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スレ5>>473-520 ヒカルの御堂家訪問後編」(2009/04/23 (木) 03:02:23) の最新版変更点

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**ヒカルの御堂家訪問 後編 [[前編>スレ5>>473-520 ヒカルの御堂家訪問前編]] 「ここが親父の部屋だ」 「……」 俺の部屋から二部屋隣に有る、親父の書斎兼仕事部屋の前に俺とヒカルは到着した。 俺達の前で堅く閉ざされた重厚な書斎の扉は、果してヒカルにとっては如何見えているのだろうか? 皇帝が控える謁見の間へ続く扉か、それとも暗黒の魔王が待ち構える部屋へ続く扉か。 そのうちのどっちなのかは、彼の緊張した横顔からは読み取る事は出来ない。 そう考えている俺へ、唐突にこちらへ顔を向けたヒカルが問いかけてきた 「ねえ、今、ぼく達が部屋に入ってきたらお父さんの仕事の邪魔になったりしないかな…?」 「あ? ああ、この時間だと今は筆を休めている頃だろうし、入っても大丈夫だろう」 「え? そうなんだ…」 「親父はな、執筆作業をするのは1日に8時間まで、と決めてるんだ。 ンで、その理由を聞いてみると、何も親父が言うには『それ以上は疲れる』だって。 実にシンプルな理由というか、ただやる気がないだけというか……」 「へぇ…」 俺の呆れ混じりな返答に、感心しているのか呆れているのか分からない相槌を漏らすヒカル。 しかし、俺は彼のその態度にムッとする事は無かった。 そう、俺には一目で分かったのだ。今のヒカルは極度の緊張状態に置かれていると。 ……その証拠に、彼の尻尾と頭の毛がこれまでに無いくらいに逆立っている。 やれやれ、何処までも世話を焼かせるんだろうか、この文学少年は。 「さて、と、何時までも部屋の前でうだうだしている前に、とっとと入るかね」 「え!? 、ちょ、まだ心の準備が…ふぎゅ」 「親父、前に俺が言ってた大ファンの子、連れてきたぜ」 慌てて止めようとするヒカルのマズルを片手で抑えつけ、俺は盛大にドアをノックしながら声を上げる。 そして、そのまま数瞬ほどの間を置いて―― 「入れ」 うっかりしていたら聞き逃しそうな低いトーンの一言が、ドアの向こうから返って来た。 俺は義母さん譲りのスマイルを唖然とするヒカルの方へと向けて 「さあ、許可が出たぜ。早速入るとしようか」 「す、卓君…酷いじゃないか、まだこっちの心の準備が出来てないってのに…」 「あのな、だからと言って心の準備云々ってやってたら、それこそ親父の仕事の邪魔になるやも知れないんだぞ? お前はそれでも良いのか? ヒカル。…まあ、良いって言うんだったら俺は別に構いやしないけど」 「う…卓君はやっぱりずるいよ…」 ヒカルはまだ文句が言いたげだったが、俺は構う事無くドアのノブヘと手を伸ばす。 手に独特の抵抗を感じ、ガチャリと言う音が鳴り響くと、重厚な扉は俺の手によってゆっくりと開いていった。 「親父、失礼するよ」 「……」 悠然と部屋へと入る俺に続く様に、ヒカルは恐る恐るといった感じで部屋に入る。 其処に広がっていたのは、天井一杯の高さの本棚に整然と並べられた古今東西多種多様の本であった。 小説は元より漫画本に辞書、科学専門誌や生物図鑑、果てや解析不明の文字で書かれた奇妙な本まで、 それらが種類毎にあいうえお順になって整然と並べられていた。 それを前にしたヒカルの口から感嘆の溜息が漏れるのも無理はないだろう。 何せ息子の俺ですらも、この親父の部屋に本が何冊あるのか分かっていないのだ。 ……ひょっとすると、当の親父自身ですらも把握してはいないかも知れないが。 「……」 その書斎の最奥にある、本棚に囲まれた古びた机の前に座る、 『片耳のジョン』の様に右の片耳が途中で失われた灰色の毛皮の狼人の男性。 彼は口の端に咥えたパイプをぷかぷかと吹かしながら、部屋に入ってきた俺達を見守っていた。 尻尾をゆっくりと揺らす彼を俺は掌で指し示し、ヒカルへ紹介する 「そう、この人がお前の憧れの池上 祐一大先生であり、俺の親父でもある御堂 謙太郎(みどう けんたろう)だ」 「この人が…」 俺の紹介の後、ヒカルはある疑問に至ったらしく、はと俺の方へと振りかえる。 だが、ヒカルが何かを言い出そうとする前に、俺は静かにその口を軽く押さえ、頭を横に振る。 ヒカルも直ぐに俺が止めた理由を察したらしく、それ以上は言おうとはしなかった。 そんな俺とヒカルのやり取りに気付いてか気付いていないか、親父が低いトーンで俺へ問う。 「その子か?」 「ああ、こいつがこの前言ってた犬上 ヒカル。俺のクラスメイトだ」 「そうか」 俺の返答に対し、親父はポツリと簡潔に返す。 そのまま緊張しているヒカルをつぶさに観察する様に暫し無言で眺めた後、 親父はゆっくりとした動きで俺に退室する様にと手でジェスチャーを送ってきた。 親子同士の言葉を超えた関係、と言うのだろうか、それで何となく親父の意図を察した俺はヒカルへ言う。 「どうやら、親父はお前と一対一で話したいんだとさ、ヒカル」 「へ?…な、何で?」 「さぁな? 俺にも親父の考えている事はさっぱり分からんよ。 ま、そー言う訳でお邪魔な俺はとっととお暇しますわ」 「ちょ、卓君!? ちょっと待―――」 慌てて何かを言おうとしたヒカルの姿を、バタンと言う音と共に重厚な扉が覆い隠した。 これから親父がヒカルに対して何を言って、何を話すのかは俺には全く分からない。 まあ、流石に色々な意味で食われる事はないだろう。親父にそのテの趣味は無いと思いたいし。 もしあったらあったで貴重な体験が出来たと思ってくれれば……いや、流石にそれは駄目だな。色々な意味で。 「…あの人があんなに嬉しそうなの、久しぶりね」 「義母さん…」 背に掛かった声に振り返ってみれば、其処にあったのは漆黒の尻尾を揺らす義母さんの姿。 声を掛けられるまで気配を全く感じなかった。自分の義母ながら流石は黒豹と感心。 にしても、親父が嬉しそう? 俺が見た限りじゃその様子は全く見えなかったんだが…? 「あの人の表情はね、長く連れ添った私だけに分かるのよ、憶えて頂戴」 俺の表情を読みとってか、義母さんは年相応の穏やかな笑みを浮べ、俺へ言い聞かせる様に言う。 ……俺が生まれる20年以上も前、小説家と担当と言う関係から愛が芽生えて結婚した親父と義母さん。 以来、楽しい時も嬉しい時も苦しい時も悲しい時も、何時だって二人で分かち合って過ごしてきた。 そんな関係だからこそ、他人には決して分からない親父の微小な変化を、義母さんは読み取れるのだろう。 俺も、何時かは朱美とそう言う関係になれるのだろうか?……今はまだ、分からないままだ。 「…今までね、あの人の所にファンが来たって事はなかったのよ。 元から口下手な性格もあって、あの人、ファンの人が自分と会っても面白くないんだろうかって、独りで不安になってね。 それで、自分の住所とか電話番号とか一切伏せちゃって、一回も来させた事がなかったのよ」 ドアの向こうに居るヒカルと親父を眺める様に、何処か遠い眼差しで語り始める義母さん。 「でも、何と言うのかしらね? ヒカル君。  あの人は卓ちゃんの話を聞いて、若い頃の自分と重ねて見ちゃったのかしら。 無口で、人嫌いで、本だけが唯一の友達で、狼なのにわざわざ人を遠ざけていたあの人の若い頃。 それが今のヒカル君と殆ど同じだったから、あの人はヒカル君なら来ても良いって思ったのかしらね」 「…………」 俺は何も言わない――いや、言う事は出来ない。 ここで俺が何か一言でも言えば最後、義母さんが浮べている恋する乙女の表情が泡の様に消えてしまいそうだから。 寡黙で人嫌いな狼の小説家の青年へ恋心を抱く、黒豹のうら若き女性の純粋な気持ち。 それは20年以上たった今も尚、義母さんの中へ消えずに在り続けている。 ここまで想われている親父が、何だか羨ましい。 「あの子にも、何時かは私と同じ様に想ってくれる人が出来るのかしら? 出来るわよね? いや、ひょっとしたらもう出来ているのかも? あの子、あの人の若い頃に似て結構可愛いから」 義母さんの話を聞いている内に、俺は何時の間にかある新米教師の顔を思い浮かべていた。 だが、俺は直ぐに、それは流石に有り得ないだろうと、その考えを思考のゴミ箱へと放り捨てた。 幾らなんでも、そう言う考えは邪推に過ぎる。俺の勘違いは、あの新米教師にとっては迷惑な事この上ないだろう。 そう、人の勝手な思い込みほど、人を傷付けるものは無いのだから。 と、義母さんの話が終わり、俺が何かを言おうとした矢先、ガチャリと重厚な扉が開いた。 「……」 出てきたのは、両手で大きな封筒を後生大事に抱えたヒカル。 彼のその白い尻尾はフルフルとなんとも言えない動きを見せている。 さっきまで、ヒカルは親父と如何言う話をしていたのだろうか? 胸に抱えたその封筒の中には何が入っているのだろうか? 色々な疑問が頭の中で湧いては消えて行く。 「…どうだった、親父と何か話したのか?」 「ぼく…今日と言う日を一生忘れないよ」 「……?」 質問した所で返って来たヒカルの妙に意味深な台詞に、俺は思わず首を傾げてしまった。 一生忘れられない……どっちの意味で? まさか、親父……ヒカルに変な事してないだろうな? いや、親父に限ってそんな事は…しかし、万が一って可能性もある。 う~ん、考えているだけで何だか凄く不安だ。 「卓君、本当にありがとう。君に招待されてなかったらこう言うチャンスは2度と訪れなかった」 「そ、そうか…そいつは良かったな」 「あらあら、良かったわね。ここまで喜んでくれるなんて、あの人の妻としても嬉しい限りだわ」 …どうやら凄く喜んでいる様で。尻尾の振りは勿論の事、目の輝きが違う。 この様子を見る限り、俺はヒカルを家に呼んで正解だった様だ。彼は何物にも換え難い宝物を得たようだから。 それにしても、こいつがここまで喜んでいる姿は初めて見る。 多分、今までに舞いあがるヒカルを見たのは佳望学園の生徒では俺だけかもしれない。 ……まあ、後でこの事を他の誰かに話したとしても、誰一人として信用してくれなさそうだが。 と、そうやっている間に気が付けば、時計の短い針は時刻が夕刻に差し掛かっている事を報せていた。 「あら、時間が経つのって早いわねぇ? ヒカル君、ご両親が心配すると悪いから、暗くなる前に早くお家に帰りなさい」 「…は、はい」 「卓ちゃん、電停までヒカル君の事、頼んだわよ?」 「はいはい」 義母さんは言うだけ言うと、はと何かを思い出したのか、 「ちょっと玄関で待っててね」と言う言葉を残し、パタパタとスリッパを鳴らして下の階へと駆けて行った。 うーむ、義母さんの事だからまた何かやらかしそうな予感。 しかし独りで不安になっている訳にも行かず、俺はヒカルを連れ立って1階の玄関へ。 「まってまってまって~、卓ちゃん、ヒカル君、帰るのはちょっと待って」 「義母さん、一体なんだよ……慌てなくても待ってるぜ?」 そのまま俺が靴を履こうとした所で、片手に紙袋を下げた義母さんが慌てた調子でやってきた。 恐らく、俺の予想が正しければ、義母さんの持っている紙袋は……。 「ハイ、ヒカル君。これ、お土産のケーキ。ご両親と食べて頂戴」 「え? いや、その…そんなに気を使わなくても…」 「良いの良いの。 私の趣味みたいな物だから、遠慮しなくても良いのよ」 「……」 紙袋の中身は俺の予想通り、義母さんが腕によりをかけて作った手作りケーキ。 当然、ヒカルは受け取るのを遠慮する物の、結局は義母さんの強い押しにあっさりと屈し、素直に受け取った。 そして、夕日が辺りを黄昏色に染める夕暮れ時。 彼方此方の家の台所の窓から、夕飯の準備の匂いが漂う藤ノ宮電停へと向かう道を、 俺は両手にお土産をぶら下げたヒカルと共に歩いていた。 「ねえ、卓君…」 「ん、何だ?」 「いや、何でも無い…」 如何言う訳か、ヒカルは家を出てからと言うものこの調子。 俺に何かを聞こうとしては、途中で思い止まって言葉を止めてしまうを繰り返す。 恐らく、ヒカルは親父の部屋で言おうとした、俺の家族に関するある事を聞こうとしているのだろう。  そうなるのも無理も無い。けど、何時までもこうやっていても仕方が無いし。そろそろ切り出すとしよう。 「……父親が狼で母親が黒豹なのに、息子の俺が人間ってのおかしいとおもったんだろ?」 「あ、う、うん…」 考えていた事を俺にズバリと言い当てられ、 ヒカルは一瞬驚いた表情を浮べ、そして直ぐに尻尾を丸めて俯いた。 しかし、それに構う事無く、俺は話を続ける。 「実は言うとな、血の繋がった本当の両親は俺が赤ん坊、旅行先に事故にあって帰らぬ人になってるんだ。 んで、孤児になった俺が、親戚中をたらい回しにされている所を引き取ったのが、 他ならぬ実の母と親しい関係だった親父と義母さんだった訳」 「……」 俺の語った話に、ヒカルは悪い事をしてしまったかのように耳を伏せ顔を俯かせる。 御堂家の家族構成に疑問を感じた人が、本当の話を聞いてしまった時に必ずと言って良い程に浮べる表情。 他人の知ってはいけない、触れてはいけない部分を聞いてしまった罪悪感と言う黒雲が浮べさせる暗い表情。 多分、ヒカルもまた、その罪悪感によって心の内をどんよりと曇らせている事だろう。 だが、そんな時は俺は何時も、その黒雲を晴らす為に太陽のような笑顔を浮かべて言ってやるのだ。 「別に気にするなよ。俺の親友の利里だって朱美だって、俺の家族見て最初は同じ疑問を聞いてきたんだ。 『両親と種族が違うけど、何で?』ってな。でもな、血の繋がりが無いから何だっての。 血が繋がらなくとも、俺達が家族で有る事には何ら変わりは無いんだ」 「……」 「親父は寡黙だけど、あれでも俺の事はキチンと見守ってくれているし。 義母さんも義母さんで、少々お節介な所があるけど、実の息子の様に俺の事を深く愛してくれている。 それで良いんだよ。家族ってのは血の繋がりや戸籍とかじゃなくて、愛で成り立ってると俺は思ってる。 だから俺も気にしちゃいないし、お前も気にすんなよ」 「……」 ヒカルは最後まで、黙って俺の話を聞いていた。 そのまま暫く経った後、いきなりプっ、と噴き出して俺へ言う。 「愛とかって…まるでヨハン先生みたいな事を言うね、卓君」 「…っ! い、言うに事欠いて出たのはその台詞か!? この文学少年がっ!」 うん、心の黒雲の晴れた良い笑顔だ。しかし、よりによってヨハン先生をここで出すか!? おかげで俺の良い話がヨハン先生の受け売りっぽくなって全部台無しじゃないか! チクショウっ! 顔を引き攣らせて愕然とする俺を、ヒカルの奴はイタズラの成功したサン先生みたいに腹を抱えて笑う。 「プッ、あはは、図星だね。――って、耳引っ張るの止めて、アハハ」 「くっそー、触り心地の良い耳をしやがって! こんなラブリーな犬耳なんて揉みしだいてやるぅっ!」 「止めてって、くすぐったいじゃないか。ぷっ、あははは」 そして、夕暮れの太陽が暖かく見守る中、 笑い声と共に、イヌと人間の少年二人がじゃれ合う影が、遠くの何処までも続いていたのだった。                           *  *  * かくて、ヒカルにとっては大冒険にも等しい我が御堂家招待ツアーも終わり。 日が落ちて再び日が昇れば何時もの通りの、少し気だるく生暖かい日常は戻ってきた。 あれから、ヒカルは少しは俺に対する態度が変わったかと思えば、さにあらず。 朝、教室に入った俺が「ヨッス」と挨拶をしても、本を読んでいる彼は俺を一瞥するだけで一言も返さなかった。 其処にいたのは何時もの通りの。無口で人嫌いで本だけが友人のイヌ族らしくないクラスメイトであった。 まあ、人の性格が1日やそこらで変えられる筈も無いのは俺自身よく分かっていたし、 これも仕方が無いかと思う事にした。 その中で、たった一つだけ変わった事とすると……。 「ったく、利里の奴も朱美も、家の都合で学校に来てないなんてな……。 今日は独り寂しくお弁当タイムですか、なんかやってらんねぇな」 その日の昼休み、俺が愚痴を漏らしながらやってきたのは、春の日差しも眩しいいつもの学校の屋上。 しかし、その隣に何時もいるであろう利里の大きな姿は無く、少々物寂しい。 と言うのも、何も利里の奴はこの日、祖母の三回忌で鹿児島にいるそうで……帰って来るのは明後日だそうだ。 ならばと意を決して朱美を誘ってみようと思ったのだが、朱美も朱美でNG。 何も、ザッキーから聞いた所によると、重要な用事があってこの日は来れないとの電話があったそうな。 如何言う重要な用事なのかは分からないが、何も学校を休むまでの用事なのだろうか……? (尚、後日聞いた話によると、その日、朱美は四月に廃止されるとあるローカル私鉄に乗りに行ってたそうで……。 その事実を知ったザッキーといのりんが怒りで毛を逆立てたのは言うまでもない事だろう) それならば、いっそのこと他の奴を誘えばと一瞬、思いはしたのだが、、 何時も利里とつるんでいる俺が今更、他のグループの輪に入るのは何処かこっぱずかしい物があって出来ず。 結局、俺はなし崩しに昼休みに突入してしまった。 まあ、そう言う理由もあって、この日に限っては、俺は独り寂しくお弁当タイムとなった訳である。 義母さんが作ってくれた3段重のお弁当も、この日ばかりは何処か寂しそうである。 「ま、こう言う日もあるさ…」 独り誰もいない空へ呟いて、俺は弁当包みを開く。 中に広がっているのは義母さんによって厳密に栄養計算をした上で色取り取りに盛り合わされた豪華なおかず達。 しかし、義母さんが腕によりをかけた弁当の中身も、見て味わうのが俺だけじゃ物足りなかろう。 「…凄い弁当だね」 弁当に箸を付けようとした所で、唐突に背に掛かった声に俺が少しギョッとしつつ振り向けば、 其処にいたのは何とヒカルの姿。その手には購買部で買った物だろう小さな紙袋とパック牛乳。 恐らくは昼飯を食いに来た、といった所だろうが……確か、何時もなら誰もいない場所で食ってた筈だよな? 「それ、お母さんが作ったの?」 「あ、ああ…」 驚きの余り、うめく様に答える事しか出来ない俺の様子に構う事無く、 ヒカルは俺から約数メートルほど離れた場所のベンチに腰を落ちつかせた。 そして、紙袋から取り出した佳望学園購買部特製日替わり名物、カレーヤキソバパンをぱくつき始めた。 そのまま何も語らう事無く昼飯を食べつづけて約数分、先に言葉を発したのは驚いた事にまたもヒカルだった。 「所でさ、卓君のお父さんの部屋。…ぼくが見た事の無い本がいっぱいあったね」 「あ、ああ、そうだな」 確かに、親父の部屋には如何言うルートで手に入れたか分からない本が沢山ある。 中には、かなり昔に絶版となって今や古書マニアが血眼になって探し続けている本もある。 しかし、それに如何言う価値があるかとか、そう言うのには余り興味が無い俺には全く分からないのだが……。 「出来れば…その、本を貸してくれたらなって…」 「……は?」 「い、いや、迷惑なら貸してくれなくても良いんだ。 …ただ、ちょっとだけ、読んで見たいなって思っただけで…」 恥かしそうに顔を俯かせ、言葉を萎ませて行くヒカル。 なるほど、こいつがわざわざここまで来た理由は、俺にこれを頼む為と言う理由があったからって訳か。 「良いぜ」 「…へっ?」 俺の返答が理解できなかったのか、思わず耳をピンと立てて疑問符を漏らすヒカル。 其処から数瞬ほどの時間を置いて、ようやく俺の言った事を理解した彼が顔を上げて、 「ほ、本当に良いの?!」 「ああ。どうせ親父の部屋においてても埃を積もらせるだけだからな。 だったら、本が好きな奴に大切に読んでもらった方が、本にとっても幸せだろうと思ったし。 それに、お前ならば親父も良いと言うだろう。……けど、ただしだ。代わりに二つ守ってもらう約束がある」 「守ってもらう約束…」 俺の言い出した『約束』の言葉に、ヒカルの表情に不安が過ぎる。 貴重な本の貸し出しと引き換えに言いつけられる約束。果してどれくらい厳しい物なのだろうか? と、ヒカルの頭の中には色々な想像がサイダーの泡の様に浮かんでは消えている事だろう。 しかし、俺はその想像を打ち消す様に、良い笑顔でサムズアップして言う。 「返却は一週間厳守、そしてこの事は他の奴には秘密な?」 「……そ、それだけ?」 ポカン、と呆気に取られた表情で聞き返すヒカル。 俺は胸を張って答える。 「当前だ、学校の図書館も貸しだし期間は一週間って決まってるしな。 それに、俺の家に貴重な本があると知って、それで悪さする奴が校内にいないとも限らないからな。 だから、借りる以上はそれだけは守ってもらうぞ?」 「う、うん。守るよ、絶対に守るよ!」 「よし、良い返事だ。……で、最初は何を借りたいんだ?」 ヒカルは暫く悩んだ後、意を決した様に顔を上げて、その本の名を告げる。 「そうだね…先ずは――――」 ……そう、たった一つだけ変わった事。 それは、俺とヒカルだけの秘密のやり取りが行われる様になった事。 恐らく、利里や朱美ですらも知らない、秘密の関係が出来た事。 たった、それだけだ。 ――――――――――――――――――――――了――――――――――――――――――――――
**ヒカルの御堂家訪問 後編 [[前編>スレ5>>473-520 ヒカルの御堂家訪問前編]] 「ここが親父の部屋だ」 「……」 俺の部屋から二部屋隣に有る、親父の書斎兼仕事部屋の前に俺とヒカルは到着した。 俺達の前で堅く閉ざされた重厚な書斎の扉は、果してヒカルにとっては如何見えているのだろうか? 皇帝が控える謁見の間へ続く扉か、それとも暗黒の魔王が待ち構える部屋へ続く扉か。 そのうちのどっちなのかは、彼の緊張した横顔からは読み取る事は出来ない。 そう考えている俺へ、唐突にこちらへ顔を向けたヒカルが問いかけてきた 「ねえ、今、ぼく達が部屋に入ってきたらお父さんの仕事の邪魔になったりしないかな…?」 「あ? ああ、この時間だと今は筆を休めている頃だろうし、入っても大丈夫だろう」 「え? そうなんだ…」 「親父はな、執筆作業をするのは1日に8時間まで、と決めてるんだ。 ンで、その理由を聞いてみると、何も親父が言うには『それ以上は疲れる』だって。 実にシンプルな理由というか、ただやる気がないだけというか……」 「へぇ…」 俺の呆れ混じりな返答に、感心しているのか呆れているのか分からない相槌を漏らすヒカル。 しかし、俺は彼のその態度にムッとする事は無かった。 そう、俺には一目で分かったのだ。今のヒカルは極度の緊張状態に置かれていると。 ……その証拠に、彼の尻尾と頭の毛がこれまでに無いくらいに逆立っている。 やれやれ、何処までも世話を焼かせるんだろうか、この文学少年は。 「さて、と、何時までも部屋の前でうだうだしている前に、とっとと入るかね」 「え!? 、ちょ、まだ心の準備が…ふぎゅ」 「親父、前に俺が言ってた大ファンの子、連れてきたぜ」 慌てて止めようとするヒカルのマズルを片手で抑えつけ、俺は盛大にドアをノックしながら声を上げる。 そして、そのまま数瞬ほどの間を置いて―― 「入れ」 うっかりしていたら聞き逃しそうな低いトーンの一言が、ドアの向こうから返って来た。 俺は義母さん譲りのスマイルを唖然とするヒカルの方へと向けて 「さあ、許可が出たぜ。早速入るとしようか」 「す、卓君…酷いじゃないか、まだこっちの心の準備が出来てないってのに…」 「あのな、だからと言って心の準備云々ってやってたら、それこそ親父の仕事の邪魔になるやも知れないんだぞ? お前はそれでも良いのか? ヒカル。…まあ、良いって言うんだったら俺は別に構いやしないけど」 「う…卓君はやっぱりずるいよ…」 ヒカルはまだ文句が言いたげだったが、俺は構う事無くドアのノブヘと手を伸ばす。 手に独特の抵抗を感じ、ガチャリと言う音が鳴り響くと、重厚な扉は俺の手によってゆっくりと開いていった。 「親父、失礼するよ」 「……」 悠然と部屋へと入る俺に続く様に、ヒカルは恐る恐るといった感じで部屋に入る。 其処に広がっていたのは、天井一杯の高さの本棚に整然と並べられた古今東西多種多様の本であった。 小説は元より漫画本に辞書、科学専門誌や生物図鑑、果てや解析不明の文字で書かれた奇妙な本まで、 それらが種類毎にあいうえお順になって整然と並べられていた。 それを前にしたヒカルの口から感嘆の溜息が漏れるのも無理はないだろう。 何せ息子の俺ですらも、この親父の部屋に本が何冊あるのか分かっていないのだ。 ……ひょっとすると、当の親父自身ですらも把握してはいないかも知れないが。 「……」 その書斎の最奥にある、本棚に囲まれた古びた机の前に座る、 『片耳のジョン』の様に右の片耳が途中で失われた灰色の毛皮の狼人の男性。 彼は口の端に咥えたパイプをぷかぷかと吹かしながら、部屋に入ってきた俺達を見守っていた。 尻尾をゆっくりと揺らす彼を俺は掌で指し示し、ヒカルへ紹介する 「そう、この人がお前の憧れの池上 祐一大先生であり、俺の親父でもある御堂 謙太郎(みどう けんたろう)だ」 「この人が…」 俺の紹介の後、ヒカルはある疑問に至ったらしく、はと俺の方へと振りかえる。 だが、ヒカルが何かを言い出そうとする前に、俺は静かにその口を軽く押さえ、頭を横に振る。 ヒカルも直ぐに俺が止めた理由を察したらしく、それ以上は言おうとはしなかった。 そんな俺とヒカルのやり取りに気付いてか気付いていないか、親父が低いトーンで俺へ問う。 「その子か?」 「ああ、こいつがこの前言ってた犬上 ヒカル。俺のクラスメイトだ」 「そうか」 俺の返答に対し、親父はポツリと簡潔に返す。 そのまま緊張しているヒカルをつぶさに観察する様に暫し無言で眺めた後、 親父はゆっくりとした動きで俺に退室する様にと手でジェスチャーを送ってきた。 親子同士の言葉を超えた関係、と言うのだろうか、それで何となく親父の意図を察した俺はヒカルへ言う。 「どうやら、親父はお前と一対一で話したいんだとさ、ヒカル」 「へ?…な、何で?」 「さぁな? 俺にも親父の考えている事はさっぱり分からんよ。 ま、そー言う訳でお邪魔な俺はとっととお暇しますわ」 「ちょ、卓君!? ちょっと待―――」 慌てて何かを言おうとしたヒカルの姿を、バタンと言う音と共に重厚な扉が覆い隠した。 これから親父がヒカルに対して何を言って、何を話すのかは俺には全く分からない。 まあ、流石に色々な意味で食われる事はないだろう。親父にそのテの趣味は無いと思いたいし。 もしあったらあったで貴重な体験が出来たと思ってくれれば……いや、流石にそれは駄目だな。色々な意味で。 「…あの人があんなに嬉しそうなの、久しぶりね」 「義母さん…」 背に掛かった声に振り返ってみれば、其処にあったのは漆黒の尻尾を揺らす義母さんの姿。 声を掛けられるまで気配を全く感じなかった。自分の義母ながら流石は黒豹と感心。 にしても、親父が嬉しそう? 俺が見た限りじゃその様子は全く見えなかったんだが…? 「あの人の表情はね、長く連れ添った私だけに分かるのよ、憶えて頂戴」 俺の表情を読みとってか、義母さんは年相応の穏やかな笑みを浮べ、俺へ言い聞かせる様に言う。 ……今から20年以上も昔、小説家と担当と言う関係から愛が芽生えて結婚した親父と義母さん。 以来、楽しい時も嬉しい時も苦しい時も悲しい時も、何時だって二人で分かち合って過ごしてきた。 そんな関係だからこそ、他人には決して分からない親父の微小な変化を、義母さんは読み取れるのだろう。 俺も、何時かは朱美とそう言う関係になれるのだろうか?……今はまだ、分からないままだ。 「…今までね、あの人の所にファンが来たって事はなかったのよ。 元から口下手な性格もあって、あの人、ファンの人が自分と会っても面白くないんだろうかって、独りで不安になってね。 それで、自分の住所とか電話番号とか一切伏せちゃって、一回も来させた事がなかったのよ」 ドアの向こうに居るヒカルと親父を眺める様に、何処か遠い眼差しで語り始める義母さん。 「でも、何と言うのかしらね? ヒカル君。  あの人は卓ちゃんの話を聞いて、若い頃の自分と重ねて見ちゃったのかしら。 無口で、人嫌いで、本だけが唯一の友達で、狼なのにわざわざ人を遠ざけていたあの人の若い頃。 それが今のヒカル君と殆ど同じだったから、あの人はヒカル君なら来ても良いって思ったのかしらね」 「…………」 俺は何も言わない――いや、言う事は出来ない。 ここで俺が何か一言でも言えば最後、義母さんが浮べている恋する乙女の表情が泡の様に消えてしまいそうだから。 寡黙で人嫌いな狼の小説家の青年へ恋心を抱く、黒豹のうら若き女性の純粋な気持ち。 それは20年以上たった今も尚、義母さんの中へ消えずに在り続けている。 ここまで想われている親父が、何だか羨ましい。 「あの子にも、何時かは私と同じ様に想ってくれる人が出来るのかしら? 出来るわよね? いや、ひょっとしたらもう出来ているのかも? あの子、あの人の若い頃に似て結構可愛いから」 義母さんの話を聞いている内に、俺は何時の間にかある新米教師の顔を思い浮かべていた。 だが、俺は直ぐに、それは流石に有り得ないだろうと、その考えを思考のゴミ箱へと放り捨てた。 幾らなんでも、そう言う考えは邪推に過ぎる。俺の勘違いは、あの新米教師にとっては迷惑な事この上ないだろう。 そう、人の勝手な思い込みほど、人を傷付けるものは無いのだから。 と、義母さんの話が終わり、俺が何かを言おうとした矢先、ガチャリと重厚な扉が開いた。 「……」 出てきたのは、両手で大きな封筒を後生大事に抱えたヒカル。 彼のその白い尻尾はフルフルとなんとも言えない動きを見せている。 さっきまで、ヒカルは親父と如何言う話をしていたのだろうか? 胸に抱えたその封筒の中には何が入っているのだろうか? 色々な疑問が頭の中で湧いては消えて行く。 「…どうだった、親父と何か話したのか?」 「ぼく…今日と言う日を一生忘れないよ」 「……?」 質問した所で返って来たヒカルの妙に意味深な台詞に、俺は思わず首を傾げてしまった。 一生忘れられない……どっちの意味で? まさか、親父……ヒカルに変な事してないだろうな? いや、親父に限ってそんな事は…しかし、万が一って可能性もある。 う~ん、考えているだけで何だか凄く不安だ。 「卓君、本当にありがとう。君に招待されてなかったらこう言うチャンスは2度と訪れなかった」 「そ、そうか…そいつは良かったな」 「あらあら、良かったわね。ここまで喜んでくれるなんて、あの人の妻としても嬉しい限りだわ」 …どうやら凄く喜んでいる様で。尻尾の振りは勿論の事、目の輝きが違う。 この様子を見る限り、俺はヒカルを家に呼んで正解だった様だ。彼は何物にも換え難い宝物を得たようだから。 それにしても、こいつがここまで喜んでいる姿は初めて見る。 多分、今までに舞いあがるヒカルを見たのは佳望学園の生徒では俺だけかもしれない。 ……まあ、後でこの事を他の誰かに話したとしても、誰一人として信用してくれなさそうだが。 と、そうやっている間に気が付けば、時計の短い針は時刻が夕刻に差し掛かっている事を報せていた。 「あら、時間が経つのって早いわねぇ? ヒカル君、ご両親が心配すると悪いから、暗くなる前に早くお家に帰りなさい」 「…は、はい」 「卓ちゃん、電停までヒカル君の事、頼んだわよ?」 「はいはい」 義母さんは言うだけ言うと、はと何かを思い出したのか、 「ちょっと玄関で待っててね」と言う言葉を残し、パタパタとスリッパを鳴らして下の階へと駆けて行った。 うーむ、義母さんの事だからまた何かやらかしそうな予感。 しかし独りで不安になっている訳にも行かず、俺はヒカルを連れ立って1階の玄関へ。 「まってまってまって~、卓ちゃん、ヒカル君、帰るのはちょっと待って」 「義母さん、一体なんだよ……慌てなくても待ってるぜ?」 そのまま俺が靴を履こうとした所で、片手に紙袋を下げた義母さんが慌てた調子でやってきた。 恐らく、俺の予想が正しければ、義母さんの持っている紙袋は……。 「ハイ、ヒカル君。これ、お土産のケーキ。ご両親と食べて頂戴」 「え? いや、その…そんなに気を使わなくても…」 「良いの良いの。 私の趣味みたいな物だから、遠慮しなくても良いのよ」 「……」 紙袋の中身は俺の予想通り、義母さんが腕によりをかけて作った手作りケーキ。 当然、ヒカルは受け取るのを遠慮する物の、結局は義母さんの強い押しにあっさりと屈し、素直に受け取った。 そして、夕日が辺りを黄昏色に染める夕暮れ時。 彼方此方の家の台所の窓から、夕飯の準備の匂いが漂う藤ノ宮電停へと向かう道を、 俺は両手にお土産をぶら下げたヒカルと共に歩いていた。 「ねえ、卓君…」 「ん、何だ?」 「いや、何でも無い…」 如何言う訳か、ヒカルは家を出てからと言うものこの調子。 俺に何かを聞こうとしては、途中で思い止まって言葉を止めてしまうを繰り返す。 恐らく、ヒカルは親父の部屋で言おうとした、俺の家族に関するある事を聞こうとしているのだろう。  そうなるのも無理も無い。けど、何時までもこうやっていても仕方が無いし。そろそろ切り出すとしよう。 「……父親が狼で母親が黒豹なのに、息子の俺が人間ってのおかしいとおもったんだろ?」 「あ、う、うん…」 考えていた事を俺にズバリと言い当てられ、 ヒカルは一瞬驚いた表情を浮べ、そして直ぐに尻尾を丸めて俯いた。 しかし、それに構う事無く、俺は話を続ける。 「実は言うとな、血の繋がった本当の両親は俺が赤ん坊、旅行先に事故にあって帰らぬ人になってるんだ。 んで、孤児になった俺が、親戚中をたらい回しにされている所を引き取ったのが、 他ならぬ実の母と親しい関係だった親父と義母さんだった訳」 「……」 俺の語った話に、ヒカルは悪い事をしてしまったかのように耳を伏せ顔を俯かせる。 御堂家の家族構成に疑問を感じた人が、本当の話を聞いてしまった時に必ずと言って良い程に浮べる表情。 他人の知ってはいけない、触れてはいけない部分を聞いてしまった罪悪感と言う黒雲が浮べさせる暗い表情。 多分、ヒカルもまた、その罪悪感によって心の内をどんよりと曇らせている事だろう。 だが、そんな時は俺は何時も、その黒雲を晴らす為に太陽のような笑顔を浮かべて言ってやるのだ。 「別に気にするなよ。俺の親友の利里だって朱美だって、俺の家族見て最初は同じ疑問を聞いてきたんだ。 『両親と種族が違うけど、何で?』ってな。でもな、血の繋がりが無いから何だっての。 血が繋がらなくとも、俺達が家族で有る事には何ら変わりは無いんだ」 「……」 「親父は寡黙だけど、あれでも俺の事はキチンと見守ってくれているし。 義母さんも義母さんで、少々お節介な所があるけど、実の息子の様に俺の事を深く愛してくれている。 それで良いんだよ。家族ってのは血の繋がりや戸籍とかじゃなくて、愛で成り立ってると俺は思ってる。 だから俺も気にしちゃいないし、お前も気にすんなよ」 「……」 ヒカルは最後まで、黙って俺の話を聞いていた。 そのまま暫く経った後、いきなりプっ、と噴き出して俺へ言う。 「愛とかって…まるでヨハン先生みたいな事を言うね、卓君」 「…っ! い、言うに事欠いて出たのはその台詞か!? この文学少年がっ!」 うん、心の黒雲の晴れた良い笑顔だ。しかし、よりによってヨハン先生をここで出すか!? おかげで俺の良い話がヨハン先生の受け売りっぽくなって全部台無しじゃないか! チクショウっ! 顔を引き攣らせて愕然とする俺を、ヒカルの奴はイタズラの成功したサン先生みたいに腹を抱えて笑う。 「プッ、あはは、図星だね。――って、耳引っ張るの止めて、アハハ」 「くっそー、触り心地の良い耳をしやがって! こんなラブリーな犬耳なんて揉みしだいてやるぅっ!」 「止めてって、くすぐったいじゃないか。ぷっ、あははは」 そして、夕暮れの太陽が暖かく見守る中、 笑い声と共に、イヌと人間の少年二人がじゃれ合う影が、遠くの何処までも続いていたのだった。                           *  *  * かくて、ヒカルにとっては大冒険にも等しい我が御堂家招待ツアーも終わり。 日が落ちて再び日が昇れば何時もの通りの、少し気だるく生暖かい日常は戻ってきた。 あれから、ヒカルは少しは俺に対する態度が変わったかと思えば、さにあらず。 朝、教室に入った俺が「ヨッス」と挨拶をしても、本を読んでいる彼は俺を一瞥するだけで一言も返さなかった。 其処にいたのは何時もの通りの。無口で人嫌いで本だけが友人のイヌ族らしくないクラスメイトであった。 まあ、人の性格が1日やそこらで変えられる筈も無いのは俺自身よく分かっていたし、 これも仕方が無いかと思う事にした。 その中で、たった一つだけ変わった事とすると……。 「ったく、利里の奴も朱美も、家の都合で学校に来てないなんてな……。 今日は独り寂しくお弁当タイムですか、なんかやってらんねぇな」 その日の昼休み、俺が愚痴を漏らしながらやってきたのは、春の日差しも眩しいいつもの学校の屋上。 しかし、その隣に何時もいるであろう利里の大きな姿は無く、少々物寂しい。 と言うのも、何も利里の奴はこの日、祖母の三回忌で鹿児島にいるそうで……帰って来るのは明後日だそうだ。 ならばと意を決して朱美を誘ってみようと思ったのだが、朱美も朱美でNG。 何も、ザッキーから聞いた所によると、重要な用事があってこの日は来れないとの電話があったそうな。 如何言う重要な用事なのかは分からないが、何も学校を休むまでの用事なのだろうか……? (尚、後日聞いた話によると、その日、朱美は四月に廃止されるとあるローカル私鉄に乗りに行ってたそうで……。 その事実を知ったザッキーといのりんが怒りで毛を逆立てたのは言うまでもない事だろう) それならば、いっそのこと他の奴を誘えばと一瞬、思いはしたのだが、、 何時も利里とつるんでいる俺が今更、他のグループの輪に入るのは何処かこっぱずかしい物があって出来ず。 結局、俺はなし崩しに昼休みに突入してしまった。 まあ、そう言う理由もあって、この日に限っては、俺は独り寂しくお弁当タイムとなった訳である。 義母さんが作ってくれた3段重のお弁当も、この日ばかりは何処か寂しそうである。 「ま、こう言う日もあるさ…」 独り誰もいない空へ呟いて、俺は弁当包みを開く。 中に広がっているのは義母さんによって厳密に栄養計算をした上で色取り取りに盛り合わされた豪華なおかず達。 しかし、義母さんが腕によりをかけた弁当の中身も、見て味わうのが俺だけじゃ物足りなかろう。 「…凄い弁当だね」 弁当に箸を付けようとした所で、唐突に背に掛かった声に俺が少しギョッとしつつ振り向けば、 其処にいたのは何とヒカルの姿。その手には購買部で買った物だろう小さな紙袋とパック牛乳。 恐らくは昼飯を食いに来た、といった所だろうが……確か、何時もなら誰もいない場所で食ってた筈だよな? 「それ、お母さんが作ったの?」 「あ、ああ…」 驚きの余り、うめく様に答える事しか出来ない俺の様子に構う事無く、 ヒカルは俺から約数メートルほど離れた場所のベンチに腰を落ちつかせた。 そして、紙袋から取り出した佳望学園購買部特製日替わり名物、カレーヤキソバパンをぱくつき始めた。 そのまま何も語らう事無く昼飯を食べつづけて約数分、先に言葉を発したのは驚いた事にまたもヒカルだった。 「所でさ、卓君のお父さんの部屋。…ぼくが見た事の無い本がいっぱいあったね」 「あ、ああ、そうだな」 確かに、親父の部屋には如何言うルートで手に入れたか分からない本が沢山ある。 中には、かなり昔に絶版となって今や古書マニアが血眼になって探し続けている本もある。 しかし、それに如何言う価値があるかとか、そう言うのには余り興味が無い俺には全く分からないのだが……。 「出来れば…その、本を貸してくれたらなって…」 「……は?」 「い、いや、迷惑なら貸してくれなくても良いんだ。 …ただ、ちょっとだけ、読んで見たいなって思っただけで…」 恥かしそうに顔を俯かせ、言葉を萎ませて行くヒカル。 なるほど、こいつがわざわざここまで来た理由は、俺にこれを頼む為と言う理由があったからって訳か。 「良いぜ」 「…へっ?」 俺の返答が理解できなかったのか、思わず耳をピンと立てて疑問符を漏らすヒカル。 其処から数瞬ほどの時間を置いて、ようやく俺の言った事を理解した彼が顔を上げて、 「ほ、本当に良いの?!」 「ああ。どうせ親父の部屋においてても埃を積もらせるだけだからな。 だったら、本が好きな奴に大切に読んでもらった方が、本にとっても幸せだろうと思ったし。 それに、お前ならば親父も良いと言うだろう。……けど、ただしだ。代わりに二つ守ってもらう約束がある」 「守ってもらう約束…」 俺の言い出した『約束』の言葉に、ヒカルの表情に不安が過ぎる。 貴重な本の貸し出しと引き換えに言いつけられる約束。果してどれくらい厳しい物なのだろうか? と、ヒカルの頭の中には色々な想像がサイダーの泡の様に浮かんでは消えている事だろう。 しかし、俺はその想像を打ち消す様に、良い笑顔でサムズアップして言う。 「返却は一週間厳守、そしてこの事は他の奴には秘密な?」 「……そ、それだけ?」 ポカン、と呆気に取られた表情で聞き返すヒカル。 俺は胸を張って答える。 「当前だ、学校の図書館も貸しだし期間は一週間って決まってるしな。 それに、俺の家に貴重な本があると知って、それで悪さする奴が校内にいないとも限らないからな。 だから、借りる以上はそれだけは守ってもらうぞ?」 「う、うん。守るよ、絶対に守るよ!」 「よし、良い返事だ。……で、最初は何を借りたいんだ?」 ヒカルは暫く悩んだ後、意を決した様に顔を上げて、その本の名を告げる。 「そうだね…先ずは――――」 ……そう、たった一つだけ変わった事。 それは、俺とヒカルだけの秘密のやり取りが行われる様になった事。 恐らく、利里や朱美ですらも知らない、秘密の関係が出来た事。 たった、それだけだ。 ――――――――――――――――――――――了――――――――――――――――――――――

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