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はせやんと黒ストッキング


 「それじゃ……黒ストッキング」
 「片足脱いだ靴」
 「つま先、丸め込む!」
 「うーん。なら、ウチらの制服」
 「ミコ。それ、反則だよお。かわい過ぎるし」
 「あらクーったら、もうお手上げ?いくよ。突然の雨!」

 外を眺めて教室のベランダで風にあたりながら、佐村井美琴が品やかな指を頬から顎にかけて滑らせる。
こうすると、もくもくと言葉が浮かぶという。隣で美琴の妄想にあやかろうと、大場狗音が美琴の頬を指でなぞっていた。
 手すりに掴まり揃って下界を覗き込むと、まるで背中に羽根が生えて空を飛んでいるような気分。

 「いくよ、ミコ。雨上がりの足の裏」
 「……えっと」
 「『くんくんしてみる?恥ずかしいけど、いいよ』っていう、セリフ」
 「……うーん」
 「ミコ。わたしの勝ちかな?はせやんはわたしの物ね」

 『はせやん』こと泊瀬谷はこの学園の女教師だ。ボブショートに生えたネコ耳が誰もを優しく受け止める、よくいえばお姉さん先生。
だけども悪くいえば当たり障りのない先生だ。その日午後のはせやんの授業を思い出しながら、二人ははせやんを頭の中で遊ばせていた。
 黒ストッキングを履いて制服姿のはせやんが帰り道ににわか雨に遭う。湿気が立ち込めるアスファルトの上、雨宿りで飛び込んだ
潰れた商店の軒先で片足立ちで靴を脱ぐ。脱いだ黒ストの指の付け根と白く透き通る肉球、そして足元のあたりから混じり合う雨と
自分の毛並みと黒ストの匂い。美琴と狗音は自分たちの教師を操って、匂い立つワンシーンを言葉を紬ぎ合ながら、誰も立ち入れない
二人だけの甘美な妄想に耽っていた。

 「やっぱり、クーったら……」
 「なーに?ミコ」
 「こらっ」

 と、美琴が感服すると、悔しいから狗音は美琴の手首を抓った。ベランダからの眺めは二人の妄想とは反して、からっとした秋空だった。
 黙っていれば姉系キレイ目女子高生、そんな二人の後ろ姿を廊下から見かけ、下校を促す真面目のまー子の風紀委員長。
 黙っていればメガネ系地味っ子女子高生、因幡リオは「先生たちの仕事増やさないでくれる?」と風紀委員長らしいセリフを投げた。

 端から見れば、花きらびやかなイヌネコの二人に妬いている地味子が吠えているだけのように見える。しかし、リオはウサギなので
いまいち迫力に欠けていた。リオは教師からのお説教に共々巻き込まれるのはゴメンだと言いたげに、上靴履いた靴で床を鳴らす。

 教室から離れたリオは背中で下校を促す声を聞いた。若い、いわゆるお姉さん先生。ネコの泊瀬谷だ。

 「こらー!さっさと帰るんだぞ!佐村井さん、大場さん。新学期もがんばろうねっ」
 「はーい。泊瀬谷先生、さようなら」

 はせやんは二人に向かって小さくガッツポースを見せて、ベランダに居残る美琴と狗音を呼ぶと、二人は素直に教室に戻って来た。
リオの耳にもはっきりと確認できる顛末だったが、はせやんの声は明るくも夜明け前の街明かりを感じさせた。

 (なんだろう……。悔しいな)

 教室を見回しているはせやんの姿を真面目のまー子が勝手に作り上げた好敵手のように見ていると、ベランダのキレイ目な二人が
視界を遮りながら通り過ぎていった。ショートの髪の御琴と長い髪を束ねた狗音が廊下を歩くだけで、おしゃれなショッピングモールの
ような華やかさだ。ゆらゆらと甘い香りを振りまいてお互い尻尾を揺らしながらリオをすり抜けて行ったときにはもう、はせやんは既に
いなかった。その代わりにメガネ男子の三十路ウサギがリオの首根っこを言葉で摘む、不機嫌そうな顔をして見回りをしている教師が一人。

 「風紀委員長なら仕事しろよ」

 学園の化学教師・跳月だった。
 リオは跳月の顔を見るなり、気弱な借りてきたウサギのような態度で声を細めた。

 「は、はづきち。今日も熱心に残業ですか?風紀委員の仕事……頑張ってますよ。はづきちもとっとと仕事終わらせて……」
 「用事があるから残っているんだ。因幡。用事ないなら早く帰れ」
 「これだから、大人は!」

 跳月ははせやんと違って大人びた性格だ。リオの秤ではみんなのお姉さんより大人びたメガネ男子の方に傾く。
 理知的なメガネに吸い込まれて、冷たくて優しい言葉でぐりぐりと。きっとどこかで頑張っている自分を否定して欲しいという
ひねくれにも似た願望がリオにはあるのだろう。リオは跳月に「用事がないから帰りますっ」と返事を残して玄関へ向かった。

 玄関から一歩出ると風が冷たい。夏が過ぎ去って、一雨ごとに寒くなる季節。リオの脚からちらりと光る絶対領域が冷える。

 「はっせやーん。はせやんかわいいよはせやん。あー!でも、はづきちにもガンガン怒られたいお!」

 午後のはせやんの授業中、リオはノートの片隅に泊瀬谷の落書きをしていた。明らかに年上なのにリオにははせやんが年下のように
見えた。こんな妹がいてくれたらいつも弄くって遊んでいたのにと、誰にも聞こえないことをいいことにリオははせやんの絵を描いた。
 はづきちが兄で妹がはせやん。そして、わたしははづきちから叱られて、はせやんに意地悪く当たる。なんて幸せ植物連鎖。

 「でも、なんか悔しいなあ」

 急に校舎から離れてリオは一日が過ぎてしまうこと、彼らとの日々が過去の物になってしまうことに感傷の思いが風と共に通り過ぎた。
 余りにも物思いに耽っていたので校門で自転車に轢かれかけた。犯行はクラスメイトの男子だった。犬上ヒカルだった。

 「因幡。ごめん、大丈夫?」
 「大丈夫じゃないよ!だ・い・じ・けーん!」

 ホントの気持ちを隠そうと作り笑いで、ゆるりゆらゆらと口ずさむ。

 「なにそれ」
 「なんでもない」

 自転車に乗った犬上ヒカルはきょとんとした顔でリオを見つめていた。
 正直、同級生には興味はなかった。年上の誰かに振り回されたいと思っていたからだろうか。でも、日々が過ぎ去ってしまう悲しさを
共感して、かつ共有してくれるのはコイツだけしかいないと、リオは自転車に跨るヒカルの脚を止めた。

 「犬上。一緒に帰らない?」
 「え?」
 「女子が一緒に帰ろって言ってるんだけど……」

 女子高生の誘い。ヒカルには唐突に感じた。リオは兎に角、誰かと一緒になりたくてたまらなかった。心もとなくて、寂しくて。
真っ暗闇の中を単独でボートを漕ぐような気持ちだった。ヒカルは断る理由がないのでリオと共に校門から続く坂を自転車を押しながら
下った。真横にいるのは紛れもなく女の子だというとこは、何となく意識しながら坂の下へと並んで歩く。

 歩幅を合わせるだけなのに、同年代の女子と歩くことだけなのに。いや。同年代だからこそ、いろんなものが見透かされる気がする。
年上ならば気を許せるし、年下ならば気を許してあげられる。だが、同級生だとお互い対等だから見透かされる気がするのだ。
 ヒカルは自転車のチェーンの音だけ聞きながら、坂の下にあるコンビにを目指す。そして、しばらく沈黙が続くとリオが口火を切った。

 「犬上。どこ行くの」
 「コンビニ」
 「わたしも行く」

 他愛のない会話にヒカルとリオは救われた。

 予定外ながらもリオはヒカルの後を追う。別に買うものはないけど、誰かの側にいたかったからだ。
 理由なんか後付けで十分だし、理由の内容が無ければしらばっくればいい。自動ドアが奏でるお出迎えのチャイムと一緒に鼻歌を
歌ってみた。店内は下校途中の生徒たちがわさわさと賑わっていた。買い物一つで人が出る。大柄な男子は両手にいっぱいの菓子パン、
華やかな女子は控え目で色鮮やかなパックのジュース。そして、ヒカルは肉まんを一つ手に入れただけで満足していた。
 一方、リオはヒカルの尻尾が触れるか触れないかの距離で、口をへの字にして時間を潰していた。ヒカルの尻尾がふらりとリオの
ニーソックスに包まれた膝を撫でた。

 「因幡は買わないの?」
 「う、うん。とくに決めてなかったからさ」

 姑息的な寄り道だからと店を出るチャイムに後ろめたさを感じた。ヒカルはリオが両手でスクバをぎゅっと抱え込む姿を不思議そうに
見つめていた。外の空気が涼しく、ヒカルはスタンドを立てた自転車に跨って肉まんを頂く。二つに割った断面からは程よい加減に
蒸された肉と食欲を誘う湯気が顔を出す。片方をベンチに座っていたリオに勧めたが首を横に振っていた。

 「犬上聞いてくれる?今日、はせやんに負けちゃった」

 何に?
 どうして?

 いきなりの会話はある種、人の興味を掻き立てる。ヒカルはスタンド立ちの自転車のペダルを漕いで空回りさせていた。

 放課後、ヒカルに会うまでに起きた校舎内での出来事を話す。
 居残りさんの美琴と狗音を見つけた。だから注意した。でも、帰らない。はせやんの一言で二人は帰り支度を始めた。
 なにか、悔しいな。わたしとはせやん、二人とも同じこと言ってるのになんで違うの?と、愚痴を零すリオを受け止めるように、
ヒカルは肉まんを口から離してじっと泣き虫ウサギの泣き言を聞き続けた。

 「なんか、風紀委員長やってんのに。悔しいな、わたし。委員長なんだよ?なのに……はせやんに負けちゃったって」
 「そうだろうね」
 「犬上、はせやんの味方するんだ」

 後悔の矢が二人の胸にそれぞれ突き刺さる。
 「こんなこと言うんじゃなかった」とヒカル。
 「こんなこと言うんじゃなかった」とリオ。
 だが、覆水盆には帰らず。顔を赤くしたリオはヒカルからハンドルを奪い、自転車のブレーキをぎゅっと握った。

 「そうだ、因幡。泊瀬谷先生で思い出した。今日のさ、現国のノート。見せてくれない?」
 「ひっ?」
 「写し逃したとかじゃないけど、確認したいんだよね。ノートした内容があってるかなって」

 ヒカルはカバンからノートを取り出すと、あわてふためくリオの顔にも冷静に対処していた。リオの周りに二次元の汗が雫のように
光ることを突っ込みもせず。あのノートにははせやんの落書きしてんのよ!ちびキャラになって教壇でかりかりと板書するはせやんなんよ!
誰かに見せる気もないのに描きあげた落書きが他人の目に止まるかもしれないという恥ずかしさ。出来ることなら断りたかったけど、
断る理由が見つからない。

 「いいよ。ちょっとだけなら」

 スクバをまさぐる振りを利用して、なるべくヒカルの目を見ないようにリオは片手でノートを差し出した。

 「ありがとう」と一礼したヒカルがはらはらとノートを捲る。紙の音がリオには判決が下されるまでの秒針に聞こえた。
何世紀も時代をかい潜った法廷で、一人高い天井の間に取り残されて天秤を持つ目隠しの神の声を待つ。
 紙を捲る音が止まった。ヒカルの目線はリオが確かに落書きをした片隅にあった。

 「これ。泊瀬谷先生?」

 ドンと裁判長が座る机のハンマーが下ろされる。肩をすくめてリオは小さく泣いた。

 「かわいいね、これ」

 リオを囲む薄暗い暗幕が開き、希望の光り照らす。太陽がこんなに明るいなんて!背中に羽根が生えて、雲さえ飛び越えられるような
気がしてきた。リオを苦しめた呪縛から解放してくれたヒカルに……。

 「無理に褒めなくてもいいって!ばかばか!」

 目を赤くしながらリオはヒカルの脇腹を浅く抓った。
 恋人同士でもないのに、付き合っているわけでもないのに。ましてやただのクラスメイト。ヒカルはリオが抓った脇腹が
今まで感じた痛みの中で、いちばん心地よく感じた上に、罪悪感をも背負った気がした。

 「もしかして犬上って、はせやんみたいな『危なげお姉さん』がタイプとか?」
 「なにそれ」
 「いや。なんかさ、はせやんの絵を『かわいいね』とか言ってたし」

 同級生同士だから、なんだかお互い見透かされているような気がする。確証はないけど、気がするだけ。

 「例えば、黒ストッキング履いてオトナだよって振りまいてても、結局中身は妹だよねって、とか。犬上好きそう」
 「……さあね」
 「わたしはさ!メガネ男子だな!」

 メガネ男子。
 めがねだんし。
 メガネダンシ。

 リオには跳月の顔がぽっと浮かんだ。

 「そうなんだ。因幡のタイプって」
 「それだけ?もっと、聞かないの?レンズ越しの冷たい目がいいよねとか?なんかさぁ……わたし、気持ちががさがさしてきたよ!」

 自爆に近いリオの独白。リオが叫べば叫ぶほど悲哀に満ちる。
 乙女なゲエムならば「きゃんきゃん吠えるなって。もっと困らせたくなるだろ?」という男声ボイスがリオのヘッドフォンに
溢れるだろうシチュエーションだが、残念かな、相手は犬上ヒカルだった。じゃあ損も得もない相手なら、好き放題してもよかろう。

 「犬上さあ。わたしを萌えさせて!萌えさせてちょうだいよ?」
 「え?」 
 「いいから!いいから!」

 リオは自分が掛けているメガネを外し、ヒカルに無理矢理掛けさせてみた。女の子のメガネを掛けている……と、ヒカルは初めて
好きな人と隣り合わせになった気持ちに近い恥ずかしさが背中を走った。メガネ男子になったヒカルの羞恥プレイにも関わらず、
リオはもやに掛かったかの如くぼんやりとしかヒカルの顔を見ることが出来ず、リオが理想とした萌えは図らずとももやに消えた。

 「メガネ男子……ひーん」

 言うまでもなく度の合わないメガネを掛けたヒカルにも、同じようにリオがもやに掛かったかのように見えた。
 ぼんやりとして輪郭がはっきりしないのに不思議と不安な気持ちにはならなかった。


     #


 生徒たちが帰った校舎の生徒指導室で、隣り合わせの席で座るのはせやんとはづきちだった。
 「時が進むのは早いなあ」と、こつこつと時間を刻み続ける古時計を二人揃って見つめていた。

 「跳月先生。きょう、わたし自身を指導出来ませんでした」

 膝小僧を抓りながらはせやんは午後の授業を振り返り、実の兄に打ち明けるようにはづきちに弱気を吐いた。
 窓から差す日差しがはづきちのメガネを白く光らせた。

 「生徒がですね、授業中ノートに落書きしてるの見ちゃったんです。こんな小さいこと注意しなくてもいいよねって
  思ってたんですが、わたしの授業が何だか飽きられているのかなって考えちゃって」
 「泊瀬谷先生がそう思うんだったら、それでいいじゃありませんか。先生ですし」

 はづきちの言葉は冷たくもあり、温かくもある不思議な言葉だった。
 はせやんの膝小僧に黒いストッキングが似合うにはまだまだ遠かった。


     #


 「だからさ、犬上のタイプは?教えてよ!ばかばか、ずるいぞ!」
 「因幡……とは逆のタイプな子かなあ」
 「もう!」

 ただ……。

 ヒカルには落ち込んだリオが泊瀬谷に見えてきた。
 ボブショートの髪に気弱になった姿。お姉さん先生の泊瀬谷と風紀委員長のリオが重なるメガネの魔術にヒカルは操られていた。
 恥ずかしいから目を合わせないようにリオの下半身に目をやると、スクバで露になるべき純白なる絶対領域が隠されて、
インチキメガネ男子になったヒカルの視界からは黒ストッキングを履いているかのように見えた。



     おしまい。