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**初夏の夜の夢 「そろそろ換毛の季節となりました。生徒の皆さんは毛づくろいをこまめにして、身だしなみに気を付けましょう。 あと、鳥類の生徒の皆さん、他の生徒が怪我しないように、落ちた毛は自分できちんと処分しましょう。風紀委員からでした」 朝礼台の上では、風紀委員・因幡リオが生徒たちに『今月の注意事項』を伝えている。 小・中・高一貫の佳望学園での朝の一こま。初夏の風がリオのスカートを揺らす。 生徒たちはみな並んで、光を受けながら朝礼に臨んでいた。 初等部の子どもたちは、落ち着きない子もいれば、真面目に聞いている子もいる。 中・高等部の生徒たちは、眠そうな顔をしている生徒も。うつらうつらとしているのは、朝の弱い種族。 特にネコの生徒たちにとっては、睡魔との闘いの時間であった。 いや、生徒とは限ったことではないようでもある。 「以上、風紀委員から。他に連絡事項は…?」 朝礼の進行をする帆崎は、きょろきょろと見回して会を締めようとしていた、が。 「ふぁあ!は、はい?」 凪のように静まり返った生徒たちは素っ頓狂な声でみな、目を覚ましてしまった。 生徒の列から飛んできた声ではない。おまけに張本人は、尻尾を丸めて自分が隠れるための穴を探している。 「では…、泊瀬谷先生からどうぞ」 「いまのは、違いますっ!」 寝ぼけ眼を擦りながら、どっと沸きかえる生徒たちと視線を合わせようとしない泊瀬谷は、 「雨が降り始める季節のネコは、眠い日が多いのだ」と、勝手に自分で自分を納得させていた。 「では、校歌斉唱で朝礼を終わります」 『命を抱くー 太平洋にー 浸し洗うはー 心のうつわー…』 曇天の空が包み込むグラウンドに生徒たちの歌声が響く。 ―――もう、朝のことは忘れようかな…。 その日一日は、曇り空のような気分だ。いっそのこと、土砂降りでもなればいいのに。でも、お仕事なのでそうはいかない。 朝礼での出来事がちらつき、梅雨の合間の晴れのようなすっきりした気分を取り戻せなかった泊瀬谷は、 職員室で小テストの採点に勤しんでいた。今回はちょっと意地悪をして、難易度を上げてみたものの、 泊瀬谷の期待とは裏腹になかなかの高得点を生徒たちははじき出していた。 教師としては嬉しい限りであることだが、少し悔しい気持ちもあることは否めない。 「まる、まる、まる…うーん…。さんか…いや、まる、まる」 いんちきな呪文のように一人で記号を口ずさみながら、生徒たちのいない夜の職員室を帆崎とサン・スーシの三人で過ごす。 帆崎は買ってきた缶コーヒーのホットをちびちび飲みながら、教育委員会からの書類に目を通している。 サン・スーシは自慢のダブルモニターを駆使して資料作り…の傍ら、お絵描きチャットに没頭している。 「今月の『コミック・モッフ』の打ち切りマンガ、夢落ちとはアレだよねー」と、リオレウスの絵で返事が来ると、サン・スーシは 手元のタブレットを滑らせながら「それより、来月からの新連載が気になるね」とイヌの絵をささっと描きあげる。 一方、眠気覚まし、眠気覚ましと言い訳しながら、泊瀬谷は赤ペンで解答用紙の上に丸を描きあげる。 採点に集中している泊瀬谷をよそに、帆崎はすっくと携帯電話を持って立ち上がり、廊下に向かって歩き出した。 「なんだ、ルル?あの泊瀬谷先生、ちょっと失礼します」 帆崎はルルとの話し声で邪魔にならないように自ら廊下に出たが、それどころではない泊瀬谷のネコミミは、帆崎の声は通り抜ける。 バタンと閉まる職員室の扉の前には、帆崎の尻尾から飛んだ毛玉がふわりと舞い落ちた。 しばらく、泊瀬谷の赤ペンとサン・スーシのタブレットの走る音だけが続く。 それにしても、帆崎の缶コーヒーがとっくに冷めているのに、帆崎は戻ってこない。 単調作業にこんをつめたせいか、泊瀬谷には朝礼のときのように起きることを邪魔する何かが舞い降りていた。 「うーん…。もう、9時かぁ」 いつもなら自宅でのんびりとくつろいでいる時間。窓の外は雲が邪魔して星空が見えない。 それどころか泣きべそのひとつでもかきそうな、情けない顔の夜空でもある。 体の毛並みにまとわり付くような、湿気た匂いが泊瀬谷をよけい心地よい睡眠へと誘う。 「ちょっとだけ…寝ようかな」 理論で言えば、ごく僅かな睡眠をとることによって睡眠欲を大量消費し、そのあと飛躍的な作業効率を生み出すことが出来る。 感覚で言えば、ただ眠いだけ。 学園にはわたしと帆崎先生、そしてサン先生だけ。校長先生や生徒たちもいないから…と、 赤ペンのキャップを閉め、ハンドタオルを枕に泊瀬谷は少しばかり寝かせていただくことにした。 自然と手と背中が丸くなり、子ネコのころに戻った感覚に陥る。 ―――しばらく寝ていた泊瀬谷は、眠気も覚めてやがて起き上がり、伸びをしながら大あくびをする。 誰も見ていないから、と緩んだ気分が泊瀬谷を和ませたが、冷酷な時は泊瀬谷の毛を逆出せる。 「ええ?あーん!!もうこんな時間?」 抗議を申し立てられた方の時計からしたら、迷惑千万なお話。時計は真面目な顔をして草木も眠る時間を示していた。 一人取り残された職員室。帆崎の姿はなく、落っこちた毛玉だけがふわりと隅に転がっていた。 びっくりしたことにサン・スーシの姿もそこにはいなかった。おいていかれたのか?ひどい! 採点どころじゃない、テストの返却はまた今度。自転車は置いて、今夜はタクシーでも呼んで帰ろう。 荷物をまとめ、宿直の用務のタヌキのおじさんに連絡して、ロッカーに向かい帰り支度をしようかな…と思ったときのこと。 ふと、帆崎の机を見ると寝る前のまま教育委員会からの書類と、冷め切った缶コーヒーがそのままにされていた。 「帆崎先生…まだいるんだ」 泊瀬谷は帆崎がルルからの電話に出たことに気付いていない。 さらに、サン・スーシの机のPCも明々と灯が点いたままなのに気付いた。画面にはいまだ、リオレウスとイヌの絵が残されていた。 「サン先生もいるんだ。どこにいったんだろう」 サン先生のことだから、きっといたずらを仕掛けているに違いない。サン先生はそんな人だから。 引っかかったら、どんなリアクションをとってあげようなか…と、どうしょうもない考えで廊下に出てあたりを見渡すが、 細い帆崎と小さなサン・スーシの姿は見当たらない。ひんやりとした空気が泊瀬谷を縮みこませる。 「ほさきせんせーい!サンせんせーい!」 暗い廊下に向かって二人を呼ぶが、泊瀬谷は梨のつぶてと言う言葉を身をもって体験する。 どうしよう、みんな帰っちゃったのかな…と散歩先で雨に遭遇したネコが軒先で座っているかのよう不安げにしていると、 職員室から笑い声が聞こえてきた。帆崎先生?サン先生?いや、大人の声ではない。どう聞いても、幼い声。 クスクス…クスクス…。 泊瀬谷が声のする方に駆け寄ると、初等部の制服を着た白いイヌの少年が泊瀬谷の机に座っていた。 少し伸ばした髪に、たわわな穂のような尻尾。初めてあったのに、どこかで…いや、毎日会っているような。 その少年はニコリと笑い、尻尾を振って机上のハンドタオルとテスト用紙を散らしていた。 「きみは?」 クスクス…クスクス…。 「初等部の子でしょ?だめだぞー!こんな所にいちゃ」 クスクス…クスクス…。 少年は、ぴょんっと焼き栗のように跳ねると、職員室から駆け出して、尻尾から毛を少しばかり落としていた。 泊瀬谷は夢中で少年を追いかける。夜の校舎の静寂は、二人の足音でかき消される。 誰もいないはずの学園に、どうして子どもがいるのだろう。そんなことを考える暇もなく、 泊瀬谷は少年の駆けて行く方に付いて行くと、階段を駆け上り、渡り廊下を走り、少年は高等部の教室棟へと飛び込んだ。 不思議なことに、少年は行ったことのないはずである、高等部の校舎の中を知っているかのように教室棟を味方にしていた。 モエやハルカのはしゃぐ声もしない。 利里のゲームで叫ぶ声も聞こえない。 サン・スーシの乗る台車の音も響かない。 誰も知らない夜の学び舎を小さなイヌと若いネコが駆け抜ける。 春風にしては遅すぎて、梅雨の雨音にしては早すぎる。 季節外れのふたつの風は、夜のしじまを吹き抜ける。 「その教室?」 クスクス…クスクス…。 泊瀬谷の担当するクラスの教室に、少年が入っていったことに泊瀬谷は目を丸くした。 生徒たちの声のしない教室には、泊瀬谷にとってネコミミを折りたたませる雰囲気があったが、 そんな空気は白いイヌの少年が吹き飛ばす。薄暗い教室の中、少年は教壇の机に腰掛けていた。 「初等部の子でしょ?どうして、まだ学校にいるの?お家の人が心配してるぞー」 少年は尻尾をくるりと回して触っていた。泊瀬谷はその姿をじっと見つめ、名前を尋ねてみた。 「ぼくは、ヒカルだよ」 「…ヒカルくん?」 「うん。いぬがみヒカルだよ」 犬上ヒカル? 「せんせー。ぼく、よるが好きだな。だって、だれもいないんだもん」 足をぶらつかせながら、ヒカルは毛並みを揺らしていた。 もちろん、泊瀬谷が担当する犬上ヒカルはもちろん高等部の生徒だ。 教室の入り口で泊瀬谷は、どこか胸を締め付けられるような思いをしていた。 毛並みも白いし、尻尾もたわわ。それにしても、同じ名前にしても姿が似すぎているではないか。 「せんせー、しっぽ。しっぽが」 手の爪に毛を引っ掛けている困った顔のイヌの少年は、ネコのような声で泊瀬谷を呼ぶ。爪には白い毛がまとわり付いて、 少年はそれを取るのに難儀をしている。換毛の季節、風紀委員の因幡も身だしなみに気をつけるように、 と朝礼で言っていたっけ。泊瀬谷は少年の尻尾を気にするが、それ以上に気になったのが窓の外。 ぐずりかけていた曇り空はどこに行ったのか、甘い菓子のような星空が学園を飲み込んでいた。 さらに、黒板に残されていた日にち。日直が消し忘れたのか「5月28日 金曜日」と殴り書きされたまま。 確か、28日は木曜日のはず…。泊瀬谷の不思議そうな顔をよそに少年は体を丸めて、尻尾の手入れをしようとしていた。 「あぶないよ」 机から落ちそうになる少年の肩を掴んで、体を支えると少年の髪のにおいがした。 初めてヒカルに自転車に乗せてもらって、学校の坂を下ったときのこと。 そのときと同じにおいがしたような気がする。少年の尻尾が泊瀬谷の脚をパタパタと叩いた。 毛玉がふわりと宙を舞う。よくよく見ると少年の尻尾は乱れている。 「…ちゃんと身だしなみをしないと、だめだぞ」 「うん」 「…先生が、といてあげよっか?」 どうしてこんなことを言ったのだろう。 だって、風紀委員の因幡が換毛の季節だからって。 だって、自分の生徒が困っているからって。 泊瀬谷はけっして自分は悪くないぞ、わたしは先生だ、と言い聞かせながら職員室まで自分の櫛を取りに行った。 職員室はいまだ、帆崎、サン両先生は帰っていない。缶コーヒーも、PCも泊瀬谷が職員室を出たままの姿を保っている。 (みんな、どこにいったんだろう) バックから櫛を取り出し、誰もいない職員室をあとにして ヒカルの待つ自分の教室に泊瀬谷はパタパタと駆けて行く。窓の外は星の空。空に瞬く星粒をつまみ食いしてもいいんじゃないのか。 星をひとつ摘めば、甘い砂糖の味がするのではないのか。手を伸ばせば星なんかわたしにだって…。 そう考えているうちに教室に着くと、ヒカルが机の下でしくしくと涙をこぼしているのが見えた。 お尻をさすっているところからして、誤って机から落っこちたらしい。幸い怪我はない様子。 「大丈夫!?」 「う、うん…。痛いよお」 お尻を痛そうにさするヒカルを泊瀬谷は抱きかかえ、頭を撫でてなぐさめる。 目を離した間にこんな痛い目にあわせてしまって、泊瀬谷は後悔の念にかられた。 ヒカルは片手で涙をぬぐい、もう片手で泊瀬谷のスカートを掴む。 「ほら…。先生が尻尾をといてあげるから、ね。もう、泣くのはおしまい」 「うん」 泊瀬谷は生徒の机に腰掛けて、自分の膝の上にヒカルを座らせる。柔らかそうな尻尾をブンと上げて泊瀬谷に差し出すと、 櫛は尻尾に深く入り込み、落ちかけた毛を引っ掛けながらといてやる。ふわりと舞う毛は泊瀬谷の服にまとわり付くが、 そんなことは気にしない。何故なら、ヒカルの温もりとにおいを感じることが出来たのだから。 時計の針は休まず回るということを忘れるぐらい、泊瀬谷はヒカルの白い毛並みをといている。 「ヒカルくんの毛って、柔らかいね」 「へへへ。くすぐったいよ」 「爪の間もちゃんととかなきゃいけないよ」 小さなヒカルの手を泊瀬谷が握ると、といたばかりの尻尾をぶんぶんっと振るヒカル。 とかれたばかりの尻尾は、自慢げに薄暗い教室で光っているようにも見えた。 「ほら。うなじの所もちゃんととかなきゃいけないよ」 襟首から覗く白い毛並み。櫛でといてあげる前に、泊瀬谷はその中に渦盛りたい衝動にかられる。 背後からやさしくぎゅうっと腕を回して、泊瀬谷はヒカルを抱きしめたい気持ちにかられる。 この子の親でも姉でもなんでもないのに、泊瀬谷は白いイヌの少年と一緒にいることに胸を躍らせた。 が、ヒカルのか弱い声でそんな衝動は消え去った。 「もうすぐ、夜が逃げちゃうよ…」 「夜?」 「うん。夜が逃げちゃう前に、さよならしなきゃ…」 「どこに行くの?」 「…どこだろう」 しばらく二人の間に夜が消える空気が流れた。 泊瀬谷は襟首の毛並みをときながらヒカルに話しかけると、ヒカルはイヌミミをくるりと泊瀬谷の方に向けて、静かに聞いた。 「先生の言うことを聞いてくれる?わたしね…ヒカルくんが大きくなったら、ヒカルくんの先生になるの」 「先生に?」 「そう。だから、ヒカルくんの先生になるまで、ヒカルくんはもっと強い子になろうね。先生からの宿題だよ」 「うん。がんばる」 櫛がだんだん白くなるにつれて、窓の外も東の空が白くなり始めてくる。星も街から忘れ去られそうになる。 それに気付いたのか、はたまた本能なのかヒカルは尻尾を立てて窓のほうを向いた。 「夜が消えちゃうよ!」 「ほんとだね。夜が逃げちゃう…」 「消えちゃうよ…、逃げちゃう…」 窓辺に駆け寄り、起きつつある街をヒカルは悲しげに眺めていた。 泊瀬谷もヒカルの側に立ち、ぽんと肩を叩く。 「先生…また、会おうね」 「うん。約束だぞ」 「……うん」 「泣いちゃダメよ」 ヒカルは泊瀬谷の腰に抱きつき、ブラウスを濡らしていた。 「そしたら、先生が飴玉あげるからここで待っててね」 「うん」 泊瀬谷は自分の机に忍ばせている飴玉を取りに職員室に向かった。 しかし、泊瀬谷が教室に戻って来たときにはヒカルは既に姿を消していた。窓の外がさき程より明るくなっていた。 ―――「はせやせんせー。先生、朝ですよ」 「夜が消えちゃうよお…むにゃむにゃぁ…。明るくなっちゃう…」 「ははっ。うっそでーす、まだ夜ですよ」 泊瀬谷が机から起き上がると帆崎、サン・スーシが両脇に立っていた。 はっと尻尾を跳ね上げた泊瀬谷は職員室の時計を慌てて見るが、彼が指す時は9時25分。 きょろきょろと首を振り、目をこすりながら泊瀬谷は声を絞り出す。 「あれ…、教室は?ヒカルくんは?」 「気持ちよさそうに寝てましたね。ヒカルくんってか、ここに生徒がいる訳ないですよ」 「ですよね…。あれ…?教室は?」 どっと笑う帆崎、サン・スーシ。採点をやりかけているテスト用紙を前に泊瀬谷は少し恥ずかしくなった。 「そうそう、泊瀬谷先生。ヒカルくんと言えばですね、この間、ヒカルくんは奇妙な夢を見たそうでして」 「ほう、サン先生。気になりますな」 「なんでも、ヒカルくんが学校に来ると初等部の制服を着た泊瀬谷先生が教室に居てですね…」 「面白そうな話じゃないですか。それじゃ、この続きは食事でもしながら…」 帆崎は泊瀬谷の肩を叩き、ニコニコと笑う。サン・スーシの尻尾は振り切れんばかりであった。 なんでも帆崎は、ルルから「おいしいレストランを見つけたからみんなで一緒に」という電話を受けてこれから向かうところだったのだ。 外では雨音が聞こえ始めている。今夜は自転車での帰宅は無理であろう。 タクシーを呼んでいるし、ルルも喜ぶからせっかくなら泊瀬谷先生もご一緒に、とのこと。 サン・スーシはお絵描きチャットを終えて、PCをシャットダウンする準備に取り掛かっている。 「それじゃ…、ご一緒させて頂こうかな。サン先生の奢りで」 「サン先生!ゴチになります!!」 「ええ?は、はは。端から端までのメニュー全部!…て?あはは」 明日できることは明日しようと、仕事を切り上げ三人揃って食事に行くことにした。 レストランで既に『またたび酒』をルルが勝手に注文して待っていた。 おしまい。
**初夏の夜の夢 「そろそろ換毛の季節となりました。生徒の皆さんは毛づくろいをこまめにして、身だしなみに気を付けましょう。 あと、鳥類の生徒の皆さん、他の生徒が怪我しないように、落ちた毛は自分できちんと処分しましょう。風紀委員からでした」 朝礼台の上では、風紀委員・因幡リオが生徒たちに『今月の注意事項』を伝えている。 小・中・高一貫の佳望学園での朝の一こま。初夏の風がリオのスカートを揺らす。 生徒たちはみな並んで、光を受けながら朝礼に臨んでいた。 初等部の子どもたちは、落ち着きない子もいれば、真面目に聞いている子もいる。 中・高等部の生徒たちは、眠そうな顔をしている生徒も。うつらうつらとしているのは、朝の弱い種族。 特にネコの生徒たちにとっては、睡魔との闘いの時間であった。 いや、生徒とは限ったことではないようでもある。 「以上、風紀委員から。他に連絡事項は…?」 朝礼の進行をする帆崎は、きょろきょろと見回して会を締めようとしていた、が。 「ふぁあ!は、はい?」 凪のように静まり返った生徒たちは素っ頓狂な声でみな、目を覚ましてしまった。 生徒の列から飛んできた声ではない。おまけに張本人は、尻尾を丸めて自分が隠れるための穴を探している。 「では…、泊瀬谷先生からどうぞ」 「いまのは、違いますっ!」 寝ぼけ眼を擦りながら、どっと沸きかえる生徒たちと視線を合わせようとしない泊瀬谷は、 「雨が降り始める季節のネコは、眠い日が多いのだ」と、勝手に自分で自分を納得させていた。 「では、校歌斉唱で朝礼を終わります」 『命を抱くー 太平洋にー 浸し洗うはー 心のうつわー…』 曇天の空が包み込むグラウンドに生徒たちの歌声が響く。 ―――もう、朝のことは忘れようかな…。 その日一日は、曇り空のような気分だ。いっそのこと、土砂降りでもなればいいのに。でも、お仕事なのでそうはいかない。 朝礼での出来事がちらつき、梅雨の合間の晴れのようなすっきりした気分を取り戻せなかった泊瀬谷は、 職員室で小テストの採点に勤しんでいた。今回はちょっと意地悪をして、難易度を上げてみたものの、 泊瀬谷の期待とは裏腹になかなかの高得点を生徒たちははじき出していた。 教師としては嬉しい限りであることだが、少し悔しい気持ちもあることは否めない。 「まる、まる、まる…うーん…。さんか…いや、まる、まる」 いんちきな呪文のように一人で記号を口ずさみながら、生徒たちのいない夜の職員室を帆崎とサン・スーシの三人で過ごす。 帆崎は買ってきた缶コーヒーのホットをちびちび飲みながら、教育委員会からの書類に目を通している。 サン・スーシは自慢のダブルモニターを駆使して資料作り…の傍ら、お絵描きチャットに没頭している。 「今月の『コミック・モッフ』の打ち切りマンガ、夢落ちとはアレだよねー」と、リオレウスの絵で返事が来ると、サン・スーシは 手元のタブレットを滑らせながら「それより、来月からの新連載が気になるね」とイヌの絵をささっと描きあげる。 一方、眠気覚まし、眠気覚ましと言い訳しながら、泊瀬谷は赤ペンで解答用紙の上に丸を描きあげる。 採点に集中している泊瀬谷をよそに、帆崎はすっくと携帯電話を持って立ち上がり、廊下に向かって歩き出した。 「なんだ、ルル?あの泊瀬谷先生、ちょっと失礼します」 帆崎はルルとの話し声で邪魔にならないように自ら廊下に出たが、それどころではない泊瀬谷のネコミミは、帆崎の声は通り抜ける。 バタンと閉まる職員室の扉の前には、帆崎の尻尾から飛んだ毛玉がふわりと舞い落ちた。 しばらく、泊瀬谷の赤ペンとサン・スーシのタブレットの走る音だけが続く。 それにしても、帆崎の缶コーヒーがとっくに冷めているのに、帆崎は戻ってこない。 単調作業にこんをつめたせいか、泊瀬谷には朝礼のときのように起きることを邪魔する何かが舞い降りていた。 「うーん…。もう、9時かぁ」 いつもなら自宅でのんびりとくつろいでいる時間。窓の外は雲が邪魔して星空が見えない。 それどころか泣きべそのひとつでもかきそうな、情けない顔の夜空でもある。 体の毛並みにまとわり付くような、湿気た匂いが泊瀬谷をよけい心地よい睡眠へと誘う。 「ちょっとだけ…寝ようかな」 理論で言えば、ごく僅かな睡眠をとることによって睡眠欲を大量消費し、そのあと飛躍的な作業効率を生み出すことが出来る。 感覚で言えば、ただ眠いだけ。 学園にはわたしと帆崎先生、そしてサン先生だけ。校長先生や生徒たちもいないから…と、 赤ペンのキャップを閉め、ハンドタオルを枕に泊瀬谷は少しばかり寝かせていただくことにした。 自然と手と背中が丸くなり、子ネコのころに戻った感覚に陥る。 ―――しばらく寝ていた泊瀬谷は、眠気も覚めてやがて起き上がり、伸びをしながら大あくびをする。 誰も見ていないから、と緩んだ気分が泊瀬谷を和ませたが、冷酷な時は泊瀬谷の毛を逆出せる。 「ええ?あーん!!もうこんな時間?」 抗議を申し立てられた方の時計からしたら、迷惑千万なお話。時計は真面目な顔をして草木も眠る時間を示していた。 一人取り残された職員室。帆崎の姿はなく、落っこちた毛玉だけがふわりと隅に転がっていた。 びっくりしたことにサン・スーシの姿もそこにはいなかった。おいていかれたのか?ひどい! 採点どころじゃない、テストの返却はまた今度。自転車は置いて、今夜はタクシーでも呼んで帰ろう。 荷物をまとめ、宿直の用務のイヌのおじさんに連絡して、ロッカーに向かい帰り支度をしようかな…と思ったときのこと。 ふと、帆崎の机を見ると寝る前のまま教育委員会からの書類と、冷め切った缶コーヒーがそのままにされていた。 「帆崎先生…まだいるんだ」 泊瀬谷は帆崎がルルからの電話に出たことに気付いていない。 さらに、サン・スーシの机のPCも明々と灯が点いたままなのに気付いた。画面にはいまだ、リオレウスとイヌの絵が残されていた。 「サン先生もいるんだ。どこにいったんだろう」 サン先生のことだから、きっといたずらを仕掛けているに違いない。サン先生はそんな人だから。 引っかかったら、どんなリアクションをとってあげようなか…と、どうしょうもない考えで廊下に出てあたりを見渡すが、 細い帆崎と小さなサン・スーシの姿は見当たらない。ひんやりとした空気が泊瀬谷を縮みこませる。 「ほさきせんせーい!サンせんせーい!」 暗い廊下に向かって二人を呼ぶが、泊瀬谷は梨のつぶてと言う言葉を身をもって体験する。 どうしよう、みんな帰っちゃったのかな…と散歩先で雨に遭遇したネコが軒先で座っているかのよう不安げにしていると、 職員室から笑い声が聞こえてきた。帆崎先生?サン先生?いや、大人の声ではない。どう聞いても、幼い声。 クスクス…クスクス…。 泊瀬谷が声のする方に駆け寄ると、初等部の制服を着た白いイヌの少年が泊瀬谷の机に座っていた。 少し伸ばした髪に、たわわな穂のような尻尾。初めてあったのに、どこかで…いや、毎日会っているような。 その少年はニコリと笑い、尻尾を振って机上のハンドタオルとテスト用紙を散らしていた。 「きみは?」 クスクス…クスクス…。 「初等部の子でしょ?だめだぞー!こんな所にいちゃ」 クスクス…クスクス…。 少年は、ぴょんっと焼き栗のように跳ねると、職員室から駆け出して、尻尾から毛を少しばかり落としていた。 泊瀬谷は夢中で少年を追いかける。夜の校舎の静寂は、二人の足音でかき消される。 誰もいないはずの学園に、どうして子どもがいるのだろう。そんなことを考える暇もなく、 泊瀬谷は少年の駆けて行く方に付いて行くと、階段を駆け上り、渡り廊下を走り、少年は高等部の教室棟へと飛び込んだ。 不思議なことに、少年は行ったことのないはずである、高等部の校舎の中を知っているかのように教室棟を味方にしていた。 モエやハルカのはしゃぐ声もしない。 利里のゲームで叫ぶ声も聞こえない。 サン・スーシの乗る台車の音も響かない。 誰も知らない夜の学び舎を小さなイヌと若いネコが駆け抜ける。 春風にしては遅すぎて、梅雨の雨音にしては早すぎる。 季節外れのふたつの風は、夜のしじまを吹き抜ける。 「その教室?」 クスクス…クスクス…。 泊瀬谷の担当するクラスの教室に、少年が入っていったことに泊瀬谷は目を丸くした。 生徒たちの声のしない教室には、泊瀬谷にとってネコミミを折りたたませる雰囲気があったが、 そんな空気は白いイヌの少年が吹き飛ばす。薄暗い教室の中、少年は教壇の机に腰掛けていた。 「初等部の子でしょ?どうして、まだ学校にいるの?お家の人が心配してるぞー」 少年は尻尾をくるりと回して触っていた。泊瀬谷はその姿をじっと見つめ、名前を尋ねてみた。 「ぼくは、ヒカルだよ」 「…ヒカルくん?」 「うん。いぬがみヒカルだよ」 犬上ヒカル? 「せんせー。ぼく、よるが好きだな。だって、だれもいないんだもん」 足をぶらつかせながら、ヒカルは毛並みを揺らしていた。 もちろん、泊瀬谷が担当する犬上ヒカルはもちろん高等部の生徒だ。 教室の入り口で泊瀬谷は、どこか胸を締め付けられるような思いをしていた。 毛並みも白いし、尻尾もたわわ。それにしても、同じ名前にしても姿が似すぎているではないか。 「せんせー、しっぽ。しっぽが」 手の爪に毛を引っ掛けている困った顔のイヌの少年は、ネコのような声で泊瀬谷を呼ぶ。爪には白い毛がまとわり付いて、 少年はそれを取るのに難儀をしている。換毛の季節、風紀委員の因幡も身だしなみに気をつけるように、 と朝礼で言っていたっけ。泊瀬谷は少年の尻尾を気にするが、それ以上に気になったのが窓の外。 ぐずりかけていた曇り空はどこに行ったのか、甘い菓子のような星空が学園を飲み込んでいた。 さらに、黒板に残されていた日にち。日直が消し忘れたのか「5月28日 金曜日」と殴り書きされたまま。 確か、28日は木曜日のはず…。泊瀬谷の不思議そうな顔をよそに少年は体を丸めて、尻尾の手入れをしようとしていた。 「あぶないよ」 机から落ちそうになる少年の肩を掴んで、体を支えると少年の髪のにおいがした。 初めてヒカルに自転車に乗せてもらって、学校の坂を下ったときのこと。 そのときと同じにおいがしたような気がする。少年の尻尾が泊瀬谷の脚をパタパタと叩いた。 毛玉がふわりと宙を舞う。よくよく見ると少年の尻尾は乱れている。 「…ちゃんと身だしなみをしないと、だめだぞ」 「うん」 「…先生が、といてあげよっか?」 どうしてこんなことを言ったのだろう。 だって、風紀委員の因幡が換毛の季節だからって。 だって、自分の生徒が困っているからって。 泊瀬谷はけっして自分は悪くないぞ、わたしは先生だ、と言い聞かせながら職員室まで自分の櫛を取りに行った。 職員室はいまだ、帆崎、サン両先生は帰っていない。缶コーヒーも、PCも泊瀬谷が職員室を出たままの姿を保っている。 (みんな、どこにいったんだろう) バックから櫛を取り出し、誰もいない職員室をあとにして ヒカルの待つ自分の教室に泊瀬谷はパタパタと駆けて行く。窓の外は星の空。空に瞬く星粒をつまみ食いしてもいいんじゃないのか。 星をひとつ摘めば、甘い砂糖の味がするのではないのか。手を伸ばせば星なんかわたしにだって…。 そう考えているうちに教室に着くと、ヒカルが机の下でしくしくと涙をこぼしているのが見えた。 お尻をさすっているところからして、誤って机から落っこちたらしい。幸い怪我はない様子。 「大丈夫!?」 「う、うん…。痛いよお」 お尻を痛そうにさするヒカルを泊瀬谷は抱きかかえ、頭を撫でてなぐさめる。 目を離した間にこんな痛い目にあわせてしまって、泊瀬谷は後悔の念にかられた。 ヒカルは片手で涙をぬぐい、もう片手で泊瀬谷のスカートを掴む。 「ほら…。先生が尻尾をといてあげるから、ね。もう、泣くのはおしまい」 「うん」 泊瀬谷は生徒の机に腰掛けて、自分の膝の上にヒカルを座らせる。柔らかそうな尻尾をブンと上げて泊瀬谷に差し出すと、 櫛は尻尾に深く入り込み、落ちかけた毛を引っ掛けながらといてやる。ふわりと舞う毛は泊瀬谷の服にまとわり付くが、 そんなことは気にしない。何故なら、ヒカルの温もりとにおいを感じることが出来たのだから。 時計の針は休まず回るということを忘れるぐらい、泊瀬谷はヒカルの白い毛並みをといている。 「ヒカルくんの毛って、柔らかいね」 「へへへ。くすぐったいよ」 「爪の間もちゃんととかなきゃいけないよ」 小さなヒカルの手を泊瀬谷が握ると、といたばかりの尻尾をぶんぶんっと振るヒカル。 とかれたばかりの尻尾は、自慢げに薄暗い教室で光っているようにも見えた。 「ほら。うなじの所もちゃんととかなきゃいけないよ」 襟首から覗く白い毛並み。櫛でといてあげる前に、泊瀬谷はその中に渦盛りたい衝動にかられる。 背後からやさしくぎゅうっと腕を回して、泊瀬谷はヒカルを抱きしめたい気持ちにかられる。 この子の親でも姉でもなんでもないのに、泊瀬谷は白いイヌの少年と一緒にいることに胸を躍らせた。 が、ヒカルのか弱い声でそんな衝動は消え去った。 「もうすぐ、夜が逃げちゃうよ…」 「夜?」 「うん。夜が逃げちゃう前に、さよならしなきゃ…」 「どこに行くの?」 「…どこだろう」 しばらく二人の間に夜が消える空気が流れた。 泊瀬谷は襟首の毛並みをときながらヒカルに話しかけると、ヒカルはイヌミミをくるりと泊瀬谷の方に向けて、静かに聞いた。 「先生の言うことを聞いてくれる?わたしね…ヒカルくんが大きくなったら、ヒカルくんの先生になるの」 「先生に?」 「そう。だから、ヒカルくんの先生になるまで、ヒカルくんはもっと強い子になろうね。先生からの宿題だよ」 「うん。がんばる」 櫛がだんだん白くなるにつれて、窓の外も東の空が白くなり始めてくる。星も街から忘れ去られそうになる。 それに気付いたのか、はたまた本能なのかヒカルは尻尾を立てて窓のほうを向いた。 「夜が消えちゃうよ!」 「ほんとだね。夜が逃げちゃう…」 「消えちゃうよ…、逃げちゃう…」 窓辺に駆け寄り、起きつつある街をヒカルは悲しげに眺めていた。 泊瀬谷もヒカルの側に立ち、ぽんと肩を叩く。 「先生…また、会おうね」 「うん。約束だぞ」 「……うん」 「泣いちゃダメよ」 ヒカルは泊瀬谷の腰に抱きつき、ブラウスを濡らしていた。 「そしたら、先生が飴玉あげるからここで待っててね」 「うん」 泊瀬谷は自分の机に忍ばせている飴玉を取りに職員室に向かった。 しかし、泊瀬谷が教室に戻って来たときにはヒカルは既に姿を消していた。窓の外がさき程より明るくなっていた。 ―――「はせやせんせー。先生、朝ですよ」 「夜が消えちゃうよお…むにゃむにゃぁ…。明るくなっちゃう…」 「ははっ。うっそでーす、まだ夜ですよ」 泊瀬谷が机から起き上がると帆崎、サン・スーシが両脇に立っていた。 はっと尻尾を跳ね上げた泊瀬谷は職員室の時計を慌てて見るが、彼が指す時は9時25分。 きょろきょろと首を振り、目をこすりながら泊瀬谷は声を絞り出す。 「あれ…、教室は?ヒカルくんは?」 「気持ちよさそうに寝てましたね。ヒカルくんってか、ここに生徒がいる訳ないですよ」 「ですよね…。あれ…?教室は?」 どっと笑う帆崎、サン・スーシ。採点をやりかけているテスト用紙を前に泊瀬谷は少し恥ずかしくなった。 「そうそう、泊瀬谷先生。ヒカルくんと言えばですね、この間、ヒカルくんは奇妙な夢を見たそうでして」 「ほう、サン先生。気になりますな」 「なんでも、ヒカルくんが学校に来ると初等部の制服を着た泊瀬谷先生が教室に居てですね…」 「面白そうな話じゃないですか。それじゃ、この続きは食事でもしながら…」 帆崎は泊瀬谷の肩を叩き、ニコニコと笑う。サン・スーシの尻尾は振り切れんばかりであった。 なんでも帆崎は、ルルから「おいしいレストランを見つけたからみんなで一緒に」という電話を受けてこれから向かうところだったのだ。 外では雨音が聞こえ始めている。今夜は自転車での帰宅は無理であろう。 タクシーを呼んでいるし、ルルも喜ぶからせっかくなら泊瀬谷先生もご一緒に、とのこと。 サン・スーシはお絵描きチャットを終えて、PCをシャットダウンする準備に取り掛かっている。 「それじゃ…、ご一緒させて頂こうかな。サン先生の奢りで」 「サン先生!ゴチになります!!」 「ええ?は、はは。端から端までのメニュー全部!…て?あはは」 明日できることは明日しようと、仕事を切り上げ三人揃って食事に行くことにした。 レストランで既に『またたび酒』をルルが勝手に注文して待っていた。 おしまい。

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