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**スレ5>>136-139 尻尾堂雑記譚
「おーい、おやじ居るか?」
「居らん!」
蕗の森に構える古書店『尻尾堂』に現れた古文教師・帆崎尚武の声を聞くなり、店主のおやじは即答した。
帆崎は自宅の如くためらい無く奥に進み、一人通れるかどうか分らない山積みにされた古書を掻き分けると、
本棚に挟まれた店舗隅の椅子にどっかと座り、イヌハッカのタバコをのらりくらりとふかすおやじが埋没していた。
帆崎の飽きれ顔は親父には届かない。体中の毛並みが埃で煤けることを帆崎は気にする一方、
おやじは煙のために自分の時間を費やすことに熱心であった。あえて、帆崎の顔を見ずにおやじはセリフを吐き捨てる。
「誰だ。おまえ」
「ふう、帆崎だよ。帆崎尚武。古いお得意様を忘れるほどボケちまったのか?」
「三十路のハナタレが何をぬかす。この間まで売り物の本に座って万葉集を読んでただろ」
「それ、高校生のときの話だって。ったく」
「もうすぐ大事なお客が来るんだ。わしの邪魔をするとただじゃおかんぞ」
おやじは不機嫌そうに尻尾を本棚に叩きつけて、埃をあたり中に散らしている。
自分が小さい頃から変わらないと、安心するやら呆れるやら、と帆崎はおもむろにおやじに相談を持ちかける。
「おやじ、聞いてくれるか?ウチのさあ…」
「自慢話は聞き飽きた。ルルのことか?」
おやじは耳を帆崎の方に回した。興味はもちろんルルにだけだが、帆崎は気付かない。
あたりにネコを惑わす魅惑の香りだけがふわりと残った。まるで、その部分を世間さまから除け者にされたように。
足で床をゆっくり叩き、頭を抱えながら帆崎は話しを切り出すが。
「そりゃ、尚武が悪い」
「何も言ってないって。まずは俺の話から聞いてくれよ」
「知らん!」
おやじの一蹴にも負けず、帆崎はことの顛末を話す。
帆崎の話しはこうだ。
ルルがいつものように帆崎の毛繕いをしようと、ブラシを持って帆崎の後ろに座った時のこと、
くんくんと鼻を利かせるうさぎのような姿のルルがいた。いつもならそのようなことはけっしてしないのだが、
当然の如くその様子を帆崎が不審に思い、つい「何か付いているのか?」と帆崎は尋ねる。と、
こめかみに青筋を立てながら「せんせ。わたしのシャンプー使ったでしょ?」とルルは低い声で切り替えしてきた。
「最近、わたしの使ってるシャンプーの減りが早いと思ったら、せんせがわたしのシャンプーで体を洗ってるんでしょ?
だって、せんせからわたしの髪の匂いと同じ匂いがした!どうしてせんせは自分の『ネコ用ボディシャンプー』使わないの?」
と、帆崎の耳に指を入れてくるくると回しながら、ルルは甘い香りをあたりに振りまく。
このとき、帆崎にはルルの持っているブラシが、何もかも無慈悲に突き刺す鋼鉄の武器に見えたという。
ルルの背後にのびる影にはかつて絵巻物で見たような、顔の赤い鬼の角が生えていたという。
はっきり言って、帆崎はただ間違えてルルのシャンプーを使っただけだ。しかも、今回限り、即ち初犯である。
ルルのシャンプーの急激な減りのことと、今回の事件の因果関係はない。と、断言したい帆崎は四面楚歌。
ルルの気迫に押されて論理的な釈明をすることが出来なかった帆崎はこのとき
「理論など、感情の前では非力に近い」と悟ったのだった。
「タダでこのシャンプーを使わせるほど、わたしは甘くはありません。
甘いのはわたしのシャンプーの香りだけで結構です。わたしはこれから市場に買い物に行って来ますので、
貴方はわたしが帰ってくるまでになんとかするように。これはせんせへの宿題です」
「ル、ルル…」
「宿題を忘れた生徒は…分ってるでしょうね?」
いつもよりも大きな音で扉を閉めたルルを見送ると、帆崎は尻尾堂までのこのこやって来たと言うのだ。
ルルが戻ってくるまでに何かいい智恵でも、と尻尾堂までやって来たのだがおやじはどこ吹く風。
「おれは知らん。ルルの勝手にさせろ」
尻尾堂のおやじは否定も肯定もしない。かえって、帆崎を悩ませる答えだが、第三者的には納得のいく答えであった。
オスネコ二人が色気のない話をしている中へ、一人の女のネコがやって来た。
コート姿でコツコツとブーツを鳴らし、尻尾を揺らすシルエットからして、大人のネコだと分る。
年の頃は帆崎よりかやや年上、それでも少女のような目の輝きで多少若く見える彼女。
「あのー。頼んでおいた本、入りましたか?」
「おお。待っとったぞ、確かここに…あったあった!」
おやじは先程までのどんよりとした毛並みとはうって変わって、初恋に恋焦がれる若いネコのように目を輝かせた。
持ち出した一冊の本を彼女に渡すと、おやじの饒舌さが加速する。
「いいかい、お嬢ちゃん。この本は宇宙でたった一冊しかないんだ。
お嬢ちゃんのために、わしが手に入れてきたんじゃから大切にしてくれよ。
まあ、お嬢ちゃんならきっと大丈夫じゃろう。わしの目に狂いはない、お嬢ちゃんもそう思うじゃろ」
「は…はい、後生大切にします。ありがとうございます!」
「はは、わしもこの本みたいにお嬢ちゃんに大事にされたいのう」
おやじのどうでもいい言葉に彼女はニコリと返している。帆崎はと言うと、その真逆であった。
彼女はおやじから手渡された古い表紙の本をぎゅっと握り締め、らんらんと笑顔を振り見た。
彼女が家路に着こうと踵を返したとき、おやじは別れを惜しむかのようにぽんと手を鳴らす。
「ええと、お嬢ちゃんの名前は…」
「時計川です!」
「おお、下の名前じゃよ」
「ミミです!時計川ミミ」
「そうじゃった、覚えとおくよ。また、何かあったらウチにおいで。ミミさん」
時計川ミミは「またいつか」と、お辞儀をして去っていった。
その一部始終を見ていた帆崎は苦虫をかみ締めたような顔して、おやじに文句を垂らしている。
「何故、名前を聞く」
「……」
「黙るな!」
「お前もルルにこのくらいの愛想を振ったらどうだ。だから、ああいう疑いをかけられるんだ。
女はな、男の気前よさ一つで輝いたり不貞腐れたりするんだぞ。このくらい分っとけ、このあまちゃん三十路が。
もっとも、今回の件はお前の負けのようだが…違うか?早く、ルルのシャンプーでも買ってこんか」
何も言い返せない帆崎の惨めさったら、ルルが見たら間違えなく笑いものにするだろう。
煙の輪を部屋に飛ばしながら、おやじは面倒くさそうに帽子を被りなおした。
「ルルは生きとし生ける全てのケモノから、ネコを選んだんだぞ。尚武はこれを誇りに思え」
「ネコねえ…いいかなあ?」
インチキ臭そうなおやじの姿は見慣れているのだが、きょうは特にインチキ臭く見えてしょうがない。
もっとも、帆崎が同じ言葉を教壇で言ってみたとしても、子ネコちゃんたちの子守唄になってしまうだろう。
おやじがふかすタバコの煙と、帆崎から香るシャンプーの甘い香りが尻尾堂の立ち読み客となってはや30分。
帆崎の携帯がわめき出す。送り主はルル。しぶしぶその文を確かめると、帆崎は呆れてニヤリと笑った。
「こんなことでメールするなんて、ルルはしょうもないヤツだな」
「しょうもないと思うなら、すぐに帰ってやれ。そう思わないならおれの相手をもう少しろ」
無論、帆崎は尻尾堂から去ることにした。おやじの世話なんかまっぴらだ、と言わずとも帆崎の声が聞こえる。
おやじの言うことはイヌハッカのタバコと同じ、惑わされていると気付くか気が付かないうちにじわじわと効いてくる。
だが、気付いたときには振り返ることさえ、面倒くさくなるのだ。帆崎もそれは十分承知。
埃まみれの店からはおやじのかすれた声が聞こえる。
「尚武、二度と来んなよ」
「また来るからな、おやじ」
帆崎は外のまだ明るい蕗の森を歩き、自宅のマンションに向かう。
何時になく帆崎は尻尾が重く感じた。
#right(){おしまい。}
関連:[[帆崎先生+ルル>スレ3>>463 早くしろよ?]] [[おやじ>スレ4>>749 今日は2月22日]](一番左手前) [[時計川ミミ>>スレ>>598-605 風を切って]]
**尻尾堂雑記譚
「おーい、おやじ居るか?」
「居らん!」
蕗の森に構える古書店『尻尾堂』に現れた古文教師・帆崎尚武の声を聞くなり、店主のおやじは即答した。
帆崎は自宅の如くためらい無く奥に進み、一人通れるかどうか分らない山積みにされた古書を掻き分けると、
本棚に挟まれた店舗隅の椅子にどっかと座り、イヌハッカのタバコをのらりくらりとふかすおやじが埋没していた。
帆崎の飽きれ顔は親父には届かない。体中の毛並みが埃で煤けることを帆崎は気にする一方、
おやじは煙のために自分の時間を費やすことに熱心であった。あえて、帆崎の顔を見ずにおやじはセリフを吐き捨てる。
「誰だ。おまえ」
「ふう、帆崎だよ。帆崎尚武。古いお得意様を忘れるほどボケちまったのか?」
「三十路のハナタレが何をぬかす。この間まで売り物の本に座って万葉集を読んでただろ」
「それ、高校生のときの話だって。ったく」
「もうすぐ大事なお客が来るんだ。わしの邪魔をするとただじゃおかんぞ」
おやじは不機嫌そうに尻尾を本棚に叩きつけて、埃をあたり中に散らしている。
自分が小さい頃から変わらないと、安心するやら呆れるやら、と帆崎はおもむろにおやじに相談を持ちかける。
「おやじ、聞いてくれるか?ウチのさあ…」
「自慢話は聞き飽きた。ルルのことか?」
おやじは耳を帆崎の方に回した。興味はもちろんルルにだけだが、帆崎は気付かない。
あたりにネコを惑わす魅惑の香りだけがふわりと残った。まるで、その部分を世間さまから除け者にされたように。
足で床をゆっくり叩き、頭を抱えながら帆崎は話しを切り出すが。
「そりゃ、尚武が悪い」
「何も言ってないって。まずは俺の話から聞いてくれよ」
「知らん!」
おやじの一蹴にも負けず、帆崎はことの顛末を話す。
帆崎の話しはこうだ。
ルルがいつものように帆崎の毛繕いをしようと、ブラシを持って帆崎の後ろに座った時のこと、
くんくんと鼻を利かせるうさぎのような姿のルルがいた。いつもならそのようなことはけっしてしないのだが、
当然の如くその様子を帆崎が不審に思い、つい「何か付いているのか?」と帆崎は尋ねる。と、
こめかみに青筋を立てながら「せんせ。わたしのシャンプー使ったでしょ?」とルルは低い声で切り替えしてきた。
「最近、わたしの使ってるシャンプーの減りが早いと思ったら、せんせがわたしのシャンプーで体を洗ってるんでしょ?
だって、せんせからわたしの髪の匂いと同じ匂いがした!どうしてせんせは自分の『ネコ用ボディシャンプー』使わないの?」
と、帆崎の耳に指を入れてくるくると回しながら、ルルは甘い香りをあたりに振りまく。
このとき、帆崎にはルルの持っているブラシが、何もかも無慈悲に突き刺す鋼鉄の武器に見えたという。
ルルの背後にのびる影にはかつて絵巻物で見たような、顔の赤い鬼の角が生えていたという。
はっきり言って、帆崎はただ間違えてルルのシャンプーを使っただけだ。しかも、今回限り、即ち初犯である。
ルルのシャンプーの急激な減りのことと、今回の事件の因果関係はない。と、断言したい帆崎は四面楚歌。
ルルの気迫に押されて論理的な釈明をすることが出来なかった帆崎はこのとき
「理論など、感情の前では非力に近い」と悟ったのだった。
「タダでこのシャンプーを使わせるほど、わたしは甘くはありません。
甘いのはわたしのシャンプーの香りだけで結構です。わたしはこれから市場に買い物に行って来ますので、
貴方はわたしが帰ってくるまでになんとかするように。これはせんせへの宿題です」
「ル、ルル…」
「宿題を忘れた生徒は…分ってるでしょうね?」
いつもよりも大きな音で扉を閉めたルルを見送ると、帆崎は尻尾堂までのこのこやって来たと言うのだ。
ルルが戻ってくるまでに何かいい智恵でも、と尻尾堂までやって来たのだがおやじはどこ吹く風。
「おれは知らん。ルルの勝手にさせろ」
尻尾堂のおやじは否定も肯定もしない。かえって、帆崎を悩ませる答えだが、第三者的には納得のいく答えであった。
オスネコ二人が色気のない話をしている中へ、一人の女のネコがやって来た。
コート姿でコツコツとブーツを鳴らし、尻尾を揺らすシルエットからして、大人のネコだと分る。
年の頃は帆崎よりかやや年上、それでも少女のような目の輝きで多少若く見える彼女。
「あのー。頼んでおいた本、入りましたか?」
「おお。待っとったぞ、確かここに…あったあった!」
おやじは先程までのどんよりとした毛並みとはうって変わって、初恋に恋焦がれる若いネコのように目を輝かせた。
持ち出した一冊の本を彼女に渡すと、おやじの饒舌さが加速する。
「いいかい、お嬢ちゃん。この本は宇宙でたった一冊しかないんだ。
お嬢ちゃんのために、わしが手に入れてきたんじゃから大切にしてくれよ。
まあ、お嬢ちゃんならきっと大丈夫じゃろう。わしの目に狂いはない、お嬢ちゃんもそう思うじゃろ」
「は…はい、後生大切にします。ありがとうございます!」
「はは、わしもこの本みたいにお嬢ちゃんに大事にされたいのう」
おやじのどうでもいい言葉に彼女はニコリと返している。帆崎はと言うと、その真逆であった。
彼女はおやじから手渡された古い表紙の本をぎゅっと握り締め、らんらんと笑顔を振り見た。
彼女が家路に着こうと踵を返したとき、おやじは別れを惜しむかのようにぽんと手を鳴らす。
「ええと、お嬢ちゃんの名前は…」
「時計川です!」
「おお、下の名前じゃよ」
「ミミです!時計川ミミ」
「そうじゃった、覚えとおくよ。また、何かあったらウチにおいで。ミミさん」
時計川ミミは「またいつか」と、お辞儀をして去っていった。
その一部始終を見ていた帆崎は苦虫をかみ締めたような顔して、おやじに文句を垂らしている。
「何故、名前を聞く」
「……」
「黙るな!」
「お前もルルにこのくらいの愛想を振ったらどうだ。だから、ああいう疑いをかけられるんだ。
女はな、男の気前よさ一つで輝いたり不貞腐れたりするんだぞ。このくらい分っとけ、このあまちゃん三十路が。
もっとも、今回の件はお前の負けのようだが…違うか?早く、ルルのシャンプーでも買ってこんか」
何も言い返せない帆崎の惨めさったら、ルルが見たら間違えなく笑いものにするだろう。
煙の輪を部屋に飛ばしながら、おやじは面倒くさそうに帽子を被りなおした。
「ルルは生きとし生ける全てのケモノから、ネコを選んだんだぞ。尚武はこれを誇りに思え」
「ネコねえ…いいかなあ?」
インチキ臭そうなおやじの姿は見慣れているのだが、きょうは特にインチキ臭く見えてしょうがない。
もっとも、帆崎が同じ言葉を教壇で言ってみたとしても、子ネコちゃんたちの子守唄になってしまうだろう。
おやじがふかすタバコの煙と、帆崎から香るシャンプーの甘い香りが尻尾堂の立ち読み客となってはや30分。
帆崎の携帯がわめき出す。送り主はルル。しぶしぶその文を確かめると、帆崎は呆れてニヤリと笑った。
「こんなことでメールするなんて、ルルはしょうもないヤツだな」
「しょうもないと思うなら、すぐに帰ってやれ。そう思わないならおれの相手をもう少しろ」
無論、帆崎は尻尾堂から去ることにした。おやじの世話なんかまっぴらだ、と言わずとも帆崎の声が聞こえる。
おやじの言うことはイヌハッカのタバコと同じ、惑わされていると気付くか気が付かないうちにじわじわと効いてくる。
だが、気付いたときには振り返ることさえ、面倒くさくなるのだ。帆崎もそれは十分承知。
埃まみれの店からはおやじのかすれた声が聞こえる。
「尚武、二度と来んなよ」
「また来るからな、おやじ」
帆崎は外のまだ明るい蕗の森を歩き、自宅のマンションに向かう。
何時になく帆崎は尻尾が重く感じた。
#right(){おしまい。}
関連:[[帆崎先生+ルル>スレ3>>463 早くしろよ?]] [[おやじ>スレ4>>749 今日は2月22日]](一番左手前) [[時計川ミミ>>スレ>>598-605 風を切って]]
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