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スレ10>>52-58 ネコ科と空

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silvervine222

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ネコ科と空


「くそ……最悪だ」

 未だ残暑も厳しいある日。
 晴れ渡る空の下、両手に押すバイクの重みを全身に感じながら、私は様々な事に対して悪態を漏らした。
 じりじりと毛皮を突き刺す日差しを浴びて、目玉焼きでも焼けそうな位に熱くなったアスファルトから陽炎が立ち昇る。
 こんな地獄のような状況の中、わざわざクソ重い愛車を延々と押して行こうだなんて、普通は考えたくも無いだろう。
 しかし生憎、今の私はこの炎天下の中、愛車を押して行かざるえない状況にあった。

 始まりは今から三十分ほど前、私が愛車のZⅡと共に一陣の風となっていた時の事だった。
 残暑も風の彼方へかっ飛ぶ軽快な走りから一転、唐突に前輪から生じる不快な違和感。
 嫌な物を感じた私が咄嗟に愛車を止めて見た物は、重力に負けて力無く潰れた前輪のタイヤだった。
 そう言えば、少し前くらいに交通事故の現場の、交通整理しているその脇を徐行して通り過ぎたのを思い出す。
 恐らく、其処で鉄片かガラス片でも踏んでしまったのだろう、これでは流石の愛車も性能の発揮しようが無い。

 しかし、直ぐに異変に気付く事が出来たから良かったのだが、、
もし気付かずに走ってタイヤをバースト(破裂)でもさせていたらと思うと、私は背中の毛皮を毛羽立ててしまう。
 なにせ、高速走行時においてのタイヤのバーストほど、バイク乗りにとって恐ろしい事態は無いからだ。

 当然、私は足を痛めた愛車を走らせる訳に行かなくなり、
結果、厳しい日差しの中、愛車の修理工具のある自宅のマンションまで重量230キロ超の愛車を延々と押す羽目になったのである。
 こういう事になるのなら、せめてパンク修理の道具ぐらい持っていけば良かったと後悔しても後の祭だ。
 今は、せめてチューブが揉まれてヨレヨレになる前に家に辿り付ければと祈るくらいか。

「……暑い」

 茹だるような暑さに、私は何度目とも付かぬ愚痴を漏らす。
 こういう時に限って綺麗に晴れ渡った空が、今の私には酷く恨めしく感じる。
 雲と言う傷害物が無い事を良い事に、太陽がこれ幸いと強烈な日差しで私の不快指数をがんがんと上げて行くから。
 暑さに喘ぐ私の横をごぉっ、と轟音をあげてトラックが通りすぎて行く。後に残るはむわっとした熱気と鼻に突く排気ガスの臭い。
 自宅のマンションまで後数キロ、それまで私はこの状況をずっと耐え続けなければならないのか。
 全く、夏もとうに過ぎたというのに……この蒸し暑さは何なんだ?

「……そうだった、これがあったんだ……」

 それでも舌は出すまいと我慢して押し続けて幾数分、
私は目の前に広がる光景を前に、絶望感を入り混じらせた呟きを漏らした。
 高低差約35メートル、総距離1.5キロに渡って続く長くキツイ上り坂。
 この坂を乗り越えた先に、私の自宅のマンションがある。

 何時もならば、愛車の馬力に任せてあっという間に通り過ぎてしまうこの坂、
しかし、今の私の目には、この坂が何処までも高くそびえる険しい山岳にも見え、思わず尻尾をくねらせてしまう。

 今の気分としては、このまま残った体力を振り絞って坂を一気に上り切ってしまいたい所ではある。
 だが、未だ暑さ厳しい時にそんな無謀なマネをすれば、即、熱中症でぶっ倒れる事になってしまうだろう。
 しかしだからといって、このくそ暑い中をのんびりと登って行こうという気にもなれない。

 さて、どうした物か……ま、ここは取り敢えず、煙草でも吸いながらゆっくりと考えるとしよう。
 誇り高き獅子族ものんびり気質なネコ族の親戚、時にはゆっくりと考えたい時もある。

 そうやってバイクのスタンドを立てて、ヘルメットを小脇に置いた私が、懐から煙草を取り出そうとしたその矢先。
私の横を通り過ぎた軽トラが少し離れた場所で急に止まり、そのままするするとバックして戻ってきた。
 そして、怪訝な眼差しを向ける私の前に軽トラが止まり、その開いたままの窓から作業着姿の白猫の女が身を乗りだし、

「ねえ、其処のライオンの貴方。一緒に乗っていかない?」

 とうの昔に過ぎ去った夏空の様な笑顔を私へ向けて、そう切り出した。

「にしても、あんな所でパンクするだなんて、災難だったね」
「…………」

 ばつの悪そうに助手席に座る私へ向けて、軽トラのハンドルを握る彼女が話しかける。
 しかし、私は何も答えず、代わりに窓の外を流れ行く景色を眺めながら。尻尾の先でシートをぺしぺしと叩くだけ。
 そんな私の態度に彼女は少しだけ苦笑すると、ホンの少しだけ軽トラのスピードを上げた。

「やれやれだ……」

 こちらから軽トラの運転の方へ意識を傾けた彼女を横目に、私は小さく漏らしつつ荷台の方の窓へ視線を向ける。
 その荷台の上には、足を痛めた私の愛車がロープでしっかりと固定されて、風を一身に受けている所。

 本当の所、こう言う事は自分自身で何とかするのが私のスタイルなのだが、
それで変に意地を張って、結果ぶっ倒れる事になったら余計に恥かしい事になると考え
結局、家がバイク屋をやっていると言う彼女の勧められるがまま、私は彼女の世話になる事となった。

 ……こんな所、もしあの”とっつあんぼうや”に見られでもしたら、
奴はそれこそ鬼の首を取ったかのように私をからかってくる事だろう。
 その様子を思い浮かべただけで、癪に障る。

「ねえ、獅子宮先生、だっけ?」
「ん、あ…ああ?」

 物思いに耽っている所で、彼女に初対面にも関わらず名前を言われ、思わず戸惑う私。
 何故、彼女は私の名前を知っている? 名前なんて言った覚えなんぞ無い筈だが……。
 その思考を表して訝しげにくねる私の尻尾。それを見て取った彼女は少し慌てて説明する。

「あ、驚かせてゴメンね? 実は言うとわたし、何度か佳望学園に来た事があって、その時にあのZⅡを見た事があったのよ。
それで、持ち主が誰なのかがちょっと気になって学園の生徒に聞いてみたら、あなたの物だって」
「…なるほど」

 なんだ、そう言う事だったのか、驚いて損した気分だ。
 思わず溜息を漏らす私の横顔を眺め、彼女は不意にクスリと笑う。

「ん…? 何故笑う?」
「わたしね。今まで獅子宮ってどう言う人だろうってずっと思ってたのよ。
何十年も前に産まれたZⅡを、まるで新品みたいに磨いて大事に乗り続けてる人だから、素敵な大人の女性なのかなって。
けど、実際に会ってみるとせんせって何だかワイルドな感じな人だったから、ちょっと意外だなぁって思っちゃって」
「む……それって遠回しにバカにしているのか?」
「バカにしてないって。むしろ誉めている方よ?」

 どうもそうは聞えんのだが……まあ良い、くだらない事は気にしないで置くとしよう。
 それより、今は少しだけ気になった事を聞くとする。

「所で…えっと」
「あ、わたしの名前は杉本 ミナ。ミナと呼んで良いよ」
「じゃあ、ミナ。お前は何度か学園に来た事があると言っていたが、一体何の用で学園に?」
「んと、学園に昔からの知り合いが居てね……っと」

 其処まで言った所で、目的地である自分の家のバイク屋傍の駐車場へ到着したらしく、
軽トラを止めた彼女――ミナは早速、荷台の愛車を下ろすべく尻尾を靡かせて外へ出ていってしまった。
 ……むぅ、聞くタイミングが少しだけ悪かったか? 肝心な事が聞けなかった。

「ここがミナの店か……」

 ミナに少し遅れて軽トラから降りた私は、まだ秋らしくない暑い日差し注ぐ中、駐車場から彼女の店を見やる。
 恐らく戦前から存在しているのであろう、木造の長屋並ぶ商店街の光景に溶け込む様にして佇む、一軒の古びた店舗。
 その瓦屋根に掲げられた所々錆びの浮いたホーローの看板には『杉本オート』と大きく書かれ、その存在を無言で示していた。

「ん、手伝おうか?」
「別に良いよ。私にとってこれが仕事だし」

 店の観察を終えた私がミナの方へ目線をやれば、
彼女は軽トラの荷台から私の愛車を降ろそうと、尻尾を左右にくねらせている所であった。
 その様子に少し心配した私が彼女へ手を貸そうと声を掛けるが、返って来た答えは少々つれない物。
 そして、軽トラから降ろした愛車の前輪に移動用の台車を取りつけた彼女は、愛車を店内へ押しつつ私へ話しかける。

「それにしてもこのZⅡ、本当に良く手入れされているね。これ、せんせにとって大事な物なのかな?」
「ああ、大事な人からの貰い物だからな」

 私の短い返答にミナはふぅんとだけ返し、店内の修理スペースへと押した愛車のスタンドを立てた。
 そして、ふと店内を見まわした私は、使い古しのパンク修理用工具を戸棚から取り出す彼女の背にむけて問う。

「この店、ミナ一人でやってるのか?」
「ううん、お父さんと一緒にやってるんだけどね……おと―さーん! お客さーん!」

 ミナが答えて、店の奥にいるであろう父親へ声を掛けるも、返って来るのは静寂ばかり。
 その様子に今、店には父親が居ないと察したのか、ミナは不機嫌に尻尾を左右に振って、

「もうっ!、お父さんったら店開けっぱなしにして何処行ったのよ! 大方、友達に誘われて囲碁の勝負って所かな?
……ごめんね、せんせ。ちょっと時間掛かりそうだけど良いかな?」
「別に構わん。こうやって修理してもらえるだけでも僥倖なんだ。文句は言ってられんさ」
「ありがと、せんせ。なら30分程で仕上げるから」

 言って、ミナは手馴れた動きで工具を使い、手際良く愛車の前輪のタイヤのチューブを露出させる。
 そして、少しだけ空気を入れたチューブを盥に入れた水に浸してパンクの個所を探しつつ、彼女は私へ問う。

「所でさ、せんせはこのZⅡは貰い物だって言ってたけど……誰から貰ったのかな?」
「……何故その様な事を聞く?」
「んー、ちょっとね、昔に私の親戚が乗ってたのよ、これと同じ色をしたZⅡに。
でも、その親戚の乗ってたZⅡはある事情で貰われちゃったから、ひょっとしたら同じ物なのかなって」
「……」

 言いながら作業する彼女の、バイクに向けるその眼差しは、何処か遠くへ置き忘れた恋心を見つけた少女の様で、
その様子を前にした私は、何だか聞き返すのも悪い気がして、喉元に出かけた言葉をそっと胸中へと戻した。
 と、そうしている内に、にわかに動きを慌しくした彼女がある所を指差して言う

「せんせ、ちょっと見て。たぶんパンクの原因はここね。ガラスか何かを踏んだ物と思うけど」
「ああ…パンクする前に交通事故の現場横を通ってな、恐らくそれでかもしれん……直せるか?」
「大丈夫! バイクを押してたからチューブが揉まれてないか心配だったけど、その様子も無さそうだし。
この程度なら15分も掛からないわ」

 私の問いにミナは自信満万に拳を軽く振り上げ、早速とばかりにパンクの補修へと取り掛かる。
 パンク個所周りをグラインダーで軽くヤスリ掛けした後、補修用接着剤を丁寧に塗ってその上に補修パッチをペタリ。
 チューブ式である故、自転車のタイヤ修理と同じ感じでは在るが、彼女はよほど手馴れているらしくその動きは実に手際が良い。
 私が以前、一人でやった時はけっこう時間が掛かった物だが……流石はその手の職についた者と言うべきか。

「ふぅ、おおむね良しって所ね。けれどせんせ、分かってると思うけど修理したタイヤでは…」
「高速走行は危険だろ? 如何しても強度が落ちるからな」
「そうそう! 最近のバイク乗ってる子ってそれが分かってないから危なっかしいのよね…っと」

 私と話しながらも、ミナは手際良く修理したチューブをホイールへ戻し、金属のヘラを使って外側のタイヤもホイールへ戻す。
 その一才の無駄の無い彼女の動きには、流石の私でさえも思わず感心してしまう。
――と、丁度ミナが作業を追えた所で店内に入ってくる誰かの足音。

「ふぅ、あっついあっつい、やっぱクーラーの効いてる店が一番だわ」

響いた声に、耳をピクリと動かして振り向くと、其処にはミナと同じ作業服姿の白猫の中年男性の姿があった。
同じくその姿に気付いたミナは耳と尻尾を一瞬だけピンと立てると、直ぐ様尻尾を不機嫌に左右にくねらせて、

「あ、お父さん!」
「おう、ミナ。帰っていたのか?」
「もぅっ! 『帰っていたのか』じゃないわよ! 店開けっぱなしで何処行ってたのよ」

不機嫌に尻尾をくねらせるミナに対して、白猫の中年男性――もとい彼女の父親は苦笑い浮かべつつ、

「いやぁ、ちょっと、二軒隣の田中さんにバイクのブレーキの調子が悪いって言われて見に行ってたんだけどな。
その修理した後で田中さんに『一局行きません?』って誘われて、それでつい対局に熱くなってる内に……」
「それで店のことすっかり忘れちゃった訳ね……後でお母さんに引っ掻かれても知らないわよ?」
「う゛、いや、悪いけどミナ、この事はお母さんにはナイショにしてくれねぇかな? この前も怒られたばかりだし……」

酷く申し訳無さそうな表情で頼みこむ父親をミナは一瞥し、溜息一つ。

「…分かったわ。今回だけよ」
「わりぃ、物分りの良い娘もって助かったぜ」
「でもその代わり、今日の後の仕事はお父さんがやってね?」
「ぐっ…分かった。やっぱそうは上手くいかねぇわな……」

上手く娘にやり込められ、たははと苦笑して見せるミナの父親。
如何も、ネコ科のケモノの夫婦は総じて恐妻家の様である。本人は満更でもなさそうであるが。

「じゃあ、後の仕事は俺がやっておくから、ミナは上がって良いぞ……っと、そのライオンの姉ちゃんは?」
「ん? この人は、お使いの帰り道にこのバイクのタイヤがパンクして困ってるのを見掛けてね。
それで、帰るついでにって店まで来てもらって、今修理終わった所」

 私を指し示しつつのミナの説明に、彼女の父親は何故か溜息一つ付いて言う。

「なんでぇ、折角美人の姉ちゃんのバイク弄れるのかと思ったのに……もう少し早く帰ってりゃ良かったか?」
「お 父 さ ん っ ! !」

 ちっとも反省の様子が見えない父親の様子に、思わず尻尾の毛並み逆立てて怒鳴るミナ。呆れる私。
 しかし父親はひらひらと「へいへい、スマンね」と言う感じに尻尾の先で答えるだけ。
 と、その流れでちらりと私のバイクを見た父親は、ふと何かを思い出す様に言う。

「そういやこのZⅡ、どっかで……」
「所でお父さん、この前に頼まれた宮永さんのバイクの修理まだ終わってないんでしょ?」
「――おっとそういやそうだった。いけねいけね」

 ――しかし言いきる前にミナに仕事を促され、父親は修理最中の別のバイクの方へ行ってしまった。
 私は父親の話を無理やり切り上げるような彼女の妙な行動に、一瞬だけ妙な物を感じた。
 はて、このZⅡの事で話されたくない事でもあるのだろうか? ……まぁ、人様の事情に深入りしてもしようがないか。
そんな私の思考とは余所にして、ミナは何処か疲れた様にふぅ、と深い溜息一つ付いて、

「ゴメンね、せんせ。お父さんがあんな人で……。
腕前は良いんだけどね、あんな性格だから何時もお母さんに怒られっぱなしなのよ」
「いや、良いさ。亭主関白よりかはネコの夫婦らしくて良いじゃないか」
「まぁ、そりゃそうなんだけどね」

 と、私に向けてニシシと明るく苦笑して見せた後。
ミナははと何か思い立った様に尻尾をピンと跳ね上げて、

「ねぇ、折角だからさ。パンク修理後の試験走行もかねて、わたしとツーリングしてみない?」
「…んな? 別に良いが…しかし随分といきなりだな」

 一応了解しつつも怪訝な表情を向ける私へ、
彼女は初めて出会った時と同じ、夏空の様な笑顔を向けていう。

「ふふっ、ネコは気まぐれなのよ」

 吹きぬける風に、ほんのりと潮の香りを感じる潮騒通り。
 夏の盛りを過ぎて若干車通りも少なくなったこの道を、2台のバイクが風を切って走り行く。
 一台は私の駆るZⅡ、そしてもう一台はミナの駆るエストレア。

「今日は絶好のツーリング日和ね、せんせ!」
「ああ!」

 吹き付ける向かい風に構う事無く、私とミナは言葉を交わす。風になびくミナの尻尾。
 作られた時代も場所もコンセプトも異なる2台だが、今は足並み揃えてエンジンの二重奏を奏でる。
 特に私のZⅡはパンクして走れなかった鬱憤を晴らすかの様に、鋼の心臓からDOHCサラウンドの鼓動を鳴り響かせている。
 しかし快調に飛ばしていた私とミナへ無粋にも待ったを掛けたのは、顔を赤くした信号機。

「ねぇ、これからちょっと寄りたい所があるけど、せんせにも付き合ってもらってもいいかな?」
「……ん? 別に構わないが……?」

 信号待ちで止まった所で、私の横へ止まったミナから突然の提案。
断る理由も見付からなかったので頷いてみた物の、このタイミングで何処へ行くのやら?
 そんな疑問を表情と尻尾に出さないように私は彼女へ問う。

「それで、何処に行くんだ?」
「んっと、ここからだと5分程度の場所。そう遠くないわ」

 ミナのその答えと同時に信号機が青という名の緑色へ顔色を変え、再び私と彼女は走り出す。
 そして、彼女の先導にしたがって走る事、約五分。着いた場所は海の見える小高い丘にある小さな墓地であった。
 駐輪場へバイクを止めた私は、こんな所に墓地があったのだななどと周囲を見まわしつつ、彼女の尻尾追って付いていく。

「ここよ、わたしが寄りたかった場所」

 言ってミナが指し示したのは、墓地の片隅の、海が見渡せる場所にある一つの墓。
その墓石には『杉本家先祖代々之墓』と掘られていた。

「墓参りか」
「まぁ、そういった所ね」

 私の問い掛けに答えながら墓に線香を上げるミナのその横顔は、
手の届かぬ遠い――遠い何処かへ行ってしまった者を想うような、何処か深い思いを滲ませる、そんな表情。
その横顔を見ている内に、私の中に膨らみ始める『ひょっとすると、まさか……?』という思考。
何だかとてもイヤな予感を感じつつも、私は彼女へ問う。

「……まさかとは思うが、修理中に言っていた親戚と言うのは……」
「違うわよ、せんせ」
「……なに?」

 しかしミナから返ってきた返答に、思わず間の抜けた声を漏らす私。自分とした事が……。
そんな私の様子がおかしかったか、彼女は少し苦笑して続ける。

「私がここに来たのはおじいちゃんの墓参り。お盆は忙しくて行けなかったからね。
それに、おじいちゃんはZⅡが好きだったから、ついでにせんせのZⅡを見せてあげようと思ってね」
「なるほど……それで、その親戚は?」
「んー、彼だったら今頃はアメリカ辺りで元気にやってると思うわ」

 なんだ、驚かせる。一瞬、その親戚に何か関係あるのではないかと思ったではないか。
……いや、待てよ? そう言えば私の愛車であるZⅡを譲ってくれたかつての先輩も確か、ネコ族で今は海外に……。

「それじゃ、線香も上げた事だし。そろそろかえろっか。わたしの我侭に付き合ってくれて有難うね、センセ」
「ん、ああ……」

 物思いに耽っていた所にミナに声を掛けられ、私はまたも気の抜けた返答を返してしまった。
その様子を何と思ったか分からないが、ミナはクスリと笑うと、さっと尻尾を翻して歩き出す。
 彼女のその背中へ向けて、私は先ほど思っていた事を聞こうとし――途中で思い直し、言わない事にした。
私なんかの下らぬ好奇心の所為で、彼女の夏空のような笑顔を曇らせて良い物か、と思い止まったのだ。
 そんな私の様子に気付いたのかそれとも気付いていないのか、ミナが足を止めて振り返り、

「……? どうかしたの、せんせ?」
「ああいや、少し考え事しただけさ」
「ふーん……あ、そうだった! せんせに一つ言い忘れていた事があった!」
「……言い忘れてた事?」

オウム返しに問う私へ、ミナは言う。

「アイツが学校で悪戯しても、怒るのは程々にしてやってね?」

 言いながら小さく身体を縮めて、両手の指先で丸眼鏡をつくって見せるミナのその仕草に、
私はようやく、店に向かう最中に彼女が言った、『昔からの知り合い』が誰であるのかを理解した。
 そんな私の頬を、ホンの少しだけ秋の香りを混じらせた風が吹き抜けてゆく。

何気に空を見上げると、何時の間にか流れてきた鰯雲が私を見下ろし笑っていた。

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