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荒れた心を癒すのは、私の場合、破壊が一番適切な処置だった。
手を振るい、壁に穴を空け、家具を壊す。そうしてようやく、私は落ち着くことができる。
不甲斐ない…自分でもそう吐き捨てることが多くなってきたと実感してしまう。

別段、特定の人物に怒っているわけではないが、このやりきれない気持ちが私を無意識に破壊へと導いてしまう。
人としての生き方を望まれずして生まれた私たちは、与えられた役目さえ実行できずに今も飄々と生きている。
化け物と呼ぶには遠く、人と呼ぶには欠陥が多すぎる。ならば私たちは、自分が住みやすい居場所に自分を騙るしかない。

“私は人間だ”

そう、今なら言える。
人として生きるのには問題は無いし不満も無い。だけど…足りないんだ。
敗者の矜持を捨ててさえ、人間にしてくれた人が居ない。擬似だが、家族として扱ってくれた大切な人が居ない。
今でも仲間はいる。今でも家族はいる。
でも…人間として機能させてくれる人がいない。彼がいなくても、きっと彼女たちに言えばこう返ってくるだろう。

“貴女は人間だよ”と。仲間がいるのは心強い。家族がいるのは暖かい。
なら私は、何を求めているのだろうか? この渇きは、何をすれば満たされるのだろうか。

今の私は…“どっち”なんだろうか。



「ねえトーレ姉さん、兄様は今…何をしているのか分かる?」
「そんなもの…私に聞くな」

ミッドチルダの中央区にある一角のアパート。もうずっと明かりも点けないまま、二人は過ごしていた。
セッテとトーレは、半年前に機動六課を辞退していた。本来ならば監獄へ逆戻りだったが、少ない期間ながらの好成績によって残りの期間は免除された。
それからずっと引きこもり。セッテはよく街に行くが、セッテより重症なトーレは全くと言っていいほど外には出たがらなかった。
ただ夜になると、ずっと空を見続けている。

心配して見にくる六課の人たちも、いつも十秒も持たない。
粘れば家に入ることは可能だろう。だが、無理を通せばトーレが何をしだすか分からなかった。

「だが、兄上はご健在だ」
「…そうだね」

短い会話。およそ会話のキャッチボールと呼ぶには程遠いこの会話は、飽きもせずに十ヶ月も続けられている。
カーテンから零れる日光が、異常なほど目に染みた。

「みんな…どうしてるかな?」
「知らん」

一蹴。さほど興味が無いのか、トーレは大切な兄の話が終わるとベッドに寝転がってしまった。

「姉さん…」

セッテ自身も、十分に悲しい現実に突きつけられているのは周知の事実だ。だがそれでも…心で泣き続ける姉を支えようと、痛みを隠して過ごしている。
兄が、ヴィアトリクスがいなくなったのは、きっと私たちが弱いからだ。
心の支えにすら、なってあげられなかった。

スタンドランプを点けた。
昼間でも暗い部屋を、蝶の形をした影が伸びていた。

「…綺麗」

既にトーレは寝たのか、音の無い部屋には寝息が聞こえる。
それにしても…ただただ綺麗だった。
二人が引っ越すまで家具も何も無かったので、ヴィアの部屋から色々と貰ってきたのだ。

「これは…煙草?」

キャリーバッグから、箱の先端が見えた。
取り出してみると、やはり煙草だった。まだ開封されていない。きっと、なのはたちに取り上げられまいと隠していたのだろう。
ついでに入っていたライターを取り出し、加えて火をつける。

「けほっ…なに、これ…」

想像以上に不味かった。
不味い、といういうよりは、苦しいという方が正しいだろう。
咽《むせ》て吸う気がなくなったのか、すぐに火種を消してゴミ箱に投げ捨てた。

「これが、おいしいって言ってた…」

正直、堪えられたものじゃない。今すぐに箱を潰そうとしたが、ぎりぎりのところで止めた。
煙草への好奇心が無くなった今、残るは暇という文字のみ。テレビか外か。インかアウト。なかなか判断に困る状況だ。
夜に寝る習慣を保ちたいため、セッテは外へ繰り出すことに決定した。



外が眩しい。雲一つ無い晴天は、身体に良くても心は憂鬱にさせた。
行き交う人々は、誰もが笑ってる。羨心はやがて嫉妬に変わってきた。

「…痛っ」
「すまない…怪我は無かったか? って…お前、セッテか?」

十字路を曲がろうとしたとき、誰かにぶつかった。
聞き覚えがある声に気付いて見上げると、見知った顔があった。そしてそのまま連行される。

「チンク姉さん…」
「姉のおごりだから、たくさん食べるんだぞ」

テーブルに並べられたのは、およそ二人で食べるような量ではない料理が並べられている。
連れてこられたのは近所のファミリーレストラン。有無を言わさず、強制だった。

「なんだ、食べないのか?」
「………」
「ヴィアの事か?」

チンクは、セッテを見ずに喋っている。手はフォークとナイフを掴んだままだ。
そしてセッテも、姉の顔を見ることが出来ない。

「図星、か」
「私は……」
「案ずるな。姉に任せろ」
「半年前も…同じ事を言っていた」
「そうか? 忘れたよ。過去のことは」
「兄様の事も忘れたと言うのか…!!」

怒鳴った。周りの客が一斉に、端の席を見ている。
セッテが怒鳴っても、チンクは黙々と食べていた。

「落ち着け」
「………」
「私はな、セッテ」

ようやく手を止めて、セッテの目を見た。

「恐れていないんだ」
「恐れる…?」
「ああ。ヴィアは死んでなんかいない。だから私は、“死んでいるかも”という疑念を恐れてはいない」
「………」
「だがお前たち二人はなんだ? 行方不明になっただけで絶望して殻に閉じこもる。お前たちはヴィアの事を一番信じているという気持ちが大きいくせに、お前たちが一番信じていない。…言ってることが分かるな?」
「深い関わりも無いくせに、知ったことを言うな…」

姉妹喧嘩、というには少し状況がはっきりしすぎていた。
明らかに敵意をむき出しているセッテに対し、チンクは冷や汗一つ垂らさず話しを続けている。

「私もあの方を慕っている。戦場で肩を並べたならば深い繋がりはなくても戦友だ。だがお前は…“家族”なのに信じていない」
「黙れ…」
「哀れだな」
「黙れ…!」
「いつまで閉じこもるつもりだ」
「うるさい! その口を閉じろ!」

興奮はピークに達した。既にセッテの手はチンクの首を掴もうとしている。
震える手が、チンクの首まで達しないように抑えていた。

「場所を、変えようか」



「夏が終わって、また冬が来る。冬は、なぜかヴィアを思い出すな」
「………」
「姉と同意見か?」
「兄様は…」
「…ん?」
「兄様は、初めて私とトーレ姉さんを人間の家族として迎えてくれた」

いつもあまり表情を表に出さないセッテが、泣いていた。
拳を握り締めて、必死に涙を堪えている。

「“敗者”っていう檻から、出してくれたんだ……!!」
「…ちょっとやり方は強引だったがな」
「でも…私は兄様を…慕ってる…」
「お前は、何を我慢している。泣きたい時は、泣けばいい」
「うっ…うう…なんで、なんで居ないの…!?」

公園は、二人だけだった。
ベンチには、姉の胸を借りて溜めていた涙を流す妹。

「安心しろセッテ。お前の涙は、姉が拭ってやる」

その涙は、日が傾くまで止まらなかった。



「煙草かそれ」
「…うん、兄様の」
「よし、姉に貸してみろ」

日が暮れた頃には、世間話に変わっていた。
セッテはまだ目が腫れているが、もう、泣き止んだようだ。

「けほっ…不味いな」
「チンク姉さんじゃ、捕まっちゃうよ…?」
「失礼だな。こんな見た目でも姉なんだぞ」
「うん…知ってる」

泣き止んでからの沈黙は多かった。だが、悪い雰囲気ではない。

「姓は違えども、私たちは家族だ。…違うか?」
「うん。…家族だ」
「だからな、泣きたい時は精一杯泣け。寂しい時は、いつでも頼れ。お前が我慢なんかし続けたら、ヴィアが帰ってきた時には海が出来てしまう」
「うん…」
「それにしても随分感情が出てきたなセッテは。…セッテ?」

静かな公園には、微かに寝息が聴こえる。

「世話の掛かる妹だ…」

ゆっくりと、起こさないように頭を撫でる。
風に揺られて、ピンクの髪が揺れていた。

「そうやってセッテを騙して、またあの場所《六課》へ連れて行く気か?」
「…大きい方の蝸牛《かたつむり》がお出ましか」
「馬鹿にしているのか?」
「…困っている妹の悩みを姉である私が聞いてあげただけだ」
「私はセッテの教育係だ」
「…その教育係より、セッテの方がよほどまともだ。お前と違って、セッテはこの辛い現実に立ち向かおうとしている」
「現実…?」
「ヴィアトリクス・フロストリアがいない現実だ」

その名前を聞いた瞬間、トーレのインパルスブレードが喉元に突きつけられている。
膝枕をしていたチンクが、セッテをベンチに寝かせた。

「…はぁ。場所を、変えようか」

戦いになれば、セッテが起きてしまう。だから、通る人が少なく、通報されても逃げやすい場所に来た。
前に立つトーレの気配も、眼光も、全てが殺気となっている。

「兄上は、お前たちの為に…」
「まるで死んだかのような口ぶりだな」
「なに?」
「お前たちはヴィアを愛していながら、信じていない。私たちは彼を信じているからこそ、戦っているんだ」
「戯言を…!」
「戯言を抜かしているのはお前だ!」

チンクの手にも、ISのナイフが握られている。

「姉なら姉らしくしろ…」
「お前に、お前らなんかに…! 私たちの痛みが分かってたまるか…!!」

トーレのISが機動する。
暗がりとはいえ、戦闘機人の“目”から、トーレの姿が消える。紫色の閃光が、夜を引き裂きながら移動してくる。
勝算はほぼ無かった。超が付く程の近接戦闘型のトーレと違って、チンクは隠密行動などに長けている。相性も、経験も…トーレとチンクでは、差がありすぎた。

「くぅッ…!」

目が追いつかない。右に振り向けば、トーレは左に居る。
チンクは右左の両方に、ナイフを投げた。

「そんな遅さでは…私は捉えられないぞ…!」

ナイフを掻い潜って、エネルギーの刃が襲う。
寸での所でガードしたが、灰色のコート《シェルコート》が引き裂かれた。

「終わりだ!!」

トーレの刃がチンクの首を斬る直前、爆発が起きた。
二人は爆風で、吹き飛ばされる。

「お前…そうか、私を捉える為なら怪我は厭わないというのか」
「だが…それも失敗みたいだ」

トーレに大したダメージは与えられなかった。
向こうは起き上がるが、チンクはまだ立てなかった。

「お前の…負けだ」
「オーバーデトネイション!!」
「そんな物なんて……なに!?」

チンクが手を広げるのと共に、トーレの周りに無数のナイフが出現した。

「さすがのその速さでも、それは避けられないだろう…?」

掌が拳に変わると同時に、ナイフはトーレに全方位から襲い掛かった。
一つが爆発すると、周りのナイフも誘爆する。直撃を喰らったトーレが、後退した。

「くっ…!?」
「聞こえるか、管理局が来たぞ」

遠くからは、サイレンの音が聞こえてきた。まあこれだけ派手に戦えば、管理局が来てもおかしくはない。

「今日は退く…私たちはまだ、お前たちを許した訳じゃないからな…!」
「“私は”の間違いじゃないのか?」
「ふんっ…」

トーレが居なくなると、チンクは立ち上がった。
やはり姉妹で戦うのは、気が引けた。

「困った姉だな、全く。…さて、セッテを起こして私も帰るとしよう」

痛む身体に鞭を打って、チンクは公園へ戻っていった。
後に残ったのは、爆発で剥けた無残な地面だけだった…。



走る、走る。
誰かから逃げる訳でもないのに、私は必死に街を駆けていた。

「くそ…くそっ!!」

苛立ちが収まらない。チンクが憎いわけではないが、どうしても、心は苛立ってくる。
なんなのだろうか、これは。私がもっと強くて、速かったなら、きっと兄上を助けられたかもしれない。

「………」

そうか。私は…自分が許せなかったんだ。
あの時、兄上を迎えに行く、なんて意気込みながらも、ただの雑兵と戦うことしかできなかった自分を。
兄上の背中すら、見ることが出来なかった。

「…チンクの言った通りか」

私は心も弱かった。
罪を他人に押し付けて、六課を去った。…なんて弱さだ。
兄上に負けて、自分のプライドを守れるぐらいに強くなりたいと願ったはずなのに、こんなにも弱い。

「…お前は」

路地裏、私が一人立ち尽くしていた所に、犬が来た。
足に擦り寄ってくる小さい犬は、様子がおかしい。

「なんだ、怪我でもしているのか?」

しゃがんで、犬の顔を覗き込むと、すぐに異変に気が付いた。

「な…!? くそ…! これは!?」

犬が倒れる。元々、野犬にしても異常なほど痩せていた。
倒れた犬から、黒い何かがトーレに飛びつく。やがて身体全体を包み込み、暴れていたトーレの動きが止まる。

「………」

倒れる時、空が見えた。
―――月が赤い。こんな夜には、人を喰らうにはもってこいの静けさだった。



「その怪我はどうした!?」

六課に戻ってすぐに、叫び声は仕事を終えた局員たちに響き渡った。
叫んだのはゲンヤ・ナカジマ。J.S.事件が終わった後、更正プログラムを終えたナンバーズの何名かを引き取った者だった。
自分の怪我も、周りの目さえ気付かず、チンクは口を開いた。

「父上、なぜここに?」
「ええい! お前は早く医務室へ行け!」

質問は却下。チンクはそのまま、医務室に向かうことになった。
チンクと入れ違いで、フェイトが入ってくる。

「あの、ゲンヤさん。お話しとは?」
「あぁ…少し、厄介なことになりそうだぞ」
「…詳しく聞かせてください」

ソファーには、向かいあって二人が座った。
向かいにいるフェイトに、ゲンヤは珈琲を一気飲みして言った。

「街が、危険だ」
「…どういう意味ですか?」
「お前たちは、タナトスというロストロギアを追っていたな?」
「はい。…まさかミッドに!?」
「確証は無い。だが、その可能性は高いぞ」

ゲンヤが取り出したのは、何かの爆発によって破壊された広場だった。

「これは…」
「約一時間前の奴だ。今日は非番だったから外食をしていてな。たまたま現場に出くわした」
「…すぐに調査を」
「待て、まだ確証があるわけじゃないから六課は動くな」
「風評ってやつですか…?」
「それもある。いずれにせよ、ロストロギアが関わるならお前たちの出番になる」

風評…元々あまり上層部からの人気が無かった機動六課は、今や世界を救った組織からただの役立たずへランクダウンしている。
下手に動いて何も無かったら、また上からお小言を貰うのは目に見えていた。

「分かりました。はやてたちには私から伝えておきます。わざわざすみませんでした…」
「なぁに、上の奴らと違って、俺は六課が気に入ってるからよ」
「ゲンヤさん…」
「気張れ、お前たちは…よくやったよ」
「はい…」

一息ついて、ゲンヤは帰っていった。
窓の外は綺麗な夜空。だが、嫌な空気が漂っていた。



夢を見ている気がする。気がする…という曖昧な表現が正しいのは間違いない。
私は、ただ歩いていた。
夢なのか、現実なのか。よろよろとまともに立っていられないのに、私は歩き続けている。

「………」

下水の臭いが、鼻をつんざく。
まともに言葉を喋れない。その上、気分だけが上がっていく。
私は故障している。流れる血の脈動が、一刻も早く喰らえと命じてくる。

喉が乾く。身体が熱い。水が…飲みたい。


―――ただの水じゃあ、満足できないだろ?

兄上の声がする。

―――赤い水のタンクが、そこらへんにたくさんうろついている

何を、言っているのだろう…

―――喰え

タンクは…人なのに…?

―――喰え

乾きが強くなった。私は、手を伸ばす。
獲物が逃げた。追わなくちゃ。

「IS、ライドインパルス…」

遅い。路地裏にたむろっていた若者たちの身体が裂ける。
――静かになった。ようやく、この乾きを癒すことができるみたいだ。


―――サア、ショクジノジカンダ



「ここ…は…?」

深い眠りから醒めると、今居る場所を知っていることに気付く。チンクが、寝ているセッテを抱えて運んだのだ。
立ち上がって、周りを見渡す。すぐに異変に気付いた。

「なに、これ…?」

自分の部屋が、無残にも荒らされていた。
いや、家具や壁などが粉々に壊されているあたり、荒らすという言葉を超えていた。
唯一無事なのは、ヴィアのスタンドランプぐらいだ。

リビングに出ても、誰もいない。残るは、姉の部屋ぐらいだ。
苛立ちを抑える為に物を壊していたトーレがセッテの部屋を破壊したのは分かっていることだ。ただの強盗にここまでは出来ない。

「姉さん、居るの…?」

部屋の片隅に、トーレが居た。
うずくまって、下を向いている。セッテが、事情を聞こうと近づいた時、部屋に怒鳴り声が響いた。

「来るな!!」

いきなりの事で、少し戸惑う。トーレは、いくら苛立ってもセッテに八つ当たりすることは無かった。
怒りを超えて、既に殺気と化している。そして、咽るような臭い。

「電気、点けるよ…?」

答えは無い。セッテは、部屋の明かりを点けて、驚愕した。
白い壁はあちこちに赤いコーティングが施されている。これは、知っている…人間の、血の臭いだ。

「こ、れ…は…」
「来ないでくれ…」

泣きそうな声で、トーレが呟いた。
いや…泣いているのかもしれない。どちらにせよ、話さなければ何も始まらないと判断したセッテは、歩みを止めなかった。

「姉さん、一体なにが…」

ようやく、気付いた。
姉の後ろに、何かが居る。それはほとんど実体は無く、気配として存在している。
禍々しく、自分の存在を誇示していた。すぐに分かった。こいつが原因だと…。

「お前か…お前が姉さんを泣かせたのか…!!」
「逃げろセッテ…!」

ISを機動させる前に、セッテが吹き飛んだ。
トーレが、セッテに刃を向けている。

「姉さん…!?」
「夢じゃ、無かった…」
「え…?」
「逃げろセッテ…そして、六課を呼んでくれ…。私を、止めてくれ…」
「姉さん!!」

セッテを殺そうとする意思に抗いながら、トーレは窓から飛び出した。
何事も無かったように、部屋は静寂に包まれる。

「嘘…だ…あんなの、兄様じゃない…!!」



気付いたら、私は機動六課の前まで来ていた。
今日の姉さんはおかしかった。真っ赤な部屋におかしな言動…なによりも、トーレ姉さんの後ろに居た黒い影は、明らかに兄様だった。
自分一人ではどうにもすることが出来ない。だから、ここにきたのだろうか…。

「暗い…」

真っ暗な六課を見上げて、そう呟いた。今は深夜、起きている方がおかしいというものだ。
入り口は開かない。時間は無いのに、どうすることも出来なかった。

「兄様…」

兄様なら、どうするんだろう…そう考えている内に、また足は無意識の動き出した。

「兄様ならきっと、自分でなんとかする」

だったら、私も頑張らなきゃいけない。嫌な予感がする。
これ以上私は…家族を失いたくないんだ。

「厭《いや》な…空気だ…」

静か過ぎる街は、逆に疑心を煽る。予感が、段々と確信へ変わっていく。
この街は今…戦場になっている予感がした。



家に戻っても、手掛かりは無かった。
窓が割れた音も、叫び声も騒ぎにはなっていないらしい。だが部屋に戻ったら…トーレが居るという幻想は無駄だった。
部屋は赤く、窓は割れ、誰も居ない。

「姉さん…」

誰も居ない、という事が妙に悲しかった。
トーレだってたまには外に出ることもあるだろう。待っていれば家族は帰ってくる。でも…“誰も”いない。

「家族が居ないのは寂しいですか?」
「誰だ!?」
「誰? そうですね、強いて言うならば、貴女の敵ですよ」

窓の前には、女が立っていた。
入ってきた気配すら無い。いや、もとから居たのかもしれなかった。
美しい黒髪をなびかせて立っている女のその紅い瞳は、明らかな嘲笑。

「敵…? フリージアか…!」
「正解です。さて、貴女のお姉さん、何か様子がおかしかったでしょう?」
「…!? やっぱりお前たちだったのか…それに、あの兄様に似た影はなんだ!」
「兄様? あぁ、ヴィアトリクスのことですか。はて、貴女にはそう見えたのですか」
「どういう意味だ…」
「いえ、予想通りと言えばそうなのですが…。まあ、そんなことよりも影の正体の方を気にするべきでは?」

ISは既に起動している。後は、返答次第で彼女を斬るだけだ。

「兄様じゃない事が分かったならそれで十分だ。後は…お前をここで倒す!」

狭い部屋の中ではブーメランを投げるわけにはいかない。セッテはそのまま斬りかかった。
一瞬で距離を縮め、振り下ろす。だが、その場所には誰もいなかった。

「…なに!?」
「おめでとうございます。貴女は選ばれました。新たなる歴史を築く駒として…」

後ろを振り向く前に、セッテに衝撃が走った。
相変わらずの、嘲笑の瞳。

「我が名はベルザ…お見知りおきを」

そのまま倒れる。微かに残る意識の中、首に手が届く寸前で、セッテの意識は途絶えた。
灰色の雲が広がっていく。ミッドに、嵐が近付いていた。


第十六話:空いた心