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浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問25


問
 相対善悪はわからぬものだと仰しゃった親鸞聖人の御言葉とその出典
 を書きなさい。
答
 ○「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。」(歎異抄 後序)
 ○「是非知らず邪正もわかぬこの身なり 小慈小悲もなけれども名利に
 人師を好むなり」                  (慚愧和讃)

平成16年7月3日(土) 内神田集会室 1階 和室
教学講義 講師:中根繁会長
慚愧和讃
「是」とは、是認。つまり善。「非」とは、否認。つまり悪。「邪」も
悪。「正」は善。

ここで親鸞聖人は、善悪を別の言葉で繰り返し仰っている。

つまり、「是非知らず邪正もわかぬこの身なり」とは、何が善で何が悪か
も分からない自分という事。

「小慈小悲はなけれども」とは、「不完全ながらも人を思いやる心はあ
る」と普通は思いがちだが、親鸞聖人は、「その小さな慈悲の欠片すらも
自分の心には無い」と仰っている。

「名利に人師を好むなり」とは、名誉や利益を求め人に「先生、先生」と
呼ばれる事を求めてしまうという事。

信心決定しても、名利を欲する心は変わらない。「自分の悪性からすれ
ば、名利を求めるにも価しない人間だ」と理屈では分かる。

しかし、分かっているにも関わらず、名利を求める心が廃らない。

この名利を求める心が廃らない自分であると自覚を持つ事が重要。

「名利を求める事は、馬鹿な事。空しい事だ」という思いが、人間に本来
的に備わっている名利を求める心に対してブレーキとなる。

親鸞聖人にもご自身の本来的な迷いに歎かれて、このお言葉を仰った。

ひろさちやは、テレビなどで仏教評論家として、仏教の専門家ぶって話し
ていたのに、ある日、自宅に泥棒が入って、7000万円ほどの大金を盗
まれた。

「お釈迦様には、名利を捨てて真実を求められた。素晴らしい」と言いな
がら、自分は金をしこたま溜め込んでいる。全然、名利を捨ててない。

口で言っている事と、やっている事が違いすぎる。こういうインチキ男が
世間では仏教の専門家としてテレビなんかで話しているのが狂っている。

じゃあ、こういう奴だけがおかしいのか。「仏教の学者の最高峰」と言わ
れる学者も同レベルである。

東本願寺の近代教学を作った清沢満之も、ひろさちやと変わらない。

彼は、信心決定したと思い込んで、「私は、無限の慈悲、無限の智恵に
よって救われている。」と言いながら、「死後の事は体験した事が無いの
で語れない」と言っている。

「無限の智恵」とは、三世を徹見する智恵である。その智恵に生かされて
いるのであれば、死後の事は分からない筈がない。

また、清沢は、「信心決定した後は、どんな事をしても障りにならない」
と言っておりながら、一生涯勤勉実直で通した。

どんな事をしても、障りにならないならば、もっと破目を外してもよい
が、彼は人格者として一生を終えた。

その一方、清沢の弟子の暁烏敏は、清沢の主張を実行に移した。

彼は、信心決定したと思っていたので、その上で自分の思いのままに実行
した。

彼は、女に手を出して、「私は、本当に情けない人間です」と言って告白
している。

これが本当に信心決定しての事であれば、たとえどんな事をしても往生の
障りにはならない。

一番の悪い事は、信心決定していない事。

清沢が、信心決定した上で、勤勉実直な行動をとっていたなら問題は無
い。

また、暁烏も信心決定しているのなら、女に手をだそうが大した問題では
ない。

蓮如上人も「信のなき事が悪きよ」と仰っている。

浄土真宗の目から見れば、世間の道徳・倫理家が問題にしている善悪は、
本当の善悪ではない。

道徳・倫理

[get5out考察]


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問
是非も邪正も判らぬ親鸞だと悲歎なされた親鸞聖人のお言葉を書け。
答
是非しらず邪正もわかぬこの身なり小慈小悲もなけれども名利に人師をこ
のむなり。
解説
・出題の意義――倫理至上主義を破邪するため。
・邪正――善悪。
・人師――人の上にたつこと。

問
「名利に人師をこのむ親鸞だ」と悲歎なされた
親鸞聖人のお言葉を書け。
答
○是非しらず邪正もわかぬこの身なり
 小慈小悲もなけれども
 名利に人師をこのむなり
解説
・法の深信から邪正の道路を弁うることなし。
 正――弥陀の本願。
・名利に人師をこのむなり――人から誉められたい。
              人から大先生と言われたい。
              お金が欲しい。気持ちがいっぱいだ。

問
 相対善悪はわからぬものだと仰った聖人の御言葉とその出典
 を書きなさい。
答
 「善悪の二、総じてもって存知せざるなり。」(歎異抄 後序)

マスコミの無責任な体質を問う 
―マスコミはなぜ間違いを犯すのか―

・・・『歎異抄』の後序に
は、「善悪の二、総じてもって存
知せざるなり」というお言葉があ
る。親鸞は、何が善で何が悪か、
まったくもって分からない愚か
な人間だと泣いておられるのであ
る。まことに親鸞聖人お歎きの
通り、事の是非、正邪、善悪とい
うのは分からぬものだ。・・・

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