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Back to the sky


   美しい青空が広がる、まさに絶好の天気だった。風は緩やかな向かい風、
  遠くで木々の葉が揺れるのが鮮明に見える。誰かの合図で走り出し、空へ舞い上がった。
  みるみる小さくなる地上。風を受けて更に昇っていく。
  突然、右側から衝撃音。バランスを失い、落下していく。そして暗転。

   「うわぁっ!!」
  跳ね起きてみると、いつものベッドの上だった。窓の外で、街灯がぼんやりと光っているのが
  カーテン越しに見える。どうやら、まだ夜が明けるまで時間がありそうだった。
  右の翼が痺れている。事故の後遺症なのか、体の下になって血行が妨げられたせいなのかは分からなかった。
  心臓の鼓動は速く、喉が渇いていた。台所へ行って冷たい水を飲み、気分を落ち着かせた。

   ベッドの縁に腰掛け、大きなため息をひとつ。
  このまま眠るのは怖い。嫌な夢はもう見たくなかった。
  このまま起きているのも嫌だ。やる事がなければ、どうしてもあの事故の事を思い出してしまう。
  どちらも怖かったが、結局は眠気が勝って布団に戻った。


 ハヤブサ人の中島眞真(なかじま まさし)は事故に遭い、長期の入院とリハビリを経て学校生活に復帰した。
しかし、数年前には滑空垂直降下の中学生記録を打ち立てた彼が、もはや飛ぶことはできない。
事故は翼の腱を切断し、彼を空から絶対的に切り離してしまったのだ。

 彼に希望の光を見出させたのは、同級生の風間だった。
飛行機同好会という非公式のクラブ活動があるという事を知った中島は、その部室まで足を運んだ。

   そこを訪ねたのは何か目的があるからではなかった。
  理由の一つには、新聞部の烏丸に紹介されたから、というのもある。その勧めに従わないのも嫌だったから。
  でも、ひょっとしたら、少しでも空を飛ぶという行為の近くにいたかったのかもしれない。

  ―― そこには失ったものがあった。少なくともそれに近いものが。
  忘れるはずはない。風を切る感覚、急降下から引き起こして一気に減速するスリル、
  そして、飛ぶ者の全身を包み込む、ひとつとして同じものがない大空の色。

   圧倒的な感覚が押し寄せて、何も考えたくない。
  もう少し風間と話がしてみたかったが、その場から立ち去らずには居られなかった。
  もちろん、勝手に押しかけて勝手に帰ったことに引け目は感じていた。
  だが、それ以外にどうしようもなかったのだ。

 最初に飛行機同好会を訪れてから数日後、中島は風間に呼び出された。
放課後の中庭には人影がなく、校舎の向こうからは部活動の声が聞こえてくる。

  学校の中で、ここだけが切り離されたみたいだ。

松葉杖に体重を預けながら中島が考えていると、後ろから頭をかすめて、何か白いものが飛んできた。
 驚いたが、彼は慌てなかった。
瞬時の判断を冷静に行えなければ、空のスポーツでは生き残っていけないのだ。
幼い頃から培ってきた条件反射は、たとえ飛べなくなっても簡単に消えるものではない。

 飛んできたものは軽い音を立てて、植え込みの手前に滑り込んだ。
中島が植え込みに近寄り、中庭に松葉杖の冷たい音が響く。
飛んできたものを拾い上げてみると、それは変わった形をした飛行機の模型だった。
胴体の代わりなのか、下には鳥人の人形がぶら下がっている。
飛行機の部分は軽い素材を削りだしたようで、なかなか精巧に作られていた。
だが人形の形はともかく、描かれた顔はちょっと上手とはいえない。

 「もう少し驚くかと思ったんだけどな」

 飛行機の模型を見ていると突然、声をかけられた。
振り返ってみると、声の主は風間だった。風間は続けて言う。

 「2日ほど考えたんだが、基本配置はそんな感じで進めたい。何か意見があれば今のうちに頼む」

 風間が何を言っているのか、しばらく理解できなかった。ふと、手の中の飛行機を見つめた。
数秒の後、中島の心は揺れ動き始め、その声にも動揺が現れる。

 「部室にあった、あれに乗るんじゃ……」
 「ブルースカイは俺みたいに『空を飛べない』奴のための機体だ。お前にはお前に向いた機体を作るさ」
 「僕は、空を飛びたかっただけで……そんな、僕のための飛行機を作るなんて……」

 「中島?もう一度、『空を翔びたい』んだろう?俺みたいに『自分の飛行機を作る』んじゃなくて」


 風間のその一言で決心がついた。
止まっていた時計が動き出したような感覚。もう一度、風を切って空を駆ける事ができるかもしれない。
冷え切っていた心のエンジンに、新しい火が点ったような気がした。
―― 再び口を開いた彼の目には強い意志が宿り、その口ぶりも確信に満ちていた。

 「……頑丈な脚が欲しいな。少し荒い着地になるかもしれないから」


――※――――※――――※――――※――――※――


 それから2ヶ月と少し。中島の姿が河川敷にあった。その背中には、大きな機械の翼が背負われている。
これから中島専用機、「疾風(はやて)」の初飛行を行うのだ。
それはダクテッドファン2基を持つ、総重量210kgの全翼機。風間が寝食を忘れて設計と製作に没頭した結果、
「疾風」の機体は夏休み期間中に完成したのだった。そしてバッテリーやモーターといった動力部品が
組み付けられた今、「疾風」は数度の地上テストを経て初飛行の日を迎えたのだった。

 風間が飛行前の機体チェックを終え、中島に話しかける。

 「いよいよだな。何度も言うが、生身の時よりも翼面積が大きいんだ。縦の安定に気をつけろよ」
 「ああ、分かってるよ。慎重に飛ぶさ」
 「間に合わせのモーターだから効率が悪いのを忘れるなよ」
 「15分以内に戻れば安全、だったね」
 「もう半年以上も飛んでないんだからな。過信は禁物だぞ」
 「ああ。何かあったらすぐに戻るよ」

 離陸滑走用の台車に乗り込む。
離陸姿勢をとると、台車から生えている支柱が着陸脚の根元部分にフィットした。
台車の前にはゴム索が伸びている。集められた運動部員たちが、風間の指示でゴム索を引き始めた。
後ろはケーブルで固定されていて、そのロックを外せばカタパルトのように急加速できる。
大出力モーターが間に合わず、滑走距離を河川敷の直線部分に収めるための手段だ。

 ゴム索を持った運動部員たちが座り込み、風間が発進地点に戻ってきた。
かくして飛び立つ仕掛けは整った。

   深呼吸。
  フラップを下げ、着陸脚の横木を掴んだ。
  モーター始動。
  次第に甲高い音が大きくなっていく。
  後ろを振り返ってみると、風間がこちらに視線を送っている。
  それに応えて、小さく頷いた。そしてまっすぐ前を向いた。

 「発進!」
風間がプロペラ音に負けないように叫び、合図の腕を振り下ろす。
そして飛行機同好会の虎宮山が、機体を押さえていたケーブルのロックを解除した。

   軽い衝撃の直後、急加速。出力全開。
  顔に風が当たる。久しぶりの感覚だ。
  充分に速度が出たところで、尾羽を少し動かしてやる。
  浮いた。
  勢い良く昇っていく。

   ゴム索による加速のおかげで、一気に高度を取ることができた。
  もう同じ高さには何もない。川沿いの道が、街並みが、自分の下を流れていく。
  再び、空に帰ってきたのだ。
  嬉しかった。全身が高揚感に満たされ、精神が研ぎ澄まされたような感覚に包まれる。

   モーターの出力が足りないせいだろう、フラップを下げていてもなかなか上昇しない。
  出力全開で、ゆっくりと高度を上げていく。このままでは空気抵抗が大きいから、速度も遅い。

   それでも高度は500mくらいまで取ることができた。
  速度が欲しい。ここまで昇れば急降下しても大丈夫だろう。思い切ってフラップを上げた。

   次の瞬間、世界が回った。
  一瞬、何が起こったか理解できなかった。そして、前転した事に気がついた。

   どうやらフラップを上げたことでバランスが崩れたらしい。尾羽でバランスを取ったはずだが、
  尾羽の動かし方が遅かったのか不十分だったのか……
  とにかく回転を抑える。尾羽とフラップ、左右のモーターも総動員して体勢を立て直した。
  引き起こしすぎて上を向き、そこからどうにか前に向き直って、ようやく姿勢が安定した。

   だが気付いた。前進速度が遅すぎる。さっきの引き起こしで失速したのだ!
  あるいは生身の時の癖が出て、ホバリングしようと迎え角を大きくしすぎたのかもしれない。
  モーターからは嫌な音が聞こえてくる。プロペラが過回転してモーターに大きな負荷が掛かったのだろうか。
  このままでは河川敷に戻る前に不時着だ。無理に進入すれば立ち木や建物に引っかかる。

   急いで周りを探す。開けた場所は……あった!公園だ。ほとんど目の前だ。高度はどんどん下がっていく。
  迷っている暇はなかった。思い切り、緊急用の紐を引っ張る。

  翼中央のパネルが開き、機体が震える。そして勢いよくパラシュートが飛び出す音。

   強く体を上に引っ張られ、落下が止まった。
  地面からの高度は30mくらいだろうか……危なかった。着陸脚を伸ばし、着地の衝撃に備える。
  思ったより大きな音はしなかった。金属音に続いて、役目を終えたパラシュートが地面に身を横たえる音。
  ……運が良かった。心の底から、そう思った。

   地上に降りると、ほっとした。何も考えないで済む安心感。と同時にどこか悔しい気分でもある。
  空から、誰かが降りてきた。ぼんやりと、それを見つめていた……

 鳶人の警官が飛んできて、機体の横に降り立った。警官は警察手帳を見せ、口を開く。
確かに、これは事故だった。中島は最悪の事態も覚悟した。

 「ちょっと危なかったな、怪我はないだろうね?」
 「ええ、大丈夫です」

その警官は制服のポケットから手帳を取り出し、何かを調べていた。

 「ええと、届出のあった『佳望学園飛行機同好会』の機体というのは、君の背中にある奴かな?」
 「はい、そうです」
 「……なるほど、ずいぶん野心的な機体のようだ。ところで、君は鳥人だが……」

中島は事情を説明した。

 「そうか……いや、すまない。つまらない事を尋ねてしまったな」
 「という訳で、この事故は僕の操縦ミスで起こったものなんです。なので設計がどうのこうのという訳では……」
 「ん?誰が事故だなんて言ったかな?子供が自転車で転んだくらいじゃ事故のうちには入らないよ」

中島は意表を突かれた。そして驚いた顔で、相手の顔を見上げた。警官は悪戯っぽい笑みを浮かべている。
その表情には子を見守る親のような、ある種の優しさと頼もしさが感じられた。そして警官は真顔に戻り、

 「まあ、今後は充分に気をつけて飛ばすように。君一人の体じゃないんだからね」
 「はい、すいませんでした」
 「謝らなくてもいいよ。もう一度、いや、前よりも自由に飛べる日が来るさ。頑張れよ!」

 そう言い残して警官は飛び去っていった。
その直後、息を切らせた風間が自転車で駆けつける。

 「中島、大丈夫か?!」
 「ごめん、少し調子に乗りすぎたみたいだね。とりあえず怪我はしていないよ」
 「今飛んでいった警察は、大丈夫だったのか?」
 「ああ。少し話を聞かれて、今後は注意するように、ってさ」
 「それなら良かったけど……それにしてもパラシュート付けておいて正解だったな」
 「操縦に慣れるまでは必須だろうね。で、機体はどうやって運ぼうか」
 「ああ、それならもうすぐ鈴鹿さんが来るから……」

 その後、部員全員で機体を分解し、リヤカーに載せて部室小屋まで運んだ。
機体を風間が調べた結果、モーターが過熱して故障していた事が判明する。
出力不足のモーターに無理をさせたのが原因のひとつだった。


――※――――※――――※――――※――――※――


 秋も深まり、生徒たちが集まるグラウンド。
佳望学園祭の開幕を告げるアナウンス。生徒たちの歓声が上がる中、放送は切られなかった。
ごそごそ、ぼすん。と、マイクを交代する音に続いて、澄んだ声が響く。
その声に従って上空を見上げる生徒たち。すると上空に、ふたつの矢印のような影が現れた。

 白頭と「疾風II」による空中演舞の幕開けである。
煙花火を使って航跡を描き出すという演出は、中島のアイデアだった。
虎宮山のアナウンスに乗って、ふたつの白い線が、秋晴れの青い空にくっきりと浮かび上がる。

 中島の操る「疾風II」の飛行には、かつての頼りなさを感じさせない安定感があった。
「疾風II」の描き出す力強い航跡と、白頭の描く軽やかな曲線。
その絡み合いはまるで、青空をキャンバスに大きく描かれたスケッチ。演技時間はおよそ20分。
その時間が終わると魔法が解けたように、グラウンドにざわめきが戻ってきたのだった。


 飛行機同好会によるデモ飛行は、2部構成だ。
学園祭の開幕と常時に、白頭と「疾風II」の空中演舞。
続いてブルースカイシリーズ最新型による体験搭乗ができる限り行われる。

 体験搭乗の主役はもちろん、パワーアップにより搭載量を大幅に増した「ブルースカイXI」だ。
体験開始前のデモンストレーションでは、虎宮山を乗せても安定して飛行可能という、
ある意味破格の搭載能力を見せ付けた。
また、白頭と中島の鳥人ふたりが体験搭乗の宣伝を行うという視覚効果の高さもあってか、
体験飛行の予約はあっという間に埋まり、操縦者の風間を喜ばせつつも疲れさせたのだった。


 夢のような時間は、あっという間に流れ去る。
模擬店の食べ物の匂い、いつもにも増して楽しげな生徒たちの声。そういったものを吸い込んで、
いつしか空は赤く色づき始めていた。

 夕刻迫る空をバックに、大きさの異なる3つの影が現れた。
幾人かの生徒はそれに気が付き、グラウンドから、教室の窓から、学校前の坂道から、再び空を見上げた。
横一列に並んでいる、白頭の小さな影、「ブルースカイXI」の大きな影、「疾風II」の少し大きい影。
一番小さい影を内側に、ゆっくりと旋回する。一回、二回、三回……

 そして彼らは大きく翼を振り、もと来た空へ向かって遠ざかっていった。
まるで空を飛ぶ喜びを噛み締めるように、飛ぶ者のすべてを包み込む、無限の色を持つ大空に向かって。