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**父の届け物 後編 「ったく、珍しく親父が学校に来たかと思ったら、こう言う事になるなんてな……」 「…………」 生徒たちの大半が昼食を終え、のんびりと昼休みを過ごす頃。 ぶつくさと文句を漏らす卓と、その後でただ黙りこくるだけの謙太郎が到着したのは学園の駐輪場。 ずらりと並ぶ自転車に紛れてバイクが何台か止められているが、この学園はバイク通学を禁止していないので問題は無い。 その駐輪場の奥まった一角にある来客用の駐輪場、其処が卓と謙太郎が目指す場所であった。 しかし、目指すその場所へ向う親子二人の前を、ちんまい影が尻尾を揺らして立ち塞がった。 「もう、いきなり何も言わずに逃げるなんて酷いじゃないか!」 それは、先ほど謙太郎を質問攻めにするも、卓の登場により敢無く逃げられたサン先生だった。 しかし、如何言う訳だが彼の姿は先ほど見た時と違って、眼鏡がずれて毛皮と衣服が所々よれよれになっていた。 恐らく、卓と謙太郎が去った後に、彼は獅子宮先生辺りから酷い目に遭わされたと見て間違い無いだろう。 再び現れた質問機関砲教師を前に、尻尾を丸めた謙太郎はさっと卓の後に隠れた。 卓は自分の後に隠れている父親を若干訝しげに一瞥した後、サン先生へ向き直って疑問を投げかける。 「サン先生、いったい如何したんです? 親父に何か用なんですか?」 「うん、もう用はありありだよ! だからお父さんを少し貸してくれないかな?」 「そうは言われても……」 困った様に言って、卓は自分の後ろで耳を伏せて尻尾を丸めている義父を一瞥する。 謙太郎は何も言わず、代わりに追い詰められた子犬のような訴え掛ける眼差しを卓へ向けた。 「なんだか親父、サン先生とは話したくないみたいだぜ?」 「卓君、そんな事言われても困るよ。せめてサインくらい貰わないと何の為に池上先生に会ったのかわかんないだし」 「あのなぁ……」 まるで子供のようなわがままを言うサン先生を前に、卓は呆れ果てるしか他が無い。 とりあえず、卓は後頭をぼりぼりと掻きながらサン先生を窘める事にした。 「サン先生、そんな我侭言ってたらまた英先生にどやされるぜ?」 「大丈夫だよ! 英先生がこんな所に居る筈無いじゃないか」 「でも、噂すれば曹操の影ありってザッキーが言ってるようにさ、気が付けば後にいる…とも……」 と、其処で急にすぼんで行く卓の言葉、見れば表情を引きつらせている卓の目線はサン先生の後方へ向けられている。 その卓の変化に、サン先生はまさか本当に?、と思いつつバネ人形の様な動きでにがばっと後ろへ振り返る。 しかし、振り向いた視線の先に広がっていたのは、何時もと変わらぬ駐輪場の光景だった。 「もう、驚かせないでよ、卓君……本当に英先生が居るかと思ったじゃな―――」 卓の行動がその場しのぎの嘘だと思ったサン先生は安堵の息を漏らした後、再び御堂父子の方へと向き直り、 「私が居て如何したんですか? サン先生」 「      」 その横に何時の間にか佇んでいた英先生を目にして、彼は全身の毛皮を逆立てて硬直した。 どうやら、卓はサン先生の後方の駐輪場内の鏡を見て、自分の後ろから来る英先生の接近を知った様だった。 無論、普通ならばサン先生も気付く筈なのだろうが、この時ばかりは謙太郎に気を取られていた為、気付ける筈も無かった。 「サン先生、話が聞こえていましたよ? 何やら御堂君の保護者にご迷惑を掛けているようで」 「い、いや、ぼくは別に迷惑とか掛けるとかそう言うつもりじゃなかったんだよ! ね、ねえ、卓君のお父さん?」 「……」 にっこりと微笑みながら詰め寄る英先生を前に、激しく狼狽したサン先生はどもりながらも謙太郎へ同意を求める。 しかし、当然と言えば当然の事ではあるが、卓の後に隠れている謙太郎はぷいとそっぽを向くだけでしかなかった。 無論の事、その謙太郎の様子に自分の予測を確信に至らせた英先生は飽くまで穏やかな声で 「どうやら、これからサン先生には生活指導室でじっくりと話を聞かなければなりませんね?」 「え、ちょ!? まだサインも貰えてないのにぃぃぃぃ………」 英先生に襟首を掴まれ、ずりずりと引きずられて行くサン先生。彼の喚き声は校舎の中へ消えるまで聞こえた。 多分、これからサン先生は生活指導室で、英先生の愛のこもった説教をみっちりと受ける事になるのだろう。 おまけにこの日は五、六時限目に数学の授業がない物だから、担当の授業があると言う理由で逃げる事も出来ない。 自業自得とは言え、サン先生も少し可哀想だな、などと思いつつ卓は謙太郎へ向き直る。 「で、バイクは何処に止めたんだよ? 親父」 「こっち」 謙太郎の指し示す方向には確かに、卓にとって見慣れた独特の形状のバイクが自転車の群れに紛れる様にして佇んでいた。 そのシンプルなデザインのバーハンドルにぶら下げられた袋は、恐らく謙太郎の言う卓の忘れ物と見て間違いないだろう。 と、卓が動き出す間も無く、ベスパの傍へ駆け寄った謙太郎がハンドルの袋を取り、卓へ差し出す。 「忘れ物の体操服」 謙太郎は少なからず想像していた。忘れ物を届けに来てくれた父親に感謝する息子の姿を。 その想像に対する期待を表してか、無意識のうちに振られる彼の尻尾。 「……へ? 体操…服?」 しかし、そんな謙太郎の想像は息子の上げた怪訝な声によってあっさりと打ち砕かれた。 自分の想像とは違う結果に思わず唖然とする謙太郎。半開きになったマズルからぽれっ、と落ちるパイプ。 対する卓は何処か呆れた様に謙太郎へ問う。 「えっと……多分、親父は六時限目の体育に使うだろうと思って、これを持ってきたんだろ?」 「……」 何も言わずこくりと頷く謙太郎。卓は「やっぱり」と呟いて溜息混じりに謙太郎へ告げる。 「親父、せっかく持って来てもらって悪いんだけど……今日は体操服、要らないぜ?」 「……!?」 驚愕の事実を知らされ、ピンと跳ねる謙太郎の尻尾。卓は更に説明を続ける。 「何でいらないかというと、今日の体育は保健体育に差し替えになったんだよ。 それも、なんだかまた流行り出したインフルエンザの予防と対策の講習をする為、とか言う変な理由でな。 でさ、その事は朝、学校に行く間際に説明したと思うけど……まさか親父、その時、話を聞いてなかった?」 「…………」 謙太郎は何も言えなかった。 確か、朝、慌てて学校に行く間際の卓が、何かを手にした利枝と何やら話していた事は憶えている。 しかし、その時、謙太郎は『片耳のジョン』のスピンオフ作品『迷探偵マリィ』の構想の真っ最中だった為、 会話の内容まではきちんと憶えてはいなかった。つまりは話を聞いていないのと同意であった。 そんな謙太郎の失意を表してか、だらりと垂れ下がる彼の尻尾。卓は唯、苦笑いを浮かべるしか他が無い。 そのまま十数秒ほど気まずい空気が場を支配した後、先に動きを見せたのは謙太郎だった。 「帰る」 「そ、そうか……悪かったな、親父。つまらない事で面倒掛けちまって」 「…………」 謙太郎は気まずそうに謝る卓へ一瞥だけすると、 無言で落ちてたパイプを拾い、頭にヘルメットを被るとベスパと柱を繋いでいたチェーンを外す。 そしてベスパのエンジンを始動させるべく、尻尾を揺らしながらスタンドを掛けたベスパの右側に立ち、右手でアクセルを握り。 シートを抱え込むように左手でチョークノブを引き、右足でスターターレバーを数回踏み込む。 しかし、本来ならばけたましいエンジン音を立てる筈のベスパは、ガススンと音を立てただけでウンともスンとも言わない。 「……?」 首を傾げながらも彼はスターターを幾度も蹴るが、フェンダーライトのベスパは黙りこくったまま、動く気配が無い。 まさかガス欠ではと思って燃料タンクの蓋を開けて見るが、燃料タンクにはガソリンがまだ少し残っている。 なのに、何やってもベスパは駄々をこねたまま動く様子が無い、成す術の無くなった謙太郎の尻尾は力無く垂れ下がった。 無論の事、再び尻尾を垂らした謙太郎の様子に卓は気づき、何事かと彼へ問う。 「如何した? 親父。バイクが故障したのか?」 「うん」 「……をひ」 卓は精神的に痛む頭の中、泊瀬谷先生の声で、二度ある事は三度ある、と言う慣用句が聞こえた気がした。 とりあえず頭の頭痛を振り払う様にかぶりを振った後、卓は気を取りなおして言う。 「だ、だったら近くのバイク屋で修理してもらえば……」 「財布、持って来てない」 「…………」 謙太郎の一言に、卓は遂に言葉を失った。 それと同時に、昼休みの終了を告げるチャイムが虚しく鳴り響いたのだった。                   ※ ※ ※ 昼休みを終えた生徒達が教室へいそいそと戻り始め、 無常にも『授業があるから』と卓に置いてけぼりにされた謙太郎が独り、動かないバイクの傍らで途方に暮れているその頃。 荷台の側面に『バイク販売、買取、修理は杉本オートで』と書かれた軽トラが学園の正門前へ止まる。 その開いた窓から作業着姿の白ネコの女性が顔を出し、尻尾をくねらせつつぼやきを漏らす。 「ふぅ、全くサンったら人の都合も考えもしないでさ」 彼女の名は杉本 ミナ。サン先生のかつての大学時代の同期であり、そして今も親交のあるネコ族の女性である。 この学園に彼女が訪れたのは他でもなく、サン先生から駄々をこねたラビットを今すぐ直して欲しいと電話口で頼まれたから。 無論のこと、その時はお食事中だった彼女は、『別に放課後にでも良いんじゃないの?』とサン先生へ提言したのだが、 『放課後まで待ってたら見たいTVアニメに間に合わないじゃないか』と言う、何とも子供じみた理由で却下されてしまった。 そして結局、彼女はサン先生に急かされるまま、お食事を早々に切り上げて学園に訪れる事となった。 「確か、アイツは駐輪場で待っているはずなのよね……」 言いながら、ミナは軽トラの窓から少し身を乗り出し、今か今かと待っているであろう小さなイヌの教師の姿を探す。 しかし当のサン先生はというと、今頃は生活指導室で英先生の愛のこもった説教を受けている真っ最中。居る訳が無い。 けど、そんな事になっているなんてミナが知る筈も無く。彼女は暫くの間、周囲を見回して溜息一つ。 「もう、サンの奴、人を呼ぶだけ呼んで待ち合わせの場所に居ないなんて、私をバカにしてるのかな?」 その場に居ないサン先生へ届かぬ愚痴を漏らし、軽トラの窓の桟に頬杖をついて見せる。 こうなったら一度帰って、また放課後になった時に行けば良いかな? などとミナが思い始めたその矢先。 視界に入ってきたある物を目に、彼女の瞳孔が大きく開き、視線が大きく引き付けられた。 「……」 それは悲壮感も露に動かぬバイクを押して行く、先っぽの無い片耳が特徴的なしょぼくれた狼のオヤジの姿。 そう、卓に置いてけぼりを食ってしばし途方に暮れた後、やむを得ずにバイクを押して帰る事にした謙太郎だった。 ――しかし、ミナの気を引いたのは謙太郎ではなく、謙太郎の押しているバイクの方。 「あれって……」 間違い無い。無駄な装飾の無いシンプルなバーハンドル、砲弾型のフェンダーライト、そして流線型が美しいモノコックボディ。 それは第二次大戦が終わった直後にイタリアで生まれた大衆用スクーターの初期モデル。その姿はまさに走る芸術品。 その持ち主と思われる狼の初老男性がわざわざ押して行っていると言う事は、恐らく何らかのトラブルがあったに違いない。 そう思ったミナは溜まらず軽トラから降り立ち、とぼとぼとバイクを押している謙太郎を追い掛ける。 「其処のオジさん、ちょっと待って!」 「……?」 突然、後から声を掛けられた謙太郎は思わずピクンと耳を立てて足を止め、後へ振り返る。 それと同時に追いついたミナが、ネコ族特有の機敏な動きで謙太郎の前へくるりと回り込んだ。 その動きにあわせて揺れる尻尾、ふわりと漂うのはミナの使っているシャンプーの香り。 「やっぱり……これ…復刻版じゃない、正真正銘のベスパのヴィンテージモデル。凄い、ここで見られるなんて……」 「……??」 まじまじとベスパを眺めながら、ミナは憧れのアイドルを前にした少年の様に上機嫌に尻尾を立ててうっとりと呟く。 対する謙太郎はただ困惑するしか出来ない。まあ、苦手な年下の女性が相手である以上、そうなるのも無理も無いのだが。 と、暫く尻尾を揺らしながらベスパをうっとりと眺めていたミナが不意に顔を上げ、 「あの…オジさん。このバイク、動かないのですか?」 「う、うむ」 「だったらわたし、近くでバイク屋をやっている杉本 ミナって言うんですけど、 ちょうど仕事でここに来た所ですので…何だったらついでにこのバイクを直してあげますけど……どうします?」 「…………」 突然のミナの提案に対して、謙太郎は喜ぶどころか何も答えず黙りこくったまま。 謙太郎の反応に妙な物を感じたミナは、少し首と尻尾を傾げながら問う。 「えっと、どうしたの…ですか? わたし、何か悪い事言っちゃった…のでしょうか?」 「……」 少しの沈黙の後、謙太郎のマズルからポロりと漏れ出た言葉は「……金、無い」の一言だった。 思わず引きつるミナの表情。尻尾垂らしてうつむく謙太郎。場を満たす気まずい空気。 そんな空気を振り払おうと、ミナは両手をばたばたと大げさに振って、 「だ、大丈夫ですよ、オジさん。今回はついでという事でサービスしてあげますから。ね?」 「……むぅ」 「それに、もし大掛かりな修理が必要だったとしても、お金は後でも良いですから気にしないでいいですって。うん」 「……」 ミナの説得に再度、考えこむように顔を俯かせて沈黙する謙太郎。 謙太郎の尻尾はだらりと垂れたまま微動だにしない物だから、彼が今、何を考えているのかミナには読めず、不安だった。 そして謙太郎にしてみれば、2番目に苦手な年下女性の世話になるのは嫌だったのだが、 生来からの面倒臭がりでもある彼にとって、動かないバイクを延々と押して帰るのはもっと嫌だった。 そうやって暫くの間、二人の間を微妙な空気が流れた後、謙太郎は尻尾を揺らしながらゆっくりと頭を頷かせた。 如何やら、謙太郎はミナの提案を飲む事を決めた様だ。 「それじゃあ失礼して……」 「……」 謙太郎の許可を得た所で、早速ミナは軽トラから持ち出した工具箱片手にベスパの傍へ周り、 ベスパのデザインに見蕩れつつも手際良くカバーの止め具を外し、エンジンカバーを取り外して内部の点検を始める。 程よく手入れされているのか、60年以上も前の物にも関わらずエンジン周りは丁寧に整備され、新車の様に輝いていた。 しかし、それにも関わらず動かないなんて如何して? と思わずミナは首を傾げる。 「えっと、オジさん……」 「謙太郎で」 「そ、それじゃあ謙太郎さん。一応聞いておきますけど、最後にこのバイクを点検したのは何時でしょうか?」 「……分からない」 「へ? で、でも、それにしてはエンジンは綺麗ですけど……?」 「何時も妻に任せてる」 「な、なるほど……」 謙太郎の一言で妙に納得できたミナは、「奥さんってかなり几帳面な方なんですね」と苦笑いを浮かべた後、 直ぐに表情をバイク屋の店員の物に戻し、別に動かない原因がないかを探ってみる事にした。 このバイクは今や走っている事すら奇跡に近い一品、それが故障して動かないなんて本当に見ていられない。 バイク屋の娘の沽券に賭けて、このバイクが動かない原因を探り出し、直して見せる! とミナは心の中で意気込む。 そんなミナの後ろ姿を不安げに見守る謙太郎。時折くねるミナの白い尻尾が妙に不安を掻き立てる。 ひょっとしたら、大掛かりな修理が必要じゃないのか?と言う、根拠のない心配が謙太郎の脳裏を過る。 「…プラグは問題ないのよね、スターターを動かせばちゃんと火も飛ぶし……。 それにまだガスも残ってる……なのに動かないとなると……」 そこまでぶつぶつと独り言をもらした所で、ミナはベスパの座席の股下の辺りのある部分へ視線を向ける。 其処である物を目にした彼女は、何処かげんなりとした様子で尻尾を垂らし「ああ、やっぱり」と漏らした。 そして、苦笑いを浮かべながら謙太郎の方へ振り返り、 「あの…謙太郎さん? その、リザーブタンクって…知ってますか?」 「……??」 思わずピクリと耳を動かす謙太郎。彼にとってミナの言った言葉は初耳だった。 彼は長年このバイクに乗り続けていたものの、修理や点検は殆どバイク屋、あるいは妻に任せていた為、 バイクの構造や部品その他諸々に関してあまり詳しくなかった。つまりは謙太郎はバイクに関して素人同然だった。 そんな首を傾げる謙太郎の様子に、ミナは自分の予感が当っていた事に心の中で溜息を漏らす。 「取り合えず、論ずるよりは産むが易しって事で……はい、エンジンを掛けて見て下さい」 エンジンカバーを取り付けた後、彼女は言いながら座席の股下部分の”それ”を操作し、謙太郎へバイクを動かす様に言う。 謙太郎は首を傾げながらも、さっきと同じようにスタンドを掛けたベスパの右側に立ち、右手でアクセルを握り。 シートを抱え込むように左手でチョークノブを引き、右足でスターターレバーを数回踏み込む。 ぶぉぉんっ!! 「……!?」 すると如何だろうか、さっきはウンともスンとも言わなかったベスパが一発で元気なエンジン音を上げた。 当然、それに驚いた謙太郎は、尻尾を振りながらまるで魔法使いを見るような眼差しをミナへ送るのだが、 ミナは何処か呆れた様に苦笑いを浮かべながら謙太郎へ説明する。 「えっと、先ほど言いましたリザーブタンクって言うのは、まあ、ガソリンタンクの予備的なスペースな物でして、 燃料の取りこみ口を上下に二つ設ける事で、燃料を一気に使い切らない様にする、いわゆる保険みたいな物なんです。 それで…さっき操作したのは、そのリザーブタンクのフューエルコック、言わば燃料の取りこみ口を切り替える装置なんです。 で、さっきまで燃料があるのに動かなかったのは……それを切り替えてなかったのが原因です。はい」 「…………」 なんと、バイクが動かない原因は故障ではなくただの確認ミスだった! 余りのばつの悪さに、謙太郎は再び尻尾をだらりと垂らしてしまう、いや、それ所か耳まで伏せてしまった。 無論、彼のその様子に気まずい物を感じたミナは、慌ててフォローに入る。 「で、でも、動かない原因が故障じゃなくて良かったじゃないですか? 謙太郎さん。 これがもし厄介な故障だったら直すのにも時間も掛かりますし、お金だってそれなりに掛かりますよ? ねぇ?」 「……むぅ」 「それを考えれば単純な原因で良かった良かった、ですよ?」 「……」 フォローが通じたのか、謙太郎の尻尾がゆっくりと左右に振られ始める。 どうやら、何とか彼は機嫌を良くしてくれた様ね? とミナは心の内で安堵の溜息を漏らした。 そして、ようやく顔を上げた謙太郎は何時もと変わらぬ無表情で礼を言う 「有難う」 「あ、いえ、別に礼は良いんですよ。当然の事をしたまでですので。 代わりに、これからまた何かあったときは杉本オートに来ていただければ……」 「そうか、世話になった」 謙遜するついでにさりげなく店の宣伝をしている辺り、ミナはある意味では強かと言えた。 そうして、謙太郎が動くようになったバイクに跨ろうとしたその矢先、 「やー、ゴメンゴメン、ミナ! お待たせー!」 「!?」 ――謙太郎の耳を震わすやたらと大きく響く声、振り向き見れば其処には三度登場、質問機関砲教師、サン・スーシ! どうやら六時限目には英先生の担当する英語の授業があったらしく、そのお陰で説教から解放されてきたのだろう。 それでも、約数十分の正座は相当に堪えたらしく、まだ足に痺れの残っているサン先生の歩みは少々ふらついていた。 当然、ミナは約束の時間に遅れてやってきたサン先生に詰め寄り、不機嫌に尻尾をくねらせて文句を言う。 「……もう、サンったら遅いじゃない! 今まで何やってたのよ」 「あ! 池上先生! まだ帰ってなかったんだ。良かったぁ、ミナが引き止めててくれたんだね?」 「ちょっと! サン、わたしの話を――……って、池上先生?」 しかし、硬直している謙太郎をミナの肩越しに見つけたサン先生は、ミナの文句をさらりとスルーしてぶんぶんと尻尾を振る。 おまけにサン先生は謙太郎の事をペンネームで呼ぶ物だから、ミナは耳をピンと立てて不思議そうな顔。 「そうだよ、ミナ! 彼こそあの推理小説『片耳のジョン』シリーズの作者の池上 祐一先生だよ!」 「えっ! うっそ!? この人があの?」 妙に自慢げなサン先生の説明に、ミナは不機嫌な表情を吹き飛ばし、耳と尻尾をピンと立てて大きく驚く。 実を言えばミナもまた、父親の持っている『片耳のジョン』を良く読んでいたので、池上 祐一の名を良く知っていた。 「…………」 その最中、謙太郎は何時もの無表情ではあったのだが、その心中ではかなりの焦りを感じていた。 それも無理もない、只でさえ2番目に苦手な年下の女性が居る状況に、更に最も苦手な質問機関砲教師まで加わったのだ。 当然、謙太郎はすぐさまその場から逃げ出すべく、バイクに跨ろうと…… 「っ!?」 ―――する前に誰かに尻尾をぐいっ、と掴まれ、その刺激で謙太郎は思わず身体を仰け反らせてしまった! 慌てて振り返り見れば、其処には良い笑顔を浮かべたサン先生の姿。その手は謙太郎の尻尾をしっかりと掴んでいた。 そして、耳を伏せている謙太郎へ、サン先生は尻尾を大回転させて笑顔を崩さずに言う。 「今度こそ逃げちゃ駄目だよ? 池上先生?」 「…………」 恐らく、この時の自分はこれまでにない落胆に満ちた表情を浮かべている事を、謙太郎は自覚していた。 もし、今の自分の表情にタイトルを付けるとすれば、『絶望する男』と題を付けている事だろう。 そう、謙太郎はサン先生とミナの羨望の眼差しを一身に受けながら、自分の状況を悲しく悟ったのであった……。                *  *  * 結局、それから謙太郎は二人から散々質問攻めにされた挙句、サインを書かされる事となった。 (しかもその時はちょうど下校時刻に重なった為、突発的なサイン会に並ぶ列は最終的に30mを超えていたという) その後、満足した二人からようやく解放された謙太郎はほうほうの体で家に帰宅する事が出来た物の、 先に帰宅していた卓の報告によって、この事は妻の利枝に知る所となり、 それから2時間に渡る説教の末、謙太郎は『自分の乗るバイクの構造はきちんと熟知しておく事』と言う教訓を得たのだった。 「いや、教訓にするのはそれかよ、親父……」 その時に卓が漏らしたぼやきは、誰の耳にも届く事は無かったのだった……。 ――――――――――――――――――――終われ――――――――――――――――――――

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