浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問14


問
 比叡山の修行時代、煩悩を断ずることができない自己に泣かれた親鸞
 聖人の御言葉とその出典も書きなさい。
答
 「定水を凝らすといえども識浪しきりに動き、
 心月を観ずといえども妄雲なお覆う」 (歎徳文)

平成16年5月23日(日)
教学講義 講師:中根繁会長
親鸞聖人は、天台宗の比叡山で9才から29才まで血みどろのご修行を続
けられた。

「天台宗」とは、最澄が中国に渡って支那天台を学んでから、日本に帰っ
てきて作った宗派を言う。

最澄のことを「伝教」とも言うが、この伝教が京都と滋賀の県境にある比
叡山を開いて天台宗を作った。

親鸞聖人は、その天台宗の仏教を20年間に渡って比叡山で修行された。
そして、その結果知らされた自己の姿を告白されているのが、このお言
葉。

親鸞聖人は、深夜2時頃起きられて修行をなさっていた。おそらく睡眠時
間は2、3時間ぐらいだったはず。こういう生活をされていたということ
は、命懸けで修行をされていたことが分かる。

この比叡山から滋賀県方面を見ると琵琶湖が見える。この琵琶湖は、山上
から見ると眺めると定まった鏡のような湖面に見える。

親鸞聖人は、この定水をご覧になりながら、煩悩を静めようとしても静め
られない心を歎かれ、天空に輝く月をご覧になりながら、ご自身の心にも
悟りの月を拝もうとされたが、煩悩の群雲によって心に悟りの月を拝むこ
とができないと歎かれた。

そして、「煩悩を断じなければ救われないという教えでは助からない」と
思われた親鸞聖人は、29才の時に比叡山を下りられた。

9才から29才まで20年間もの長い間、天台宗で修行されていたにも関
わらず、親鸞聖人は弊履の如く、あっさりと天台宗を捨ててしまわれた。
これは普通はなかなかできないものだが、親鸞聖人は求道者であったの
で、天台宗をあっさりと捨てることができたと言える。

比叡山を下りられた親鸞聖人は、自分を本当の救いに導いてくれる名師は
おられないかと京都の街を彷徨(さまよ)われた。そして、京都の四条大
橋の上で、親鸞聖人は聖覚法印会われた。

この聖覚法印は、親鸞聖人の間接の善知識にあたる人で、この時に法然上
人の許へ親鸞聖人を導いた。

親鸞聖人は、法然上人のご説法を聞かれ、その一回で「この方の教えこそ
真実だ」と思われた。

この時、法然上人が親鸞聖人に話されたのは、煩悩があるがままで救われ
る阿弥陀仏の本願のお話だったわけだが、煩悩にまみれた自己に泣いてい
らした親鸞聖人にとって、このお話は「これこそ本当の救いだ」と思われ
た。そして、それからというもの、雨の日も、風の日も、法然上人のお話
を聞きに通われた。そして、29才で山を下りられて、29才で信心決定
されている。

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【比較資料】
浄土真宗親鸞会 新教学聖典(1) 問(45)
問
親鸞聖人が比叡山でご修行中、湖水や月を見て後生暗い心の解決できぬこ
とに泣かれ、下山を覚悟せられたことを記した御文と、その根拠を書け。
答
○定水を凝すと雖も識浪頻に動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、而るに
一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生の交衆を貪って徒に仮名の修学
に疲れん、須らく勢利を抛って直に出離を■(小[りっしんべん]+希)うべし。

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最終更新:2010年10月23日 18:25