笑った。バイクのスタンドを立ててロックを掛けると昔少女だったネコは今少女である少女の
傍らに体操座りで並んで河川敷の少年を眺めていた。翔子はミナに顔を向けると、エストレヤの方に視線が向いた。
 沈みかけの太陽の光に磨かれたフェンダーが照らされて輝き、車輪のハブがバイク乗りの生き方のように真っ直ぐに夕焼けに映える。
ミラーに掛けられたネコ用のヘルメットとひとつに繋がったエストレヤは切り絵のように見えた。

 「あれ、お姉さんのですか」
 「うん」
 「大きいですね」
 「250だから、大きくないよお。あなたでも取り回せるかもね」
 「そうかな」
 「じゃあ、乗ってみる?スタンドを立てたままで」

 ギターをミナに預けて翔子は目を丸くしてすっと立ち上がると、ぱんぱんっとスカートを叩いてはやる気持ちを抑えた。
間じかに見たバイクのサドルは思ったより低く感じた。タンクを触ると良くなれた動物を撫でている感覚だが、コイツは野生だ。
いったん体に秘めた内燃機関のプラグに火が付くと、地面を蹴るように走り出すんだからね。それでも構わないと思っているのか
翔子は制服姿のままミナのバイクに跨り、ハンドルを握るとすうっと風が吹いたような気がした。両手でグリップを握る心地よさ。
ブレーキをぎゅっと締めて彼を操る快感さ。共に旅に出かけようと生き物と機械がひとつになる爽快さ。翔子はミナが羨ましくなった。
ふっと翔子の頭に優しく締め付けられるもの。軽く上から押さえ付けられて空気の重さを感じる。
 「似合ってるかも。翔子ちゃんも免許とりなよ」
 「……へへ」
 ミナのネコ用のヘルメットを被った翔子の姿が右手のミラーの中に薄っすらと見えた。

 「清志郎くんとコイツ、どっちが速いかな」
 「ミナさーん。アイツとなんか勝負しちゃだめですよ」
 「じゃあ、今度本気だして勝負を挑んじゃう」
 荒々しいエンジンむき出しの乗り物に添えられた、初夏の草木のような女の子の声。
ミナは河川敷の少年の方へネコの耳が向くと、川とは反対側の土手へイタズラ顔をして身を潜めた。翔子は何かを言おうとしたが
チーターの少年の声に掻き消されてしまった。ミナはにっと歯を見せる。

 「だめだああ!!タイムが縮まんねえ!!」
 精根皆尽きた。大地に吸い込まれても仕方がない。両手両足を投げ打って芝生の生えた土手に清志郎は体を沈めた。
星が美しく目に刺さる。夏の星座。メロスがセリヌンティウスを投げ出してしまおう、という気持ちが分かる。
 息が深くなればなるほど体が揺さぶられ、いっぱいに酸素を体内に取り込む。口をあけて。肩を揺らして。

 「はぁあぁ。りんご……ちゃん。アンデルセンの気持ちが分かるかい!たった一つの目標だけ目指して走った人のことを」
 気が付いたら既に日は落ちていた。いくら日が長くなったと言っても、いづれは昼が消えてしまう宿命。
河川敷は街灯が少ない。かたちある物は全てシルエットとして清志郎の目に映っていた。人、木、そして一台のバイクとライダー。
芝生を枕にしたまま首を傾けると、昼間見たエストレヤとネコのヘルメットを被ったシルエットが土手の上にひっそりと現れている。
バイクに跨ったまま動かない、動こうとはしない。ここにいることを罪深く恥じているように。
 「ミナ……さんですよね」
 返事はない。
 「ぼくですね。どう思いますか」
 無論。

 「走るだけしか興味のないやつってもしかして思われてるのかもしれないんですよね。それはそれでいいんです。事実だし。
  もしかして彼女もそう思っているのかもしれないんですよ。あっ!ぼく好きな子がいましてね!」
 (コイツ、バカだろ……)
 「彼女、ウサギの子なんですよ。ぼくはチーター、彼女はウサギ。彼女を優しく受け止めてあげる自信は誰よりもあるんです。
  でも、彼女……ウサギだから。どうしてあげようかなって考えなきゃな、って。だけど、頭より脚がでちゃうんです。ぼく。
  ルビーみたいで優しい目をしてるんですよ、彼女。ぼくらのような人が言う『鋭い目』じゃないし、ヘンな言い方『疑わない目』
  ってそれは素敵なことじゃないですか。誰をも信頼する、大人びた……そして、あらゆる濁りを浄化するウサギの目」
 (聞いてるこっちが恥ずかしいし!)
 「そんなぼくのこと、りんごちゃんは受け入れてくれるのかな。だから、ぼくはすぐ行動に出ちゃうんです。不安だから!」
 (だから、バカなんだよ……)
 「言うなれば『きみの瞳に……』」
 (清志郎の野郎、いい加減にしろ)

 ミナのヘルメット越しに聞こえてくる清志郎の大きな独り言にいちいちツッコミを入れながら、自分の姿がバレないように
翔子は体を小さくしながらバイクに跨るミナを演じ続けた。そして、内に秘めながら叫ぶ。
 「わたしはミナさんじゃない!!!」と。

 「りんごちゃんに無様なところは見せられないから、ぼく頑張りますよ!今度の大会!」
 青春に、グラウンドに若い命を懸ける一言を久しぶりに発したかと思うと、水前寺清志郎は起き上がり闇の向こうへと消えた。
残されて、そして真っ赤になった翔子はミナに顔を向けることさえできなかった。長かった太陽の出番が終わる。
 「羨ましいなあ、りんごちゃんって子」と、ミナは土手に寝転んで頬を緩めていた。

   #

 翔子と別れたミナはエストレヤを走らせていると、ディナーを一人で取った店の前を通りがかった。店内はまだ明々と。
ゆっくりと速度を緩め、店を眺めるかのように。そこではウサギの娘が店先で打ち水をしていたが、ミナを見かけると手を止めた。
半袖のシャツに腰に巻いたビストロエプロンが初々しい。通り過ぎるかの瀬戸際、店内から中年の男の声がミナの耳に届いた。
愛車を止めてまでミナの耳を傾けさせたのは、すれ違ったウサギの娘の名前。

 「りんご。レジを頼む」

 ぎゅっとブレーキを握り愛車を止めて清志郎の想い人の顔を見届けようとしたが、ウサギの娘は既に店内に戻って姿を消していた。


  おしまい。

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