※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

若頭は12歳(幼女)外伝 隻眼の獅子編 【起】


「盗んだバイクで走り出す~♪ 行く先も、解からぬまま~♪」

新緑生い茂る峠道、私は涼やかな初夏の風を尻尾に感じつつ、
お気に入りの歌の1フレーズを口ずさみながら、愛車と共に峠道の一陣の風となっていた。

やはり、たまにこう言う風に気の赴くままに走りまわってみるのも良い物だ。
私の愛車のZⅡも、心なしか機嫌良い感じにエンジン音を響かせている。

因みにだが、この私が駆る愛車のZⅡは歌の様に盗んだ物ではなく。
高校生の頃、尊敬する先輩が卒業する際に譲り受けた相棒である。
普段、私の住むマンションと職場である学園との間の往復だけにしか使っていないZⅡだが、
纏まった休暇がある時は、何時もこうやって宛の無いツーリングと洒落こんでいる。

それにしても、今日は絶好のツーリング日和である。
空は雨の気配を全く感じさせぬ抜けるような青空を見せ、吹き付ける風も冷たくも無くぬるくも無く実に程よい按配、
この天気のおかげで、私は何時ものヘソだしファッションでも快適に走りまわれる。
これが少しでも雨が降ろうものなら、この気分は風に吹かれた煙草の煙の様に掻き消える事だろう。

それはZⅡも同じなのか、何時に無くエンジンのフケ上がりも良く、持てる性能を存分に出してくれる。
まあ、とはいえここまで調子が良いのは、1週間に一度は私がちゃんと手入れしている賜物、と言う理由もあるのだが。

さて、今日は風の赴くまま、何処に行こうか?

――この時の私はまだ気付いていなかった。
――今、この時、私は既に奇妙な世界へ、その足を踏み入れようとしている事を。
――だが、今それに気付いたとして、私が其処から引き下がる事は無かっただろう。
――理由はごく単純。……私は負けず嫌いなんだ。

それに気付いたのは、峠道に入って1時間ほど流した所だったか。
私の走る約100メートル先のカーブ、其処にもうもうと立ち込める霧が見えたのは。

はて、この辺りの天気で霧が出るとか言う情報はあったのだろうか?
いや、無かった筈だ。もしあったのならばラジオか何かで濃霧注意報が出ているという報せを既に聞いている筈だ
しかし、この峠道に入る前に聞いたラジオでは、この辺りで濃霧注意報が発令されているという話は欠片すらなかった。
だが、今私の行く先にはある筈の無い濃霧が立ちこめている。

はてさて、これは単に天気予報が外れているだけか?
それとも、たまたま山の気まぐれに巻き込まれてしまっただけなのか?
もしくは、これはとてつもない力を持った何者かによる私に対する挑戦か?
……まぁ、そのどっちせよ、今の私がやる事はただ一つ。

――立ち止まらずに突き進むまで、である。

と言っても、流石にこの濃霧の中でヘッドライト無しで走るのは無謀なので、私はライトを点ける事にする。
やがてバイクのライトの光が突撃槍の如く濃霧へと突き刺さり、その次に私と愛車が一気に内部へ突入する。

「ぬ……これは結構深いな……」

濃霧の中は私が思った以上に深く、突入するや否や瞬く間に新緑の峠道の光景を白一色へと塗り替えた。
今の状況で対向車に遭遇したら危険である、私は徐々にアクセルを緩めブレーキを調整し、バイクの速度を落す。
濃霧程度でスピードを落すとは私らしく無いとお思いの人も居るかもしれないが、勇猛と無謀とは違うのだ。
この私とて、命は惜しい。ましてや、くだらん事情での事故死は持っての他である

そうやって、相棒の鋼鉄の心臓の鼓動をBGMに、細心の注意を払いながら濃霧の中を進み続ける事、約数分。
濃霧の規模はさほど大きくなかったのか、私の視界を埋め尽くしていた白が次第に薄まり、
やがて本来の峠道の光景を取り戻し始めた。

やれやれ、これだから山の天気と言うのは気まぐれで困る。
雨に降られる事は無いと思わせておいて、こんなとんだサプライズを用意してくれるとは。
まぁ、この状況で対向車に逢う事すらなかったのはある意味、僥倖と思っておこう。

「……ん? もう峠道は終わりか? もう少し長いかと思ったのだがな……」

濃霧を完全に抜けて見れば、道の先に見えたのはビルなどが立ち並ぶ市街地の様子。
峠道の最中に見た看板では、少なくとも峠道を抜けて市街地に辿りつくまで後1時間は走る必要があった筈なのだが……?
……まぁ良いか、そろそろ峠道の光景にはいい加減飽き飽きし始めてきた所だ。
早く抜けられたのであれば、それはそれで由(よし)としよう。

「それに、そろそろ煙草を吸いたくなったしな……」

飽き飽きしていた一番の理由を口にした私は、愛車のアクセルへ力を込め、市街地に向けて走り出した。

――妙だ……妙過ぎる……。

「……これは一体、如何言う事だ?」

峠道から市街地に入り幾数分、私は早くも我が身に降り掛かった事態に、気がつき始めていた。
――違うのだ。あの峠道を越えた先の街の地名が。持っている地図に書いてある物とは全く異なっているのだ。
無論、私が道を間違えたと言う事も考えられたが、峠道に入る前、その道の名称(国道OO号線など)は確認した筈である。
更に言えばその峠道はほぼ一本道であり、まかり間違っても"他の市街へ抜ける事"は先ず有り得ないのだ。

そして、私を困惑させている更なる理由、それは……

「焔市だと?……聞いた事がない、何処だここは?」

しかし、地図のどのページを捲ってみても、
今、私の前にある道路標識に書かれた地名に該当する場所は発見できない。
そう、つまり私は今、地図上では"存在しない筈"の街に足を踏み入れている事になる。
私の困惑を表してか、無意識の内にくねる尻尾。しかし、今の私にそれを止めようという気は全くもって無かった。

「変なモノにバカされている……という訳ではなさそうだな」

私は信号待ちのついでに隻眼の視線を巡らし、周囲を見回してみる。
ヘルメットのバイザー越しに見える、道路を走る車、歩道を行く雑多な人々、商売に精を出す商店等など……。
どのどれを見ても、何かが私を騙す為に作り出したまやかしだとか言う気配は何ら感じさせない。

「っと、いかんな……如何も疑心暗鬼になりかけてる」

ふと、自分のやっていた事の馬鹿さ加減に気付き、私は自嘲混じりに呟きを漏らす。
そもそも、ただの不良教師でしか無い私を騙して何の得があろうか?
これが何処ぞの寺生まれの息子ならば兎も角、たかだか不良教師一人を惑わせた所で一銭の得にもなりやしない筈だ。
それに、居もしない何者かの存在を疑った所で、今の状況が解決出来るかと言えば……甚だ疑問だ。

「馬鹿らしいな……」

様々な意味を込めた呟きをぽつりと漏らした後、
一先ず気分でも落ち着ける為、気兼ね無く煙草を吸える場所を探す事にした。
実は言うとさっき街に入った時、結構広そうな公園を見つけたのだ。あそこならば煙草を吸える場所くらいはある筈だろう。
などと適当な見当を付けた私は早速、信号が変わると同時にその公園へ向けて愛車を走らせるのだった。

「ふぅ……」

初夏の程よい日差しが注ぐ中、手にした煙草から立ち上る紫煙が穏やかな風に吹かれ、音も無く消えて行く。
木製のベンチに背を預けた私はそれをぼんやりと見上げながら、手にした煙草を口に咥え、
深呼吸する様にその肺一杯に煙草を吸い、煙と共に息を吐き出す。

ふと視線を前へやれば、広場ではしゃぐ子供とそれを見守る夫婦、ベンチで向かい合って碁に興じる老人達、
フェンス付きの多目的広場で、野球の練習に精を出す少年達、それを眺める下校中の女子高生達……。
晴れた日の公園で見られる、実に平和な光景。見ているこちらも穏やかな気分になるというか。

……それにしても、丁度良い喫煙場所があって良かったというべきか。
これでもし、『当公園は全域が禁煙となっております』なんて看板があったら、その場でがっくりと膝を付いていた所だ。
まあ、とにかく、丁度おあつらえ向きに備え付けの灰皿も在るようだし、ここでゆっくりと煙草の味を……

「あー、くせぇくせぇ、なんだこの臭いは」
「そうだよなぁ! 何処のどいつの仕業だこりゃあ?」
「…………」

――味わおうとした矢先、横合いから放たれた不躾な声が、私のケモ耳を震わせた。
ちらり、と声の方へ視線をやれば、其処に居たのはニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、左右に尻尾を振る狼の男二人。
一見してチンピラ風と言えるその格好から見て、この二人が余りガラの宜しいケモノでは無いのは確かで、
その上、そのやや着崩したスーツの胸元には、狼の顔を象った代紋が輝いていた。……こいつら、ヤクザ者か。。

「おい、其処のアイパッチのライオンのねーちゃん。あんたの事だよ」
「あんたのすぱすぱ吸ってる煙草がくせぇんだよ、吸うの止めろっての!」

こいつら……あっちの看板に、大きく『喫煙所』と書かれているのが見えないのか?
にも関わらず、わざわざここに来てまで煙草臭いとのたまうとは、こいつらは脳みそが腐っているのか?
――いや、多分、こいつらはただ単に私へ因縁を付けたいだけなのだろうな。……全く、面倒な。

「なぁねーちゃん、複流煙を吸っちまった俺達に迷惑料払ってくれるかなぁ?」
「そうそう、俺達が肺ガンになっちまったら如何するんだぁ? 責任とってくれんのか? あぁ?」
「もし金が無かったら、身体で支払ってくれても良いんだぜ?」
「……」

……無視だ無視。こんな下品な馬鹿を一々相手していたらそれこそ面倒だ。
そもそも、私は煙草の味を楽しむ為にここに居るんだ。こんな馬鹿の相手をする為に居るんじゃない。
いい加減、私が相手する気がない事に、こいつらも早く気付いてもらいたい物だが……。

そう、私は内心、嫌な気分になりつつも煙草を更に一服しようとしたその時。

びっ!

不意に私の口から消える煙草。――正確に言えば煙草のフィルターから先が千切れ飛んだと言うべきか。

「おぃ! 聞こえてんのかよ! 暢気に煙草吸ってる場合じゃねえだろ!」

私に無視され続けて遂に焦れたチンピラ狼その2の仕業だった。
――糞が、ここ最近の増税の所為で、煙草一本でも決して安くは無いんだぞ?
そう思うと同時に、私の心の奥でビキッ、と何かが切れる決定的な音。

……よし分かった、其処まで相手にしてもらいたいならば、私も相手になってやろうじゃないか!

「…………」

私は咥えているフィルターだけとなった煙草をぷっ、と備え付けの灰皿へ吐き捨てた後。
そのまま何も言う事無くベンチから腰を上げ、チンピラ狼その2の前に立つ。

「お? やる気か? ねーちゃん」
「…………」

何やらファイティングポーズを取って、尻尾を振りながら私に対して粋がって見せるチンピラ狼その2。
しかし、私は何をするまでも無く、チンピラ狼その2を睨み付けていた隻眼の視線をゆっくりと自分の足元へ向ける。

「あ?」

私の視線の向いた先が気になったのか、チンピラ狼その2も何気に視線を下へ向け…――

ゴッ!!

「げぴっ!?!?」

――刹那、その無防備な頭へ鉄槌の如く振り下ろされた私の拳の一撃によって、
顔面をマズルから地面に叩き付けられたチンピラ狼その2は車に轢かれた蟇蛙の様な声を上げ、地面へ血の華を咲かせた。
情けない事に、奴はこの一撃であっさりと意識を刈り取られたらしく、再び立ち上がる事も無くぴくぴくと痙攣するだけとなった。

「……なっ!? このアマッ! 良くも憲二を!!」

目の前で仲間に降り掛かった悲劇を理解出来なかったのか、
チンピラ狼その1は数秒ほど凍り付いた後、ようやく我に返ってありきたりな台詞を吐きながら私へ殴りかかる!
――が、そう簡単に素直に殴られる私である筈がなく。殴りかかったその拳を片手で軽くいなしつつ、
握り込んだもう片方の手を、チンピラ狼その1の顔面が丁度来る位置に向けて軽く突き出す。

どぎゃ!

「ぐぎぇ!?」

自分の殴りかかる勢いを、そのまま私の拳の形で顔面へ返されたチンピラ狼その1は鼻血を噴いて派手に吹き飛ぶ。
空かさず、私は慌てて立ち上がろうとしているチンピラ狼その1の胸板を踏み付け、立ち上がれない様にする。
その際、肺の空気が押し出されたのだろう、チンピラ狼その1はぐぇとうめいた後、踏み付ける私を睨み憎々しげに、

「ぐっ、テメェ……俺達は黒狼会なんだぞ! こんな真似してタダで済むと思ってるのか!?」
「黒狼会?……知らんな、そんな物」

大方、何処ぞの弱小組織だろうな。と、脳内で勝手な結論を下した私は、チンピラ狼その1に向けて更に言い放つ。

「……それより、お前には今、二つの選択肢が用意されている。
一つ、あそこに転がってる馬鹿を連れて、とっとと尻尾を巻いて逃げ帰る。
二つ、この状況で無謀にも抵抗を試みて結果、あそこに転がってる馬鹿以上の酷い目に遭う」
「なっ!? こ、このアマ、ふざけんじゃ…――ぐへぇっ!?」

選択を迫った際、いまいち状況を理解していないチンピラ狼その1が何やら言い掛けるが、
私が何も言わず、胸板を踏み付けているその足へ更に体重を掛けた事で、その言葉は半ばで悲鳴に変わった。
そして向ける眼差しが若干怯えた物に変わったチンピラ狼その1を、私は冷たく見下ろし、淡々と言い放つ。

「もう一度聞くぞ? 逃亡か抵抗か、選択肢は二つに一つだ」
「……」

この後、チンピラ狼その1が選んだ選択は、最早語るまでも無いだろう。

「ち、チクショウ! お、覚えてやがれよ!!」
「……覚えてやるさ、三日くらいはな」

捨て台詞を吐き捨て、気を失った仲間背負って尻尾巻いてそそくさと逃げるチンピラ狼。
私はその捨て台詞へぽつりとだけ答えると、再びベンチへどっかと腰を降ろし、ポケットから取り出した煙草を咥える。

……全く、ああ言った手合いは、何時の世のどの場所でもゴキブリの様に居るのだな。
やれやれ、お陰で折角の煙草が不味くなってしまった。今度こそは気分良く煙草を楽しみたい物だが……。
しかし如何も、この焔と言う名の街に足を踏み入れてから、それが望めそうに無いのは気の所為か?

「気の所為だと良いのだがな……」

誰に向けるまでもない呟きを漏らしつつ、私が煙草へ火を付けようとした矢先。

「こっちか? 唯鶴(いづる)!」
「ああ、休憩所でヤクザ同士の喧嘩があったって話だから、間違いない」
「へっ、丁度公園に俺らが居たのが奴らの運のツキだな!」

――男達の声と共に、こちらへ掛け込んで来る足音複数。恐らく二人。
聞こえてくる会話の内容からして、ここに来るのはただの野次馬というセンは無さそうである。
やがてこちらが見える位置にまで辿りつく足音、私はその方へちらりと隻眼の視線を向ける。

「ひょっとしてアイツか?」
「女か……もう喧嘩は終わってる様だな?」

――彼らの姿を瞬間、私は巡り合わせの神を一発ブン殴りたい気分になった。
何せ、来たのはさっきのチンピラ狼達より更にガラの宜しく無さそうな二人組だったのだ。
一人は学園の不良生徒の塚本のガラを更に悪くしたような、顔面ピアスだらけの黒馬で。
そしてもう一人は、明らかにそれもんのスーツ姿の、厳ついリザードマンの男である。
更に言えば二人のその服の胸の辺りに、花をイメージさせる紋様の金の代紋が……こいつも確実にヤクザ者だ。
彼らは私の姿を確認するや、真っ直ぐこちらへ駆け寄り、荒荒しく声を掛ける。

「おい其処の獅子のアマ! テメェは何処の組のモンだ?」
「悪ぃ事は言わん、素直に言った方が身の為だぜ?」
「…………」

おまけに私をヤクザ者と勘違いしているのか、この二人は?
どうも、私の感じていた予感は気の所為では済まなさそうになってきたようだな……。
だが、勘違いされたままなのは少し癪なのでここは言っておくとしよう。

「言っておくが、私は喧嘩こそしたがヤクザ者とは違うぞ?……相手は如何だが知らんがな」
「嘘つけ! テメェの格好は如何見てもヤクザ者だろうが!」
「金縁のアイパッチに皮のコート、そしてヘソだしルックだもんな、随分と洒落た格好じゃないか」

……ううむ、言って即効に突っ込まれてしまった。
確かに、今の私の格好を見れば、如何見ても堅気のケモノとは思えないのだろうが……。
しかし、だからと言ってこの私のスタイルを捻じ曲げる気は毛頭ない。私は頑固一徹なのだ。

「さぁ、痛ぇ目見たくなかったらとっとと言え! 何処の組かってな!」
「自分が獅子だからと言って、余り森三一家を舐めない方が良いぜ?」
「いや、だから私はただの一般人の教師で、尚且つあんたらを舐めた覚えもないのだが……」
「ざけんなこのアマぁ! 何時までも俺達がアメぇ顔してると思ってるんじゃねえぞ!?」
「落ちつけ平次。とにかく、本格的に痛ぇ目にあいたくなかったら素直に喋るこった」

……駄目だこいつら、完全に私をヤクザ者と勘違いしている。
と言うか、森三一家も初耳だぞ? この街にはヤクザが多いのか?
こうなったら、面倒だが運転免許証と教員免許の免状を見せてでも納得させるべきか?

もにゅ

――如何しようか考えていた矢先、不意に私の左胸に揉まれた感触。
見れば、平次と呼ばれた馬が、下卑た笑みを浮かべて私の胸に手を伸ばした所だった。
思わず開いた口からポロリと零れる煙草、そして――

「へっ、何だったらこう言う風に身体に聞いてm―――」

ぼきゃ!

「――もばげっ!?」

次の瞬間、気が付くと私は獅子パンチ(ネコパンチのライオン版)で平次の顔面を殴打した所だった。
――しまった! つい反射的に攻撃してしまった!

「クッ、こ、このアマッ! 女だと甘く見てりゃつけ上がりやがって!」

意外と根性があるらしく、平次は私の一撃に仰け反りはしたが直ぐ様に立ち直り、殴られた頬抑えつつ怒りの声を上げる。
拙いな、こいつは本格的に厄介な事になってきた。私としてはもう少し穏便に事を済ませたかったのだが……。
しかし、仲間が攻撃されたにも関わらずリザードマンの方は様子を見ているだけ、と言うのは少し気がかりだ。

「女の顔殴りたかね―が、やったのはそっちが先だから悪く思うなオラぁ!!」

フェミニストなのか良く分からない台詞を吐きながら、私の顔面目掛けて殴りかかる平次。
しかし無論の事ながら、もう私は反射的に殴りかかった腕を左手で掴みとって攻撃のベクトルを逸らし、
更にその殴りかかった方の腕の脇へ右手を差し入れつつ、軽く足払いを掛けて平次の体制を崩し、
最後に攻撃の勢いを殺さぬ様に左手で掴んだ腕をぐいと引くと同時に、脇へ差し入れた右手で平次の身体を持ち上げる。
それらを流れる様な動きでほぼ同時に行う事で、相手の攻撃する勢いを逆に利用した柔道の返し投げへと移行する。

「――って、あれ?」

ふわりと浮く平次の身体、その口から漏れる間抜けな声。
多分、彼にしてみればいきなり世界が反転した様に見えた事だろう。

だ ん っ !

―――刹那、休憩所に響く鈍い音。

「ぐっ、がっ…あぁ!?」

普通、そこいらの奴なら、この投げ技をまともに食らった時点で気を失う物なのだが。
どうやら根性は相当な物らしく、平次はコンクリートの地面へ強打した背中を抑えて悶える物の、気絶する様子はない。
やがて彼は多少ふらつきながらも立ち上がり、様子を見ていたリザードマンの男の方へ引き下がり、

「くそっ、この女、タダモンじゃねぇ! つか唯鶴、何でお前は何もしねぇんだよ!?」
「いや、さっきのは如何みてもお前が悪い。だから様子見てた。ついでに女の実力も見たかったし」
「ちょっ、酷っ! 助ける気ゼロかよ!?」

ふむ、どうやらリザードマン――唯鶴は私の実力を推し量る為に敢えて様子を見ていた訳か。
こいつは相手にするとなるとなかなか手強そうな……っと、思考が戦闘寄りに傾いて如何する。
今はこの状況を、如何に穏便に済ませるか考えなきゃならんと言うのに……闘ってどうする、闘って!

「まぁ、どんな事情であれ、俺らに歯向かって来た以上はタダじゃ済まさねぇぜ?」
「そうそう、森三一家を舐めてかかった事を骨の隋まで分からせてやらねーとな!」

そんな私の賢明な考えとは裏腹に、二人は既に闘る気満々らしく、指をぽきぽきと鳴らしながら私の方へ向かってくる。
……ええぃ、もうこうなってしまった以上は仕方があるまい。降り掛かった火の粉は"根元から絶つ"までだ。
そう、私が戦闘体勢に移行しようとしたまさにその時。

「ちょっと唯鶴、平次! 何時まで待たせるの!」
「「……!?」」

――唐突に休憩所に響く、この状況に余りに場違いな可憐な少女の声。何故かビクリと震える唯鶴と平次。
この時、二人の身体に満ちていた戦意が、見る見るうちに雲散霧消するのが私の目にもはっきりと分かった。
声の方へ視線を向ける、其処に立っていたのは年の頃は小学高学年~中学初年くらい、
ブロンドの長髪に可愛らしいリボンがよく似合っている、歳相応の女の子らしい衣服を身に纏った少女だった。

「いや、お嬢。ちょっとこの休憩所でヤクザ同士の喧嘩があると聞いたもんで…」
「だからまた黒狼会の連中が暴れてるかと思って、それでシメに行こうかと……」
「あの、それで頼んでたソフトクリームの事、すっかり忘れてた訳ね……?」
「「…………」」

お嬢、と呼ばれた少女の呆れ混じりな指摘に、二人はさっきまでの威勢は何処へ行ったのか尻尾垂らしてシュンと縮こまる。
その状況の最中、私はと言うと余りの急展開に付いて行けず、ただ間の抜けた顔で様子を見るしか出来ないでいた。
と、はと何かを思い出した平次が唖然と佇む私を指差し、まくし立てる様に言う。

「そ、そうだ、お嬢! 喧嘩していたのはこの女ですよ! しかも俺、この女にぶん殴られた上に投げ技食らったんですよ?」
「まぁそうなったのも、そもそも平次がいきなりこの女の胸を揉んだのが原因ですけど」
「ってオィィィィィっ!? 何正直に言ってるの唯鶴ぅっ!?」
「……あの、それって平次の自業自得じゃないの?」
「お嬢もそう思いますよね? 普通、胸を揉まれたら殴りもしますよねぇ?」
「え? あれ? ひょっとして俺だけ悪役扱い? まさか殴られ損?」

…………。

……ええっと、なんだこいつらは?
何だかこいつらの寸劇を前にしていると、私の中にあった今までの『ヤクザ者』のイメージが崩れていく様な気がする。
それにあの少女は一体何者なんだろうか? 二人の態度から見る限り組長か幹部辺りの娘、と言った所だろうか?
にしては随分と軽い態度である、敬語どころかタメ口で話し掛けている……ううむ、考えてみれば考えるほど訳が分からん。

暫し頭の中で考えたが結局、この状況で良い結論が思い浮かべる筈もなく、
考えるに窮した私は仕方なく、未だに寸劇を続ける彼ら三人に向けて口を開く。

「お前らは一体……なんなんだ?」

私の問い掛けに対し、三人は不思議な物を見る様に目をぱちくりさせた。

※  ※  ※

「どうぞ、お茶です。お客人」

それから約一時間位後――
ある屋敷の一室にて、私は自分の前の座卓に置かれた、
決して安く無さそうな湯呑の中で湯気を立てる緑茶と、同じく安くなさそうなお茶菓子を眺めながら、
今現在、我が身に降り掛かっている奇妙な状況に頭を悩ませていた。

結局、私はあの後、自分がヤクザ者ではない事を分からせる為、3人へ運転免許証と教員免許の免状を見せる事にした。
見せた当初、『偽造じゃないか?』などと言う疑惑も出たが、『だったら保険証に住民票も見せても良い』という私の言葉と、
更に謎の少女の『この人は嘘を言ってる感じはしない』と言う鶴の一声によって、唯鶴と平次はしぶしぶながら納得してくれた。

――まぁ、其処までは良かった。そう、其処までは。
私がヤクザ者でないと知った彼らは、丁重な謝罪の後、直ぐに私を解放してくれるかと思っていた。
だが謎の少女が『一家の者が堅気の方へ迷惑をかけたまま帰したとあったら、森三一家の名が廃るわ』と言い出した事で。
それに同調した唯鶴と平次(彼は渋々だが)が『迷惑をかけた詫びをうちの屋敷でしたい』と言い出し。
事態は、その場から離れたい私の意向とは全く正反対の方向へと進み始める事となった。

無論の事、私は早くその場から立ち去りたい一心で、『詫びなんて要らん』と突っぱねたのだが、
如何も謎の少女は、森三一家とやらの舎弟が私の胸を揉んだ事に対して私に要らん負い目を感じているらしく、
『このままじゃ仁義に反する』と言って、頑として引き下がってはくれなかった。

そんな押し問答の末、通り行く人々の視線が気になった事もあって、私は首を縦に振らざる得なくなり。
結局、公園近くにあるという森三一家の屋敷まで、私はZⅡを押して行く事となった。
……まぁ、ついでに帰り道でも聞いて見るか、などと前向きに思いながら。

謎の少女の案内の元、辿り着いた私を待っていたのは、
ざっと見ただけで、敷地面積はゆうに二百坪以上はあろうかと言う数奇屋造りの立派な屋敷。
その屋敷の規模の割に慎ましい玄関門(それでも一般家庭に比べれば大きい)の門柱に掛けられた檜の表札には、
極太の毛筆による力強い手書きで、『森三一家』とその屋敷の主を無言で周囲へ知らしめていた。

少し予想外な屋敷の規模に呆気に取られる間も無く、私が通されたのは20畳はあろうかと言う広大な和室。
その和室のど真ん中に据え付けられた黒檀の座卓には、既に数人の男達が席に付いていた。
(そう言えば屋敷へ向かう際、唯鶴が携帯で何処かへ電話していたが、恐らくその時に屋敷の者へ連絡していたのだろう)
しかし彼らの観察をする間も無く、謎の少女に促されて仕方なく上座の席に座り――今に至る訳である。
(尚、ZⅡは屋敷の駐車スペースへ止めておいた)

今、この場に居るのは私を除いて6人。
一人はお嬢と呼ばれる謎の少女。そして唯鶴と平次の二人。そしてそれ以外に三人。
鬣の一部を三つ編みにした私と同族のグラサンの男――ぱっと見た感じ、この男が幹部か組長辺りと見て間違い無いようだ。
何故か狐のお面を付けている和服の狐の男――他に比べ一番穏やかそうな雰囲気だが、只者では無いのは確か。
何処と無く目がイって居るネコの男――余り係わり合いになりたくない部類の雰囲気を感じさせる。無論、彼も只者では無い。

そんな彼らの視線を一身に浴びる状況の中だ。例え私だろうとも喉が乾く物を感じない筈が無く、
取り合えず喉の渇きを癒そうとお茶へ手を付けた所で、私の斜め向かい側に座っていた同族の男が口を開く

「お嬢。こいつですかい? 平次をぶん殴ったって女は」
「正確に言うと先に手を出したのは平次で、この人はつい反射的にって所」

謎の少女の返答に同族の男はそうですかと頷いた後、今度は唯鶴に向けて問う。

「じゃあ、唯鶴。平次の方が先に手を出したって言うが……具体的に言うと如何言う風にだ?」
「ずばりボインタッチ」
「……だろうと思った」
「平次ならやりかねないな、うん」
「やっぱりなー、多分そうだろうなーと思ってたんだよなー」

唯鶴が言った簡潔極まる説明に一様に呆れ混じりに頷く獅子、狐、ネコの三人。
そんな薄情な仲間を前に、少し涙目な平次は震える声で誰に向けるまでも無く問う。

「なあ……俺、何時も皆にどう思われてるんだ?」
『ピアスフェチのエロ馬』
「…………」

あ、へなへなと座卓に突っ伏した。
まあ、流石に私を除くその場の全員に口を揃えて言われりゃそうなるのも仕方ないか。
元々は私の胸を揉んだのが原因とは言え、これは流石に同情を禁じえないな……。
そう考えつつ茶菓子の一つを口に運んだ所で、同族の男と何か話していた謎の少女が私へ向き直り、

「さてと、えっと……」
「獅子宮 怜子だ。獅子宮でも怜子でも好きな様に呼び捨てにして構わん」
「それじゃあ怜子さん!……」

元気良く私へ呼びかけた所で――突然止まる少女の言葉。
如何したのだろうか? と私が尻尾をくねらせた所で、少女は困った様に苦笑いを浮かべて、

「……ええっと、そう言えばこっちの自己紹介がまだだった……かな?」
「お嬢……肝心な所忘れちゃ駄目ですよ……」

同族の男の呆れ混じりな突っ込みに、てへへと言った感じで困った様に笑う謎の少女。
それを前に呆れるなり溜息付くなりするその場の一同。そして拍子抜けする私。
場を満たした微妙な空気を打ち払う様に、謎の少女はこほんと咳払い一つし、

「それじゃ、改めて自己紹介するわ。私の名は森三ゆみみ(もりみ ゆみみ)。この森三一家の若頭よ!」

……何?

今、何と言ったこの少女は?
私の耳が正常であれば、この少女は今、自分が森三一家の若頭と言わなかったか?
しかも、あの自信有り気な様子から見て、彼女は周囲の大人達にお飾りで担ぎ上げられた、と言う訳ではなく、
少なくともこの森三一家の若頭と言う役職に、それなりの誇りを持っていると見て良いだろう。
しかし、まさかこんな可憐な少女がこの一家の若頭とは……!

……そう言えば、彼女の名は何処かで聞いた事があるような……そう、確か生徒の誰かが……。
いや、多分それは関係ないだろうな。そもそも何故、うちの学園の生徒がヤクザ者の若頭の名を知っていると言うのだ。
恐らく、私が聞いたのもおおかた同じ名前の別人、と言った所だろう。

「それで、怜子さんと同じライオンのこの人が銀虎(ぎんこ)、一家では一番頼りになる人よ。
名前を書くときは銀に虎と書いて銀虎だから覚えててね?」
「どうも」

少女――ゆみみの紹介を合図に同族の男――銀虎が立ちあがり、挨拶をする。
こんな年端も行かない少女の下に付かされて、プライド高いライオンである彼は不満を感じないのだろうか?
まぁ……所詮は無関係な他人である私には関係のない話か。

「そしてトカゲのこの人が唯鶴。銀虎の次に頼りになる、言わばナンバーツーの人よ」
「宜しく」

次に紹介されたのが、先ほど平次と共に私に絡んできたリザードマンの男――唯鶴。
なるほど、彼が森三一家での2番目の実力者か。初遭遇の時に手強そうだとと思ったのも確かに頷けてくる話だ。
あの時はゆみみの横入りで闘わずに終わったが、もし闘っていたとなっていたら流石の私も苦戦は免れなかっただろう。

「仮面を付けた狐のこの人が秋水(しゅうすい)、剣道道場の師範もやってるわ。
……一応言っておくけど、顔につけてるお面の事は余り深く気にしないでね?」
「どうぞ宜しく」

その次に紹介されたのが妙なお面をつけた和服姿の狐の男――秋水。
剣道道場の師範をやっているというだけあって、その挨拶する姿にも隙と言って言い隙が感じられない。
ゆみみは気にしないでとは言っていたが、気にするなと言われると気になるのが人情。あの仮面の下には何がある事か…?

「それで、このネコの―――」
「あ、俺は綾近って言うんだ! よろしくな、怜子さんよ!」
「あの……まだ話している最中なんだけど?」
「あ、わりぃ! お嬢」

紹介の最中にネコの男――綾近が勝手に名乗りを上げ、ゆみみに呆れられる。
一見、気さくなノリの様には見えるが、その一瞬一瞬に垣間見える狂気は、何処となく言い知れぬおぞ気を感じさせる。
もし、この場に居るケモノで一番相手したくない者を選べと言われたら、私は八割九分彼を選ぶ事だろう。

「で、最後に怜子さんの胸を揉んだこのエロ馬が、平次よ」
「ちょ、何で俺だけその扱い!?」

そして最後に、初遭遇の際に私の胸を揉んでくれたエロ馬――平次が酷い扱いで紹介される。
色々あって酷い扱いではあるが、私の投げ技をまとも食らって置きながら気を失う事無く平然としている辺り、
彼もまた、この森三一家では相当な実力者と言えるのだろう。

……と、少し待て、ゆみみは最後にと言っていたが、この一家の衆はこの場に居る者達だけなのか?
だとしたら少な過ぎる、大体こう言った組織は最低でも20人は居なければ組織として成り立たない筈なのだが……?
――っと、そもそも私は森三一家とやらとは無関係なケモノなんだ。他人の事情に一々心配して如何するのだ?

……私とした事が、馬鹿らしいな。と胸中で自嘲した所で、
ゆみみが小学生らしくないきりっとした表情で私を顔を見据えて言う。

「それじゃ改めて怜子さん、うちの一家の者が迷惑かけた事をお詫びしたいけど―――」
「要らん。詫びなんて結構だ」
「え……?」

――が、言いきる前に私にきっぱりと返され。その表情がひきっと凍り付く。
周りの一家の衆も表情を凍り付かせているが、私は関係無くそしてひるむ事もなく続ける。

「そもそも、こうなった原因は誤解される様な格好で誤解される様な真似をしていた私にある。
それに、お前の舎弟に胸を揉まれた件についても、私が殴り投げ飛ばした時点でチャラになっている。
だからこそ、私は『侘びなんて結構だ』と言っているんだ。私がここに来たのも、これをお前達に言いたかっただけだ」
「…こっ、このアマッ! お嬢が頭を下げてるってのになんだその態度は!! 図に乗るんじゃ――」
「――まちな。綾近」

私の切った啖呵に激昂し、毛並みを逆立てて身を乗り出す綾近。無論、場の空気は一気に険悪な物へと変わる。
だが、その空気を打ち払う様に、低いながらも良く通る声で綾近を制したのは唯鶴。

「い、唯鶴……お前は悔しく無いのか!? あんな言われようで!」
「綾近、お前が怒りたい気持ちも分かる。だが、彼女の言っている事は悔しいが正論なんだ。
それに、そもそもこの件は、彼女を黒狼会と勘違いして手を出した俺達にも非があるんだ。其処を理解してくれ、頼む」
「……っち、分かったよ……唯鶴が其処まで言うならしかたねーな」

遂には唯鶴に頭を下げられ、綾近は渋々と言った感じで席に座った。やれやれ、これだからヤクザ者は……
っと、さっき唯鶴は何と言った? 確か黒狼会と言っていたな……よし、少し聞いて見るか?

「所で…一つ聞きたいのだが、唯鶴とやら、お前がさっき言った黒狼会って何だ?
実は言うと、あの時、私が喧嘩していた相手の一人がお前の言った黒狼会と名乗っていたのだがな」
「え!? 怜子さん、あなたはあの時、奴らに絡まれてたの?」

だが、唯鶴の代わりに大きく反応したのは若頭のゆみみ。
私は肯定の意味で無言で頷くと、彼女は何処か深刻そうな面持ちで、

「まさか、そんな近くまで奴らが来ていたなんて……これは早めに対策に出ないと行けないわね?」
「奴ら、俺らが余り手を出さない事を良い事に、いよいよ調子に乗ってきましたね。…そろそろ殴り込みかけます? お嬢」
「いいえ、奴らがまだ本格的な攻勢に出ていない以上。私達が迂闊に先走るのは逆に危険よ?」
「しかし…このままでは森三一家の名折れですよ?」
「いっそのこと、奴らの一人を捕まえて見せしめに八つ裂きにして晒し者にしちまおーぜ? そしたら奴らはビビるかも?」
「待て綾近、そう言う行動に出る事が一番迂闊だって言うんだよ。
そんな事した日にゃ即抗争勃発で奴らの思う壺だ。お嬢はそれを一番憂慮しているんだぞ?」
「だったら如何すりゃ―良いんだよ、秋水!」

そして何やら私を蚊帳の外にして始まる森三一家の黒狼会対策会議。
一気に話題の外へ放り出された私はただ、する事もなく不機嫌に尻尾をくねらせながらお茶菓子を齧るしかない。
横から口出しするのも良いが、ここで下手に口出しし様ものなら話がややこしい事になりそうなのでNGとしておく。

……そして、ようやく『何かがあるまで現状は静観』と言う事で話が纏まったのは、
私がお茶と茶菓子を全て腹に収めた後の事だった。

「ごめんごめん、怜子さん。質問の最中に話し込んじゃったみたいで」
「別に構わん……ゆみみ少女にも事情があるんじゃ仕方あるまい」
「あ、あはははは、それじゃあ確か怜子さんは黒狼会の事を聞いてたんだっけ?」

私が相当不機嫌な様子に見えたのだろう(実際そうなのだが)、取り繕うような苦笑いを浮かべて問い直すゆみみ。
と言うか、私は唯鶴に聞いたのだが……まぁ良い、一応若頭を名乗っている彼女の方が詳しい事情を知っているやもしれん。
ここは大人しく彼女の話を聞くとしよう。

「先ず最初に…私達、森三一家はこの焔市一帯をシマにしている一家でね、
一家の若頭である私、森三 ゆみみを筆頭とした、銀虎達ら6人で切り盛りしているの。
一応、同じ焔市に梶組というライバル組織も居たりするけど、それでも何とかやっていたんだけど……」
「今から数ヶ月ほど前だったか、西の方から流れてきた黒狼会と名乗る連中が、俺達のシマを荒らし始めた。
そのやり口はかなり酷い物で、カタギに対する度重なる脅迫や暴力事件、一家がシノギにしている店に対する陰湿な嫌がらせ。
挙句の果てには、一家が取り仕切っている縁日の日に、会場で大規模な乱闘事件を起こす暴挙にまで出てきた」

一旦話を切ったゆみみに代わり、今度は銀虎が話し始める。
表向き、銀虎は冷静淡々と語っている様に見えるが、その尻尾の動きは無言で、今の彼の感情を明確に表していた。
それは、縄張りを荒らす黒狼会に対する、身を焦がさんばかりの激しい怒りの感情。

「当然、俺達は黙って見ている訳にも行かず、直ぐに奴らを叩こうとするんだが、
奴らはとにかく頭数が多い上に逃げ足も速く、俺らが何らかの動きを見せるや、あっという間に散り散りになって逃げちまう。
おかげでここ最近は、一家の衆のストレスは溜まりに溜まる一方だ」

と、唯鶴。表情筋の少なさ故、顔から感情が掴み辛いリザードマンであるにも関わらず、
その顔から怒りの感情が滲み出ているのが私の目から見ても判る位、彼もまた相当の憤りを感じているのだろう。

「奴ら一人一人は大して強くないんですが、奴ら、俺らが少数精鋭である事を逆手にとって仲間間の連携を強く取っている様で。
俺達が西へ動けば奴らは東で暴れて、逆に東へ動けば今度は南と北同時に暴れ出す、といった感じで嫌らしく動きまわり、
例え運良く捕まえられたとしても、その大体が何も知らない雇われのチンピラばかりで、奴らは中々尻尾を掴ませてくれない」
「……おまけに、奴らはそれを良い事に俺ら森三一家を完全に舐め切っているらしくてな、
この前、俺達が少し目を離した隙に、屋敷の壁一面に黒いペンキで『森三一家恐るるにに足らず』とデカデカと書かれて、
おかげでこの日は、一家総出で落書きされた屋敷の壁の塗り替え作業に追われる羽目になっちまった」

言って、二人ほぼ同時に苛立ち混じりの深い溜息を漏らす秋水と平次。
縄張りを荒らすだけに留まらず、明らかな挑発行為を行う黒狼会には彼らも相当な鬱屈が溜まっていると見て良いな。
にしても、乱闘事件を起こさせたかと思えば今度は落書きとは、黒狼会は豪快なのかせこいのか良くわからんな……。

「其処で以前に、すこーし癪だが梶組の連中と連携を取って奴らの壊滅作戦、と行こうとしたんだがぁ……結局は失敗。
なにせ今までが今までだったし、梶組の次期頭首様がアレだからなぁ、おかげで足並みを揃える事なんて出来る筈もない。
お嬢の命令で止められてさえいなければ今直ぐにでも殴り込みに行きたいが……流石に勝手に先走る訳にもいかね―しな」

と、どこか苛立ちを紛らわす様に耳の後ろを掻く綾近。
一見、殴り込みの件は冗談で言っているようにも思えるが、たぶん命令さえあれば彼は本当に殴り込みに行くのだろう。
……いや、恐らくは私とゆみみを除くこの場の全員が思っている筈だ、機会さえあれば絶対に黒狼会を叩き潰す、と。

やれやれ……どうも私は、知らず知らずの内に組同士の諍いの渦中へ飛び込んでしまった様だ。
ここは、本格的に諍いに巻き込まれてしまわない内に、とっととこの屋敷から御暇した方が良さそうか?

胸中でこれからの事を考えている私を余所に、
ゆみみは他に誰か言う事が無いのか目配せで確認を取った後、その場の皆へ向けて改めて言う。

「これくらいかな? 黒狼会の事って。みんな、代わりに説明してくれて有難う!」
「いえ、お嬢の助けになるのであれば、これくらい如何って事無いですよ」

ゆみみへ朗らかに笑って返した後、表情を真面目な物へと戻した銀虎は私の方へ向き直り、

「……さて、説明も終わった所で怜子さんよ、もしおたくの話が確かなら、一刻も早くこの街から出て行った方が良いぜ?
多分、面子を潰された黒狼会の連中は今頃、血眼になってあんたを探してる事だろうしな。だが……」
「ご忠告痛み入る。ならば面倒な事になる前に私も素直に出ていく事にするよ。お茶と茶菓子、ご馳走になった」

銀虎へ言うだけ言って、私はとっととその場を後にするべく席を立つ。
その際、まだ私へ言い足りなかった事があったのか、銀虎が「あ、おい!」と声を上げるが、
もう彼らへ話す事も聞く事も無いだろうと思っていた私は、声を耳に留める事無く和室を後にする。

……それにしても私とした事が、自分の要らぬ好奇心の所為で少し無駄な時間を食ってしまった。
こうやっている間にも、私を面倒事に巻き込みたがっている巡り合わせの神が、また何かをしでかそうと企んでいる事だろう。
と言うかだ、如何もこの焔の街に来てからというもの、私はその手のトラブルの予感をヒシヒシと感じて仕方が無い。

そう言えば彼らに道を聞くのを忘れていたが、この際は諦めるとしよう。
そうさ、どうせ道の事なんて調べようと思えばコンビニでだって調べられる。
多少の手間は掛かるだろうが、騒動の渦中にあるここへ留まって面倒事に巻き込まれるよりか幾分かマシだ。
そう思いながら、私は玄関の引き戸を勢い良く開き――

どざぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……

「…………」

――外の見事な土砂降りの雨を前に、そのまま表情を凍り付かせた。
……そう言えば、屋敷に入る前、何気に空を見上げると、晴れていた空が若干曇り始めていた事を思い出す。
多分、その時には既に兆候は出始めていたのだろう。この土砂降りの雨が降るという兆候が。

「だから俺は言おうとしたんだよ、『この雨ん中で、バイクに乗って帰れればの話だがな』って」

呆然と佇む私の後ろから現れ、呆れ混じりに声をかける銀虎。
そして彼は、地上にある物全て憎しと言わんばかりに降り続ける雨を玄関から見上げつつ続ける。

「予報じゃこの雨、夜になるまでは降り続けるそうだ。…だから今すぐ帰るのは諦めた方が良いぜ? 怜子さんよ?」
「…………」

言って、にやりと牙を見せて笑う銀虎を前に、
私は無性に、巡り合わせの神を八つ裂きにしたいと思うのだった。

―――――――――【承】へ続く――――――――――