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冬の風、春の兆し。



 「美味しいもの食べに行こうよ」と誘われたから、普段は縁遠いスカートを履いてみた。
 新調したコートに初めて袖を通し、久しぶりに履くブーツも、ちゃんと太股を収めてくれた。

 わくわく。
 ちょっと、わくわく。

 女の子は気になる男子から誘われれば、いつでもわくわくできるもの。

 しかし、誘ってくれたヤツは「あれ?ミナのことだから、きっとバイクに乗ってくるんじゃないかなと思ったのにね」と、
小さな小さなポケットバイクに跨がり、子供のような眼差しで大人っぽく洒落た格好のミナを見ていた。
 あまりにもミナは悔しかったから、ポケバイに乗った小さな大人の内股に、お久しぶりのブーツで蹴りをお見舞い。
 自分が蹴られた理由が分からない小さな大人を残して、ミナは「サンせんせー。また、今度ね!」と、屈託のない笑顔を見せながら
そのまま遠くへと去ってしまった。

 サン・スーシは背負ったリュックからペットボトルを取り出して口に含むと、すぽすぽと鼓動を揺らすポケバイのタンクに置いて、
ヘルメットのゴーグルを下ろし、グローブを嵌めると小首を傾げてサン先生は呟く。

 「どうしたかな」

 ペットボトルを戻すと、サン先生はキーを挿し、愛車のエンジンをかけてスロットルをぐいぐいと廻す姿はコドモだった。

 自宅に戻ったミナは、とくに早々に帰宅した理由を家にいた両親には伝えなかった。深く掘り下げて欲しくもないしと、
ミナは判断したからだ。せっかく着替えた洋服も、ろくに外の景色を愉しまないままクローゼットに帰ることになった。
 履き慣れたジーパンの有り難み、着慣れたパーカーの親しみ安さ。見回した自室で目に入る、本棚の書籍や架けられたジャケットに、
白く蛍光灯の光を反射するヘルメット。改めて、ミナは自分はバイク乗りなんだと、そして男友達からもそのように思われているんだと
認識した。それが、なんだか悔しかった。

 「寒いな……」

 きょうはとくに寒い。風は冷たい。
 ガレージに出ると、ひんやりした空気が一層感じられる。衣類の隙間という隙間から寒気が忍び寄る。
 ミナは寒さを堪え、自分の相棒を乾いたタオルで撫でる。丸みを帯びた鉄の胴体が優しげに輝いて、逞しい二つの車輪が
大地を踏み締める。ロックを外して相棒をゆっくりと外に出した

 「お尋ねします。もしや、お姉さんは……」

 風の冷たい海浜公園のあずま屋で自販機で買ったホットコーヒーを嗜んでいたミナは、とみに声をかけられて振り向いた。
ナンパ目当てならお断り、今はちょっとのめり込んでいるものがあるから、それより魅力的なお誘いなら考えてあげてもいいよ。
でも、きっとそれは敵わないと思うし。と、言いたげにミナはにこっと声の主に微笑んだ。冬の風は冷たく、いくら着込んでも、
すき間風だけは逃れられない。コートの衿元をマフラーで巻いていても所詮は姑息的、顔だけはどうしようもない。
とくにミナのようなネコにとっては、風が幅をきかす日の外出は避けるものも多いのだが、逆にミナのように敢えて冷たい空気が
幅をきかす日の外出を好む者たちもいた。

 「バイク乗りでしょう」
 「……さあ。どうでしょうかね?」
 「わざわざ、こんな寒い日、寒い場所で温かいコーヒーを飲む。ぼくのようなイヌならまだしも、お姉さんはネコさんだ」
 「そういうことが好きな人もいるかもしれないね」

 白い波の方を見ながらミナはホットコーヒーの温度で、凍てついた手を温めていた。じっと握っているだけで、
まるで薄く手に張り付いた氷がじわじわと溶けてゆく感じがする。
 ミナがジーンズに包まれた脚に温まった手の平を置く。足の先はごついブーツ、お洒落のために履くにもちょうどよい。

 「無駄もなく、隙のないファッション。ぼくがバイクに乗るとしたら、そんな服装を選ぶね」
 「そんな街の流行りもあるかもね」
 「仮にお姉さんがバイク乗りだとしよう。街を歩いていても、そのまま喫茶店でカフェオレを愉しんでも不自然ではない服装だ。
  お姉さんはきっとレトロチックなバイクに乗っているのではないのかな」

 静かにミナは残りのコーヒーを口に含んだ。

 「ああいう型のバイクはスピードを愉しむより、走ることだけを愉しむんだ。お姉さんの服装だと、後者の愉しみ方に相応しいと思う」
 「なるほどね。素晴らしい着眼点だと思うよ」

 とくに感心したという訳ではない素ぶりを見せて、ミナは既に冷えてしまったコーヒーを飲み干した。
 すっと立ち上がると、余計に風を強く感じる。隣で続く声が下から聞こえてきた。

 「やけにわたしのことをバイク乗りだってお兄さんは推理してるけど、どうしてだろうね」
 「それを成立させるヒントが揃いすぎなんだ」
 「どれも危ういけどね」
 「それじゃあ。最後に一つ。お姉さんのブーツの先は擦れている。女の子ならば、そんな擦れ方は不自然だな。
  きっとギアを蹴るときに出来た擦り傷だ」

 ミナは黙って男子の声に耳を傾けていると、すくっと立ち上がり声の主を蹴り飛ばした。
 きゃんと鳴く間もなく、声の主はウサギのようにすっとんで海岸への階段へ転がりそうになっていた。

 「これはね、あんたを蹴り飛ばしてたから擦り切れたんだよ」
 「そう来なくちゃ」
 「何が、そう来なくちゃだよ!サンせんせー!」

 春風をきっと吹かしてみせると、ミナはサン先生をまたひとつ小突いた。


  おしまい。